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 人工の空が紺色に染まる頃。レオモンとマグナモンが、大きなサービスワゴンを手に宿舎棟へと戻って来た。
 二人はそのまま食堂へ。ワゴンにはいくつもの大鍋が乗せられており、どれも食欲をそそるような匂いを漂わせている。それを見た子供達は、期待に満ちた表情で後を追った。

 都市での滞在中、食事の時間は一行にとって楽しみの一つだった。
 振る舞われる食事はいつだって美味しくて、かつ栄養バランスに配慮されている。選ばれし一行が浄化活動をこなす為にと、色々細かく考えられているのだ。

 しかし、今日テーブルに並べられた食事は────

「見ろよ誠司! ナポリタンの中にミートボール入ってる!」
「こ、こっちはチーズたっぷりのハンバーグだ……すげー!」
「わあ、オムライスにケチャップでお花かいてある!」
「け、ケーキもいっぱいあるよ……! ……あ、ユキアグモン、まだ食べるの待ってなきゃ。柚子さんたちもうすぐ着くからね」
「早ぐ食べだい!」

 豪勢に、炭水化物と肉だらけ。子供の好きな食べ物ランキングに食い込みそうなメニューばかり。子供達はもちろん、デジモン達も今まで以上に目を輝かせていた。

「これ、レオモンが作っでくれだの?」
「いや、大部分はこの騎士殿が作ったそうだ」
「……小生が、各々方に出来る事は限られてますので……せめてもと思い」
「あー……ちょっとはアンタのこと見直したけど、ここでも罪滅ぼしとは……」

 テイルモンは思わず苦笑した。

「──ベルゼブモン。君も、こっちで僕らと食べればいいのに」

 テーブルの奥の壁に、男は立ったままもたれかかっている。ガルルモンが声を掛けたが、席に着く様子はない。

「そっか。まだお腹が空いてないんだな」
「…………」
「じゃあガルルモン、あいつの分は残しておいてあげよう。……レオモンは? せっかくだし、今日くらい俺達と食べようよ」
「! い、いや……大丈夫だコロナモン。その……流石に、この距離は……」

 レオモンは僅かにベルゼブモンに目を向ける。──ベルゼブモンがじろりと睨んで、レオモンは思わず後退った。

「……すまない、害が無いとは、分かっているんだが。…………君達は凄いな……」
「ま、まあ。俺達はわりと、毒を見慣れてるっていうのもあるから……」

 頭で理解していても、心と生理的な反応はどうしようもないものだ。レオモンは遠慮する体で食堂から退散しようとした────その時。

「────え、なになにー!? めっちゃ良い匂いすんじゃーん!」

 廊下から、やけに甲高い歓声が聞こえてきた。
 慌ただしい足音。そして数秒後、食堂の扉は勢い良く開けられた。

「やっほーエブリワン! しばらくぶりのチーム亜空間! ですよー!! ……ってアレ?」

 扉の前ではレオモンが額を押さえていた。自分が開けたドアと交互に見比べて、みちるは舌を出して謝る。

「みちる、もっと誠意を込めて」
「てへっ」
「もー、何してるんですか。レオモンさん大丈夫?」
「……あ、ああ。大丈夫だ。でも額にコブができた……」
「ぎー。ウィッチモン、ブギーモンまだ起ぎないの?」
「……ええ。でも大丈夫、彼の分は持ち帰りマスので。だからワタクシ達も頂きまショウね。────ああ、それとその前に」

