◆  ◆  ◆



 メタルティラノモンは空を仰いだ。
 七色の光。キラキラと降り注ぐ雪。……なんて美しい。

「────ひ、か……り」

 手を伸ばした。掴むことはできなかった。
 照らされた巨体は、地面に大きな影を伸ばす。──ああ、自分はいつから、こんな姿になってしまったのだろう?

 それが悲しくて。もう戻れない現実が、哀しくて。
 溶けた右手から、千切れた左手首から──メタルティラノモンは全火力を解き放つ。
 もはや形状を持たなくなったエネルギー弾が大地を抉る。照準など無いミサイルが、流星の如く落下していく。

 そして周囲一帯が、煙と炎に包まれた。
 焼き払われる大地。飲み込まれていく生命。これでようやく空腹が満たせると、彼の本能が僅かな安堵を覚える。

 ────その時だった。

 煙の中から、空へ。
 一体のデジモンが天に登るのを、メタルティラノモンは確かに見たのだ。

「……え?」

 声を上げたのは誠司だった。
 自分がシードラモンと共に、空を飛んでいたからだ。

「……シードラモン……?」

 ……いや、違う。肌の色が変わっている。形も少しだけ違う。
 けれどそれが、紛れもなく自身のパートナーであることを──肌から伝わる、あたたかさが教えてくれた。

「……ねえ! どうして、飛んでるの……!?」
「────それは……せいじが、オレを強くしてくれたから……!!」

 そして────メガシードラモンは、パートナーと天を泳ぐ。



◆  ◆  ◆



 胸の紋章を握りしめながら、手鞠とテイルモンは空の光に目を奪われていた。
 自身の紋章もまた、輝きを放っている事に気付かぬまま。

 その直後、そう遠くない場所にミサイルが落下する。
 耳を突くような音と共に爆発した。巻き上がる煙と炎、そして衝撃波が、真っ直ぐ彼女達のもとへ走る。
 手鞠は咄嗟に姿勢を低くした。避難訓練で習った体勢など、炎に飲まれてしまえば何の意味も成さないというのに。
 そんな少女を守ろうと、テイルモンが両手を広げて立ちはだかる。

「手鞠!!」
「……テイルモン……!」

 パートナーを呼ぶ声は轟音に掻き消される。
 そして、瞬く間に火柱が襲い掛かってきた。

 焼けた空気があまりに熱くて、手鞠は声を上げることさえできなかった。
 息が苦しい。木材の焦げる臭いが苦しい。────けど、不思議と痛みはなかった。

 やがて静かになる。

 熱さもなくなり、周囲には暗灰色の煙だけが立ち込めていた。
 咳込みながら、手鞠は自分が無事であると認識する。しかし安堵以上に恐怖と困惑が押し寄せた。──テイルモンは?

「……あ……」

 恐る恐る顔を上げる。
 荷台は炭になっていた。けれど自分は生きている。

 それは彼女が、身を呈して自分を────

「…………チューモン?」

 ────どうしてだろう。
 目の前、煙の中に、大きな花が咲いている。
 かつての彼女の肌と同じ──桃色の花が。

「────手鞠、怪我は?」

 花が動き、振り向く。
 人間の大人と似た容をした──それは、花の妖精だった。

「……綺麗……」

 思わず出た言葉に、妖精は「え?」と声を上げる。

「……とっても、綺麗だね。チューモン……」

 すると、花の精は照れ臭そうに顔をしかめた。
 パートナーよりも大きくなった彼女は、両手で手鞠を抱き寄せる。

「……今のウチは、ライラモンって名前らしい」

 それから、手鞠の腫れた足首をそっと撫でた。
 ────怖かっただろう。壊された馬車で、子供達だけで。

「……ごめんな」
「どうして? わたしのこと、守ってくれたのに」
「本当に、怖い思いをさせた」
「…………」
「……なのに……ウチはまた、アンタを此処に置いて行かなきゃいけない」

 我ながら残酷だと思う。けれど自分は戦わなくては。この子を、生きて帰す為に。

「だけど信じて欲しい。もう怖くないんだって。ウチは今度こそ……勝って、戻ってくるから」
「…………ライラ、モン……」
「ちっぽけなウチが、ここまで進化できた。手鞠のおかげだ。──そんなウチが戦う所、アンタに見届けて欲しいんだよ」

