◆  ◆  ◆



 作戦会議の終了後、マグナモンは宿舎棟を後にした。

 残された一行の面持ちは様々だ。
 テイルモンは話の難易度についていけず呆然とし、ユキアグモンは故郷への罪悪感で気を落としたまま。
 一方、誠司は合体する事にどこかワクワクした様子だ。手鞠は探索と戦闘、どちらの方が役立てるか悩んでいるようで────蒼太と花那は、様子がおかしいパートナー達を心配そうに見つめていた。

「……なあ、コロナモ──」
「そういえば、柚子達はこっちに来られるの?」

 蒼太の声を遮り、コロナモンは亜空間に語り掛ける。

「マグナモンとワイズモンで、色々やる事があるって聞いたから」
『夕飯はそっちで食べるよ。マグナモンはその後ここに来るんだって』
「なら良かった。せっかくだから全員で食べたかったんだ」

 自分達の異変は、自覚していた。それに蒼太と花那が気付いている事も。
 それを隠し切れない、自らの不甲斐なさが嫌になる。それでも「大丈夫だよ」と言って笑うしかないのだ。何がどうなっているのか、自分にだって分からないのだから。

「……」

 ────けれど、何故だろう。
 痛みが走る一瞬。頭の中に、知らない誰かの姿が浮かぶのだ。

 それが誰かは分からない。思い出せない。これは自分だけに起きているのか、それともガルルモンにも起きているのか。──確認したくても、今は出来なかった。

『てゆーかさー!』

 みちるの声に驚き、ハッと顔を上げる。
 いつもの大きな声が、澱む感情を押し流してくれた気がした。

『こんな狭いワンルームにあんなゴテゴテの奴きたら、マジで満員電車になるんですけど!』
「なら、オレらのとこ来ればいいじゃないスか。こっち広いんだし」
『確かにー! ていうか今って自由時間? ご飯いつ?』
「……おで、レオモンに聞いてぐる」

 ユキアグモンが静かに椅子から降りる。「ご飯いつ?」なんて気軽に聞ける状態ではないくらい、誰の目にも明らかだった。

「そんな顔で平気? ウチが代わりに行こうか?」
「ううん。おでが行く。皆はここに居ていいよ」

 そう言って去って行くユキアグモンに、手鞠と花那が心配そうに顔を見合わせる。
 とぼとぼ小さくなっていく白い背中を、誠司が慌てて追いかけて行った。



◆  ◆  ◆



 回廊階段を下りていくと、勝手口の側で座り込んでいるユキアグモンを見つける。
 ここまで来たものの、扉を開けてレオモンに話しかける勇気が出ないようだ。

「ユキアグモーン。どーしたの」

 誠司は敢えて、いつも通りのテンションで声をかけた。

「外、出ないの?」
「……。……ねえ。せーじ」
「ん?」
「せーじは『ごめんね』ってすれば仲直りでぎるって、言っだけど」
「うん。大体はそれで仲直りできるからな!」
「……でも、おで……レオモンにも、街の皆にも、すごぐ怖い思いさせちゃっだ。仲直りでぎるか、不安なんだ」
「そりゃあ確かに、皆めちゃくちゃ怖がっちゃったけど……。ベルゼブモンだって仲間になったんだから、あいつだけ別行動させちゃ可哀想だよ」
「うん。それは、分かっでるんだけど……」

 ユキアグモンだって、決して差別意識を持っている訳ではない。──が、都市の民であるユキアグモンにとっては、民衆も同じく大切な仲間だ。だからこそ気まずいのだろう。

 まあ、そうだよなー、なんて思いつつ。誠司は項垂れるユキアグモンの肩に腕を回す。

「でもさユキアグモン。とりあえず進んでみようせ。オレも一緒にいるから」

 そもそも、聖地に毒を持ち込み、混乱を招いた──その責任があるとすれば、それはマグナモンだけではない。自分達全員だ。
 誠司はドアノブを掴んだ。慌てるユキアグモンに歯を見せて微笑み、扉を開けた。

 扉の開く音がして。夕焼け空が二人を迎える。
 そして────

「レオモンさん」

 レオモンが振り返る。その顔はどこか切なそうで、怒りの感情は見受けられなかった。

「…………ああ。君か。……君達だけか?」

 それは、毒のデジモンも同行しているのか否かを問うものだった。誠司は「オレたちだけだよ」と首を横に振る。

「ほら、オレの後ろに隠れちゃダメだって」
「…………ぎぃ」
「ちゃんと前に出て、な?」

 誠司に背中を押され、ユキアグモンはよろめきながら前に出た。

「……。……ユキアグモン……」
「レオモン。……ごめんね」

 もじもじと俯いて、それでも声を絞り出した。

「……おで、皆が怖がるの、わがっでだ。天使様の街に、毒は絶対に入れちゃいげないって……わがっでだ。それなのに……。
 ベルゼブモンと一緒に、都市に戻ろうっで……最初に言ったの、おでなんだ。操られでるんじゃなくで、自分でそう決めたんだよ。だがら……」
「ユキアグモン」

