◆ ◆ ◆
────白銀の獣人、ワーガルルモンはベルゼブモンに飛び掛かる。
男のライダースジャケットの襟元を掴み、地面に叩き付けた。
二足歩行となった事で発達した拳を、ベルゼブモンの頭部に叩き込む。男は咄嗟に首を捻ったが、ナックルダスターが仮面の一部と共に頬骨を砕いた。
鈍い音の後、黒い血液が吐き出される。繰り返し振り下ろされる拳に、男は抵抗しながらもショットガンを放つ。
しかしショットガンが構えられる瞬間を、ワーガルルモンは見逃さなかった。拳を粉砕されるのを避けるべく──しかし身を翻すには間に合わず──咄嗟に掌で銃口を掴む。
放たれた弾丸は拳を貫き、肉を弾いた。だが、構わない。
「────よくも!!」
男の腕を組み伏せ、殴る。殴る。殴る──。
「あの子達を狙ったな!!」
デジモンがデジモンを襲うのは道理だ。
毒に侵されたデジモンが、侵されていないデジモンを食うのも道理だ。
暴走の果てに矛先が子供達に向くのなら、それも仕方の無い事だ。
だが、こいつは違う。
「────お前は、わざと!!」
意図的に狙ったのだ。意図的に馬車を撃ち壊し、彼らが逃走できないようにした。
それが信じられなかった。何より、許せない────!
『────モン……ワーガルルモン!』
頭の中でウィッチモンの声が響く。──いや、亜空間での彼女は、既に“ウィッチモン”ではなかった。
『それ以上頭部を損傷させないで。デジコアの損傷率が上がってしまう。──殺してしまえば、聞くべき事が聞けなくなります』
より一層冷静になった彼女の言葉。気付けば拳は、返り血の毒で爛れていた。
「……いいや! いいや、許さない……!」
しかし冷静どころか、進化により野性的になったワーガルルモンは、男の両腕を押さえつけ怒声を浴びせる。
「毒に汚れたならデジモンを食いたいだろう!? 僕の肉ならくれてやる!
でも! ファイラモンを食った事……あの子達を狙った事は絶対に許さない!!」
「────れ……」
ベルゼブモンの掠れた声が、滲む血液の中に漏れた。
「黙れ……! 黙れ!!」
「──っ!」
────ああ、まただ。
意味を持った言葉。意志を持った言葉。
目の前のデジモンは汚染されているにも関わらず。個としての自我を残しているのだ。
里の仲間達も、出会ったデジモン達も……──誰も、そうは成れなかったのに。
「……どうして……」
「俺は! 毒だ!!」
「そうだ……なのに、何でお前だけ……」
「俺が! 俺に成った時から毒だ! 毒だ!! それでも俺が! 人間を!!」
人間を狙うという確固たる意志は、ワーガルルモンの憤怒を湧き上がらせていく。
ああ────この男もまた、世界を救うなど言葉を掲げ、子供達を利用しようとするデジモンの一人なのだ。怒りを冷気に変え、震える拳に込めて掲げる。
「……あの子達は絶対に渡さない。僕ら全員お前に喰われたって、死んでも渡さない!!」
「俺は……お前を、お前達を! 殺さなかった、のは……聞けなくなるからだ!!」
「──ッ何をだ!? 何もお前に聞かれる事はない! 何か言われる筋合いも無い!!」
「言わないなら! 今度は全部喰って! 俺の中で……!」
「うるさい! もうたくさんだ!! 皆が……誰もがあの子達を利用しようとする! あの子達に選ばせる!! これ以上誰の言葉で、どんな言葉であの子達に押し付ける気だ!?」
「喰ってやる! 全部喰ってやる!! そうしなければ生きられない! 生きなければ────お前達から取り戻せない!!」
あまりに噛み合わない口論。
互いが感情をぶつけるだけの、不毛な争いだけが広がっていた。
ベルゼブモンは腰を思い切り捻らせ、膝でワーガルルモンの脇腹を蹴る。ミシ、という音と共に、ワーガルルモンが血混じりの体液を吐いた。
ワーガルルモンの握力が弱まった一瞬、男は片腕だけを抜け出させる。そのままワーガルルモンの首を掴んだ。そして勢い良く上半身を起こし──
「返せ! 返せ!! 何処にやった!? 何処に連れて行った!?」
悲痛に満ちた、それは慟哭にも似た叫びだった。
「────カノンを! 返せ!!」
そして、────懇願だった。
「────」
ワーガルルモンは言葉を失う。
男の言動を何一つ、理解できなかったからだ。
毒まみれの口から出た固有名詞。
