◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 この街は面白い。
 新興住宅が並ぶ地域と、廃墟やボロアパートが並ぶ地域。それらが同じ名前の区に詰め込まれていて、まるで社会の縮図のよう。

 当然アタシが暮らすのは後者だ。東京は地価が高すぎて、条件なんて選んでられない。でも問題無い(モーマンタイ)さ! アタシはアウトドア派なので、家の中より外に充実さを求めるタイプなのです。
 そんなわけで、今日も面白そうなものを探しに広い街を散策する。寝ている家族を置き去りにして、ちょっぴり探偵の気分になりながら。

 無駄に広さのある公道は、平日昼間限定でアタシだけのランウェイになる。
 鼻歌交じりに闊歩しながら、横に広がる駐車場の空席具合を確認。次に出迎えてくれた賃貸物件はアタシの家以上にオンボロで、既に取り壊しのテープが貼られていた。
 そして──それらの向こうに位置する雑居ビルは、数年前から全階テナント募集中。
 運良く変な奴らの溜まり場にはなっていないみたいだけど、どうやら近頃は小学生の肝試しの場になったらしい。

 近頃というか、昨日。

 あの子供達を思い出した。自分より少し背の小さな男の子と女の子。この辺に子供なんて珍しいから、アタシは興味津々だ。

 今日もまた会えないかな、なんて思いながら、空を見る。
 遠くに雲がかかっていた。これは雨が降るかもしれない。……しまった、傘を忘れてきた。どこかに憐れな捨て傘でも落ちていないものか。

 雲のある方角に、今度はオーロラのような光を見た。



 今となってはもう、どうでもいいものだ。








*The End of Prayers*

第四話
「オーメン」






◆  ◆  ◆



 雲から零れる雨粒は、少しずつ小さくなっていた。

「それにしてもさ、コロナモン」

 太陽の光が遮られた薄暗い道を、蒼太はコロナモンを抱えて走る。宮古手鞠が見たという、光の発生場所へ向かう為に。

「花那も言ってたけど、タイミング良すぎない?」

 濡れたアスファルトを叩く靴音は一つだけ。花那は「まだ具合の悪いガルルモンを連れ出せない」と廃ビルに残った。

「それは……ゲートが開いたこと?」
「うん。丁度俺たちが話してた時でさ、見たのも知り合いだったし……」
「きっと偶然だよ。……それか、俺たちが思ってる以上にゲートが開いてるか……」
「ゲートがたくさん出てるなら、デジモンもたくさんいるんじゃないの? 学校だとデジモンのことまでは噂になってなかったよ」

 光が本当にリアライズゲートであり、デジモンも同時に現れていたなら──街でそれらしい姿を見かけてもおかしくない筈。けれど蒼太も花那も、学校の生徒達も、そんなもの一体だって見ていない。
 蒼太の言葉は尤もだと、コロナモンは眉をひそめた。……この世界で何が起きているのか。とにかく光の場所へ辿り着けば、自ずと答えも分かるだろう。

「……それより蒼太。腕、疲れてない? まだ距離があるみたいだけど……」
「平気へーき。コロナモンが走ってる所、誰かに見らたらヤバいからさ」
「着いたらすぐ下ろしてくれていいよ。先に俺が行って様子を見て来る」
「わかった。……デジモンいるかなあ。いるなら早く会いたいな。コロナモンもガルルモンも、仲間がいたら心強いだろうし」
「……」

 コロナモンはただ、それが敵でない事を祈るばかりだった。
 恐らくは自分達と同様、黒い水から逃れた者達。同じ毒の犠牲者。だからと言って、彼らが自分達に牙を向かない保証は無い。
 ゲートが開いたのは二時間ほど前らしい。なら、肉体にはゲート越えによるダメージが残っている。万が一成熟期相手の戦闘になったとしても、一方的な不利は取らない筈だ。

 ────守るべき蒼太(もの)が傍にいる今、失敗は絶対に許されない。

「コロナモン? どうしたの?」
「……ううん、なんでもないよ。……仲間になれるといいなあ。本当に」




「見たかったかい? 新しいデジモン」

 ガルルモンの問いに、花那は「ちょっとだけ」と携帯を開く。蒼太からの連絡も、手鞠からの新しい情報もまだ無い。

「蒼太が写真、送ってくれるって言ってたし。大丈夫だよ!」
「……残らせちゃってごめんね。でも、ありがとう」
「気にしないでガルルモン。具合悪い時に一人ぼっちなんて寂しいからね」
「…………」

