◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆






「塔を出て行くのか。マグナモン」

 ────彼は問う。

「そんな身体で何処へ」

 その声色には、確かに憂いが込められていた。

「何処へでも行きましょう。それが主の望みなら」
「しかし塔外に出れば、卿の身は三日と持つまい」

 ええ、そうでしょうとも。──事も無げに答えると、彼は顎に手を添え、あぐねてみせた。

「世界の管理はどうするのだね」
「する必要などありませんよ。もう、殆ど何も残っていないのだから」
「義体達は、どうするのだね」
「調整は全て終わっています。あとは貴殿の自由にすればいい」

 そうか。と、彼は頷く。

「卿には見届けて欲しかったのだが」

 その声色には、僅かに寂寥が込められていた。

「いよいよ、私ひとりになってしまうのか」

 ああ、確かに。
 長い永い時間の中、たった二人で世界を維持してきた。ずっと守ってきた。
 ────けれど、ここまでだ。

「クレニアムモン」

 感傷を振り切り顔を上げる。
 深紅の瞳に映り込む、輝く黄金。

「大丈夫。また逢えますよ」

 そう言って、マグナモンは穏やかに微笑んだ。







*The End of Prayers*

第二十八話
「誓いと贖罪」







◆  ◆  ◆



 雲間から差し込む黄金の輝き。
 血と泥にまみれたデジモン達を、砂と煤に汚れた子供達を、包むように降り注ぐ。

 ────“ 待って下さい。どうか、どうか。”

 頭の中に響く声。
 誰がいるのか。何が起きているのか。その事態の変化に誰より早く気付いたのはワーガルルモンだった。

 組み伏せた男の両手首。しっかり掴んでいる筈なのに、感触が消えている。……自分の手が、完全に麻痺したかのような錯覚を覚えた。
 だが、実際ワーガルルモンは触れられなくなっていたのだ。自分達を包むベールはバリアの役割でもあるのか、互いの接触の一切を許さなかった。

『…………不可侵の障壁……。皆様は今、それぞれが亜空間に在るのと同じ状態です。干渉できない。彼も、我々も……』

 ──── “ええ、ええ。「そうでもしなければ。これ以上、命が消えてしまわぬように」

 声は囁く。頭の中ではなく、はっきり鼓膜に響くように。
 そして──それは何と、誠司と手鞠の背後から聞こえてきたのだ。咄嗟に二人が、そして仲間達が振り返る。先程まで無反応だった熱源探知に信号が感知された。

 そこに居たのは、まさに“黄金”と呼ぶに相応しい誰か。
 恭しく膝をつき、深く頭を垂れていた。


「我が名はマグナモン。
 主の御下命を賜り、各々方をお迎えに上がりました」




◆  ◆  ◆




 マグナモン。────そう名乗った“黄金”の種族情報が、ワイズモンのモニターに表示されている。
 ワクチン種、聖騎士型。世代はアーマー体だが、究極体と同等の表示がされている。
 ……今のデジタルワールドに、ネプトゥーンモン以外にも究極体レベルのデジモンが存在するなんて。ワイズモンは思わず頭を抱えた。

『うーわ、何よアレ』

 モニターを覗くみちるが、珍しく不快感を露にする。

『みちる。そんな顔するもんじゃないよ』
『だってさぁワトソンくん、こんなのってなくない?』
『仕方ないよ。それに騒ぐとワイズモンに怒られちゃうよ』
『……。……そうですね。少し、静かに』

 データ上、毒の異常を示す反応は見られない。当然だ。ワクチン種、それも究極体と同等の存在ともなれば、毒に汚染されているわけがない。目の前のデジモンは正常であり、確固たる意志と目的を以て自分達の前に姿を現したのだ。
 重要なのは……このデジモンが、味方か否かという点。彼は、自分達を迎えに来たと言った。──それは果たして、アンドロモンやホーリーエンジェモン達と同様の思考なのか。もし、フェレスモン達と同様の目的だったとしたら──

