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 ウィッチモン達が別室に入るのを見届けると、ワトソンは普段の調子で「それで」と声を掛けた。

「柚子ちゃん。どうする? もう寝る?」
「……と、とりあえず、横にはなりますけど。……寝れるかはちょっと」
「あんな話、聞いた後だもんね。仕方ないよ」

 心が動揺して、全身に緊張が走っている。とても安眠などできる状況ではなかった。

「寝れないなら眠れるまでガールズトークしようぜ!」
「ほら、布団広げるからそこどいて。あと空気読んで」
「ぶー!」

 みちるが調子に乗り、ワトソンが諫める。今までと変わらない、見飽きたとさえ思えるやり取り。──どうしてか、今はそれを見るのが辛かった。柚子は布団の上に座り込んで、少しだけ目を逸らした。

「……二人はどうするんですか。ウィッチモンたちを待つの?」
「ボクはどっちでもいいかな。ご希望なら川の字になって寝るけど、隣で人形が寝てるのは怖いでしょ」
「かと言って見下ろされてるのも嫌だと思うけどね!」
「……義体、だったって事は……まだ、信じられないけど、だから怖いってわけじゃないです。……平気です。ブギーモンがいたって、寝られてたんだから」
「それはウィッチモンが側に居たからだよ。信頼関係とかもあるけど、何よりパートナーは守ってくれる存在だ」
「……パートナー……。……そうですね」

 そう言えば──以前ホーリーエンジェモンに『都市のデジモンとパートナーにならないか』誘われた時、二人が頑なに断っていた理由も納得できる。自分達もデジモンなのだから、同族と回路を繋ぐなど出来るわけがない。

 ────けれど、本当のパートナーは? 二人には、いなかったのだろうか。
 過去の厄災を生きたデジモンなら、そこには前の“選ばれし子供たち”がいただろう。

 でも、それを問う事は出来なかった。
 もし仮にパートナーがいたとしても────マグナモンが荒野で告げた言葉の通りなら、その子達はもう、いないのだから。

「柚子ちゃん? どしたの?」
「い、いえ……。……その、二人の言ってた『世界』も……明日、戻るといいですね」
「そうだねー。ほんと、割とラストチャンスかもしれないからねえ。まさかイグドラシルの奴が、十年の間にそんなヤバくなってたなんて思わなかった」
「十年……? それって……」
「あ、十年ってのはアタシ達がリアルワールドにいた時間ね! デジタルワールドだと六十年以上? やばいね! いやー長かったような短かったような……。
 ……お、もしや柚子ちゃん昔話をご所望かい? 昔々あるところに! ウルトラチャーミング美少女と、そこそこ顔立ちの良い男の子がいました!」
「いえ、そういう感じのやつならいいです……」
「えーっ、ここから各施設での武勇伝が始まるところなのに! 出所までのヒストリーがあるのにー」
「ちょっと、刑務所じゃないんだから。いたのは普通の施設だよ。いやでも、子供がちゃんと保護される国で良かった」
「……」

 自分の年齢と大して変わらない月日を、別の世界で生き抜いた。
 それは、どんな感覚だったのだろう。人間の中で、人間でない者が生きて行くというのは。──それも、完全とは言えない肉体で。

「……その、カルチャーショックとか……凄かったでしょ」

 幾つも思いを飲み込んで、他愛のない話をしようとする。

「そりゃもう最初は大変だったよー。ワトソンくんとかフクロウちゃんだから、『え、服って何?』って所からでさ、最初うっかり全裸で暮らそうと……」
「デマだよ。ちょっとやめてよ、ここに来てボクの印象を変なものにしようとしないで」