 手鞠は少しの間、俯く。
 やわらかな光を放つ紋章を、ぎゅっと握り締め──けれど顔を上げて、しっかりと頷いた。
 ライラモンは優しい笑顔で「ありがとう」と言った。立ち上がり、再び背中の花を向ける。

「……よくも手鞠を怪我させたね。……仲間達を……!」

 ライラモンは怒りを込めて睨んだ。黒い男を。メタルティラノモンを。

「許さない。絶対に切り刻んでやる!!」



◆  ◆  ◆



 柚子のデジヴァイス、そして紋章から溢れるのは、藤色の光。
 それはウィッチモンの全身を包み込むと、分厚い絹のベールとなって彼女の頭部を覆い始めた。

「……これは……」

 身体中に温かさが広がっていく。使い魔の使役によって爛れた両手が────破壊された内蔵が、修復されていく。
 肥大した手は二進法の文字列と共に変化し、人間のものより少し大きい程度の黒い手へ。纏う衣服も、鮮やかな赤からワインレッドに染まった。

 自分という存在が────その種族を、進化世代を、確かに変化させていくのを感じていた。

「…………ワタクシが……」

 まさか自分が。……という思いが、不思議と最初に湧いてきた。
 離れた場所から援護するだけの自分が、この恩恵を受けても良いのだろうか。

「……ユズコ」

 黒い手を、そっと柚子に伸ばす。新たな自分の姿を怖がられないか、僅かに不安を抱えながら。──柚子はその手を取り、指を絡めて握り締めた。

「────ワイズモン、良かった。皆ももう、痛くないんだね」
「え……?」

 その言葉に、“ワイズモン”は思わずモニターに目を向ける。
 画面に反射する自分の姿。そこに、自らの種族情報が表示されていた。

「……」

 ──映し出される視界の中に、完全体と成った仲間達の姿を見る。
 パートナーと共に立ち上がり、立ち向かっていく姿が。

 そんな、目映い光景。
 目を釘付けにしていたのは、柚子達だけではなかった。

「みちる。何とかなって良かったじゃないか」

 画面を凝望する少女に、青年は優しく声をかける。

「ああ。……綺麗だね。はるか」

 そう言った、少女は目を細めていた。




◆  ◆  ◆




 周囲を照らす輝きの中。
 少年の前に現れたのは────大きな紅蓮の獣人だった。

 轟く咆哮。
 獣人はベルゼブモンの腕を鷲掴み、少年の視界から引き剥がすように放り投げた。
 男の身体が宙に浮く。しかし受け身を取って着地し、瞬時に構えたショットガンの引き金を引いた。
 ──それを見切った獣人が身を躱す。弾丸は皮膚を掠め、鮮やかな血液がその軌跡を描いた。身体の回転と共に紅蓮の鬣が振るわれる様は、まるで舞踊の様であった。

 獣人はそのまま大地を蹴った。走り出すと、あろうことか男に背を向けたのだ。弾丸の的になることも厭わずに。

 そして──その先に立ち尽くす、少年のもとへ。

「────蒼太!!」

 名を叫ぶ。少年はその声に我に返る。
 伸ばされた手。優しい瞳。しかしその背後、男が銃を向け────

「! 駄目だ!! コロナモ……」
「────うおおぉおおっ!!!」

 砂塵の中から飛び出す腕。
 雄叫びと共に男に掴み掛かる、白銀の影。

「行け! フレアモン!!」

 こちらに向けて声を上げた。聞き覚えのある声だった。

「こいつは僕が!! だから、蒼太と花那を……!」
「……頼んだ。ワーガルルモン!」

 紅蓮の獣人──フレアモンは少年を抱き上げ、鋼鉄の翼を起動し飛び立つ。
 焦るように空を切る。戦闘機にでも乗ったのかと錯覚する程のスピードだった。

 そして視線の先────炎と瓦礫に囲まれ、動けなくなった花那を救い出した。

「花那!! 無事か!?」
「……!? あっ……──え?」

 花那は状況を咄嗟に飲み込めなかった。しかし頬に感じる温もりと、少し硬い毛並みに────自身が生き延びた事を、そして、大切な仲間が再び立ち上がれたのだと知る。
 胸に押し寄せる安堵感。緊張の糸が切れ、花那は大声で泣き出した。