 ウィッチモンはマグナモンの前へ。硬い表情のまま挨拶を交わす。

「マグナモン。今夜は、どうぞ宜しく」
「……ええ、こちらこそウィッチモン。そしてそのパートナー。……その、後ろの二人は」
「どうも、初めまして」

 ワトソンが、これまた淡白な表情で頭を下げた。

「ほら、みちるも挨拶して」
「はじめましてー! みちるちゃんですっ!」
「…………。……初めまして。二人も、どうぞよろしく」

 マグナモンはたどたどしく答えると、子供達とは少し離れた場所に腰を下ろす。

 そしてようやく、待ちに待った食事の時間が訪れた。
 世界を救う長い旅路、最後の夜。それに相応しい、なんとも賑やかな食事風景。

「──え、山吹さん、冷食とゼリーばっか食べてたんスか!? オレらも成長期なのに!」
「あはは……なかなか外に買いに行くタイミングもなくて……」
「じゃ、じゃあ柚子さんも、ここでしっかり食べておかないと……!」
「そうだよ柚子ちゃん。前みたいにしっかりがっつりハンバーグ定食を食べておくんだ。キミはちゃんと食べる子だってボクは知ってるからね」
「なんか嫌ですその言い方……。あと前に食べたのは定食じゃなくてランチです」


「おいしーねー! 蒼太くん花那ちゃんもっと食べー! コロちゃんガルちゃんもしっかり食べー! 明日は体力ゴリゴリ使うんだからね!」
「私はデザート用にちょっと余裕もたせてるんです。だからそれ以上は! いいです大丈夫ですから!」
「みちるさんって、食べ放題とか行ったら人のお皿にばっか盛るタイプですよね」
「えーっ、そんなことないよう」
「……俺達を気にしてくれるのは嬉しいけど、君もしっかり食べた方がいいよ。前にここに来た時だって、スープばっかり飲んでたじゃないか。お腹空いちゃうよ」
「コロちゃん覚えててくれたの? 嬉しー! でも安心して鍋ごと飲み尽くすから。カロリーは足りてます!
 それに、ゆーてアタシら見てるだけだし? 柚子ちゃんみたいに体力割いてモニタリングしてるわけでもないし。がっつり食べなくても大丈夫よ」
「でも、──何だかんだ僕らの事、最初から見守ってくれてるじゃないか」
「え?」
「ずっとあの部屋で……君達だって疲れちゃうだろ?」

 ガルルモンの言葉に、みちるは思わず口をポカンと開ける。

「────まさかここまでお気遣いされるとは! 調子狂っちゃうわあー」

 そう言って、誤魔化すようにおどけて笑った。




 選ばれし子供たちの様子を、マグナモンは食事に手を付けることなく眺めていた。
 ベルゼブモンも、相変わらず隅に立ったまま眺めるだけ。食事には手を付けていない。

「……小生はともかく、貴方は食べた方がいいでしょう」
「…………」
「……彼らと共にするのが気後れするなら……良ければ持って来ましょうか?」
「……いいや、いい」

 和気藹々とした子供達に対し、こちらは非常に重たい空気が流れている。マグナモンの近くに座るテイルモンは、敢えて二人から視線を逸らしていた。

「……」
「……」

 マグナモンはひとり静かに狼狽える。……これは、あまりに気まずい。いっそこの場で孤立してしまった方がマシだとさえ思う程に。

 ──すると突然、男が壁から身を離した。僅かにマグナモンとの距離を縮め、「おい」と声を掛ける。

「…………な、何でしょう」
「それは、治さないのか」
「え?」

 ベルゼブモンは、マグナモンの切断された尾部を指差していた。

「……治す事も出来ますが、必要が無いので……」

 困惑しながら答える。しかし、それは男が期待した答えではなかったのか──ベルゼブモンは再び黙ってしまった。

「……。……あの」
「…………」
「…………」
「……いや、アンタ食べる気だね?」

 テイルモンが我慢できずに口を挟んだ。

「ちょっと、何『バレたか』みたいな顔してんのアンタ。まぁ元々それ喰わせたのウチだから下手に言えないけど!」
「…………」
「マグナモンさんの尻尾って生え変わるの? すげートカゲと一緒じゃん!」
「ぎぎ、違うと思う」
「…………い、いえ。それで彼の空腹が満たされるなら……」
「というか貴方、デジモン以外は食べられないのデスか?」

