◆ ◆ ◆
『不審者に気を付けましょう』
朝礼での担任の言葉は、なんだかとてもタイムリーだった。
蒼太の中でふと浮かんだのは昨日の少女。不審者とまで言うつもりはないのだが……。
「そーちゃん! なに考えてんの?」
と、突然。顔を覗きこまれ、蒼太は驚いて顔を上げた。目が合ったクラスメイトは歯を見せて笑う。
「誠司……」
「やっぱり昨日サッカー来なかったの後悔してんだろ! せっかく晴れてたのに!」
「あ、いや……そうじゃないんだけどさ。さっきの先生の話でちょっと」
「なんだよー! ……さっきのって不審者の? そーちゃん会ったの!?」
「多分違う……かも? うん。でもやっぱ、遅くまで遊ぶのは危険かなって」
「確かになぁ。物騒な世の中だよまったく! でもランドとシーとこれは別じゃね?」
そう言って、少年――海棠誠司は机の上に一枚のチラシを置いた。
「恐竜博? あ、そっか夏休みの」
「今年も行こう! ティラノ来るぜティラノ」
「ティラノ毎年いるじゃん」
「モササウルスも来るぜ!」
誠司は瞳をキラキラと輝かせながら、目玉である展示物の写真を指差す。
「やっぱさ、怪獣映画とかもいいけど、化石とかトカゲとかイグアナとかが一番だよな! 『生きてる』って感じするもん!」
……その言葉に、昨日の出来事を思い出す。
本当にそうだね、と言って笑った。
◆ ◆ ◆
「ねえ、花那ちゃん。もしかして、動物のお世話とか始めたの?」
「え?」
放課後の教室。帰り支度をしている花那に、クラスメイトの宮古手鞠が尋ねてきた。
「! ……な、なんで? 手鞠」
「帽子に動物の毛が……。その、いっぱい付いてたから……」
「え!? あ……ほんとだ……」
慌てて帽子を確認してみると、確かに銀色の毛が付着していた。ガルルモンに寄りかかった時に付いたのだろう。
「……えっと、ペットショップ行ったんだ。昨日の帰りに!」
「そうだったんだね。もしかして、お迎えするの?」
「いや、見てきただけ……。それでさ、子犬とか触ってきて」
「花那ちゃん、犬好きだもんね。……その、花那ちゃんちのワンちゃん……」
「長生きだったなぁ。私が生まれる前からいたんだよ」
半年前に大往生した飼い犬に思いを馳せる。まだ悲しみはあるが、怪我も病気もなく全うした事もあり、小学生ながら気持ちの整理はできていた。
……それが大型犬だったからか、ガルルモンには少しだけ面影を感じてしまうのは否めない。だが、自分が彼とコロナモンに会いたいのは、決してそれが理由ではなかった。
単純に、楽しいのだ。彼らと出会ってまだ一日二日ほどだが、それでも二人の話を聞くのが楽しくて、今日会いに行くのだってとても楽しみで。本当は家にランドセルを置きに帰らず、そのままあの廃墟へ行きたい位。
胸を躍らせ顔を上げる。──人が減った教室の窓に、それまでなかった雫が垂れ始めていた。
「雨……降ってきちゃったね」
「やば、天気予報見るの忘れてた。小雨ならダッシュでなんとかなるかな……」
「わ、わたし、置き傘あるよ。花那ちゃん使って。濡れて帰ったら風邪ひいちゃう」
「ありがとう! でも手鞠のは? もう一本持ってる?」
「わたし、今日はお母さんが迎えに来てくれるから……」
「迎え? ……あっ、今日って委員会あるんだっけ。忘れてた!」
「手鞠ちゃーん、そろそろ時間だよー」
廊下から声がしたので振り向くと、見覚えのある上級生が教室を覗いていた。確か、手鞠と同じ図書委員の人だ。
「柚子さん、今行きます! ……それじゃあ花那ちゃん、また明日ね!」
手鞠は慌てて荷物を持ち、教室を出て行く。花那は友人の背中に手を振りながら、ふうと息をついた。
それから、花那も教室を後にする。今日の掃除班の女子は自分と手鞠だけだったので、誰と合流することなく一人で下駄箱まで向かった。
「……あれ」
すると。下駄箱の傍に、よく知っている顔を見つける。
「蒼太、こんな所で何してるの」
「あ、花那。……いや、一緒に行こうと思って。ほら今日、図書委員会だし。宮古とは帰らないかもって」
「私は委員会あるの忘れてたから、手鞠と帰る気満々だったんだけどね」
「なんだよ。俺ちょっと恥ずかしいやつじゃん、それ」
蒼太はそう言うと、パンが入ったビニール袋を取り出して見せた。
「……まあいっか。早く行こう。あいつら食いしん坊だから、もうお腹空かせてるかもしれないし」
◆ ◆ ◆
天候のせいだろうか。まだ夕方にもなっていないのに、廃墟の中はひどく暗かった。
「……雨の匂いがする」
ガルルモンが、すんと鼻を鳴らす。
「コロナモン、外はどうなってる?」
二人は昨日よりも元気を取り戻し、コロナモンは歩けるようになるまで回復していた。
「少し、雨が降ってるよ。酷くなるかも」
「そうか。……じゃあ今日は、来ないかもしれないな」
ガルルモンはそれから、「ちょっと寂しいな」と呟いた。そうだねとコロナモンは微笑む。
「……俺たちのこと、友達って言ってくれたね」
「……うん。……人間と『友達』になれる日が来るなんて思わなかった。……──不思議だな。この世界に来て二日しか経ってないのに、もう随分、この世界にいるような気がしてる」
「まだ、ここの外にすら出てないのにね」
小さく笑い合う。この世界にやってきて、二人だけの時に笑ったのは初めてだった。
子供達がいない間、考えるのはデジタルワールドの事ばかり。
