◆  ◆  ◆



 ──マグナモンは憔悴していた。

 まさかこんな間際になって、仲違いどころかチーム解散の危機が訪れようとは思わない。“協力者”の二人が、今の今まで誰にも正体を明かしていないだなんて──。

「同じ空間にいたのですから……せめて二人には事前に伝えていても良かったでしょうに」
「わかってないねー。ウィッちゃんはともかく柚子ちゃんは隠し事とか下手っぴなんだよ? それにこんな純粋無垢な良い子にさ、下手に話せるわけないいじゃん!」
「…………そういう、ものですか」
「そういうものです。そもそも急にアンタが登場したのがいけないと思います! アタシ達で責任取って皆を送ろうとしてたのに」
「報連相が壊滅的だよね。ボク達」

 まあ、いずれにしてもマグナモンの助力が無ければ侵入は出来ないので、裏で交渉する予定ではあったのだが。

「と、ともかく……小生が各々方に申し上げた『ツテ』とは彼らの事です。明日は尽力してくれますので、塔内に設定されたファイアウォールの件は安心してもらえればと」
「いえーい! 期待しててね、頑張るから! 今回もこっそりフォローして皆を助けちゃうぞ!」
「…………今回“も”、デスか?」
「そうだよウィッちゃん。こう見えて裏フォロー頑張ってたんだから!
 皆がダークエリアに来た時だってさー、メトロポリスに救援信号こっそり送ってたの、みちるちゃん達なんだぜ?」
「────」

 ──ウィッチモンは僅かに目を見開き、けれど言葉を飲み込んだ。平静を装って、「そうでシタか」とだけ答える。

 何故なら、それはきっと嘘ではないから。
 だってそうだろう。メトロポリスと関わったと言うなら、それこそアンドロモンを問い詰めれば分かる話だ。彼はブギーモンと違ってまだ生きている。……生かされている、という表現の方が正しいのかは、分からないが。

「なら、二人には感謝しなければなりまセンね」

 部屋を満たす重たい雰囲気に、マグナモンは未だ冷や汗をかいている。やはり彼は不憫だと、ウィッチモンは少し申し訳ない気持ちになった。

 しかし──これでようやく二人の正体が判った。
 味方であるという主張も、彼らの目的と利益がこちらと一致している事を考えれば、何とか納得できる。

 ──それでも彼らがブギーモンを、彼が寿命を全うする前に死なせた。その事実は変わらない。
 自分だけが知っている真実。破裂すれば多くを失うであろう爆弾。──自身らの行為が抱え得るリスクは想定していただろうに。そうまでして、向こう側の仲間に正体を悟られたくなかったのか。

「…………。いえ、でも……そうデスね。ワタクシも、割り切らねば」

 二人を、あくまでも『協力者』として。
 互いの目的と利益の為の協力関係。ビジネスパートナー。そう割り切れば、互いのプライベートの事情など汲み取る必要はないのだ。

 それはそれで、少々寂しいけれど。
 最後に柚子が──子供達が、笑顔でいてくれるならそれでいい。

「…………なら、明日はお願いしマス。七割では心許ないので、セキュリティは全部壊しておいて下サイ」
「いーねーウィッちゃんその調子! もちろんさー!」

 半ば無理やりに気持ちの整理を付ける。彼女達の様子から和解したと判断したのか、マグナモンの表情が少しだけ晴れた。──やはり、不憫だ。

「…………ん? でも、そもそも任せテ良いのデスか?」

 ふと湧き出る疑問に、ウィッチモンは思わず声を出す。

「あれ、ボクらまだ疑われてる?」
「そういう意味ではないのデスが、二人の『中身』が不明なままなので」
「あ、そっか。そりゃそうだ。正体も分からないのに戦力になるかとか、判断できないもんね」
「二人はとても優秀ですよ。このポテンシャルでなければ、彼らという特殊な義体は完成できなかったのですから」

