◆  ◆  ◆



 聖要塞都市。
 天使型のデジモン達が、その命を糧に守護する都市。
 一切の毒を寄せ付けない、デジタルワールドの最後の砦と信じられている地だ。

 選ばれし子供たちは帰還する。
 黄金の騎士と────毒に飲まれた男を連れて。

 ゲート解放の光が、都市の広場に輝いた。
 それを目にした都市の民は、英雄達の帰還に胸を高鳴らせ、集い、出迎えるのだ。その凱旋を讃える為に。

「わあ! 選ばれし子供たちだ!」
「おかえりなさい、英雄たち!」
「ねえ、今回はどんな毒のデジモンを──……」

 駆け寄ってきた幼年期達。
 期待と希望に満ちた目は────彼らの背後に立つ黒い男を見た瞬間、絶望に染まる。

 けたたましく響く悲鳴。広がって、折り重なって、周囲は一瞬にして恐慌状態に陥った。
 当然だろう。この地に毒のデジモンが存在する事など、決してあってはならないのだから。

「毒だ! 毒がいる!! 何で!?」
「ここは天使様が守ってくれてる筈なのに!!」
「助けて! 死にたくないよ!」
「早く……誰か、天使様たちを!!」

 逃げ惑うデジモン達。ベルゼブモンはその光景をただ眺めている。テイルモンは、バツが悪そうに男に目線を向けた。

「あー……その、気にすんな。ウチもウイルス種ってだけで嫌がられた。ここの奴らはそうなんだよ」
「ぎい。しかも毒まみれ」
「…………俺には、どうでもいい」
「そりゃ好都合。ならこの叫び声はBGM程度に思ってて頂戴。あとは天使の奴らに、金ピカが上手く話を──」

「────何の騒ぎだ!!」

 程無くして、事態を聞きつけたレオモンが駆け付けた。
 帰還した一行の姿を見て────その信じ難い光景に震慄し、瞠目する。

「……! !? な、何故……汚染された者が……!?
 どういう事だユキアグモン!!? ……いいや、話など後だ。警報を発しエリア内の住民を避難させる! 天使様の到着まで我らで毒を堰き止めるぞ!」
「ま、待っでレオモン、ごれには事情が……」
「早く構えろ! もう成熟期になれるんだろう!?」
「……っ」
「ユキアグモン。……仕方ないよ。俺たちだって、こうなる事は想像がついた」
「ああ。僕らはそれだけの事をしてるんだ。レオモンの判断も、都市の皆の反応も当然だ。
 ……でも、頼む。もし彼が剣を抜いても撃たないでくれ。仲間なんだ」

 ガルルモンはベルゼブモンに釘を刺した。デジモン達で溢れるこの地は、彼の捕食衝動を駆り立てる可能性がある。もし理性が抑えられなくなれば────。
 しかし彼の懸念に反し、ベルゼブモンは静かに「大丈夫だ」と言った。

「お前達を喰った。だから、まだ平気だ」
「……そうか。……僕の肢、君に食べさせた甲斐があったよ」
「パートナーデジモン達よ……! 何故……そいつと“会話”を……!?」
『ええ、その通り。何を悠長になさってるのですか。このままではこの場所に天使が集結して、それこそ戦闘になりかねませんよ』
『も、もうパニックになってるんだし、進化して大聖堂まで行っちゃった方がいいよ……!』

「────大聖堂ですね。分かりました」

 マグナモンが一歩、前に出た。
 子供達を守ろうと剣を構えたレオモンは、立ちはだかる騎士の威光に思わずたじろぐ。

「突然の訪問をお詫びします。都市の長にお目通り願いたい。どうか、我らが大聖堂に向かう事をお許し下さい」
「……! な……」
「レオモンさん! オレたち、ちゃんと理由があってこいつと一緒にいるんだ! 今は仲間なんだよ……!」
「……、……っ! ……そんな、あり得ない……子供達が、そんな……何か術にかけられているのか!? 毒は全てを穢し、我らの命を奪うと言うのに!」
「此処で話し合う時間は惜しい。申し訳ありませんが、このまま向かわせていただきます」