 柚子は思わず小さく笑った。みちるはそれを見て満足気だ。

「ほらほら柚子ちゃんもご機嫌になってくれそうだし? おやすみまでのお供に聞かせてあげよう!」
「……色々聞きたいですけど、明日でいいですよ。私だけじゃなくて、皆にも。私たちの世界で楽しかった事とか、大変だった事とか……きっと皆も聞きたいと思うから」
「あー、その前に身バレの上手い伝え方とか考えておかなきゃかー。海棠少年あたりなら笑って聞き流してくれそうなんだけどなー」
「ですね。『マジで!? すげー!』って言ってくれそう。チューモンは怒っちゃうかもしれないけど……」
「でもアタシ達、ちょっと別件あるんだよねえ。だからその辺はメッセンジャー柚子ちゃんお願いするかもしれない!
 事後処理ってヤツ? このボロアパートも引き払って、デジタルワールドに戻っちゃうからさ」

 ……確かに、事が済んだら二人がリアルワールドに留まる理由も無い。
 どこまで何を任されるのか不安だが、とりあえず首を縦に振った。

「あと、キミ達が戻った後の事とか色々お願いね! 多分だけど警察沙汰になります!」
「警察!?」
「そうか、皆は誘拐された事になってるもんね。多分ニュースになるよ」
「えー……それは、めんどくさいです……」
「ま、その辺の事は全部ボクらのせいにしていいよ。それが一番、都合が良いだろうから」
「そう言われても……」

 柚子は顔をしかめた。それはそれでどうなのだろう。

「……ちょっと、考えておきます」
「うんうん。やっぱりキミは律儀だね」

 青年は柚子の頭を撫でようとして──手を下ろす。

「……律儀で真面目で、いい子だ」
「……ワトソンさん?」
「ボクらはキミ達を騙していたのに、キミは、ボクらの『世界』が戻るようにとさえ言ってくれた。ウィッチモンは……──本当に良いパートナーを持ったね」
「……あの、どうしたんですか。急に……」
「ワトソンくん?」

 何かを察したのか、みちるが僅かに表情を歪めた。

「ねえワトソンくん、何を」
「────天の塔に、みちるの家族がいるんだ」

 青年は下ろした手で柚子の手を握る。
 そして、その手に額が触れる寸前まで、頭を下げた。

「あの子達を塔の上まで連れて行ってくれ。みちるの『家族』を元に戻してくれ。どうか。
 ボクらは彼らと出会えない。だから……どうかキミが、彼女の今までを、成した事を、彼らに──」

「────アウルモン」

 その時聞いた声がみちるのものだと、柚子はすぐに気付けなかった。
 彼女がここまで険しい顔で、低い声を出したのは初めてだったからだ。

「それは、最後まで隠したかった事だよ」
「……分かってる」
「このまま明日を迎えれば、アタシ達はただの野次馬で終われたのに」
「でもね、みちる。ボクは……キミが成そうとしてきた事を、ボクらじゃない誰かに、知っていてもらいたかったんだ」

 青年は、顔を上げなかった。

「……アタシはそんな事を望んじゃいない。そんなのはお前のエゴだ」
「ボクらのやっている事が、そもそも一方的で自己満足、エゴの塊じゃないか。一度だって“彼ら”に頼まれてないのに、ボクとキミはここまで辿り着いたんだから」

 柚子はそれが、何を意味しているのかは分からなくて────

「でも、もしこれがあの子達に知られたら、アタシ達の計画は台無しになるかもしれないんだよ」
「言わないよ。柚子ちゃんなら、最後まで絶対に」

 けれどそれは、彼らが義体となって生き抜いてまで遂げようとした願いで。
 そしてそれはどういう訳か、向こうの仲間達には言えない何かで。
 本当なら────誰にも知られないまま、こっそり終わる筈の物語だったのだろう。

「……言いませんよ、みちるさん。私……この短い間に結構、嘘つくの得意になっちゃったから。
 それに私、別に良い子じゃないです。だから大丈夫です。……らしくないですよ、いつもの能天気なお調子者はどこに行ったんですか。それこそ武勇伝みたいに話して下さいよ」
「……」
「つまり……明日上手く行けば、塔の上に居る仲間も元に戻る……自由になるって事ですか? そのデジモンに、『みちるさんたち頑張ってたよー』って伝える。以上! それでいいんですよね?」