声に込められていたのは、失った何かを探し求める者の嘆き。
どうして、どうして。──だってこいつは毒に侵されていて、理性も何もかも、溶けて消えている筈なのに。なのに言葉を叫んで、名前を呼んで。
どうして────
「…………■■■……」
記憶に無い誰かの姿が、一瞬、頭の中に浮かんだのだろう。
「────」
「あいつを……見つけるまで、俺は!」
「……今の、は……。……」
「喰い続ける……!」
ベルゼブモンが銃を手に取る。混乱したワーガルルモンは、男から両手を離してしまう。
ワーガルルモンの肩に銃口が当てられ──
「────サンダージャベリン!!」
「清々之咆哮!! ……ワーガルルモン……!」
滑翔するフレアモンが駆け付け、ワーガルルモンを抱えて飛び去った。直後、空から雷撃が男に降り注ぐ。
「どうしたんだ! 大丈夫か!?」
「……フレアモン……。……いや、すまない。助かった。皆は……」
「大丈夫だ。メタルティラノモンも……」
「……、……そうか。ありがとう」
落雷の後、焦げたにおいが周囲に広がる。ベルゼブモンは白目を剥き、顔面に熱傷の模様を浮かべていた。──しかし決して銃を手放さず、そのままゆっくりと上体を仰け反らせる。
『……対象、未だデータベースと照合されません。しかし推定世代は完全体以上、究極体未満。毒の変異による不完全進化を遂げたと仮定します』
「……メタルティラノモンの少し上……今のオレ達なら、全員でかかれば……!」
「ウチとしては、生け捕りより死なせてやった方が優しいと思うけどね。フレアモンに意見を聞きたいもんだ」
「とにかくやるしかないよ。いこう、ライラモン……」
『────ストップ! ごめん、ちょっとだけストップしてくれないかね!』
今にも攻撃を仕掛けようとする仲間達を、みちるが止めた。
『ええ、確かに。殺してしまってはいけないですから』
『んー、それもあるんだけど』
止めた理由はただひとつ。それは、男が発した言葉に在る。
男が探し求める誰かの名前。恐らく、この争いの原因でもある人物の名前。
────聞き覚えがあった。唯一、みちるだけが。
『えーっと、確かこの辺にしまってたかしら』
『全員、距離を取って牽制を。弾丸が子供達に向かわぬように』
『……みちるさん、何してるんですか? ……音楽プレイヤー?』
たった一度だけ出会った少女。もう、場所も忘れてしまった公園で。
美しい子だった。オーロラの日の失踪者のデータの中に、確かに彼女の名前を見たのだ。
ああでも、今時は珍しい名前じゃないから──もしかしたら、人違いかもしれないけど。
『ねえワイズちゃん。猫ちゃんいないけど、こっちの音量マックスにできる?』
『……? 可能ですが。何を……』
『いいから!』
そして────朽ちた荒野に、美しい旋律が流れ出す。
「────」
静かで、穏やかで、そして切ない。どこか覚えのあるクラシック音楽。
一行は困惑しながら周囲を見回す。……一体、どこから流れてきているのだろうか。それが亜空間からだと理解するには、少しばかりの時間を要した。
「……」
男は立ち上がった。
呆然と、空を仰ぐ。
「────……カノン……」
それは、あの夜。誰もいなくなった遊園地で。
少女の口から紡がれた音色と同じものだった。
◆ ◆ ◆
「……ねえ蒼太。あれ」
旋律が流れる中、花那がある場所を指差した。
飛び散った岩石の破片の下──何かの紙切れが挟まっている。煤けた場所にありながら、焦げずに綺麗な状態を保っていた。
「何だろう……」
「……もしかして、あいつの?」
一誰も紙なんて持って来ていない。だとすれば、男かメタルティラノモンのものだろう。
蒼太はデジモン達の様子を伺う。──状況は膠着しているようだ。男は何やら空を見上げている。
男に気付かれないよう、蒼太は身を屈ませながら瓦礫に近付き──紙切れを手に取った。
そのまま急いで花那のもとへ戻る。二人で紙を広げてみる。
そこには、自分達が使っているものと同じ言語で──そして女性の筆跡を思わせる文字で、いくつかの文章が書いてあった。
その内容は────
「────────何だ、これ」
それは──溶けた女が残した記録を、とある少女が書き留めたもの。男がずっと持っていた、くしゃくしゃのメモ用紙。
デジモン達に捉えられた人間達がどのような目に遭っていたのか。その事実の断片を明らかにするものであった。