 気を取り直したらしいマグナモンは、どこか誇らしげに二人の事を紹介した。

「まあ、それは楽しみデスね、ユズコ」
「う、うん……。……完全体? それとも、もっと上とか……」
「あー、ちょっと待っててね。ここに映すから」

 ワトソンは柚子の側に行き、モニターに触れる。
 そして、少しだけ期待を込めた眼差しの柚子の前に────

「ほら、これがボクの本当の形だよ」

 ────なんとも可愛らしい、栗色のフクロウが映し出された。

 次いで、種族情報が表示される。
 それを見た柚子は首を傾げた。ウィッチモンが再び表情を歪めた。

「こ、これッテ……まさか」
「改めて自己紹介するよ。ボクの名前はアウルモン。フリー属性のアーマー体だ」
「わあ懐かしい! 久しぶりに見たわワトソンくんのそれ! いやーこいつってば、いつもアタシの腕とか頭に掴まってきてさー」
「……アウルモンは……今のワタクシと然程、変わらない世代デスわよね?」

 ウィッチモンはマグナモンを見る。彼の顔からは見事に血の気が引いていた。

「ねえ、マグナモン?」
「い、いえ、違うんですウィッチモン。待って下さい。──貴方、何故よりによって……」
「えー、だって、これがボクの基本スタイルだよ」
「そーそー! あ、ちなみにアタシのはまだ内緒ね! お楽しみは最後まで取っておきたいタイプだから!」
「そ、そんな理由で……。勘弁して下さいよ。これ以上、彼女達との関係を拗らせるつもりですか」
「もう拗れまくりだからいいんですー」
 舌を出すみちるに、マグナモンはがっくりと肩を落とした。思わず両手で頭を抱える。

「…………いえ、分かりまシタわ。大丈夫。マグナモンの反応を信じマスので。
 で、その優秀なお二人には先に塔へ向かッテもらうのでショウ? あの子達との時間差はどれ程にされるのデスか?」
「は……はい。その件ですが……こちらは、およそ二時間を想定しています」

 マグナモンは彼女達の前に、再び塔の立体映像を浮かび上がらせた。

「二人の突入後、観測を開始します。誘導は必要ありません。我々はセキュリティの損傷率だけを気にしていれば良い。
 その一時間後に子供達の準備を開始し、小生が彼らを送り込みます。貴女達は作戦の経過時間を管理しつつ、彼らをオペレート、そして階層転移の際のゲート解放をお願いします」

 マグナモンは塔の最下層を指し、その指先を最上部まで持って行く。

「よって──ウィッチモン。貴女が天の塔へと干渉する手段を得る為に、小生が持ち得る権限の譲渡。収容された子供達の、そちらで有しているデータとの照合。これらを今夜中に済ませます。パートナーはその間に仮眠を取っていて下さい。調整が終了したら、接続テストを行いますので」

 作戦内容は今までのどれより濃密で、柚子は聞いているだけで頭が痛くなりそうだった。
 ……自分だけが仮眠を取る、なんて事。今までなら『自分だけ寝ていられない』と駄々をこねた所だろう。──だが、今ならそれが必要だと受け入れられる。
 だってそれだけの事をするなら、ウィッチモンの調整はきっと夜通しになるだろう。だからこそ彼女と繋がる自分が、少しでも体力を回復させておかなければいけないのだ。

「……わかった。ちゃんと叩き起こしてね」
「言われなくてもそうしてあげるよ。柚子ちゃん、良い返事をするようになったね」
「…………おかげさまで」

 柚子はどこか複雑な気持ちで、それでも口角を上げてみせた。

「では、早速ですが取り掛かりましょう。丁度良い事に、この部屋には別に空間があるみたいですので……」
「えーっ、押し入れの奥はアタシ達のプライベートルームなのに!」
「三畳しかないけどいいの? その鎧パージしたら?」
「そのサンジョウという換算がどういうものかは存じませんが、きっと心配には及びませんよ」

 マグナモンは何食わぬ顔で押し入れの奥、別室の空間へと入っていく。
 その数秒後、困惑したような声が聞こえてきて、ウィッチモンは思わず苦笑した。

「……ウィッチモン。頑張って」
「ええ。……では、ユズコ。短い時間デスが、どうか良い夢を」

 パートナーの額におやすみのキスをして、ウィッチモンは別室へと姿を消した。



◆  ◆  ◆



 みちるとワトソンが借りているアパートだが、この物件はそもそも複数人の居住が想定されていない。そこに三人と二体が同時に生活するのは、物理的にも精神的にも無理がある。
 そこで、各々が健全な対人距離を保つ為──名目上みちる達の作業部屋として──作られたのがこの別室だった。

