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 天の塔。
 それは、デジタルワールドの遥か上空に浮遊する建造物。

 その役目はデジタルワールドの運営、管理。ホストコンピューターが座する世界の根幹。
 セキュリティは当然、非常に堅固なものとなっている。通常のデジモンであれば接近する事さえ許されない。故に、マグナモンの存在が無ければ、塔に収容された子供達を救出することは不可能という事になる。

 マグナモンが選ばれし一行に依頼することは二つ。
 ひとつは、天の塔にひとり残ったクレニアムモンの破壊。
 そして、少女の中で完成するであろうイグドラシルの移送。……尚、子供達の救出は優先されるべき事項であるが、あくまでそれらに付随し行われるものとする。

 イグドラシルの現状については、彼も十分に知るところではない。少女の体内でいつ完成するのかは分からない。
 だが、世界崩壊までのタイムリミットを危惧したクレニアムモンが、本来の計画を逸脱して独断で動いた事を考えれば──それほど長い日数はかからないのだろう。 
 わざわざイグドラシルの完成を待つ必要も無い。むしろ完成するより手前に、クレニアムモンを止める必要があるのだ。黒紫の騎士は決して、彼らが「母体」の側に行く事を許さない。

『────その“クレニアムモン”の計画が実行されるまでの間に、子供達の身に危険が及ぶ可能性は?』
「……回路を失った時点で、肉体は既にその役目を果たしている。彼がこれ以上、子供達に何かをするとは思えない。そこは、回路を移した義体達が身代わりとなってくれる筈です。
 ですが……もしクレニアムモンが世界の、イグドラシルの変革を行えば……我らの全てが無から創り変えられるでしょう。天の塔も恐らく消滅します。そうすれば安置している肉体は……」
『単純に、墜落死するということですね』
「ええ、いかにも」

 やはり行動は急いだ方がいい、という事だ。

『確認しますが、そのクレニアムモンは究極体なのですよね?』
「究極体のワクチン種です。……小生では、彼を止められなんだ。ですから……」
「……ウチら完全体になったばかりなんだけど。そこの黒いのにだって苦戦したのに、まともな究極体を相手に戦えって言うの?」
「それならオレ達じゃなぐて、ネプトゥーンモン様に頼んだ方が良かっだ筈だよ」

 いくら数がいるとはいえ、自分達は完全体。戦力を集めたいなら、同じく究極体であるネプトゥーンモンに助力を求めるべきだろう。──だが、マグナモンは首を横に振った。

「彼は海を離れられない。離れてはいけない。彼が海を出れば世界中の水源は加護を失い、毒の汚染が急速に進んでしまう。イグドラシルを救済するより先に、地上に残った生命が全て飲まれてしまってはいけません。
 ですが彼と、そして小生から、各々方に力を分け与えます。……ネプトゥーンモンのそれは、既に得られているようですが」
「……王様の加護は、もう消えちゃっだよ。さっきの戦いで使い切っちゃっだんだ」
「過去の厄災時の記録のままであれば……ネプトゥーンモンの加護は起動してからの持続が一時間。水源が付近に在れば半日。再起動までに六時間の間隔が必要な筈です」
『それでは最低でも、あと六時間は待機する形となりますね。……それまでの猶予はある、という認識でよろしいのですか?』

 マグナモンはこくりと頷いた。

 子供達は不安げに顔を見合わせる。────捕まっている子供達の居場所も判明し、フェレスモンと対峙する必要もなくなった。
 だが、それより強い敵と戦えと? さっき、パートナー達はあんなに酷い怪我を負ったというのに?

「────おい」

 子供達の後方から、それまで沈黙していた低い声が響く。
 男は変わらず虚ろな瞳で、ただ黄金を睨んでいた。

「そいつが……そのデジモンが、カノンを連れて行った。……それで間違いないんだな」
「……ええ」
「あいつを、泣かせたのは」
「……その責任は、小生にも」
「やったのはお前か、そいつか。それを俺は聞いている」
「…………彼女に、イグドラシルを埋め込み……幽閉したのは、彼で間違いありません」
「なら連れて行け。今すぐに」

 男は、怒りを必死に耐えているようだった。

「俺が、俺でいられる間に。…………腹が減る前に。でないと」

 成熟期、完全体、究極体相当のアーマー体。それぞれのデータを喰らった事で、ベルゼブモンの自我と理性は保たれている。──今のところ、ではあるが。
 彼は、飢餓状態のうちにマグナモンを手にかける可能性を危惧していた。そうすれば彼女を救えなくなると理解していたからだ。