 花那が自分の為に残ると言った時、自分とコロナモンは止めなかった。むしろ是非、と彼女を此処に留まらせたのだ。
 もしもの事があれば、コロナモンだけで二人を守り切るのは恐らく難しい。けれど一人ずつならきっと、逃がして生かす事も可能だろう。

 ────そんな“もしも”なんて。起きない事を願うばかりだが──。

「ガルルモン?」
「え? ああ、いや。……どんなデジモンに会えるのかなって、考えてたんだ」
「早く連絡、来ないかなぁ。ガルルモンたちみたいに友達になれたらいいよね。こんな人間ばかりの世界に二人だけなんて、結構不安じゃない?」
「……ない、と言えば嘘になるけど……最初に会えた人間が君たちだったからね。それで大分救われてる」
「……確かに。悪い人間だったら、今頃変な所に売られてたかもしれない……」
「売られる!? それは怖いな……」
「私もね、二人が良いデジモンでよかった。怖いデジモンだったら私たち……」

 言いながら、花那の顔に不安の色が浮かんでくる。……ガルルモンは言ったのだ。彼らが逃げて来た理由は「強くて悪いデジモン」に襲われたからだと。

「……ガルルモン。蒼太たちの会うデジモン、危なくないかな」
「……」
「蒼太たち、大丈夫かな」
「……大丈夫。コロナモンは……あいつは僕に守られることも多かったけど、成長期にしては結構強いんだ。蒼太のことはちゃんと守ってくれる」
「……二人とも大丈夫じゃないと嫌だよ」
「先に蒼太を逃がすだろうけど、コロナモンも逃げ足はなかなかだ」
「うーん。でもなー。やっぱ私のが良かったのかなあ」
「どうして?」
「だって私の方が絶対、蒼太より速く逃げられるもん」
「……花那は足が速いの?」
「そう! 私ね、走るのすっごく得意なんだよ。毎年リレーのアンカーなんだから!」
「じゃあ、二人が近くまで戻って来たら、その足で迎えに行ってあげよう。きっと仲間のデジモンも一緒で、蒼太が疲れてるかもしれないからね。……心配ないよ。コロナモンたちを信じてあげて」
「……うん」

 携帯を見る。連絡はまだない。携帯の電源を付けては消し、付けては消しを、しばらくの間繰り返す。ガルルモンはその様子をただ見つめていた。

「────ごめん」
「え!? どうして?」
「君たちを、巻き込んで」

 黒い水の事ではなく、自分達「デジモン」という存在そのものに。

「ガルルモンってば変なこと気にするね。私たち、自分から首つっこんだのに」

 花那はきょとんと首を傾げた。

「……危ないことも、もしかしたらあるかもしれないけど……ガルルモンやコロナモンと友達になれたことのが大きいんだよ。多分、蒼太も同じ気持ち」

 それから笑って、花那はガルルモンの額を撫でた。触れた掌に、相変わらず小さな刺激感が走る。

「あ、まただ。……このピリピリ何なんだろ?」
「……その事なんだけど、花那。一つ聞いてもいい?」

 手の感触に、覚えがあった。
 “彼女”のよりも少し小さな、けれど似た形の手。

「最初に会った日、倒れてた僕を撫でていてくれたのは……どっち?」
「ん? 私だよ。蒼太、コロナモン抱っこしてたもん」
「……そうか」
「ガルルモンは大きくて、コロナモンはちっちゃくて、なんか凸凹で面白いよねぇ」

 ぐりぐりと撫で回されながら、ガルルモン「そうだね」と笑う。

「……蒼太のことは大丈夫だ」

 そして、視線だけは真っ直ぐに花那へと向けた。

「蒼太のことも花那のことも大丈夫だ。僕とコロナモンが、絶対に守るよ」
「……うん。わかった」

 花那は笑顔で「ありがとー」と。ガルルモンを撫でる手を止めなかった。




◆  ◆  ◆



 蒼太とコロナモンが到着したのは、町内でもよく知られた防災公園だ。
 雨が降っていたせいか、幸いにも人はいない。それでも周囲に気を付けながら、蒼太はコロナモンを地面に降ろした。

「宮古の話で公園って言ったらここしかないけど……どこだ……!?」

 面積自体は広いが、その大部分は芝生の平地である。見回して見つからないなら、それ以外──植え込みか竹林、もしくは駐車場だろう。

「でも、生き物の気配は感じるよ。君たち人間のとは違う……デジモンか、この世界の生き物かは分からないけど……」
「それなら手分けして……」
「だめだ。蒼太、君は俺の後ろにいて、離れないで」
「……わ、わかった……」