 マグナモンは、再び全員に不可侵の障壁を施す。
 一歩、また一歩、進んでいく。子供達も、罪悪感に目を伏せながら続いていく。

「行っては駄目だ!」

 レオモンは止めようと手を伸ばす。────だが、障壁に覆われた彼らの身に触れる事は叶わない。手は虚しくすり抜け、空を切った。

「! !? ま、待て……行くな、やめてくれ……! その子達を連れて行くな! どうか傷つけないでくれ……!」

 懇願する声が背後で響く。
 怯えた群衆の視線を浴びる中、ユキアグモンは何度も後ろを振り返った。



◆  ◆  ◆



 大聖堂にて彼らを迎えたのは、激しい剣幕でロッドを構えるエンジェモンであった。
 それもまた、当然の事だ。天使達が先程の騒動を把握していない訳がない。

 だが、マグナモンは冷静そのもの。この地で彼の障壁を敗れる者はいない。道を阻む者はいない。

「ワイズモン、ホーリーエンジェモンはどの部屋に?」
『主聖堂に。翼廊の奥の扉から、階段が続いています』
「分かりました。……しかしこの状態では、扉に触れる事もできませんので。申し訳ないですがエンジェモン、扉を開けてはもらえませんか」
「我が兄への謁見であれば許可しよう。しかし、その汚染デジモンを“浄化”してからだ」
「小生らに敵意はなく、また此の聖地を侵す意思もない。力の行使は我らとて避けたい」
「どこの誰かは存じ上げないが、選ばれし子供たちの客人よ。この死にかけの世界でも、我らには……守らねばならぬ土地と民、そして矜持がある。──決して、敵わぬと分かっていても」

 ──目の前の黄金との戦力差。それは、エンジェモンとて理解していた。
 それでも、毒に侵されたデジモンを、みすみす聖堂へ入れるわけにはいかないのだ。

 仮に命を賭したとしても守り抜く。エンジェモンの意志に、マグナモンは敬意を表した。

「──英雄の欠片を継ぎし者。主が創造せし子らのひとり。ならば聖騎士マグナモンは、此の身を以て貴殿の意志に応えよう」

 すり抜けて終えるのは非礼に値する。マグナモンは自身の障壁のみを解いた。
 それを確認したエンジェモンが、輝けるロッドをマグナモンに振り翳す。

 次の瞬間。
 エンジェモンの視界から黄金が消える。
 子供達がマグナモンを止める声を聞き、振り向く。
 背後には黄金の輝き。マグナモンは片手を構え──エンジェモンの背中に突き刺した。

 爪が食い込む部位から出血はなく、しかし天使のテクスチャに二進法の数字が浮かび上がる。

「……、……あ……」
「────改変。デジコアの強制一時停止」
「…………兄、上」
「条件付け、再起動を十五分後に設定。プログラム実行を開始」
「……────」

 エンジェモンの肉体は音を立てて倒れた。
 天使の側にユキアグモンが駆け寄ろうとする。……だが、マグナモンは先を急がせる。

「……! て、天使様に何しだんだ!」
「大丈夫、後に目覚めます。その間に我らはホーリーエンジェモンのもとへ」

 マグナモンは進んでいく。ベルゼブモンも、何食わぬ様子で後に続く。
 子供達は「ごめんなさい」と言いながら、倒れたエンジェモンを後にした。





 美しき大聖堂。
 大理石の長い身廊を、天使の彫像に見下ろされながら進んでいく。
 壁のクリアストリーとバラ窓から差し込む光は、黄金の鎧に反射して堂内を鮮やかに照らし出す。
 アプスの祭壇には最早、天蓋からのカーテンは垂れおらず────そこには、四肢と翼を失ったホーリーエンジェモンが、ひとり座して待っていた。