 その部屋に、人間よりも大きなサイズの魔女が一人。
 そして、豪奢な黄金の鎧を纏った騎士が一人。

「────狭いですね」
「ええ、狭いデスね」

 距離が、物凄く近い。マグナモンは申し訳なさそうに虚空を仰いだ。せめて尻尾を切っておいて良かったと心から思った。

「ワタクシは気にしまセンので」
「痛み入ります……。……では、まずは貴女が塔への干渉に耐えられるようにデータをアップデートさせていきましょう。それから小生の権限を、可能な限り譲渡します」

 マグナモンは片手を挙げる。「失礼」と言って、ウィッチモンの目元に当てた。
 ウィッチモンの瞼の内側に二進法の文字が浮かび、彼女の視界を流れていく。

 ────体内に異物が流入する感覚。

 自身に与えられる幾つものプログラム。全神経を研ぎ澄まして、ウィッチモンはそれらを認識する。

「────え?」

 ふと。
 その中に──とてもではないが、見逃す事の出来ないものが、幾つか。

「マグナモン、これは?」

 目元を押さえられたまま、ウィッチモンは狼狽える。

「何故──デジモン達と子供達の分離を、子供達の……データから肉体への存在変換を、ワタクシが?」

 だってそれは、自分の役目ではないだろうに。
 子供達の肉体を処置してきたのは彼だ。パートナーとデジモンを統合するとして、それを行うのも彼だ。なら、その後の処理だって当然、彼が行うものだと思っていた。

「マグナモン、一度この手を離して下サイ。説明を……」
「────各々方に申し上げた通り。小生は子供達の突入後、この作戦に参加する事ができません。ですから、どうか貴女達に託したい」

 目元から手が離れた瞬間、ウィッチモンは目を見開いた。
 あの時、確かに彼は「参加できない」と言ったが──まさか、本当に最後までいないつもりなのか?

「い、いくら何でも……貴方の技術を一晩でワタクシに、出来るようにしろだなんて」
「貴女達を信じています。知識と運命の紋章に選ばれた貴女達なら、きっと」
「無責任デスわ。けれど貴方が、理由も無くそんな事をする筈が無い」

 こんな、責任感の塊のような貴方が。

 マグナモンは口を噤む。ウィッチモンは問い詰める。──心の中の大部分を罪悪感が占めた騎士は、観念して口を開いた。

「……数時間前、小生がエンジェモンに施した事を覚えていますか」
「…………覚えていマスとも。貴方は彼に……彼の構成データに細工をして、その機能を停止させた」
「あれは、デジコアへの条件付けです。特定の条件をプログラムに書き込む干渉行為。
 応用すれば、書き込んだ特定の条件を満たすまで──対象のデジコアを、全盛期と同様に活動させ続ける事が可能となります」
「……全盛期、と、言うのは」
「例え、そのデジコアが間も無く活動限界を迎えるとしても。デジコアに刻まれた“条件”を満たす為──心身共に衰弱する事無く活動し続けられる」

 願いを叶える代償として、それが達成された瞬間にデジコアは崩壊する。尤も、その猶予期間にも限度はあるのだが。
 そんなものを他者へ強制的に組み込む行為など、禁忌とも言えるだろう。だからこそ、それを使用できるデジモンはごく一部に限られる。

 そして、彼はその干渉行為を────

「此の身は永きに渡り、天の塔の維持の為に捧げてきました。こうして“マグナモン”として存在してはいますが、中身は半分も残っていない。小生は最早、我が主の腕の中でしか生きられなんだ。
 しかし聖域を離れ、イグドラシルの加護も既に無き今……我が電脳核は既に、その活動限界を超えている」

 ────自らに、科したのだ。

「故に小生は、戦力を我が塔へ送り出した後、各々方の前から姿を消します。天から地上へ降りる前に、その祈りを我が身に刻み込んだ。
 ……無責任なのは承知しています。それでも、貴女達に託すしかなかった。……どうか、どうか」
「────」