 ウィッチモンの問いに、ベルゼブモンは「いいや」と首を振った。

「カノンと、食べたことがある」
「なら、きちんと召し上がッテ下サイね。流石に残り物は嫌でショウ?」
「……構わない。食えれば何でもいい」
「そんな悠長なこと言ってるとアタシらが食べ尽くしちゃうぞ! 食べ盛りなめないで!」
「あの、俺たちもう結構お腹いっぱいですけど……」

 みちるはスープ鍋を抱えるような仕草を取る。彼女の声に、ベルゼブモンは荒野での一件を思い出した。

「お前」
「んにゃ? アタシ?」
「……どうして知っていた。カノンの……あの音を、鳴らしたのはお前だろう」
「あー」

 そういえば、と。自分が軽率に流してしまった音楽プレイヤーの事を思い出す。

「まあ、偶然って事で? リラクゼーションメロディー的な?」
「……カノンを知っていたのか?」
「可能性は大いにアリなんだけど、同一人物って確証は無いのよねえ」

 だって近頃は同姓同名の子が増えているのだ。とは言え、九割程度の自信はあるのだが。
 はっきりしない答えに、ベルゼブモンは更に表情を歪ませた。「まあまあ」とガルルモンが男を宥める。

「それなら、どうだろう。君のパートナーがどんな見た目か教えてくれないか? みちると本当に知り合いか分かるし、僕らも探しやすくなる」
「ガルちゃん賢ーい! では海棠少年、何か書くものを探してきたまえ!」
「うっす! さっき遊んでた紙と鉛筆があるっス!」

 誠司はベルゼブモンの前に筆記用具を並べた。そして一切の遠慮を見せず、「これに描いてよ!」と男にせがむ。

「…………何をだ?」
「何って、似顔絵」

 ──ベルゼブモンは硬直した。顔も体も思考も見事に停止した。
 そもそも、絵どころか筆記用具を持つのだって初めてなのだ。誠司の言動に戸惑っていると、みちるとテイルモンがニヤニヤと視線を向けている事に気付く。──無性に腹立たしい。
 一方で、少女を知っている筈のマグナモンは、口を挟めず気まずそうに男を見守っていた。

 男は鉛筆に触れようと手を上げてみる。しかし躊躇った後、膝の上に下ろす。それを何度か繰り返して────

「…………、…………いや……。……無理だ」

 思えばどんな過酷な状況にだって、血と毒を吐きながらも立ち向かっていったが、これは流石に無理があったようだ。

「ねえ、それならわたしたちで描いて、一番似てるのを選んでもらおうよ!」
「……その、一応、彼女の容姿は小生が知って……」
「パートナーさんの特徴とか、教えて欲しいなあ」
「……」
「マグナモン貴方、騎士とは思えない不憫さデスわね」

「…………カノンの……」

 今度は特徴を聞かれ、男は困惑が止まらない。こんな経験は初めてだ。
 それでも、自分でペンを取るより断然マシであろう事は理解できる。カノンの姿を浮かべ、渋々と口を開いた。

「…………白い」

 拙い語彙力で、少女の外見を説明しようと努める。

「……えっと、肌が、かな……? 髪の毛は?」
「お前達より長い」
「じゃあ、色とか、服とかは……」
「俺は、色が見えない。服も……あれを何と呼ぶのか、俺は知らない。
 ……だが……これは、“おそろい”だと、あいつは言った」

 腕のスカーフを指差す。朽ちた遊園地での会話を、思い返しながら。
 そして、思い出そうとする。あの時、自分の頬を撫でた白い手の感触を。
 ──それは「……あたたかくて。柔らかくて」────何より、その時の少女の表情は

