◆ ◆ ◆
彼が告白した、自らの“責任”。
それがどこまでの事象を指しているのか、一行には分からない。
しかし少なくとも、男が暴走する原因となった人間を連れ去ったのが、彼である事は間違いないのだろう。
……ならば、
『他の子供達も貴方が?』
賢女は問う。
『ダークエリアのフェレスモンと共謀し……リアルワールドから子供達を連れ去った。その責任が貴方にはあると?』
仮にそうだとするなら、今まで抱いてきた疑問の幾らかには説明が付く。
フェレスモンの城に施された特殊な結界。リアライズ時に肉体の負荷が軽減される特別な腕輪。……究極体相当のデジモンがどこまでの技術を持っているかは不明だが、これまでの行為を考えれば──彼らの手に依るものと判断でき得る。
「……フェレスモンなる個体に干渉したのは、小生ではありません。ですが子供達という存在を求め、結果リアルワールドから奪う形で我らの塔に収容した……その主犯が我々である事は、紛れもない事実です」
つまり、フェレスモンが言っていた“同志”はマグナモンではないが、彼と同様のデジモンが別に存在する──という事だろうか。ワイズモンは続けて問おうとしたが────その前に、真っ先に確認しなければならない事がある。
『────彼らの安否は』
「全員、生きています」
マグナモンは迷いなく答える。子供達の無事に、一行はひとまず胸を撫で下ろした。
未帰還者達を救出すれば、失踪者全員がリアルワールドに帰還する事になる。オーロラ事件は晴れて解決だ。
しかし何かが明らかになる度、疑念も生まれる。
そもそもどうして突然、このデジモンは自らの罪を告白しに現れたのか?
フェレスモンは子供達を連れ去った理由を、『世界を救済する為』と言った。その為に、子供達の中に存在する特殊な回路を利用しようとした。
だが、世界にはまだ毒が溢れている。救済されてなどいない。彼が救済の為に子供達を利用した黒幕だったとして。しかしその責任を追及するのは今ではない筈だ。
世界を救えないと判断し、子供達だけでも逃がそうとしているのか? ……そうであれば、少なくとも収容している子供達はとっくに逃がしているだろう。
『……』
ワイズモンは思わず、みちるとワトソンに目を向けた。
何故か不機嫌な少女と、相変わらず無表情な青年。
『……二人とも、彼に問いたい事は?』
『ボクらが? ────いいや、何も』
青年は肩を竦めてみせた。
『キミが聞きたい事を、しっかり聞けばいいと思うよ』
彼の言葉が意味するものを、ワイズモンはそれ以上問い質そうとはしなかった。
けれど、いくつもの言葉を飲み込んで──ただ、『そうですか』とだけ答えた。
────マグナモンの前に子供達が連れて来られたのは、およそ二十日ほど前の事。
数は十名。丁度、過去の選ばれし子供たちの人数と同じ。
その後、ベルゼブモンのパートナーが加わり、収容された人間は全部で十一名。
そこまで聞いて、ワイズモンは思わず眉を潜める。
データ上の未帰還者は二十名近くにも及ぶというのに、塔の内部に十一名しかいない?
『それでは、あまりに数が合わない』
「そちらのデータと差異があるとすれば、小生らのもとへ移送される以前に発生したものでしょう」
ブギーモン達がリアルワールドを襲撃した件に、マグナモンは直接関与をしていない。把握できるのは、あくまで塔に招き入れた後の話だ。
「現状、この世界で生きている人間は……塔の子らと各々方のみです。他は……」
「……アンタ、何でそう言い切れるの。本当に生きてるか死んでるかなんて……世界中、飛び回って確認でもしたワケ?」
「小生は事前に、世界に残る生命の情報を全て確認しています。誰が何処で生きているのか。それは人間も例外ではありません」
遍く生命の情報。その管理は本来、神たるイグドラシルのみに許された行為だ。
しかし、管理サーバーへの接続権限を譲渡されたマグナモンには、その御業の模倣が可能となっている。デジタルワールド上におけるデジモンと人間、それぞれ全ての生命情報を検索し、尚且つデジモンに関しては“デジコアの状態が完全体レベル以上”である事を条件に絞り込んだ。
──それこそが、彼が選ばれし子供たち一行に辿り着いた理由である。
「……じゃあ、海の王様の……ネプトゥーンモン様の、パートナーは……」
事実を突き付けられ、メガシードラモンが声を震わせる。────マグナモンは、黙って首を横に振った。
「……そんな……」
「待ってよ、オレたち……約束したんだ。ネプトゥーンモンさんのパートナー、見つけたら絶対、連れて帰るって……」
オーロラ事件の被害者、器と成った少女、選ばれし子供たち。
デジタルワールドに生きているのは彼らだけだ。今回の失踪者でさえ何人か蒸発している。ならば、過去の厄災の子供達はとうに────
「……フレアモン? 頭、痛いのか……?」
蒼太の隣で、フレアモンが急に頭を押さえ出す。
「…………いいや、……ごめん、大丈夫だ。……続けてくれ」
酷い眩暈だ。それに視界が点滅して、眼球の裏が熱くなるのを感じる。
理由は、分からない。ネプトゥーンモンのパートナーが生きていない事がショックだったから? 数が合わない子供達の死を、かつての子供達の死を、否定できなくなってしまったから?