 かぶせるように名前を呼ぶ。ユキアグモンが顔を上げると、レオモンは優しい顔で手招きをしていた。

「君もだ。二人とも、こっちにおいで」

 顔を見合わせながら、傍まで行く。するとレオモンは、ユキアグモンの胴を持って抱き上げた。

「わ、わ。……レオモン?」
「なあ。……確かに驚いたし、恐怖もあった。都市がパニックになったのも事実だ。
 でも都市は無事なまま、君達にも危害はない。天使様もお許しになられた。──だから、それが全てだ。
 ユキアグモン、私は怒っていないよ。謝らなくていい。それより、怪我はしていないか?」
「…………」

 ユキアグモンの瞳が涙で揺れる。地面に下ろされると両手を大きく挙げて、元気な素振りを見せた。レオモンは笑いながら二人の頭を撫でた。

「……ん? 指、治ったのか? 前は欠けてたじゃないか」
「えっ。……本当だ。治っでる」
「気付かなかった! 完全体になった時かな。それともマグナモンに治してもらった時? よかったなーユキアグモン」

 さりげない誠司の一言に、それまで笑顔だったレオモンの表情が固まる。

「……。……今、“完全体”、と……?」
「ぎ?」
「……完全体に……なったのか? お前が!?」
「うん。せーじが、強くしでくれだんだよ」
「へへっ」

 レオモンは口をあんぐり開けていた。それじゃあ自分どころかエンジェモンよりも上──何よりホーリーエンジェモンと同等ではないか。
 ちなみに、こういう時の子供の前向きさは時に残酷だ。誠司はデジヴァイスを高々と掲げ、ユキアグモンも「ユキアグモン進化!」と言いながらジャンプしてみせた。

 赤い夕焼け空に、赤い蛇竜が舞う。
 誠司はメガシードラモンの頭部に乗ると、レオモンに手を差し伸べた。

「レオモンさんも一緒に乗ろうよ!」

 ──その姿の、なんて眩しい事。

「────」

 嬉しくて、どこか胸が切なくて、それでいて誇らしい。
 ああ、まさに“英雄”と呼ぶに相応しい姿じゃないか。

 レオモンは目を細め、誠司に手を伸ばそうとする。

「……はっ、いや待て。戻りなさいユキアグモン。今の状態の君が空を散歩なんてしたら、別の意味で都市が騒ぎになってしまう」
「えー」
「ぎー」
「ただ、気持ちは嬉しい。……本当に、立派になったな」

 レオモンは両手を差し伸べた。メガシードラモンは、ユキアグモンの時と同じように──その両手に鼻先の外殻を当てる。撫でられて、嬉しそうに目を閉じた。

「大丈夫。きっとお前は、君達はやり遂げられるさ。私はそう信じているよ。
 ……明日が終わったら、その時に……私や皆を乗せて、本物の空を泳いでくれないか」

 きっと世界は平和になる。そう信じて、約束を交わした。

「だから────どうか、無事に帰ってきてくれ。私達も、生き残ってみせるから」



◆  ◆  ◆



「あ! ねえテイルモン、二人とも戻ってきたよ!」

 誠司達が棟に戻ると、回廊階段で手鞠とテイルモンが待っていた。

「なかなか帰ってこないから、どうしたのかなって……」
「なんだユキアグモン。随分と上機嫌じゃないの」
「うん。レオモンと仲直りできだんだ」
「えっ! わ、わたしも仲直りしに行きたかったのに……」
「……手鞠、まさか本当に飯の時間を聞きに行ってるだけだと思ってたの?」

 ユキアグモンは浮かれ気味に、それもちゃんと聞いて来たと胸を張った。

「ご飯、もう少ししたら持って来でくれるっで。皆にも伝えてぐるね!」

 軽い足取りで階段を駆け上がっていく。ぴょんぴょん跳ねる小さな背中を、誠司は安心したように見送った。

「よーし、じゃあご飯まで皆でトランプしようぜ」
「え、作戦とか考えなくていいの……?」
「マグナモンさん戻ってきてからでいいと思うんだ。多分!」
「……アンタたち、気楽だねえ」
「悩んでも仕方ないしさ! それにレオモンさんと仲直りできたからね。……街の皆には、全部終わったらオレたちで謝ろう」

 踵を返す。──石壁に空けられた窓の外、鮮やかな黄昏の空が目に映った。
 星が少しずつ姿を見せていて、美しい。手鞠も誠司も感嘆の声を上げ、窓の面格子に顔を寄せる。

「すっげー。こんな綺麗な空、ここでも初めて見たよ」
「……あの空も、ホーリーエンジェモンさんが作ったのかな」
「本物みたいだもんなぁ。お台場に似たような作りのモールがあったんだって、母ちゃんから聞いたけど……絶対こっちのが凄いよな」