「わああぁん!」
「大丈夫……もう、大丈夫だよ」
「……か、花那っ……ごめん、ごめんな!!」

 煤に汚れた花那の姿に、蒼太はひどい罪悪感と恐怖を覚えた。自分の稚拙な作戦が、友人を殺しかけたと自覚したからだ。

「俺があんなこと、言ったから──……っ!」

 ──すると、自分を抱く腕の力が、少しだけ強くなるのを感じた。
 泣きながら顔を上げる。そこには、優しい笑顔があった。

「……蒼太。……俺達の為に、ここまで……戦ってくれたんだね」
「でも……っ! 花那を、皆だって……俺のせいで、殺したかもしれなかった!」
「……誰も死んでない。生きてるよ。……蒼太、むしろ逆なんだ。君と花那が……皆がいたから、俺達は」
「……ッ……」
「だから────ありがとう」

 勇気を出してくれて、立ち向かってくれて────生きていてくれて。
 それは慰めではなく、心からの感謝の言葉。少年は、声を引きつらせて泣きじゃくった。



◆  ◆  ◆



 花の精霊は新緑の光線を放ち、赤い蛇竜は雷撃を発する。

「ライラシャワー!!」
「サンダージャベリン!!」

 光線はメタルティラノモンの装甲に穴を空け、肉を貫く。露わになった部位を雷撃が焼き焦がした。
 メタルティラノモンは身悶え暴れ出す。自らのデジコアが破損していくのを自覚する。逃れるように体勢を変え、二人を薙ぎ払おうと尾を振り回した。

「────潰す気!? させないよ!」

 けれどライラモンは立ち向かう。
 その手にナイフは無い。しかし花弁のような手先を、鋭い刃に変えて構えた。

「ライラックダガー!!」

 そして──彼女の刃は今度こそ、メタルティラノモンの肉を切り裂いた。
 そのまま骨を断ち、尾が切断される。細かくなったケーブルと肉片が地面に転がった。

 同時に、迸る血液が彼女へ降りかかる。ネプトゥーンモンの結界は時間切れなのか、もう彼女を守ってはくれなかった。
 だが、今の彼女は完全体だ。多少その身に毒を受けても、致死的状況に陥ることはない。組織を火傷しながらも手で拭った。

 前屈みになったメタルティラノモンの、溶けた腕からミサイルが発射される。
 メガシードラモンはそれよりも高く泳ぎ、雷撃でミサイルを撃ち落としていく。──だが、

「! ライラモン……左腕の方が来る!」
「あんな状態でまだ使えるの!? しぶといね!」
「せいじ、たくさん動くから、ぜったい落ちないで!」
「え、え!? 待っ……」

 エネルギー弾に備え、二人は回避すべく距離を取った。進化により強化されたとはいえ、直撃すれば只では済まない。
 そしてメタルティラノモンは左腕を掲げた。手首の内部から光を破裂させ────