 深くは、聞こうとしなかった。そうすべきではないと、なんとなく、そう思ったから。

「だから明日、二人も無理しないで……その、先に私が説明しておけば、きっとその仲間とも仲直りできるだろうし」
「……、……」
「あ、でも別に喧嘩してる訳じゃないのか……えっと」
「────アタシ達の仲間は」

 再びの、普段よりも低い声。

「塔の上に“居る”訳じゃない。そこに肉体は無くて……デジコアだけが、ご丁寧に保管されてるんだ」

 義体の少女は、自身の物語の一部を語り出す。──青年が、顔を上げた。

「イグドラシルと人間の回路を繋ぐ媒介に選ばれて、デジコアだけ引き抜かれた。アタシ達はそれを、マグナモンに『協力』する事と引き換えに、返してもらう事にしたんだ」

 みちるは自身の胸に手を当てた。

「でもね、デジコアを戻す為の、肝心の肉体はとっくに無くなっちゃってた。マグナモンのチート回復術もイグドラシルの加護あってのものだし、完全に崩れた肉体は戻せなかった。
 だから……その、何て言うかな、そこも色々とやってさ、『とりあえずデジコアを戻せるレベルになるまで身体を創り直そう』ってなったのね」

 具体的には、分解してしまった肉体のデータを集めて、形にして、

「生命の卵、デジタマとして生まれ変わらせて……また育てる。なかなか長期スパンの育成ゲームが始まっちゃったんだよねえ」

 みちるは普段の調子を取り戻してきていた。柚子は、それに少しだけ安心する。

「……なんか、気が遠くなりそうな話ですね」
「しかもさ、生まれたてのベビー達はその辺に放置されるわけですよ。リアルワールドだったらネグレクトで通報もんよ?」

 彼らを守るにしても、肝心のみちるとワトソンはマグナモンとの盟約でリアルワールドに飛んでいる。生まれ変わった仲間達は、自力で成長しなければならなかった。
 毒の有無以前に、生存競争の激しいデジタルワールドだ。聖要塞都市のような安定した集落にでも生まれなければ、幼年期の生存確率など非常に低いものとなる。

「生き残る可能性も低いし、生き延びても毒が解決してないし。だからマグナモンにワガママ言って、生まれ変わった仲間には人工のデジコアを仮置きしてもらったの」

 万が一、死んでしまってもいいように。
 記憶を消して、生まれ直して、何度だってやり直す。その肉体が元の姿に戻るまで。

 やがて肉体が完成したら、本物のコアが待つ天の塔へ彼らを連れて行く。
 その時に人工のコアと本物のコアが入れ替わるよう。マグナモンに“条件付け”をしてもらった。そうすることで肉体を失った仲間達は、真の意味で復活するのだと。

「いや、語ってみると我ながら壮大なストーリーよねコレ。柚子ちゃん理解できた?」
「ある程度は……。でも別にこれ、そこまでして皆に隠すような話じゃないって、思う……」

 ────何度でも、記憶を消して、生まれ直して。
 なら、その『肉体』は今、どこに────?

「……ん、ですけど……」

 瞬間。柚子の中で、ふと

「───記憶を、失くした……って。……あれ?」

 とある二人の姿が浮かんだ。
 そう言えば────確か、あの二人は。

 記憶を失くしたと言っていた。自分達よりも前に、みちる達に接触していた、二人が。

「……コロナモンと、ガルルモンって…………」

 ──柚子は、自分の鼓動の音が大きくなるのを感じた。
 二人は、彼女の言葉を否定しなかった。

「────」

 もし、本当にそうだと言うなら。
 彼らが、二人にとっての仲間だったと言うなら。

 仲間なら、仲間だと、言えば良かったのに。

「ボク達の事、彼らに疑われる訳にはいかなかった」

 そんな心の声を見透かされたように、青年は告げる。

「記憶の断片さえ、甦れば彼らはすぐに行動を中止した。自分達を死なせてでも、人間の子供をリアルワールドに生還させる選択をしただろう。そうなれば、とてもじゃないけど天の塔には連れて行けない」

