◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
遠い思い出。
それは、雲一つない青空が広がる日。
太陽が眩しくて暑い、夏の日だった。
「ここの施設ともサヨナラだねぇ」
大人の事情で施設を追われ、新しい場所を探すことになったボクら。
役所と施設の大人達が話し合う中、他人事のように遊びに行く。
「あーあ。ここ、そんなに嫌いじゃなかったんだけどなー」
「たらい回しも疲れるね。いっそ出ていって、自分達で稼いだ方がいいんじゃないの」
「働きたくないでござる。それにまだ義務教育のお年頃ですので」
どこかの田舎にあった施設。隔離されているわけではないのに、周りには広大な自然を除いて何もない。
もうすぐ旅立つのだから、せっかくなので付近を探検しようと彼女に言われた。こんな田舎にも何かあるかもしれないと。
……正直に言えば、早く切り上げて涼しい場所に行きたかったのだが。
「またそうやってムスっとしてー。何か大発見するかもしれないじゃん!」
背の高い雑草が茂る草原。車の通らないトンネル。
砂利道。林の中。獣道。ここは一体どこだろう?
みちるは何も言わず、ただ楽しそうに前へ進む。ボクはその背中を眺めて歩く。
いつもみちるが先を行って、ボクはゆっくりと後を追う。昔から、ずっとそうだった。
「──あ、見て! ホントに大発見かも!」
突然みちるが足を止め、声を上げる。
「ひまわり畑だ!!」
ボクよりも背の低い彼女の向こう。広がる黄色い花の大地。それは夏空の下で輝いていた。
みちるがボクの手を引く。そのまま、踊るように走り出す。
「ねえ、もっと楽しそうにしたらいいのに」
弾ける笑顔は陽に照らされて眩しくて、思わず目が眩みそうになる程。
「せっかく生きてるんだから、アタシ達は」
空は碧くて綺麗だった。
太陽はあまりにも輝いていた。
草のにおいが、風に乗って頬を撫でた。
────そんな、ある夏の日。数少ない、楽しかった思い出の一つ。
ボクらは二人、命溢れる花畑で踊る。
*The End of Prayers*
第三十話
「約束」
後編 ― 静かな夜に ―
◆ ◆ ◆
薄緑色のゲートを抜ければ、そこには見慣れた部屋が広がっている。
古びたアパートの一室。小さいながらも立派な基地。
「ようこそマグナモン。ワタクシ達の亜空間へ」
亜空間の主は黄金の騎士を招き入れる。
部屋の空間を更に狭める豪華な鎧が、白熱電球の明かりを反射し壁を照らしていた。
「……立派ですね。外部と隔絶する個の空間として確立されながら、リアルワールドとデジタルワールドを中継している。……本当に、貴女達がいてくれて良かった。おかげで作戦の成功率も上がりましょう」
「お褒めに与り光栄デスわ。生憎、ゆっくりとお茶を出す余裕はありまセンけれど」
時間的にも、空間的にも。
和やかな時間は終わり、あとは、最後の戦いに向けて備えるのみ。
早速取り掛かろうとするマグナモンとウィッチモンを、柚子はどこか落ち着かない様子で見つめていた。声をかけようとして、躊躇って──それに気付いたマグナモンに「どうしましたか?」と問われ、更に焦った様子を見せる。
「何か、気になる事が?」
「…………」
──せっかく二人が、真実を話してくれる気になったのに。このままでは話せないまま有耶無耶になってしまう。
けれど、マグナモンの調整を後回しにする事もできない。今から行う準備は、大事な仲間達の命に関わるものだ。自分の「知りたい」というだけの我儘で、貴重な時間を割くなんて事は──
「────ああ、そうだ。その前にちょっといいかな」
マグナモンを呼び止める青年の声。柚子は、顔を上げて振り返った。
「この子達に話しておかなきゃいけない事があって」
「…………わ、ワトソンさ……」
「ほら、約束だったし。今やらないと多分、機会無くなっちゃうから」
約束を、ちゃんと果たそうとしてくれている。
それが、少しだけ嬉しかった。──同時に、彼らに抱いてしまう疑念が溢れて、ひどく気が重くなる。