 とてもとても、悲しそうに。

「────セラフィモンの後身ですね」

 そんなホーリーエンジェモンに対し、マグナモンは淡々と語り掛けた。

「小生の姿を、覚えていますか」

 ホーリーエンジェモンは僅かな沈黙の後、口を開き、震える声で呟いた。

「…………忘れはしない。……創造主の騎士、ロイヤルナイツ……」

 かつてのセラフィモンの記憶は、今の彼には一部しか継承されていない。
 それでもマグナモン達の存在は、その記憶の中に確かに残されていた。

「……これまで、長きに渡り沈黙に徹してきた騎士団が……何故、選ばれし子供たちと。
 毒に対し何の措置も取らず、原因究明も行わず……ただ終焉を傍観するだけの貴方々が、今更その子らの力に縋ろう等と仰るか」
「話が早くて助かります。遠い過去の同胞よ」
「…………今になって、何故……それも、よりによって此の地に毒をもたらされた。民にとって此の地は最後の希望であったのに。いつか訪れる静寂を……眠りと共に迎える為の、安息の地であった筈なのに」

 究極体に成れなかった自分では、最早世界を救えない。
 英雄達の真似事をしたところで、到底救える訳がない。
 断片だけの記憶でも、それが不毛である事は────理解していたのだ。その上で民に僅かでも希望を与える為、安らぎを与える為、これまで努めてきたというのに。

『……ホーリーエンジェモン、貴方は……最初からそのつもりで……?』
「私には理解しかねる。騎士自らが地に降り立ち、選ばれし子供たちを籠絡した理由は何だ? 彼らの位置情報を改竄し、我らを欺いてまで……」
『────それは、情報の改竄はワタクシ達の』
「聞けば彼らは、この都市の庇護下にあったと。大英雄セラフィモンが築いた都市なら、調整を行う環境としては十分。故に彼らを帰還させた。
 そして……そちらのベルゼブモンは、毒に汚染されながらも自我を保つ貴重な存在です。戦力として欠くわけにはいかない。貴殿の都市に混乱を招いた事については、謝罪します」

 だから彼も含め、今一度この都市での休息を与えて欲しい。
 マグナモンは胸に手を添えて頭を下げる。

「……いいや、あまりに遅すぎる。遅すぎたのだ。選ばれし子供らの尽力によって、我らは僅かだが生き永らえよう。しかしそこまでだ。いかに戦力を集めたところで最早、我らに救済の手段など残されていない。
 創造主の騎士よ、何を目論む? 狙いは何だ? これ以上どう足掻けと? ……それとも再び人間達を、その行方を見失うまで利用し……我らに拭えぬ罪を重ねるおつもりか」

 ホーリーエンジェモンは静かに、厳かに、しかし悲哀を以て問い質す。
 黄金の騎士は顔を上げると、ガーネット色の瞳を真っ直ぐホーリーエンジェモンに向けた。────そして

「贖罪を」

 はっきりと口にし、前へ。
 両手を差し出す。大天使の身を、黄金のベールで包み込む。

「デジタルワールドに光を。今度こそ、英雄達は我らの世界を救済する」

 ────差し込む光に輝きながら、白い羽が柔らかに舞う。
 ホーリーエンジェモンの純白のローブの下。失った筈の四肢と八枚の翼が、そこには在った。



◆  ◆  ◆



 エンジェモンが目を覚ますと、そこには兄と慕う者の姿が在った。

 英雄セラフィモンのデータから共に生まれた天使。英雄の性質のほぼ全てを受け継いだ兄。
 都市を、民を、守り導く為に、その身を犠牲にし続けてきた、敬愛する大天使。

 そんな兄の身体が────都市の結界と、民の洗礼に捧げた筈の四肢と翼が。
 もう見る事は叶わないと思っていた、大いなる天使の姿が──今、この瞳に映っている。

「…………兄上。その、お姿は」
「創造主の権能により、再び我が身に与えられた。……これを、奇跡と呼ぶのだろうな」
「……それは──」

 ──思い出す。選ばれし子供たちを連れた謎のデジモンに、一切の歯が立たなかった事を。

「……申し訳ありません。私は一瞬さえ、彼を止める事が出来ませんでした。……毒を、我らの地に……」
「いいのだ。エンジェモン」

 その言葉に、エンジェモンは「え?」と目を見開く。

「あの毒の者を、僅かな間この都市に置く事を容認した。ペガスモン達には、付近の住民の外出禁止を徹底させている」
「…………よろしい、のですか」
「これは賭けだ。……あの騎士から全てを聞いて、私は……彼らに賭けることにした。それが、此の世界に生きる我らに残された……唯一の足掻きなのだと」