 コロナモンは感覚を研ぎ澄ませる。雨の匂いが邪魔をする中、必死に気配を探り──公園の西部に範囲を絞る。走り出した彼を、蒼太は緊張しながら追いかけた。
 植え込みを覗く。木と木の間を覗く。──誰もいない。コロナモンの視線は、やがて園内のとある建築物に向けられた。

「……これって、公園の管理棟じゃ……しかも電気ついて……」
「蒼太、ここで待ってて」
「!? ……まさか、ここにいるの? 中に人間いるのに!?」
「多分、建物の外だ。……確認してくる。デジモンじゃなかったら戻ってくる。もしデジモンで、大丈夫そうだったら呼ぶ」
「大丈夫そうって?」
「……危ないデジモンじゃない、とは……今はまだ言い切れないんだ。もし敵だったら声をあげるから、その時はすぐ走って逃げてね。向こうはあまり動けないだろうから、大丈夫。助かるよ」
「でもそれ、コロナモンは……」
「……俺も大丈夫。ガルルモンほどじゃないけど、逃げ足は一流だ」
「で、でも……」

 まだ何かを言いたそうな蒼太を残し、コロナモンは管理棟へ向かった。
 目を閉じて、感覚だけを頼りに進む。……雨と排気ガスの臭いに紛れた生き物の気配。小さく微かだが、確実に感じる。一歩進む度に近付いていると分かる。

「……」

 目を開ける。
 建物の脇、鉄のフェンスに区切られた空間。鍵は無防備にも開けられたままで、コンクリートの細い道が続いている。
 その道を進み、建物の裏手に回った。隅には低木が規則的に植え込まれていて────、

「────」

 その植え込みの中に、白い姿を見た。
 コロナモンは恐る恐る、ゆっくりと近寄って、枝葉をかき分け────息を呑む。

 初めて見る生き物だった。
 頭には一本の角と、体よりも大きな耳が生えている。自分と同じくらいの大きさの白い獣。
 初めて見たが、本能はそれが同族である事を即座に理解した。

 デジモンだ。
 ──ああ、同じだ。自分達と。

 酷く衰弱したそのデジモンは、コロナモンに気付くとゆっくり目を開ける。生気を失った瞳が、コロナモンの姿を捉えた。

「……デジ、モン?」

 それから、掠れた声で問われる。
 コロナモンは無言で頷く。名も知らぬデジモンは一瞬、瞳に輝きのようなものを宿すと、小さな手をコロナモンへ伸ばしてきた。

 震えながら、縋るように。
 その姿はまるで、この世界に来た日の自分と重なるようで──

「────蒼太……っ!!」

 気付けばコロナモンは、その小さな手を強く掴んでいた。それから助けを求めるように声を上げ、蒼太を呼んだ。

「蒼太来てくれ……! こっちに来てくれ、早く! ここにデジモンがいるんだ! このデジモンは大丈夫だ!!」
「……き、君は……」
「コロナモンだ! 君は!?」
「…………テリアモン……」
「テリアモン! 今助けるよ!」
「…………」
「大丈夫……大丈夫だ! 仲間の所に連れてくから……!」
「……」
「コロナモン!! 危ない奴じゃなかったんだな! 良かっ──」

 呼ばれるがまま嬉しそうに走ってきた蒼太は、テリアモンの姿を見た途端に言葉を失う。

「……え?」

 出会った時のコロナモンと、ひどく姿が重なった。

「なあ蒼太、この子を治せる!? 俺の時と同じようにテリアモンを……!」
「!? で、でも俺……どうやってお前のこと治したか、自分でもわからなくて……!」

 それでもあの時と同じように、蒼太は恐る恐るテリアモンを抱き上げる。
 その質量は、外見に対して異常に軽く感じられた。コロナモンの時には感じた、あの電気のような刺激も無い。

「…………あ……」

 ──それは直感だった。
 自分ではきっと、このデジモンを治せない。

「…………ご、ごめん。コロナモン……俺じゃ……」
「……! ……蒼太が謝る必要なんてないんだ。俺こそ、ごめん。でも絶対助けよう……!」
「もちろんだよ! ……テリアモン、大丈夫?」
「……」