「……とても、綺麗だった」

 口を噤む。
 結局、大して役立ちそうもない抽象的な特徴ばかりを並べて、男は表情を曇らせた。

「────え? 今ウチら何聞かされたの?」

 テイルモンはこの世の終わりのような顔で言い放つ。手鞠は恥ずかしそうに花那と顔を見合わせていた。
 当然、男にはその理由など理解できない。

「……?」
「いや『?』じゃなくてさ? 今のって何、惚気? 惚気か? 無自覚なの?」
「……聞かれたから、答えただけだ」
「うっわーやだコイツ羞恥心ゼロじゃん。ちょっとウィッチモン!」
「どうしてそこでワタクシに振るんデスか。……塔の子供達の外見であれば、今夜中にマグナモンとリストを作ッテおきマスから。明日それで確認して下サイ」
「……ウィッチモンそれ、最初に言ってあげればよかったのに」

 柚子は苦笑する。──ふと、パートナーが放った言葉が胸に引っかかり、少しだけ目を伏せた。

「……。……今夜、か。……」

 仲間達と楽し気に語らう、みちるとワトソンの二人。彼らが隠しているであろう何かを語ってくれる──その時が、近付いている。
 もう、とっくに夜は迎えている。しかし二人がそれについて口を開く様子はない。……それもそうだ。ワトソンはあの時、柚子とウィッチモンにだけ伝えると言ったのだから。

「柚子さん、どうしました?」

 顔を覗いてくる手鞠にハッとして、「何でもないよ」と笑顔を作る。

 明日、戦いに行く大事な仲間達。
 彼らを動揺させてはならない。怖がらせてはならない。悲しませてはならない。
 そんな名目で、自分達は──ブギーモンの死を始め、多くの事を彼らに隠してきている。今までも、そして今夜も。

「そうだ柚子さん。レオモンさんがね、今夜は特別に……寝る前にお菓子、食べて良いよって言ってくれたんです! 夜更かしはダメだけど……」
「なんだろうなーオレたち今日めっちゃ甘やかされてる気がする。おにーさんたちも今日は遊んでくでしょ?」
「……えっと、その。二人は……」
「あ、ボクらはパスで」

 すっぱり断る青年に、誠司が「えー」と声を上げた。

「ごめんごめん。ボクら、夕飯たかりに来ただけなんだよ。チーム亜空間には仕事が残ってるからね」
「いやー残念よー。アタシらも長居したかったんだけどさ! 今回はお見送りできませんので、はい。今からここがハイタッチ会場です」

 突然に始まる強制イベント。一行が初めて都市を出発した朝と同じ、彼女なりの激励だ。
 まずは誠司と軽やかに手を叩き合う。ユキアグモンも真似をする。手鞠は快く応じ、テイルモンも渋々とだが叩かせてくれた。──ベルゼブモンには親指を立ててエールを送ってみたが、反応は微塵も無かった。

「いやあ、蒼太くん花那ちゃん、なんだか感慨深いわねえ。あの時なんとなく声かけた子達がまさかね!」
「……俺たちも……夜にいきなり声かけてきた怪しいお姉さんと、今こうして一緒にいるなんて思いませんでした」
「次の日ちょうど『不審者に気を付けましょう』って朝礼で言われたんですよ」
「ほんと泣けるエピソードだわーアタシってばマジで不審者に思われてたかー!」

 蒼太と花那とは、ささやかな思い出を織り交ぜながら笑い合い、握手を交わした。

 ──そして

「コロちゃんガルちゃーん、我が命の恩人よ!」
「……あれ。僕たち何かしてあげたっけ?」
「ガルルモン、あの時だ。ブギーモン達が襲ってきた時の」
「おかげでアタシは生きてます! いつかお礼します!」
「そんな、いいよ。前の事だし、ごめん僕も忘れてたし……」

 みちるは大きく両手を広げて、コロナモンとガルルモンにハグをした。

「いいのさ、いいのさー。だってアタシが覚えてるからね!!」

 そして笑顔で、二人を抱く腕に少しだけ力を込めた。

 どうか皆、頑張って。健闘お祈りしています。
 ──ありふれた贈る言葉。みちるは、明日を迎える仲間達に捧ぐ。



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