「早くしろ。カノンを……」
「…………今は、いけない。準備が必要です」
「連れて行け! ……そいつを殺せばいいんだろう!」
「……っ……調整を無しに送り込めば、各々方の命を散らせる事になってしまう。それだけは駄目だ。
 小生は……世界を救い、そしてカノンを貴方に逢わせると。彼女の願いを、<彼ら>の願いを遂げると……自らに誓った。だから……時間を下さい。各々方への調整をする時間を。どうか、どうか……」

 マグナモンは膝を着いて男に乞う。今にも彼に飛び掛かりそうな男の前に、メガシードラモンが胴体を割り込ませた。 

「……どけ」
「落ち着いで。焦るのは分がるけど、助けに行ぐのに死んだら意味ないよ。だがら我慢して」
「…………」
「でも準備って何したらいいのさ。短時間でウチらを究極体にでもしてくれるの? それならウチは乗るけどね」
「……どにかぐ、天使様の所に戻った方がいい。ここじゃ何もできないよ」
「お、オレも、そう思う……! 治ったって言っても皆、疲れてるだろうし……元気になってからじゃないと」
「誠司の言う通りさね。流石に今から乗り込むのは勘弁だ。……というかメガシードラモン、アンタ完全体になったんだから天使共に“様”つけなくてもいいんじゃないの?」
「完全体でも、オレは都市のユキアグモンだがら」
「律儀だねぇ」
「……あ、あの……あなたも……や、休もう? ボロボロじゃきっと、パートナーさんだって悲しむよ……」

 手鞠が、おずおずとベルゼブモンに声を掛けた。
 ボロボロ。……その言葉を聞いて、ベルゼブモンはふと自身の腕に目を向ける。

「────」

 巻いている赤いスカーフ。少女から借りているそれが、少し破れて焦げていた。……それを見て、胸が苦しくなる。

「そ、それにフレアモンと、ワーガルルモンも……皆もう、泣かなくていいように、したいから……そうなってほしいから……だから今は、……辛いと、思うけど……その」

 自分では、彼らの気持ちを分かってあげられないだろう。……それでも前を向いて欲しくて、手鞠は何とか言葉を選ぼうとした。
 フレアモンはそんな少女の前に屈む。目を伏せる彼女の頭を、大きな手でそっと撫でた。──けれど、微笑む事ができる程の気持ちの整理は、まだ付けられていなかった。

「……ありがとう手鞠。そうだね。一度、都市に戻ろう」

 手鞠は安心したのか、緊張で固まった頬を少しだけ綻ばせた。
 フレアモンはもう一度彼女の頭を撫でると、立ち上がり──俯いたままのワーガルルモンに振り向く。

「……なあ、ワーガルルモン。これが……最後になると、いいんだけど」
「…………、……そうだな」
「マグナモン。……ホーリーエンジェモン達にはお前から説明してくれ。それで全てが終わったら……」
「我らの罪は決して償い切れるものではありません。全て、受け入れます」
「……。……ああ、そうしてくれ」
『────まったく。……ただでさえ我々の位置情報を偽装していると言うのに、貴方達まで連れて帰ったらどうなる事か……』

 ワイズモンはキリキリ痛む鳩尾をさすりながら、転移の準備に入る。“ウィッチモン”時代の使い魔を生成し、瓦礫の中からホーリーリングを回収した。

「……ワーガルルモン、……大丈夫?」

 花那が、心配そうにワーガルルモンを見上げる。

「…………少し……しんどいな」
「……そ、……そうだよね。……」
「でも、大丈夫。それより……ああ、そうだ。成熟期に戻らないと。今のまま帰ったら、きっと皆に驚かれちゃうね」

 無理矢理に作られた笑顔に、花那はかえって表情を暗くした。それを見たライラモンが呆れた顔をワーガルルモンに向け、それから花那の肩をポンポンと叩く。

「さっさと退化しちまいな。ウチはまだ、テイルモンに戻る前にやっておきたい事があるから」
「……何、するの?」
「まあ、花那。アンタ達を怖がらせるような事じゃないよ。平和的解決ってやつさ。……ちょっとそこの黒いの!」

 ライラモンは眉間に皺を寄せ、ベルゼブモンを指差す。

「一発でいい。引っ叩かせな」

 それで先程の殺し合いは水に流す。──そう、言い張った。

「ぎぃー。全然ちっども平和的じゃない」
「膝めちゃくちゃ痛かったし、手鞠だってこいつのせいで怪我したんだ。それを平手打ちで済ませてやるなんて可愛いもんでしょ」
「でもオレ達だって、いっぱい撃っだんだから」
「わ、わたし……もう治してもらったし、怒ったりとかもしてないよ」
「こいつがもうオレ達のこど襲わないなら、オレも嫌わない」
「なんだい! それじゃウチだけ嫌な奴みたいじゃないのさ!」
『いいから早くして下さい。というか、また事態が拗れそうな事をしないで下さい。もう胃酸が上がってきて吐きそうです』