少年と少女の手が震える。思わず紙を手放した。それは風に乗って──突然、ノイズ混じりに消えていく。亜空間のワイズモンが回収したのだ。
『……、……そう。人体実験ですか』
内容を一読し、呟く。
『我々デジモンは、人間の子供達に……そんな事までしていたのですね』
『……こ、これ、本当だったら……フェレスモンに捕まった子たちは……』
『どうだろうね。うわ、摘出ってもしかして無理に取り出したのか。惨いことするな』
非人道的な行為を想像させる内容。フェレスモンが関与したかもしれない人体実験。人間による手記。それらの情報がワイズモンによって整理され、語られる中────ベルゼブモンは、子供達をじっと見つめていた。
何故──あの人間達が、自分の所まで来てくれないのか。それが、彼には分からない。
「……、……」
何故だろう。
だって自分は、人間をデジモンから救う為に。
『それにしても、人間の文字でこれかあ。……あのさ、もしアタシの考えたことがアタリなら────』
彼女を救う為に。見つける為に。
もう一度出逢う為に。
なのにどうして、何かがおかしい。
『────そいつにも、人間のパートナーがいる筈なんだよね』
音楽が止まった。
『まあ、この名探偵みちるちゃんにはそれが誰かも推理できてるんですけど! ねえワトソンくん?』
『いや、ボクは知らないけど……』
みちるの発言に、一行はただ驚愕していた。毒のデジモンがパートナーを持つなど、聞いた事もなければ想像もし難い。
けれどもし、みちるの推測通りだとするならば────そのパートナーは一体何処に?
「────そうか。……いなくなったんだ」
そう口にしたのは、フレアモンだった。
「ネプトゥーンモン達の、パートナーが消えたように。……だから、探してる……」
根拠はない。納得もできない。それでもそう思った。
子供達は顔を見合わせた。……男の行為はあまりに暴力的で残酷で、受け入れ難いものだ。けれど男が本当にパートナーを持っていたのなら──通じ合える誰かが、居たというのなら。
もしかしたら、きちんと話せば分かり合えるのかもしれない。子供達はそんな希望を僅かに抱く。
「……せいじ、今のうちに皆の所へ」
「う、うん……!」
男は子供達を見つめている。寂しげに、悲しそうに。
「……」
蒼太が、一歩前に出た。
それは子供達が、男と向き合う為の一歩だった。
男はその姿を見て、何かを口にした。何と言ったのかは分からなかった。
同時に、ライラモンが再び花の香りを周囲に散らせる。激昂した男を少しでも落ち着かせる為に。
『お、いい感じ? そうそう、争いはやめましょうってね! キミの事情は分かったからさ、銃を下ろして仲直りしようぜ! そしたらキミのパートナーを一緒に……』
「────熱っ」
少女の声を遮ったのは────銃声と、ライラモンの声。
「……、……あ?」
宙を浮いていた筈なのに、何故か地面に膝を着いている。
その膝から、鮮やかな血液が流れ出ていた。
子供達が叫ぶ。フレアモンとワーガルルモンが駆け寄る。弾丸は貫通し地面を抉っていた。ワーガルルモンが、拳に巻いていたベルトでライラモンの膝を縛った。
「────この、においじゃない」
違う。違う。これは少女のにおいではない。
違う。違う。此処にはいない。此処にあの子はいない。あの子がいない。
けれどあの音は少女のものだ。ああ、どうして、
「どうして、カノンの歌を知っている」
あれは、あの子の音の筈なのに。
「どうしてお前が、カノンを知っている」
あの子は、自分しか知らない筈なのに。
なのに。なのに。なのになのに。
────『ああ、そうか』
「お前が────連れて行ったのか」
姿を見せない誰かがいる。
────そこにいるのか。あの子は。
だから知っているのか。あの子を。
ベルゼブモンは深く、深く、肺の中の空気を吐き出す。
頭の中で、コールタールにも似た液体が溢れ出す感覚を覚えた。
ああ────「“食え”。“喰え”。『守れ』。“喰らえ”。『取り戻せ』。『救え』。“喰い尽くせ”。」、ああ、ああ、声がうるさい。
男は再び引き金を引いた。
◆ ◆ ◆
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