 テリアモンはぐったりと目を閉じたまま、何も言わない。

「花那に連絡する! あいつが使ってた動物病院に頼んで診てもらおう! ちょっとくらい何とか出来る筈だよ!」

 蒼太はテリアモンを抱いたまま電話をかけた。一回目の呼び出し音の後、花那の声が聞こえてくる。
 電話越しのやり取りを聞きながら、コロナモンはもう一度テリアモンの手を握った。テリアモンはその手を握り返すことなく──しかし、ゆっくりと口を開いた。

「は、……話……」
「……え?」
「今……少しで、いいから」
「──! 切るの待って花那。ガルルモンにも聞こえるようにして! テリアモンが話あるって……!」

 テリアモンの口元に携帯を寄せる。テリアモンの声は掠れていて、ひどく聞き取りづらかった。

「君も……君たちも、逃げてきたの……?」
「……うん。俺たちも、逃げてきた」
「……私たちは、ピッドモンが……都市の天使が、助けてくれて……」
『──都市のデジモンが?』

 ガルルモンが驚いて声を上げる。電子音に変換されたそれに、テリアモンが反応した。

『いきなりごめん。僕はガルルモンだ。君は……テリアモンと言ったね』
「……ガルル、モン……」
「さっき言った仲間だよ。俺と一緒に逃げてきた」
「……仲間……そう、仲間。ピッドモンは……仲間を、天使を探して……私たちも一緒に……」
『……僕たちを導いてくれたのも、天使型のデジモンだったよ。……ダルクモンっていう、とても素晴らしい天使だった』
「俺たちは故郷から逃げてきた。故郷は、天使の里って呼ばれてたんだ」
「……」

 テリアモンは少しばかり口を閉ざす。何かを考えているようだった。

「……──あそこの、生き残り……」
「! 知ってるの!?」
「ピッドモンと、行ったから……。……でも、誰もいなくて……」
「……」
『……そうだね。あの里は、僕たちが最後だったから』

 しかし汚染された里に行って無事というのは、ピッドモンは流石天使型といった所だろうか。
 それだけ強いならきっと成熟期だ。仲間を探しながらテリアモン達を助けて、聖なるデジモンとしてリアライズゲートを──

「──ねえテリアモン、ピッドモンは? ピッドモンはこっちに来なかったの?」
「……ピッドモンは……皆は、一緒に……」
「……、一緒に?」
「……ああ、そっか……。君たちはきっと、強いから……生き残って、ここでも」
「待って、テリアモン。ピッドモンと来たって、皆と来たって言うなら、どうして君だけしか」
「……すごいね。もう……半月もこの世界で生きてるなんて(・・・・・・・・・・・・・・・)……」

「──────え?」

 一瞬、理解が出来なかった。彼女が何と言ったのか。

 いや、

「半月、って?」

 今でも、理解が。

「……コロナモン?」
『ガルルモン? ……ねえ、どうしたの?』

 コロナモンは動揺を隠せない。電話の向こうのガルルモンも同じようだった。

「なあテリアモン。コロナモンたちが来たのは三日前だよ。そんなに経ってない」
「……? じゃあ……ずっと、デジタルワールドを……逃げてたんだね……」

 違う。
 ──それは、違う。

「……」

 テリアモンは呼吸を整えるように、何度も大きく息を吸おうとしていた。蒼太が心配そうに背中を撫でる。
 そんな二人を前にして、コロナモンはただ

「……どうして」

 茫然と呟いた。

「どうして……。……ダルクモン、俺たちは……」
「……コロナモン。コロナモン!」

 蒼太が突然、慌てたように声を上げた。コロナモンとガルルモンがはっと我に返る。

「なんか、テリアモンがさっきより軽いよ……!」
「……軽い……?」

 ────まさか。

「どうしたんだよ! しっかりしろって!」
『!? 蒼太? 何が起きてるの!?』
「テリアモンが変なんだ! 急に……」
「──花那。ガルルモンに電話を」
『え!? でも、病院にも連絡しないと……!』
「いいんだ。……お願い、ガルルモンに」

 コロナモンの言葉に、花那は嫌な予感を覚えて──ガルルモンに目をやった。
 ガルルモンは黙ったまま、電話に顔を寄せる。機器の向こうから、テリアモンの荒い呼吸が聞こえて来た。

『……──テリアモン。君は、なんて無茶を』
「な……なんでも、いいから……話したかったんだ。話を、したかった……」

 テリアモンは弱々しく、コロナモンの手を握り返した。

「付き合わせて……ごめん……」
「そんな事ないって……! なあ、テリアモンと戻ろう。花那とガルルモンが待ってる!」
『蒼太……! ねえ、コロナモン!! ……ガルルモン……、何で……』