でも、大丈夫。何を言われたとしても……多少の事ならきっと、受け入れられる。
柚子は自分に言い聞かせて、覚悟を決めた。前を向く青年の横顔を見上げた。
マグナモンは目を丸くさせていた。
それから「それは、もちろん構いませんが……」と言って、首を傾げて──
「────それより、まだ話していなかったのですか?」
少しだけ、呆れたように。青年と少女に言ったのだ。
「食堂でお会いした時の様子から、まさかとは思いましたが……」
「そのまさかですけどー? ていうか前もって話してたら、キミが出てきた時に『あ、あなたが噂の!』ってなるじゃん。……で、そういうワケなんだけどさ、時間へーき?」
「多少であれば問題ありませんよ。二人の望むようにすれば良い」
マグナモンは、まるで旧来の知人のような口ぶりだ。
どうして彼らだけで会話を進めているのだろう。おかしいな。──そんな疑問が柚子の中で渦巻いて、彼女の鼓動を早めていく。
「そうだなあ。どこから言おうか」
青年は悩む素振りを見せる。いつもと同じ、淡白な表情で、
「まあでも、今の流れで察してくれたかな。ボク達、マグナモンの関係者なんだよね」
「────」
それは────なんて、あっけないネタばらし。
「って言っても別にロイヤルナイツじゃないし。あくまで協力関係ってだけなんだけど」
そして「騙しててごめんね」と、これまたあっさりとした謝罪を付け加えて。
……呆然と口を開ける柚子に対し、ウィッチモンは表情を歪ませながらも冷静だった。
ブギーモンの件を、その真相の断片を、彼女だけは知っている。疑念はあの時から深く抱いていたのだから、反応の薄さはある意味当然だろう。
「……じゃあ……最初から、全部」
「知ってたよ。毒の事だって、デジタルワールドの事だって」
柚子は、言葉を失う。
──二人とウィッチモンとの間に、ある時から距離が出来ていたのは気付いていた。
自分の知らない所で何かがあったのだと、そして二人は何かを隠しているのだと。だから、それなりに覚悟は決めたつもりだったのに。
ウィッチモンは気付いていたのだろうか?
振り向いて、彼女の顔色を伺う。──その様子から、彼女も核心には至っていなかったのだと察した。
ただ、自分の何倍も彼らの事を疑っていたというだけ。そうするに値する『何か』に、彼女はきっと気付いていたから。
でも、ウィッチモンは言わなかった。
当然だ。こんな狭い部屋で疑心暗鬼になれば、どんな結末を迎えるかなんて子供でも想像がつく。
だからウィッチモンは隠していたのだろうし、だからこそ、自分で気付けなければいけなかったのに。
「…………そう……です、か」
信じ切っていたわけではなかったけれど、側にいた誰かにずっと騙されていた────その事実は、まだ成熟しきっていない子供の心に深く突き刺さる。
脆い覚悟はあっという間に崩れ去って、柚子は、そう答える事しか出来なかった。
「ああ、それとね。ウィッチモンが凄く気になってるだろうから、これも伝えておくんだけど」
そんな少女に、青年は
「ボクと、みちるは────」
言葉を続ける。
まるで、柚子を追い詰めていくかのように。
淡々と、淡々と、ただ、事実を。
「────マグナモン達が作った義体、最初の成功例。
デジコアを動力源に生きる、肉の人形だ」
◆ ◆ ◆
「え?」
柚子の声は上擦って、静まり返る部屋に反響した。
青年が発した言葉の意味が理解できなかった。
けれど、もう一度聞き返す事もできなかった。
この人は────今、自分達の事を何と言った?
義体?
それって、マグナモンが話していた、あの、
「──稼働に問題が無いか、ずっと確認したかったのですが。連絡も無いまま再会する事になるとは……」
「ごめーん許して! ちなみに調子はまずまずです。メンテすんのサボってたし」
目の前で、彼らは何を話しているのだろう。
ああ、そうだ。二人は義体で──それで、その、原動力が────何だって?