考えても考えても、自分たちが何をすればいいのかがわからない。
特別強いわけでもなく、特別な力を持っているわけでもない。知恵があるわけでもない。何もない。……自分たちは本当に平凡な、どこにでもいるようなデジモンだ。
「なあコロナモン、もしも」
ガルルモンが、灰色の空を見上げた。
「もしも、ダルクモンだったら……何て言ってくれただろう。今の僕たちに」
「……」
どう答えれば良いかわからず、コロナモンは口を噤む。
きっと笑ってくれただろう。笑って、自分たちが人間と知り合えた事を喜んでくれただろう。しかしガルルモンが求めているのはそういう事ではない。
現状の打開策だ。──この状況で、ダルクモンだったらどうしていただろう。何かの考えを出すとして、彼女だったら一体何を思いついただろうか。
何も成せないまま二日が過ぎ、三日が過ぎようとしている。和やかな空気の中でさえ、子供達といる時でさえ、焦りを感じずにはいられなくなっていた。
「……ごめん。忘れてくれ。……きっと雨のせいだ。どうも気分が沈んで」
「いや……」
コロナモンも空を見上げる。雨粒がさっきよりも大きくなっているように見えた。
「正直、俺も……」
後戻りはできない。逃げることも出来ない。選んで前に進むしかない。この命は、もはや自分達だけの物じゃない。
────今になってようやく、すべてを背負っていたダルクモンの気持ちがわかった気がした。
そして、何よりも思うのは──……
「……これは、独りだったら、絶対に無理だったな……」
ガルルモンはため息混じりに、乾いた笑いをこぼす。コロナモンは目線を落とした。
「……」
「……コロナモン。水をとってくれるか? 喉が渇いたんだ」
「わかった。これは確か、蓋を右に回せば……あれ?」
子供達の置いて行った水筒を手に取り、その軽さに思わず声を上げる。
「……空っぽか?」
「もう少ししか残ってない。……そうだ。確か屋根の上に出られた筈だから、雨水を汲んでくるよ」
「……ああ、ありがとう。濡れないように気を付けて」
「大丈夫だよ。少し待ってて」
そう言い残し、部屋を出ていく。その小さな背中を見送る。
小さい筈の背中が、ガルルモンには少しだけ大きく見えた。
「────だめだなぁ。僕ももっと、しっかりしなくちゃいけないのに。……なあ、ダルクモン」
とても遠くを見るような目で、空に向かって呼びかける。
「あいつも辛いのは一緒なんだ」
返事がある筈もない。
ざあざあと、雨音だけが空しく響いた。
──その中で、
ぱたぱたと、こちらに向かって走ってくる音を聞く。
コロナモンだ。振り向くと、息を切らせたコロナモンが水筒を片手に戻ってきた。
「ガルルモン……!」
その表情は、今までと打って変わって明るかった。ガルルモンはまさかと思い、耳を澄ませる。
雨音に混じって、小さな足音が壁に響くのを聞いた。
◆ ◆ ◆
「雨水はだめだよ」
コロナモンが屋上へ行こうとした理由を聞くと、蒼太が言い切った。
「雨水はだめだ」
「俺たち、よく飲んでたけど……」
「だって東京の雨、絶対デジタルワールドのより綺麗じゃないからな」
ガルルモンに寄りかかっている花那も、うんうんと頷く。
「酸性雨かもしれないし」
「水道が通ってればよかったのにねー」
蒼太と花那は、買ってきた水を水筒の中に補充する。持って来た鍋にも水を入れると、花那はガルルモンに差し出した。
「お皿じゃガルルモンには小さいもんね」
「ありがとう花那。それより……こんなに雨が降っているのに、二人とも濡れてないんだね」
不思議がるガルルモンに、花那は「ちゃんと傘さしてきたから」とピンク色の傘を見せる。
「借りたやつだけど!」
「デジタルワールドって傘ないの?」
「……大きな葉っぱとかは使ってたけど……そういうのは無かったかな。都市にはあったのかもしれないけど……俺たち、行ったことがないんだ」
「そっかー。デジモンの街かあ……。私、行ってみたいなー、デジタルワールド!」
「他のデジモンに会ってみたいよなぁ」
「空気もすっごくおいしそうだしねー」
「……」
────晴れ渡る空。
燃える夕陽。星の降る夜。
広がる草原。灰色の荒野。冷たい岩場。森の中。数え切れない町や集落。
そこで出会ったデジモン達。出会ってきた敵と味方。
そしてまだ見ぬ世界。まだ見ぬデジモン達──何もかも、一体どんな姿をしているのか。
デジモン達が子供達に語るのは、彼らの愛したデジタルワールド。まだ黒い水に侵されていない時の、ありのままの世界の姿。
子供達は、話通りの世界を思い浮かべて恋い焦がれる。
その姿を微笑ましいと思う一方、僅かなもどかしさが二体の胸を過った。
「あ、そういえばさ」
思い出したように蒼太が言う。
「昨日言ってたゲートって、どこでも勝手に開くもんなの?」
「そうそう。もしそうなら、他のデジモンもこっちに来てるかもしれないねーって話してたんだよね」
「自由に行き来できるんなら、俺たちもいつか行ってみたいよなぁ」
他のデジモン。──その言葉に、ガルルモンは息を呑んだ。
「────そうだ……」
何故、そんな事にすら気が付かなかったのか。
「……聖なる力を持つデジモンなら……必要な道具さえあれば簡単に……」
ガルルモンの言葉に、事情のわからない子供達はただ首を傾げる。
「開けられるって、言ってたんだ……」
「……ガルルモン、それは」
ダルクモンが言ったの?