「……でも、私……わかって、良かった」

  テリアモンは小さく微笑む。
 コロナモンはもう一方の手で、テリアモンの手を優しく包んだ。

「…………それは、何を?」
「生きてる……仲間がいたって……。……会えて、よかった」
『……僕たちもだよ』
「私たちは……──デジモンは、この世界でも……生きられる……」

 どんどん軽くなる小さな身体。蒼太は泣きそうな顔で、もうどうしたらいいのか分からなくなって、ただ声を掛けることしかできなかった。

「そうだよテリアモン……! この世界でも大丈夫なんだ。コロナモンもガルルモンも治ったんだ! だからお前だって……」
『ねえ、もう連れて来ようよ! ご飯だって、水だって毛布だって……ほら、救急箱だってあるよ……!』

 テリアモンの手から力が抜けていく。離れないように、コロナモンがしっかりと握りしめた。

「最初から、わかってたんだね」
「……驚いたんだ、自分でも……。……私の体、こんなに、保ってくれた……」
「……」
「ああ、……私……ひとりぼっちじゃ、なかった」
「……ひとりじゃないよ。俺たちが、ここにいるから」
「話せて、良かったなあ」
「うん」
「デジモンに会えて、良かったなあ」
「……うん」
「わ……わ、私……私たちは、皆、駄目、だったけど」

 テリアモンは瞼を開き────力強い眼差しを、コロナモンへと。

「君たちは……どうか、頑張って……が、頑張れ。頑張れ……」
「……うん。……うん……!」
「頑張れ……お、お願い、……だ、から」
「わかったよ……わかってる……!」
「頑張って、が、頑張って、生きて……どうか、生きて、頑張って……!!」


 次の瞬間。


 腕の中に確かにいるのに、蒼太はその質量を一切感じなくなった。
 テリアモンはコロナモンを見つめたままの状態で────全身から光を放つ。


 小さな身体は、大量の光の粒となって弾け飛んだ。


「……」

 コロナモンは俯いたまま何も言わない。
 蒼太はただ茫然と、光が舞いながら消えていくのを見つめていた。

 ──電話の向こうからは声は聞こえなかった。
 ただ、「ツー、ツー」という電子音だけが、空しく聞こえていた。




◆  ◆  ◆



 廃墟の床に、開いた状態の自由帳が無造作に置かれている。
 そこにはテリアモンの絵が描かれていた。テリアモンを見られなかった花那とガルルモンの為に、蒼太が記憶を頼って描いたものだ。

 けれど描いた本人と、それを目にした少女はもういない。
 廃墟の中には今、デジモン達が二体だけ。

「傷付けちゃったかな」

 誰もいない外を眺めながら、コロナモンが呟いた。

「……テリアモンのこと?」
「それもだけど……帰る時、もうあまり来ない方がいいって言ったから」
「……仕方ないさ。……あの子たちの顔を見ただろう。誰かが傍で死ぬのは、誰だってきっと悲しいよ」
「……うん。そうだね」
「このまま関われば、もっと悲しい思いをさせるかもしれない。辛い思いだって。……僕は、もう巻き込みたくないんだ」
「……俺もだよ。これ以上巻き込む前に……あの子達を元の生活に戻してあげた方がいい。デジモンなんていない、人間の暮らしに」

 あの子達の事は好きだった。だから正直、こうして遠ざけるのはとても寂しい。
 けれどこれ以上関わる事が、彼らを傷つける結果を招くと言うなら────あの子達を守る為に、いっその事。

「……。……僕はあまり動けない。コロナモン、とりあえずの食料の調達は頼んでいいかな」
「もちろんだ。なるべく見つからないようにするよ。お互い体力も付けないと……」

 コロナモンは空を見上げる。暗雲は未だ晴れず、薄暗いまま。

「……ガルルモン。テリアモンの、言ってたことなんだけど」
「…………ああ」
「聞こえてた?」
「……聞こえてた。ちゃんと、全部だ」
「俺たちがここに来たのは……間違いなく二日前だ。今日で三日目……」
「……」
「……だって俺たち、この目でさ。皆の最期を見て……そのままこっちの世界に来たのに……。そんな事、あるわけない……」