「…………」

 叩かせろと言われ、ベルゼブモンは顔をしかめてライラモンを見る。そして少しの間、何かを考えて────

「…………──お前らが、紛らわしい」
「はぁああ!? アンタが勝手に勘違いしたんだろ!? ふざけてんの!?」
「おさえで、おさえで」

 メガシードラモンがライラモンに巻き付いた。ライラモンはバシバシとメガシードラモンの胴体を叩く。その光景を、ベルゼブモンは無表情のまま眺めていた。

 そんな男の服の裾を、誰かがそっと引っ張ってくる。
 男は驚いて振り向き、目線を落とす。そこには子供達の姿があった。

「…………何だ」

 男が声を掛けると、蒼太と花那は驚いた様子を見せた。どこか気まずさを隠しきれぬまま、それでも懸命に話し掛ける。

「な、なあ……あのさ」
「……仲直り……ちゃんと、しておきたくて……」
「────」

 男がデジモン達と行動を共にするのは、互いに目的と利害が一致するからだ。
 ……尤も、ベルゼブモンにとって世界の救済や毒の経緯など、どうでもいい。カノンを連れ去ったクレニアムモンを殺し、彼女を救い出す。それさえ出来れば、他はどうなろうが知った事ではないのだ。

 だが、子供達は違う。

「これから私たち、一緒に皆を助けに行くんだから……ちゃんと、友達になりたいよ」

 ──その単語は知っている。知ってはいるが、男には理解ができない。

「……。……お前達、と?」
「そ、そう。私たちと、一緒にだよ」
「もしかして準備できた後も、一人で行くつもりだったのか?」

 訝しげに問われる。──やはり男には分からない。どうして彼らは、そんな言葉を自分に投げ掛けているのだろう。
 すると、気付けば他の子供達も、男の所に集まって来ていた。

「あれ、そーちゃんと村崎、もう友達になったの? オレもなる!」
「こ、これからだよ。まだ仲直りしてないの」
「? そんなの、オレたちだったら『ごめんね』、『いいよ』で終わるじゃん。……いや、ケンカにしてはヤバかったけどさ。みんな治ったんだし。
 じゃー手っ取り早く仲直り会しようぜ。集合!」
『ですから早くゲートを……。……いえ、準備が出来たら教えて下さい』

「…………」

 自分に向けて名乗っていく子供達。ベルゼブモンは、じっと見つめる。
 体内の毒がどろりと巡って、一瞬、視界が白くなった。その中にカノンの幻覚を見て──そしてまた、彼の視界に子供達の姿が映る。

 この中に彼女はいない。
 此処にはいない。早く、見つけなければ。

「俺たち約束するよ。カノンさんのこと、助けるって」

 でも────ああ、そうか。『一緒に、見つけてくれるのか』────。

「……、……ベルゼブモン」
「!」

 男の視界に白銀の手が映り込む。
 あの時、自分が銃で撃ち抜いた手。それが、自分に向けて差し出されている。

「……僕が、あの時……君の話にもっと耳を傾けていれば、もっと早くに……。……だから、──すまなかった」

 その掌にはもう、銃痕は残っていなかった。

「…………僕の、僕らの言葉は……お前に届くか? 毒に、侵されていても……」

 男は名前を呼ばれた事を、拒絶しなかった。
 けれど、差し出された手を握り返す事も、しなかった。 

「────触るな」
「……」
「俺が、掴むのは──……」

 掴みたかったのは。──もう感覚も忘れてしまった、届かなくなってしまった、白くて儚い温もり。
 ……それに、この手はデジモンを殺すものだ。喰らう為に振り翳す為だけの、毒に染まった黒い手だ。

「…………。……お前は……俺から毒を浴びている。……触れない方がいい」
「──え?」

 それは遠回しでも、侵されていない彼らを気遣う言葉であった。
 ワーガルルモンは目を見開く。男は、既に顔を背けていた。

「結構、気難しい奴だな」

 ワーガルルモンは初めて、男に向けて冗談交じりに笑ってみせる。

「毒ならもう平気だ。でも……そうだね。これは君のパートナーを見つけた後に、取っておくことにするよ」



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