 それは、今の彼らの性格からも理解できる。パートナーを失う事、傷つける事を頑なに厭い、彼らを守り抜く事を何より優先させるだろう。
 ────そんな彼らが過去の記憶を取り戻せば、その懸念は現実となる。青年はそう断言した。

「それにね、今の二人にアタシ達の記憶は無い。だから今、アタシにとってあの二人は別人なの」
「……だから、ここから見守るのに徹してたんですか? せっかく会えたのに」
「うん。バレたらマズいし! 必要以上のスキンシップはとりません! ……本当なら自力で塔まで行くか、アタシ達はリアルワールドに残って、最後はマグナモンにお願いするか──だったんだけどねえ。
 実際、あの二人がどのくらい生きて、どの世代からどれだけ“やり直した”のは知らない。見てないし。でも会った時に『コロナモン』と『ガルルモン』だったって事は、やっぱり上手くいってなかったんだなあって」

 生存競争の激しいデジタルワールド。適合者と同調し強化でもされなければ、元の体に戻るのは厳しかったのだろう。
 ああ、だから────そんな仲間達を助けた蒼太と花那に、彼らと適合したあの子達に、この二人は力を貸したのだ。

「ま、ざっとこんな感じかな! 柚子ちゃんにお話できるのはここまでだ。ワトソンくんも、もう十分だろう?」
「……。……ああ、そうだね。十分だ。ごめん、みちる」
「もういいよ。アタシ、引きずらないタイプだし。あ、今のウィッちゃんにだけは話していいよ。二人の連携が取れなくなるのは良くないからね」

 それにウィッちゃんは隠し事、上手だし。みちるは締め切られた押し入れに目を向けた。

「まさか二人がリアルワールドに逃げて来たのは想定外すぎたけど……蒼太くんと花那ちゃんのおかげで、柚子ちゃんと皆のおかげでここまで来られた。アタシ、こんなだけどさ、本当に感謝してるんだよ」
「……みちるさん」
「ようやくここまで来られた。完全体に成れていれば及第点だ。このチャンスはもう逃せない。
 ねえ、柚子ちゃん。……明日、皆がコロナモンとガルルモンを、天の塔へ連れて行ってくれる。きっと一番上まで連れて行ってくれる。────アタシ達は信じてるよ」

 みちるはいつになく真剣な眼差しで、柚子の目を見た。
 柚子の胸が一瞬、締め付けられるように痛む。少しだけ目を伏せて──しかし、応えるように顔を上げた。

「……約束します。私とウィッチモンは、絶対に皆を塔の上まで連れて行きます。二人の事だってちゃんと秘密にしておきます。だから……明日、絶対に無理しないで下さい。ちゃんと戻って来て。それも……約束して下さい」

 みちるは一度目を大きく見開くと、照れ臭そうにくしゃりと笑った。それから両手を広げて、柚子とワトソンを勢い良く抱き寄せる。

「わっ……」
「え、ボクも?」
「うん。うん。柚子ちゃん、ありがとねえ」
「ほら、やっぱり言って良かったでしょ」
「ワトソンくんシャラップ。お前はやっぱり後でお仕置きだ。いやーほんと、柚子ちゃん迷惑かけっぱでごめんねー。こんな所まで巻き添え食らわせちゃったねえ」
「そんなの最初からじゃないですか。それこそ今更ですよ」
「あはは、確かに! やー、一緒にやって来れたのがキミ達でよかった。アタシは幸せもんだ」
「……」
「ありがとう。明日はきっと、アタシ達の願いが叶うよ」

 腕を離す。柚子は青年と少女を見上げて────その優しい顔に、また少し、胸が苦しくなった。



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