「────、……俺は、……どうして……」
『マグナモン。話を続ける前に、彼らの障壁を取り払ってもらえませんか。肉体の修復は完了しているでしょう。……フレアモンとワーガルルモンの、精神データの揺らぎが大きい』
「……そうですね。子供達と触れていた方が、きっと彼らも落ち着ける」
マグナモンは再び腕を上げる。すると、ベルゼブモンを除く全員の障壁が消滅した。
子供達はすぐにパートナー達に駆け寄った。ライラモンは手鞠を抱き寄せ、誠司は悲しそうにメガシードラモンの胴にしがみついた。
花那は、穴が塞がった白銀の手をそっと握る。そして蒼太も、ファイラモンの腕に静かに手を重ねた。
マグナモンは目を伏せる。
「…………本当に……人間の子供と、デジモンは……繋がっているのですね。大切な、回路で……」
「……僕らは別に、回路があるから友達になったわけじゃない」
廃墟で出会った少年と少女。
自分と花那がパートナーになったのだって、偶然、それぞれ最初に触れた相手がそうだっただけの事。逆の可能性だってあっただろう。
だから──回路なんて、本当は無くても良かったのに。
「確かに、物理的な繋がりだってあるのかもしれない。でも……この子達が大切だから。僕らは一緒にいたし、戦ってきた。
……僕らだけじゃない。そいつも、きっとそうなんだろう。毒にやられても、あんなになっても、僕らを殺してでも……それでもパートナーを探そうとしていた。僕らの知らない絆があったんだ。……それを、お前は連れて行った」
「────」
ベルゼブモンは顔を上げた。
……先程まで喰らわんとしていた相手は、自分に向けていた筈の怒りの眼差しを──自分ではなく、目の前の黄金に向けている。
「こいつから、ネプトゥーンモン達からパートナーを奪って……子供達の回路を使って、何をするつもりだったんだ? この子達の回路も使うつもりで迎えに来たのか? ……子供達に、お前達は一体何をした」
今、この世界の何処かで生きている子らに。
もう、何処にも生きていないだろう子らに。
何より、自分達が大切にしているこの子達に。
──当然の詰問だと、マグナモンは思う。
語らない理由がない。彼らには、真実を知る権利があるのだから。
だが、騎士には一つだけ懸念する事があった。
「────よろしいですか?」
そしてマグナモンは、虚空に語り掛ける。
「よろしいですね?」
誰に向けての言葉なのか。誰も理解できないまま────黄金の騎士は、世界の罪を懺悔する。
◆ ◆ ◆
神は世界を創り。
神は我らを創り。
そして、数え切れない光を注いだ。
遍く生命は、増えて、増えて、増えて、増えて。
「────説明を求めます。盟友デュナスモン。世界が膨張していると?」
『言葉の通りだマグナモン。各方面を管理する他のロイヤルナイツからも、同様の報告が上がっている』
そして世界も、膨らんで、膨らんで、膨らんで。
『此のエグザモンの眼にも鮮明に映りましたとも。我らが空の果てはどこまでも、どこまでも。以前より確実に広がっているのです』
<スレイプモン卿よりホットライン。コネクト、オーケー。通信を開始します>
『──異変は我が守りし遺跡にも起きている。主から分離した生命の創生プログラムにおいて、近頃エラーログの蓄積が顕著だ。恐らく、デジタル生命体の増大に依るものだろう』
「……それが世界の膨張と関連している可能性は高い、という事ですか。
分かりました、早急に対策を立てましょう。可能であれば貴殿らには直接、天の塔へと集まって頂きたい。他の騎士にも招集をかけます」
<通信終了。──クレニアムモン卿より着信要求。応答を開始します>
『……マグナモン』
「ああ、クレニアムモン。丁度良かった。貴殿に急ぎの話が──」
『来てくれマグナモン。イグドラシルのご様子がおかしい』
増えて、膨らんで、溜まって、破裂して。
身体に満ちた涙が溢れ出すように、神は毒を産み落とされた。
そして世界を雲が覆う。生まれた毒の泥を、全ての命に等しく注ぐ為。
「──なんて事だ。我らが主から、こんなにも……おぞましい泥が……」
「狼狽えるなクレニアムモン。……だが、悠長に会議する余裕も無い。我が君を止めねば世界が滅ぶぞ。イグドラシルの緊急停止もやむを得ん」
「しかしデュークモン! そのような事は決して……我ら騎士は、イグドラシルをお護りする為に……!」
「卿が憂う必要は無い。神が愛した世界を救う名目のもと、汚れ役はこのデュークモンが請け負おう。
……嗚呼、許し給えイグドラシル。我が聖槍グラムを御身に向ける事を──」
清らかなる毒は、初めに我が子を焼き溶かした。
溶けて、溶けて、雨雲が揺らいだ。
「────そんな。デュークモンの、身体が」
「クレニアムモン、貴殿らも退避を! 無暗に接近すれば飲まれてしまう……!