「…………」

 鉄柵越しに空を眺める手鞠と誠司。──そんな二人の姿に、テイルモンはどこか感慨深いものを感じる。

「……なんか、アンタたちが牢屋にいた時の事を思い出すよ」

 縁起でもない悲惨な思い出だ。
 けれど、とても懐かしい。

 地下牢の中。痩せて汚れて怯えていた二人が、今はこんなにも────

「逞しくなったね。手鞠も、誠司も」
「え? そ、そうかなあ……」

 手鞠は照れくさそうに頬を掻いた。

「チューモンも逞しくなったよな! あ、今はテイルモンか。……デジモンって何で進化すると名前変わるの?」
「海棠くん、今更……?」
「ウチが知るかそんなの。そういう風になってるの。なんなら、明日会いに行くイグドラシルとやらにでも聞いてみたらいいさ。神様なんでしょ?」

 たしかに、と。二人はやや上空に目線を向けて頷いた。

「……神様かあ。どんなデジモンなんだろ。ホーリーエンジェモンさんを髭もじゃもじゃにした感じかな」
「どうだろうね。怖くないといいんだけど……」

 あるファミリーレストランに飾られた西洋画を思い浮かべながら、神様とやらの外見を想像してみる。──まさか自分達の人生で、そんな壮大なイベントが発生するとは思わなかった。話が大きくなりすぎて、マグナモンの説明を受けてもいまいち実感が湧かない。

「でも、とりあえずクリアできたら一件落着なんだよな?」
「そうだと思う……。多分、新しい毒はもう出てこないから、あとは壊れちゃった街とかを直していくんだよね。それも大変だと思うけど……。手伝えるなら、頑張りたいな」
「どうせならスッキリして帰りたいもんな!
 ……そうだ、全部終わって平和になったらさ、テイルモンどうすんの? ユキアグモンは元々ここが家だし、ウィッチモンのおねーさんも帰るだろうし。コロナモンとガルルモンは……また二人で旅とか、するのかもしれないけど」
「? ウチは手鞠の所に行くつもりだよ」

 テイルモンは然も当然、と言わんばかりのすまし顔で答えた。

「手鞠にもウィッチモンの奴にも、散々リアルワールドの美しさとやらをプレゼンされたんだ。元々、フェレスモンの城から逃げたら向こうに行くつもりだったんだよ」
「わたし、チューモンと一緒に色んな所おでかけしたいなぁ。ここじゃ食べられないお菓子だって、いっぱいあるんだよ」
「えーっ、ずるい。オレらと暮らせるなら、オレだってユキアグモンと一緒に暮らしたい!」
「それなら今のウチに話しておきな。……まあ、アイツなら喜んでついていくと思うけど」

 誠司は笑顔で頷くと、元気よく階段を駆け上がって行った。「行っちゃったねえ」と言って、手鞠はくすりと笑う。
「……良かったね、二人とも元気になって」
「ま、凹まれたままじゃ困るからね。……」
「……」

 そのまま、また空を眺める。

 二人の間を、心地良い沈黙が流れていく。
 テイルモンは尾のホーリーリングを外し、チューモンへと戻った。久しぶりに手鞠の肩へ飛び乗る。

「わっ。……チューモンに戻って大丈夫なの?」
「平気さ。ここにはウチらしかいないんだ。
 あー、こっちのが目線が高くなって、色々よく見えるや」

 そして、再び穏やかな時間が流れる。
 風になびく少女の髪を手で避けながら、チューモンは「手鞠はさ」と静寂を破った。

「なあに?」
「明日、どうするつもり?」
「マグナモンさんが言ってた事? ……どっちがいいかなあって、ちょっと悩んでるの」
「……ここに残ったっていいんだよ。誰も咎めないし、何より怖くない」
「そうだね。でもわたし、それだけは選ばないって……チューモンだったら分かるでしょ?」
「分かってるよ。一応、聞いてみただけさ」
「……どうしようかなあ。皆を探す人手も、多い方がいいかなって思うし……けど、わたしたちを守るとコロナモンも大変になっちゃうだろうし……やっぱり、チューモンを少しでも強くできるなら、とも思うし……」

「バカだね」

 チューモンは手鞠の耳たぶを少しだけ引っ張った。

「アンタのやりたいようにすればいいんだよ。手鞠」

 他の奴の事は気にしなくていい。考えなくていい。そう言い切った。
 すると、手鞠は困ったように笑ってみせて────

「────うん、決めた」

 決意を込めた瞳で、藍色に染まっていく空を見上げる。
 チューモンも同じ方向を眺めて、少女の決意に最後の忠告をした。

「多分めちゃくちゃ怖いよ。いいの?」
「チューモンと、皆と一緒だから……わたしは平気だよ」
「……そうかい。じゃあ、気張っていこうじゃないの」

 チューモンはそう言って、小さな手のひらを少女に向けた。
 手鞠は一瞬きょとんとして、それから懐かしそうに目を細める。チューモンの手のひらに、自身の小指をそっと当てた。

「明日もよろしくね、チューモン」
「ああ、よろしく頼むよ。ウチのパートナー」

 そしてチューモンは、優しい手つきでパートナーの小指を握り締めた。



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