そこまでを、言葉にする事は出来なかった。
「──神聖デジモンは他にもいる。ダルクモンと同じようにリアライズゲートを開いて、こっちの世界にやってくるデジモンがいてもおかしくないんだ……!」
「……じゃあ、そういうデジモンたちと接触ができれば……もしかしたら……」
「待って待って! 話がわかんないよ」
間に挟まれていた花那が声を上げて、デジモン達がはっとする。
「えっと、つまりどういうこと? ゲートは勝手には開かないの?」
「……コロナモンたちの事情、俺よくわからないけど……結構大変だったりする……?」
「その……うん。他にもデジモンは来てるかもしれなくて、俺たちはそのデジモンに会いたいんだ」
「逃げて来たなら、僕らの仲間になってくれるかもしれないし……」
しまったと思い、なんとか誤魔化す。子供達は少し不振がりながらも
「……じゃあ、私たち、また新しいデジモンに会えるかもってことだね!」
新たな期待に胸を躍らせた。
「それってお前たちに会った時みたいに、緑色の光を探せばいいのかな」
「あれ、でもどうやって探せばいいんだろう」
「誰かに先に見つかっても大変だしなぁ」
ならば定期的に、アニメの子供達のようにパトロールでもするべきなのか。そうなると放課後か休日しかできない。
「んー……まあ、こっちでも色々探してみて、何かあったら俺たちから連絡するよ! コロナモン、携帯もう使える?」
「う、うん。一応、電話くらいなら……」
「練習してみよっか。私がかけるから、コロナモン出てみて! ……あ、ちょっと待って。メッセージ来てる」
「そういえば二人とも、ケータイは知らないけど電話は知ってたんだな」
「……僕たちの住んでいた所に、一つだけあったんだ。壁にくっついてるやつだったけど」
「電話線とか電柱はあるのか……。ってことは、旅する前は町に住んでたの? ちっちゃい町とか」
「……いや、……──俺たちが、住んでいた里は……」
「蒼太」
会話を断ち切るように、花那が蒼太の名を呼んだ。携帯を握りしめながら、焦燥と喜びと困惑の混ざったような顔でこちらを見ている。
「何?」
「ねえ、ありえない……」
「は?」
「こんなの、だって」
「な、なんだよ花那。どうしたのさ」
「だってこのタイミングで……」
「だから何だって。メッセ誰から?」
「手鞠が」
蒼太から、自分を心配そうに見ているデジモン達に視線を移す。
「手鞠が……ゲート、見たかもしれない……」
◆ ◆ ◆
──委員会のある日は、お母さんが迎えに来てくれる。
雨が少し強くなった頃、宮古手鞠は母と共に帰路についていた。
「手鞠ちゃん。今日は遅かったのね」
「うん。本の整理が長引いちゃって……」
「お母さんがいるとはいえ、遅くなるのは危ないから。なるべく早く帰してもらいなさい」
母は過保護だと、友達や保護者にはよく言われる。手鞠自身にも多少の自覚はあったが、別に理不尽に何かを言われる事もないし、特に苦には思っていない。
それに実際、薄暗い道を一人で帰るのは怖いのだ。
「……あれ? お母さん、あれ何だろう?」
ふと顔を上げると、遠くの空が緑色に光っていた。母が目線で追った時にはもう、光は消えてしまっていた。
「どうかしたの?」
「う、ううん。なんか空が光ったような気がして……」
「誰か花火でも上げたのかしら。危ないわねまったく」
雷や花火の上がるような音は聞こえなかった。
──何だったんだろう。
「こら。携帯はお家に帰ってからにしなさい」
オーロラみたいで綺麗だったな。後で花那ちゃんに教えてあげよう。
第三話 終
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