「あ、あの……。……お迎えって……?」

 その疑問は当然、彼を目の前にしている仲間達も抱く。
 手鞠の問いに、マグナモンは垂れていた頭を上げた。

「わたしたちを?」
「ええ、その通りです。貴女を。各々方を。そして……」

 そこまで言って、マグナモンは言葉を詰まらせる。
 少女に向けていた優しい表情が、一瞬にして驚愕の色に染まった。

 周囲に広がる荒野の惨状。
 目を見張り、息を呑み、呆然と声を漏らす。

「…………なんて、事だ」

 抉れた大地。
 散らばる瓦礫。
 怪我をした子供達。
 傷だらけのデジモン達。
 損傷の激しい者が一体。
 ────ここに来る途中、観測していたうち一体が消滅したのは確認できていた。それが毒に汚染されていた事も知っている。

 だが、状況がこれ程までとは。

「……こんな事態に……」

 張り詰めた静寂の中、ひとり声を震わせた。
 そして両手を上げて、自らが敵でないことを訴える。

『……我々への敵意は無いと?』
「我がライトオーラバリアは決して、各々方を傷つけはしない。ですから、どうか」
『そう仰るのなら、こちらが納得できるようご説明を。敵でないという証明を。
 いくら不可侵の障壁があろうと、我々には此処から遠い地へ転移する手段がある』

 ワイズモンは即座に交渉の体勢を取る。相手もまた子供達を目的とするならば、みすみす自分達を逃がすような真似はするまい。

「貴女の言う事は尤もです。そして小生にはその義務がある。
 けれども、けれどもだ。その前に────」

 少々、慌てたような様子を見せる。
 ゆらりと立ち上がると、目の前の誠司と手鞠、そして少し離れた蒼太と花那に声を掛けた。

「子供達、ついておいでなさい。君達のパートナーのもとへ」

 そして手を取り、回路を繋いで。──そう促す。
 誠司は思わず、まだ足を動かせない手鞠の様子を伺った。

「……お、オレたちは、後から」
「その子は足を捻挫していますね。パートナーの側まで手を貸しましょう」

 マグナモンは少女に手を差し出す。

「……」
「大丈夫、怖がらないで。……信じて下さい。小生はもう二度と、人間の子をパートナーと引き離したりはしない」

 膝を落とし、再び少女に目線を合わせた。
 手鞠は目を丸くさせる。どこか必死さが見える相手の表情に困惑しながらも

「……あ、あの……言ってること、よく分からないけど……でも、怖く、ないですよ」

 そう言って、騎士の腕に手を添えた。




 再び合流した子供達が目にしたのは、想像以上に深刻な状態のパートナー達の姿だった。
 特に、弾丸を浴びた場所が生々しい。ワーガルルモンの手を取ろうとした花那は、掌に空けられた穴を見て悲鳴を上げた。

 ──そして、彼らに深手を負わせた張本人は、誰より損傷が激しい状態で地面に転がっている。
 死体だと言われれば納得できてしまいそうな程だ。何度か子供達に向けた男の腕が、力なく投げ出されていた。
 自分達を襲った男。パートナー達をこんなに傷つけた男。……それでも子供達の中には、怒りや憎悪といった感情は湧かなかった。男の無残な姿に、どうしようもなく悲しくなる。

 そんな横たわる男を前に、マグナモンは地面に膝を崩れさせていた。
 恐る恐る触れて、彼の個体情報を確認する。……そもそも彼らに障壁を纏わせた時点で、そんなもの、分かってはいたのだが。