「────紅蓮獣王波!!」

 獅子を象った火炎により、左腕ごと消し飛ばされる。

 呆気に取られる二人の後方。炎を腕に纏った、フレアモンが浮いていた。
 ────わざわざ語り合う必要はない。姿を変えても、それが仲間だとすぐに理解できるのだから。

「なんだ、遅かったじゃないの」

 ライラモンが、口角を片方だけ上げてみせた。

「……あの子らは?」
「大丈夫、安全な場所に連れて行った。それと────あのデジモンは、ワーガルルモンが」

 言いながら、灰色の大地へ目線を落とす。
 そこには二体のデジモンの姿。白銀と漆黒が争う様子が遠目に見えた。

「だから俺達は、こいつを……」

 メタルティラノモンは、既に存在しない左腕を掲げては、発射するような動作を取る。
 もう、尾と片腕を失った事実を認識できていなかった。

 ────その姿の、なんと嘆かわしい事か。

「……。……ウィッチモン。聞こえる?」

 フレアモンは虚空に告げる。すると

『ええ。はっきりと。……それと今は、ワイズモンと申します』
「ワイズモン。姿を見られなくて残念だ。……メタルティラノモンの状態を知りたい。彼のデジコアが今、どうなっているのか」
『解析可能です。────現在、対象のデジコア損傷率は六十八パーセント』
「ちなみに聞くけど、さっきまでのウチの努力はどのくらい成果あったの?」
『初期状態では二十パーセント程でしたわね』
「え……あんな頑張ったのに? 酷すぎない?」
『攻撃に関しては最早、ワタクシがフォローする必要も無いでしょう。このまま計測を続行します。皆様はメタルティラノモンの動きを止め、頭部の破壊に専念して下さい』
「……わかった、ありがとうワイズモン」

 フレアモンは顔を上げる。メタルティラノモンの濁った片目が、じっとこちらを見つめていた。

「────送ってあげよう。俺達で」




 メタルティラノモンの視界は、ダークティラノモンであった時から酷く濁っていた。
 光も色も分かるけれど、物体の輪郭は判別がつかない。自身に向かってくるデジモンなど、初めから鮮明には見えておらず──ぼやけた何かが動いてることしか分からなかった。
 だが、視力の有無は関係ない。見えなくても感じるからだ。命のにおいが、気配が。

「────」

 食べたい。
 いくつもあるのに、なかなか食べることができない。
 もどかしい、という感情は湧かないが──彼の頭の中で、早く喰らえと本能が叫ぶ。早くしなければ、溶けて消えるのだと。

 駆られるまま、残された右腕からミサイルを放つ。
 蝋燭の火が最後の燃え上がりを見せるように、大地を踏み荒し、がむしゃらに暴れた。

「メイルシュトローム!!」

 メタルティラノモンの足元が凍り付く。直後、電気を帯びた竜巻が襲う。
 動きを封じられた巨体に、臼緑色の光弾が放たれた。

「マーブルショット!」

 どうしよう、肉が減っていく。身体が減っていく。
 減った分を補わなければ。
 食べて、食べて。元に戻さなければ。

「──────、たぃ」

 食べたい。食べたい。食べたい。
 食べたくて仕方がない。どうしてこんなに食べたいのか、わからなくなる程に。

「……た……べ、……」
『──右腕の動作停止を確認。損傷率七十五パーセント。
 子供達の方向へ突進されないよう、ライラモン。彼の膝を落として下さい』

 ああ、そうだ。
 生きていたかったから。

「任せな。──ライラックダガー!」

 生きて、生きて、生きて。
 もう一度、美しい空を眺めたくて。

「────」

 そして────四肢の自由を奪われたメタルティラノモンは、ようやく大地に膝を着く。

『損傷率、八十九パーセント。あとは──』
「ウチが首を切って仕舞いだ。今度はちゃんと切ってやるさ」
「……ライラモン! すまない、待ってくれ」

 フレアモンが呼び止める。今更何を待つ理由があるのか、ライラモンは訝しげに尋ねた。

「ひとつ……頼まれてくれないか。────を……」
「……。……フレアモン。それは情けのつもり?」
「…………ああ、そうだ」
「……そうかい。……わかったよ。仕方ないね」


「────、──」


 ふと、甘い香りがした。
 心地好い香り。近くでたくさん、花が咲いているような。

 ……そうか。
 たくさん、たくさん、デジモン達を食べてきたから、治ったんだ。
 だってほら。空はまだ曇っているけど、こんなに綺麗な太陽が昇ってる。
 だからきっと──もうすぐ空も晴れるのだろう。

「──……、──」

 ────その“太陽”は、皮膚が崩れた黒い鼻先に触れた。
 あたたかな手のひら。結界の加護を失った肌は、毒で焼けていく。

「どうか……君が、安らかに眠れるように」

 それでも離さなかった。
 濁った瞳から、一筋だけ涙が零れた。
 フレアモンは溶けた鼻先に自らの額を当て、そっと、優しく撫でて────

「────清々之咆哮」

 咆哮と共に放たれる火炎の衝撃。
 それは聖なる焔。浄化の力を以て────メタルティラノモンの頭部を分解した。




◆  ◆  ◆




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