 仮にこの廃墟で何日も気を失っていたというなら、納得できる話ではある。
 だが、蒼太と花那がリアライズゲートの出現を目にしている以上、それはあり得ないのだ。

「……コロナモン。お前は僕が起きた後、この世界と向こうとで時差があるって言ったね」
「……言ったよ。時差があるのは間違いない。でも……」
「こっちの世界の方が、時間の流れがずっと遅いって事は……?」
「────」

  ガルルモンの予想を。コロナモンは信じられなかった。だが、否定し切り捨てる事も出来なかった。

「……俺たちがここにいる間、テリアモンたちは天使の里に行って……それからも毒から逃げて、やっとこの世界に逃げて来たんだね」

 コロナモンは落ちたままの自由帳を拾う。蒼太の描いたテリアモンの絵を、じっと見つめた。

「……助けられなかったなあ」
「……」
「テリアモン、一人じゃなかったんだ。他にも仲間がいて一緒に来たのに……」
「……ゲートを越えた時のダメージに身体が耐えられなかったんだよ。……僕たちにはどうしようもなかった」
「天使型のデジモンだっていたんだ……。……ダルクモンと、同じ……」

 自由帳のページを閉じる。

「……どうして、俺たちはこんなに生きていられるんだろう」

 ガルルモンは遠い空を眺めながら、「きっと、運が良かったんだ」と言った。



◆  ◆  ◆



 蒼太と花那は普段よりも遅い足取りで、もう暗くなってしまった道を行く。
 肌にまとわりつく温い空気は、じめじめと湿っていて不快だった。

「……ごめん」

 重い静寂の中、蒼太が小さな声で言う。

「……どうして?」
「テリアモン、会わせてあげられなくて」
「……蒼太は悪くないよ」

 すぐに廃ビルへ連れて来たとしても、病院へ連れて行ったとしても。
 きっと、テリアモンは耐え切れなかっただろうと思う。

「……コロナモンたちってさ。たくさん見てきたのかな、今日みたいなこと」
「……わかんない」
「怒ってないかな。俺、二人の邪魔とかしちゃってたかな。……あいつらのこと、事情とか……全然知らなくて。……俺たちに言ってたのだって、きっと本当のことじゃないんだ」

 テリアモンに対し、コロナモンは故郷から逃げたと言っていた。自分達には悪いデジモンに襲われたと言っていたのに。
 けど、それを問うことはできなかった。どうして二人は自分達に嘘を言ったのだろう。二人もテリアモンも、本当は「何」から逃げて来たのだろう。

「……待ってる時、ガルルモンがね。巻き込んでごめんって言ってたの。それでね、私たちのこと守るって言ってくれたんだよ」
「……そうなんだ」
「だから私……信じたい。二人が、私たちを嫌いになったんじゃないって。嘘つかなきゃいけないくらい、何か事情があるんだって」
「……そうだね」

「あれーっ。キミたちだ!」

 その時。湿った空気に割り込むような、能天気な声が聞こえてきた。
 薄暗い道の先には、先日「みちる」と名乗った不審な少女。透明なビニール傘と白いビニール袋を手に、大袈裟な素振りで駆け寄ってくる。

「昨日ぶりだねー!」

 へらへらと笑うみちるに対し、二人の表情はとても苦い。

「今日は大分遅くまでしてたんだね、肝試し!」
「……俺たちに、何か」
「別に用事なんてないけどさ! なんか暗い顔してるね? よくわかんないけど元気出しなよ!」
「……わ、私たち……もう行くんで……」
「そうだねー。もうこんな時間だし。最近物騒みたいだし? 小学生キッズは早く帰った方がいいんだぜ!」

 みちるは道の脇に寄り、どうぞどうぞと道を空ける。二人が警戒しながらすれ違った瞬間、「あ、そーだ!」と声を上げた。

「家帰ったらさー、窓から外、見てみなよ! 運が良ければオーロラ見れるかも!」

 通り過ぎた二人の足が止まる。振り返ると、みちるは相変わらずの笑顔だった。

「あれ、知らない? オーロラの話。最近この辺でも出るんだって。夜に見れたら綺麗だから、きっとキミ達も元気になれるよ!」

 蒼太は顔をしかめた後、どうもと軽く会釈をして背を向けた。何か言いたげな花那を促し、足早にその場を去る。みちるは「またねー」と手を振りながら、二人の背中が小さくなるまで見送った。
 そして、誰もいない道でひとり。

「見れるといいねえ」

 コンビニのビニール袋を揺らしながら、蒼太達の歩いて来た道を進んで行く。

「アタシも早く帰ってー、ご飯にしよーっと!」







第四話  終





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