 ローブの下から伸びた手が、エンジェモンの頭にそっと触れた。 

「……遠い過去の私達が、リアルワールドから子供達を連れ去った意義を。そして消息を絶った彼らと、共に戦った時間の意味を。……我らはようやく見つけ出し、辿り着けるのかもしれない」

 ホーリーエンジェモンは空を仰ぐ。
 自身が作った仮初の空。それが本物の青空になる夢を、少しだけ胸に抱いて。




◆  ◆  ◆



「────ひとまずホーリーエンジェモンの説得は叶いましたが、皆様の居心地は最悪でしょうね」

 無事に寄宿塔へと戻った子供達を見届け、ワイズモンは深く息を吐いた。

「ユズコ、貴女は大丈夫?」
「……え?」
「…………楽しいものではなかったでしょう。彼の話は」

 マグナモンが語った真実。それはコロナモンとガルルモンを始め、少なからず皆にショックを与えるものだ。きっと、共に世界を見てきた人間達とて例外ではない。
 柚子は目を伏せ、口ごもる。

「……変な話なんだけどさ。私……あれを聞いて、少しだけスッキリしたの」
「……そうなのですか?」
「だって今まで、分からないことだらけだったんだよ。私たちも皆も、色々なことを知らされないまま、誰もちゃんと知らないまま、だけど危ない道を進むしかなくて……いつ終わるかも分からないのに。
 でも今は、道が見えてる。私たち、やっとここまで来たんだよ。……上手くやれればきっと、デジタルワールドも……ウィッチモンの世界だって、毒が行っちゃう心配しなくていいでしょ?」

 だから、あと一息。もうひと踏ん張り。
 ワイズモンは柚子の言葉に目を細めた。ああ、良かった。──そう笑って、親愛なるパートナーの頭を撫でる。

「でも、辛くなったら言ってくださいね。ワタクシが完全体になり続けている分、パスを繋いでいる貴女の負担も大きい筈ですから」
「大丈夫だよ。ちょっと疲れちゃったけど、そこは食べてカバーするから!」

 柚子の机には大量の栄養ゼリーが積まれていた。冷蔵庫にストックされていたものを、ここぞとばかりに引っ張り出したのだ。

「柚子ちゃんったらアタシらの分まで食べようとしてる! 恐ろしい子!」
「みちるさんとワトソンさんはもっと固形物、食べた方がいいですよ。……それより」
「ん?」
「……」

 みちるとワトソン、二人の顔を見つめる。
 ……言いたい言葉を口に出そうとすると、鼓動が少し早くなって、喉が詰まりそうになる。
 ああ、けれど────聞かなければならない。この戦いが終わる前に。そんな思いが溢れて止まらない。

「……その……聞きたい、ことが。……二人に。さっきのことも、今までずっと、引っ掛かってたことも……」

 勇気を出して言葉を絞り出す。
 鼓動はどんどん早くなる。
 ワイズモンは柚子を止めようとはしない。
 みちるはきょとんとした顔で、ワトソンに顔を向けた。ワトソンは、腕を組んで考える素振りを見せて

「────そうだね。夜になったら、ゆっくり話そう」

 君達、二人だけに。

 彼の言葉に、柚子が「どうして」と口に出そうとした──その時。モニターの向こうから、マグナモンの呼ぶ声が聞こえた。……作戦会議の時間だ。マイクを繋いで、仲間達との通信を始めなければ。
 思わず振り向くと、ワイズモンが二人を睨んでいた。二人は優しい顔でこちらを見ていた。

「……わかり、ました」

 止め処なく湧き出る疑問と不安。
 胸に満ちれば苦しくて、どこか怖くて切なくて。それなのに、夜が待ち遠しい自分がいた。







第二十八話  終







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