 何て事だろう。
 今まで一緒に居た仲間は人間紛いの人形で、道を示した騎士は出会った時から半分、亡骸だったと言う。

 ……ああ、本当に、何て事。

 心がはち切れそうだ。これだけの短い時間で、自分達はどれだけ多くの情報を与えられ、それを受け入れろと強いられるのか。
 そっと瞼を閉じて、震わせる。──ウィッチモンは自身の下唇を噛み締めた。

「……。……いいでショウ。その役目は確かに、ワタクシ達で請け負いマス」
「……本当に、感謝します。貴女達がいてくれたから、小生は彼らにあの作戦を提案できた」
「それはユズコに伝えてあげて。彼女がワタクシの手を取ッテくれたから、ワタクシ達は今ここにいるのデス。
 けれど……ええ、まったく笑ってしまいそう。結局いつだって、ワタクシ達に選択肢など無いのだから」
「…………それは、全て」
「貴方を責めている訳ではありまセン。きっと、これが運命というものなのでショウね」

 ウィッチモンは乾いた笑みを浮かべた。それは自分達を選んだ紋章のひとつと同じ名前をしていて、なんとも皮肉だと思う。

「その『運命』は……なんて理不尽だと、思いますか」
「当然。……でも、貴方も同じではないのデスか」
「己が境遇を、そう思った事はありません。あの時、世界を……我が主を護れなかったのは、我らの力が及ばなかったが故。小生は、イグドラシルの騎士として生まれた事を悔いてはいない」
「だからこその贖罪意識デスか。よくもまあ今の今まで、心を壊さずにいられまシタね」
「果たさなければならない、願いがありますので」
「けど、その務めも今日で終わるのでショウ?」
「ええ。最後まで見届けられないのが、残念ではありますが」
「…………マグナモン。役目を終えた貴方は、その身を何処へ散らせるのデス」
「我らが還るは主の御許。砂塵に混ざり消えるわけではありません」
「……。……それは残念。いっそ、ワタクシがロードして差し上げようと思ッテいたのに」

 ウィッチモンは初めてマグナモンに微笑む。マグナモンは少しだけ目を見開くと、可笑しそうに笑ってみせた。

「ロードしてしまっては勿体ない。いつかお会いできた時に、恩返しできなくなってしまいます」
「まあ、このハードワークの手当、ちゃんと付けて下さるの?」

 お互いに、そんな冗談を言ってみる。
 だって明日を迎えれば、二度と会う事は無いのだから。

「では────やはり、成し遂げなければなりまセンね」

 けれど、今は『そういう事』にしておいて。ウィッチモンはマグナモンに手を差し出した。

「貴方の知識を、技術を────願いさえ、全て我らに」
「…………ウィッチモン」
「容赦はいりまセン。ワタクシは目を閉ざさずに耐え抜きマス。貴方の分まで見届けマス。デスのでワタクシというデータを貴方の手で、最大限にまで書き換えて下サイ」
「……」

 マグナモンの瞳が揺れる。
 深く深く頭を下げて、何度も謝罪と感謝の言葉を並べて、両手でウィッチモンの手をしっかりと握り締めた。

「……分かりました。貴女達に全てを託します。小生が無責任にも役目を全うした後の、全ても。
 この身はただ、彼らを塔に送る為の媒介に過ぎない。その機能だけを残し、他は全て貴女の中へ。────どうか、お覚悟を」

 マグナモンは顔を上げた。その表情からは憂いも、心咎めも無く、決意に満ちていた。
 そして彼は言葉通り、自身の全てを託す為、ウィッチモンと自身を接続させていく。

「────我らが主よ、偉大なるイグドラシル」

 それは、祈りの言葉と共に。

「御身の光は此処に。御身の騎士は此処に。我らが世界に輝く命へ、その恩恵を賜る事を許し給え。
 根の泉より聖水を分け与え、湧き出づる知識を。此の者の命が、世界の運命を導く篝火となるように────」

 神の座へ干渉する為の、禊にも似た儀式。
 二人の身体が、黄金の光に包まれていった。



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