小生が防御壁を張ります。最早この御殿を封鎖するしかありません!」
「けれど我が君をこのままには……、……!! 待て、ロードナイトモン!」
「何故ですかイグドラシル!! ……デュークモン……ッ! 何故、何故……! 御身から産まれた彼を喰らうだなんて、私共の事がお分かりでないのですか!?」
「いけません! 我が主に近付いてはいけない! ロードナイトモン!!」
「私です我が君! 御身が創り上げた薔薇の騎士です! この美しき鎧は御身から……イグドラシル……!!」
毒はどこまでも溢れていく。
薔薇輝石の騎士を飲み込み、そしてまた雨雲が揺らいだ。
高貴なるウィルス種が溶けた雲は変貌し、溜め込まれた涙も性質を変化させた。
愛しき主への執念の様に。ウィルス種を、溶かしながら生き永らえさせる毒へと。
「……イグドラシルを止められぬ以上、毒を止めることもまた不可能だ。ならばせめて、イグドラシルに最も近い身である我らで堰き止めるしかあるまい」
「オメガモン……貴殿は、何を」
「イグドラシルから生み出される泥に、天の塔そのものが汚染されていないのであれば……それと同質の結界を張れば、せめてこの地で堰き止められるかもしれない」
「ですが、どうやってそれを……。…………まさか、」
「当然、それを成すのは我が身だとも。それ以外に無いだろう?」
「ならば小生が! 小生の防御壁と組み合わせれば、結界の力もきっと強く……!」
「そういえば。……塔のシステムに最も詳しいのは、君とクレニアムモンだったな」
「……え?」
「マグナモン。君は守護の要だ。彼と残って、イグドラシルと塔を守れ。
他の騎士は異論が無ければ……我が身が滅びし後、結界が壊れぬように力を貸して欲しい」
湧き出る毒を堰き止める為、騎士がひとり礎となった。
空に結界が張られた。雨雲が、少しだけ薄くなった気がした。
けれどそれでは足りなくて、またひとりが礎となった。
ひとり。
またひとり。
足りなくて、足りなくて、またひとり。
「────どうか、我らが築く結界が世界を守り切る姿を……見届けてくれ。友よ」
やがて二人を除いた全員が、空の上で礎と成った。
それでも天の雨雲が消えることは無い。神の衰弱も止まらない。
そして。
地上で抗う子らは、電脳世界の生みの親である“人間”に救いを求めた。
連れ去り、選定し、回路を繋ぎ、生き残る為にもがいていた。
その生き様の、なんと素晴らしい事。
人間の可能性よ、回路の可能性よ、それはまさしく希望の光。
故に。
子供達を奪い。回路を奪い。礎の騎士に接続させた。
しかし回路に火花が咲いて、このままでは使い物にならない。
接続に耐え得るであろうデジモンからコアを奪い、介することで安定させた。
回路はその後、焼失したけれども。
しかして──聖なる騎士達の礎から成る結界は完成し、世界は救済されたのだ。
めでたし、めでたし。
◆ ◆ ◆
──そんな平穏が、永続するわけもなく。
礎の騎士の崩壊と共に、結界はひび割れ朽ちて。
そしてまた、世界に雨が降り注ぐ。
新たな子供達を求めた。新たに子供達を集めた。
ああ、今度は正しく繋がなければ。
最初から安定した接続を。回路が焼き切れないように。
故に。
我らは肉体から回路を奪い。
我らは義体を創り上げる。
人間に近しい構造の人形。それは神の真似事の様に。
それに繋ぐは騎士でなく、根源たる我らがイグドラシル。
人形と、過去に奪ったデジコアと、我らが神との接続を。
彼らがデジタル生命体に施す光を、我らが神にも与えられん事を。
────そうして世界は救済されると、今度こそ信じて、いたのだが。
「ああ、クレニアムモン。何て事を」
電脳の神は人間の肉体に宿り、完成の時を待つ。
その後も産まれ落ちる事無く、変質の時を待つ。
人形と、デジコアと、神が宿りし肉体との接続を。
世界は救われるだろう。
変質を遂げた我らが神の御手により、全てが無から創り直されるのだ。
めでたし、めでたし。
◆ ◆ ◆
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