「────君が……、……“ベルゼブモン”……」

 その名を持つデジモンとの旅路を──嬉しそうに語った、少女の顔を思い出す。

 ああ、そんな。
 彼が、これが、そうだと言うのか。こんな、襤褸切れのようになってしまった男が。

「…………デジコアの、状態は……。……」

 ──よかった。こんな状態でもデジコアは無事だ。
 間に合った。生き残ってくれていた。溢れ出す安堵感に、思わず笑みが溢れそうになる。

 すると──マグナモンの声に反応したのか、男の眼球がぐるりと動く。赤く濁った瞳が、自身を見下ろす黄金へと剥いた。

「…………呼ぶ、な」

 黒い水溜まりに顔を浸けながら、吐き捨てるように声を漏らす。

「カノン……以外が、……俺を……」

 掠れた声。口から漏れた空気が、少しだけ泡を立てた。

「…………そうですね。……貴方の名は、彼女だけのものだ」

 マグナモンは静かに目を閉じる。
 そして、片手を上げた。彼の指先にぼんやりと光が浮かぶ。それに呼応するよう、彼らを包む障壁も光り出す。

『貴方、何を……!』
「……生きていてもらわねば。全員、絶対に……」

 障壁の表面に浮かぶ、二進法で構成された文字列。

「────サーバー:ラタトスクに再接続。全個体の識別を完了。構成データ確認。損傷部位の復元を開始します」

 マグナモンの行為に警戒したライラモンが咄嗟に構えた。だが、それをメガシードラモンが制止する。
 文字は障壁から皮膚に転写され、そのまま溶けるように体内へと消えた。不思議と、異物が入り込むような違和感は感じなかった。

「……どうして止めるのさ。攻撃かもしれないのに」
「ごめんね。でも……昔、天使様にケガを治してもらった時と似でるんだ。あたたかくて……」
『……うん。本当に、治ってるんだよ……。だって……』

 モニターの数値に柚子は目を見張った。──仲間達の肉体が少しずつ修復されている。それは数値を以てしても明らかだ。
 そして黄金の治癒は、仲間達だけではなく──あの男にも、平等に施されている。
 柚子は焦燥感を覚えた。男が完治すればまた、先程のような殺し合いに発展しかねない。

 そう懸念する少女の肩を、ワトソンが軽く叩く。

『大丈夫。治ったところで、どうせ出られやしないんだ』

 小さな声で、柚子にだけ聞こえるように囁いた。

『…………ワトソンさん。……みちるさんも、さっきから……』
『それよりご覧。不思議だね。彼はデジモン以外も治せるみたいだよ』
『……!?』

 ──青年の言う通り。その現象は人間である筈の子供達にも起きていた。
 手鞠の足首が。木片で切った誠司の傷が。爆炎で火傷した花那の腕が。転倒した際に皮膚を裂いた蒼太の膝が。データではない人間の細胞が、どうして──

「此処は、デジタルワールドですので」

 それに軽傷でしたから、と。困惑する子供達にマグナモンは答える。彼らにとっては一切答えになっていないのだが────数多くの人間を“施術”してきたマグナモンにとっては自明の理だ。

「復元が終了するまで痛覚は遮断しています。違和感があるとは思いますが、完治するまで耐えてください」
「……どうして俺達に治療を? 回復させれば逃げるかもしれない。俺達も、こいつも」
「可能性は否定しません」
「貴方の目的は知らない。でも、回復を条件に交渉する事だってできた筈だ」
「ええ、ええ。けれども小生に、どうしてそんな烏滸がましい事ができましょうや」

 力の差は圧倒的であろうにも関わらず──黄金は、自らを謙遜する態度を崩さない。

「各々方が小生を訝しむのは当然だ。しかし申し上げた通り、敵意はありません。どうか、どうか────」

 そう訴えるマグナモンの背後。彼に修復され、身動きを取れるようになったベルゼブモンが体を起こした。
 関節部の空気が弾けて鳴り、男の爪に黒炎が宿る。そのままマグナモンに掴み掛かろうとして──しかし、不可侵の障壁によって阻まれた。