「まあ、生きている事は把握していましたので。破損している様子も無さそうですし」
あれ?
…………あれ?
「──ユズコ。しっかり」
ウィッチモンに声を掛けられ、我に返る。
狼狽する自分とは反対に、落ち着いた様子のパートナー。彼女は、深い溜め息を吐くばかりだ。
「……ウィッチモン……」
「ワタクシが、もっと早くに気付けていれば良かッタのデスが」
声には苛立ちの色が見えた。勿論、目の前の彼らに向けたものだ。
「……。……何度も……ワタクシは何度も貴女達を……調べたつもり、だッタのだけれど」
「前に言った通りだよ! アタシは『ちゃんと人間の体だ』って! ──ね、ちゃんとしてたでしょう?」
みちるは得意気に胸を張る。
「まあ、そこから本質まで見抜けるかは、キミ次第だったけど」
────『アタシを調べたけりゃ好きにすればいい。けれどキミは、それでも必ずアタシを見誤る』────。
あの時の言葉が、ウィッチモンの中で蘇る。
……本当にその通りだ。自分は、自分の力では、この二人を見抜く事が出来なかった。あれだけの疑念を抱いて、正体を探ろうと手を回していたにも関わらずだ。
しかも、まさか、よりにもよって。
「二人が“こちら側”の存在だッタとは」
自嘲気味に笑う。──それなら、どうりで。ブギーモンの事も殺せた筈だ。
「見事に騙されまシタわ。……いえ、これはワタクシの未熟さ故。どれだけ調べても……二人から電脳生命体の反応など出なかッタ!!」
「そうならぬよう、小生らは作り上げたのです。決して貴女の能力が劣っていた訳ではない」
「……ッ」
……本当に何度も、使い魔を這わせて調べていたのに。
二人の体は間違いなく人間のもの。脳も、心臓も、骨も、血管も、臓器も。欠けることなく備わっていた。データではない、肉と水で構成された、紛れもない人間の肉体だったのに。
「────形だけは、バッチリ揃ってたんだけどねぇ」
みちるが、腹部を撫でる。
「こいつってば、生命維持に必要な器官はしっかり作れたのにさ、消化器官だけは甘く見積もっちゃったみたいで、ろくに動いちゃくれないのよ。
──だからアタシ達、普通のご飯は食べられないんだ」
ケラケラと笑う。マグナモンは、バツが悪そうに目を伏せた。
「────」
柚子は、ワトソンと共にレストランに行った日の事を思い出す。
彼はあの時、アイスしか食べなかった。普段だってきちんと食事を摂っていたわけではなかったのに。
思い返せば、冷蔵庫の中には最初からゼリー飲料ばかり。買ってきたチルド食品を食べていたのは自分だけ。要塞都市で豪華な食事を出された時も、二人はスープしか飲んでいない。
────そうか。
食べなかったんじゃなくて、食べられなかったんだ。
「どーせなら、全部完璧にしてくれれば良かったのにねー」
デジコアという電脳核を搭載したことで、人間に酷似した生き物に成り上がった義体は──長年の不自由を、他人事のように笑い飛ばす。
「…………どうして……」
「んー、それは、どれに対しての『どうして』?」
「そんなの……全部に、決まってるじゃないですか!」
「そっかあ。まあ、そうだよねえ。そうなるよねえ」
口元に指を当てて、悩むフリ。それも全部、作り物。
「事情が色々と複雑でさあ、全部は話せないんだけど。でもこれだけはホントだよ!