 黄金の鎧をすり抜け、よろめく。自身に掛けられた枷を剥がそうと足掻くが、その行為は全く意味を成さなかった。男は苛立ちと憤怒の眼差しをマグナモンに向ける。

「これを外せ。俺を、外に出せ」
「……出来ません」
「そいつらを喰わせろ。デジモンを喰わせろ。俺は……俺の中で、聞く事がある」
「また殺し合いになる。それをさせる訳にはいかない。貴方には、生きていてもらわねば」
「……同じなのか。お前も、こいつらと。だから奴らを庇うのか? お前も……人間を、カノンを」
「────」

 男の発言に、マグナモンは言葉を失った。
 何故彼らが邂逅し、そして惨憺たる状況に陥ってしまったのか。それを自らの中で帰結する。──ああ、

「それで、殺し合っていたのですか?」

 何て事だろう。
 結局、何もかも自分達のせいじゃないか。

「喰ってやる。喰ってやる。それであいつを取り戻せるなら」
「……違う。彼らに非はない。彼らは人間を救う者だ。そうでなければ何故……彼らは今、あのデジモン達から逃げないのです。何故ああして寄り添っているのですか。……毒に汚染されているとは言え、貴方は……貴方なら、理解できる筈だ」

 男は顔を上げ、視線を移す。
 自分が救おうとした人間達。
 自分が殺そうとしたデジモン達から逃げる様子もなく、その身を預けている。

「どうか彼らを殺さないで。彼らは仲間です。貴方の……貴方とカノンの、仲間となる筈だった者達です」

 男には分からなかった。何故、人間達はあの場所にいるのだろう。奴らと一緒に居るのだろう。どうして。何故。分からない。だってその姿は、『まるで、君と彼女のようじゃないか』────そんな筈はない。だって奴らは人間を。

「貴方が銃口を向けるべきは小生だ……!
 ……彼女を導いたのは我々だ。閉ざしたのも我々だ。守りきれなかったのは小生だ。だから……どうか、各々方。お願いです。牙を剥くならば小生に。全ての責任は、我々に在るのだから」

「────何、だと?」

 耳を疑った。その場に居た誰もが。
 聞き間違いだろうか?

 このデジモンは────今、何て言った?

「……言葉の通りです。……我々が、貴方の、カノンを」
「……、…………────!!」

 その意味を、理解する。
 男は咄嗟に銃を取った。マグナモンに向け引き金を引いた。
 乾いた発砲音。揺れる硝煙。吐き出された弾丸は黄金の鎧をすり抜け、何処かへ消える。

 それでも男は撃ち続けた。轟音と、腹の底から溢れる怒声を織り混ぜながら。

「────返せ……返せ、返せ……返せ!! 返せ!!! カノンを何処にやった! あいつに何をした!!」

 やがて銃声は消え、ガチガチと金属を引く音だけが鳴り続ける。
 男は空になったショットガンを投げつけると、今度は黒炎を纏う爪で切りかかった。……けれど男の爪は、ひたすらに虚空を裂き続ける。何度繰り返しても、その手はどこにも届かなかった。

 すると、

「……やめてくれ」

 白銀の手が男の肩に触れ、すり抜ける。

「今は……もう……」
「────ッ!!」

 ベルゼブモンは反射的に振り返り、自身の爪をワーガルルモンに翳そうとして────彼の腰に隠れる、小さな人間の姿を見た。
 ビクリと手を硬直させる。指先から黒炎が消え、震える腕がゆっくりと下ろされる。

「……」

 人間の少女が、子供達が、自分のことを眺めている。
 その中にあの子はいない。──本当に、どこに行ってしまったのだろう。

「…………、……返して、くれ」 

 目の前の黄金に、白銀に、同胞達に、救うべき人間達に、男は乞う。 

「……返してくれ……」

 掠れた声は砂塵に消えた。答えは、返ってこなかった。
 男は呆然とした眼差しで、もう温かさを忘れてしまった両手を見つめていた。




◆  ◆  ◆



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