アタシ達はアナタの味方。皆の味方。そして世界の味方だ。アタシ達の『世界』を元に戻す為なら何だってする。そう誓ったから、アタシ達はマグナモン達と手を組んだ」
────遠い日の事を、思い出す。
毒が全てを溶かしたあの日を。自分の『世界』が、目の前で崩れていった日の事を。
「マグナモンの昔話の通り、ロイヤルナイツは自分達のカミサマが毒なんて作ったもんだから、責任取って自分達で結界を作った。でもさ、そんなものがずっと続くわけないじゃん? だって根本が何も解決してないんだもん。古くなったら壊れるし、水が溜まりすぎたダムは決壊するのがお決まりさ」
だからマグナモンは未来に備えた。自分達はそれに乗っかった。互いの目的と利益が一致していた、それだけの理由だ。
「……それなら……デジタルワールドに、皆を送り込むのだって……協力、したんですよね」
「結果的にはね! だってそうしないとイグドラシル、治んないから」
「……」
「まあ、悪かったなーとは思ってるよ。直接アタシらが子供を襲ったわけじゃないけど。お友達の皆が狙われたのは、間違いなく『座標』のアタシ達がいたせいだもんね!」
────二つの義体。その役割は『座標』。
いつの日か再び、デジモン達が子供達を求めてリアライズする──その目印となるように。
それはお優しいマグナモンが、自分達による被害を広げず対象地域を限局する為。
そしてお堅いクレニアムモンが、有事の際にリアルワールドから援護をさせる為。
その為に、リアルワールドで生きてきた。大した事なんて何もしていない。
自分達は、そこに「在る」だけで良かったのだ。
「……やっぱり分かりません。だっておかしいじゃないですか! 矢車くんたちに会って、協力までして……そんなの、きっとルール違反だったはずなのに……」
イグドラシルに捧ぐ為の生贄を、取り戻さんとする子供達。それに加担する事は──確かに少女の言う通り、裏切り行為とみなされても不思議ではない。
「そこは結構、簡単な抜け道でね。まず……ボク達はマグナモンと手を組んだけど、別に連絡とかは取ってなくて。いつ誰がリアライズするかは知らなかったんだ。──念の為に言うけど、フェレスモンと面識なんて無いよ。そもそもデジタルワールドで生きてきた時代も違うし」
「そしたら見事に襲われましてね! アタシが!! ちょっと情報共有されてなさすぎじゃない? 流石のアタシもキレそうになりましたけども。
で、戦うってなると、ちょっとねー。大事な義体が傷付いちゃったら困るし、どうしよっかなーって。そしたらコロナモンとガルルモンが来てくれたんだよね! おかげで助かりました!」
だから恩返しです! ──と。
みちるは照れた素振りで、自らの行為の動機をそう言い切った。
「で、その二人を最初に助けてくれたのは蒼太くんと花那ちゃんなワケさ! あの子達が友達を助けに行きたいって言うなら、そりゃ即答で『協力する〜!』って」
「首、突っ込んだだけなんだけどね。別に頼まれたわけじゃないから」
それにたった二人、見逃した所で。もし贄が足りなければ補充すれば良いのだし。──とは、話が拗れそうなので言わなかった。
「そもそも、これはボクら……っていうかマグナモン達の所為だから。全部。巻き込んだ上に関わっちゃった以上、責任は取らないと。
あとは────キミ達についていれば、色々と見届けられると思ったから」
だって、自分達の世界だ。
そこで足掻く生命達の生き様を、世界の行末を、自分達の願いの果てを──リアルワールドでただ待つよりも、この目で、可能な限り見届けたいと思った。
それを聞いて、柚子は唇を噛み締める。
「…………。……何も知らない私たちが、これまで必死になって……毒と戦って、世界の事を知って……それを二人は、どんな気持ちで眺めてたんですか」
「流石にそれを笑う程、性格は歪んでないよ」
「……」
「むしろ、感謝してるんだ。だって……巻き込まれて、戦って、挙句には都合良く『選ばれし子供たち』なんて肩書を着せられて。いつだって帰ろうと思えば帰れたのに、キミ達は最後まで、ボクらのデジタルワールドと向き合う道を選んでくれた。
それが嬉しかった。だから────ごめん。でも、ありがとう」
柚子は泣きそうな顔を上げた。義体の青年は作り物の顔で微笑んでいた。
けれどその表情は──今までのどの瞬間よりも穏やかで、柔らかかった。
◆ ◆ ◆
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