◆ ◆ ◆
「──良かッタ。ユズコはちゃんと眠れているようデスね」
長い調整を終えて戻ってみれば、愛しいパートナーがぐっすりと眠っている。
その姿に、安心した。出来ればこのまま全てが終わるまで、寝かせておいてあげたいとさえ思う。
「……ワタクシ達がいない間に変わッタ事は?」
「なんにもー? あ、仲直りできたよ! 明日は仲良し! 大丈夫だぜー」
「そうでしたか……! それはそれは、本当に良かった。
では、彼女との接続テストに移行したいと思いますが……少しだけなら時間もあります。もう少し寝かせてあげますか? 貴女も調整で疲れたでしょうし」
「では少々、休息をいただきまショウか。────その前に、ミチル」
ウィッチモンは居室の外に出ると。みちるを呼び出した。
「なになにー? こっそり話したい内容?」
「ええ、一つだけ。……先程マグナモンから、デジコアへの条件付けについてを聞きまシテね」
みちるの笑顔が僅かに固まった。──かつて彼女を問い詰めた時と、よく似た表情を見せる。
「……それで、それが?」
「まあ、ブギーモンの事なのデスけど」
「あ、そっちの事?」
それが“どちらの事”かはさて置き、ウィッチモンは「ええ」と続けた。
「別に今更、真相を探るつもりでもないのデスが。ただ、貴女の意見を伺いたくて」
「意見ねえ。まあでも、確かにこっちで話した方がいいわね」
「そうデスね、念の為」
「で、そのマグナモンの条件付けと、ブギーモンの件と……キミは何を連想してるのかな?」
「ユズコの話から、彼の消え方が少々不自然に思えたものデスから」
しかしあくまでも仮定の話だと、ウィッチモンは前置きする。
「もし彼のデジコアが……何者かの手によってプログラム改変を施されていたのだとシタら。デジコアの崩壊と引き換えとなる“条件”とは、一体、何だッタのでショウね」
亜空間から出たら生きてはいけない、その状態にまでデジコアが損傷していた彼が、その命を燃やし尽くして遂げたもの。
「ワタクシでは想像も出来まセンで……もしも仮に、貴女達なら。一体何を条件にしたのだろう、と……ちょっとした好奇心デス」
「なるほど! んー、そうさなあ、アタシなら何にするかなあ」
見下ろす義体は顎に指を当てた。そんなわざとらしいパフォーマンスを見せた後──
「きっと、『仲直りの握手』とかじゃない?」
にっこりと笑う。
だが、ウィッチモンはそれに対し憤る事も、それどころか表情を変える事さえしなかった。一度だけ目を閉じて、「そうデスか」と静かに言った。
「ありがとう。参考になりまシタ」
「聞きたい事それだけでいいの?」
「ええ。彼の件は、これでおしまい。あの子達には自然に力尽きたとでも言ッテおきマスよ。不要なトラブルは避けたいので」
「うんうん。キミはそういう子だもんね。許す許さないじゃなくて、利益と効率。そのおかげでアタシ達もバレずにやってこれたし。その口の堅さには感謝してるよ」
「お役に立てたなら何より。……では、ワタクシは貴重な休息を取りに戻りマス」
ウィッチモンは疲弊した様子で部屋に戻る────その途中、
「ああ、そうだ。ミチル」
「んー?」
「──事情は各々、それぞれデス。我々を騙しユズコを悲しませた事は、断じテ快く思わないけれど────貴女達という個人を、ワタクシは別に憎んでいまセン」
そう言い残し、部屋に入ると仕切り戸を閉めた。
狭いキッチンスペースに残されたみちるは、閉ざされた戸を呆然と眺めると
「うん、うん。キミはやっぱり、どこか甘くて優しいよね」
微笑んで、小さく呟いた。
◆ ◆ ◆
────夜明け前。
子供達に先回りして、みちるとワトソンが天の塔へと出発する。
都市のベッドの上で皆はぐっすり眠っていて、二人がこうして扉の前に立っているなんて想像もしていないだろう。
二人を見送るのは、柚子とウィッチモン、そしてマグナモンの三人だけだ。
「じゃ、ちゃちゃっと片付けてきますか!」
「これでマグナモンとの契約も終了だ。リアルワールドには戻らないから、あとはよろしく頼むよ」
「まあ、何だか静かになりそうデスわね」
「お、もしやウィッちゃん寂しがってる?」
「いえ、お陰で作業に集中できそうデス」
ウィッチモンは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「柚子ちゃんには伝えたんだけど、そっち側の事後処理で多分、迷惑かけるかも。終わったら上手く話つけておいてよ」
「分かりまシタ。手間代は後で請求シテも?」
「うーん手厳しい! てか急に現金せびるようになったね!? 請求先はそこのマグナモンにお願いします!」
「小生ですか!? はい、では、出来る所までは……」
「マグナモン、そこは断ッテ良い所デスよ。
……まあ、色々とあッタけれど、お世話になりまシタ。事が済んでからは、せめて隠し事無しでお付き合いしたいものデスわね」
「え、嬉しー! これからもお友達でいてくれるのね! 感激して泣きそう!」
「わざとらしいので止めて下サイ。その前に諸々の清算が先デスよ。……ユズコ、どうしまシタ?」
「あ……えっと」
隣で口ごもる柚子に声を掛ける。
妙な胸騒ぎの中、柚子は二人に何と言うべきかを迷っていた。
「……みちるさん、……はるかさん、あの」
「あれ、ボクのことそっちで呼んでくれるの?」
「えっ。……あ、はい。……せっかくなので」
「巻き込んじゃって本当にごめんね。追加で悪いんだけど、その事、皆にも謝っておいて」
「……」
柚子の表情が、暗くなる。
「あ、そうだ思い出した! 花那ちゃんと駆けっこリベンジできないかも。それも謝っといて欲しいなー」
「……あの、やっぱり二人とも……」
「いやー後始末、押し付けまくりでホント悪いね! お願いね!」
「────」
「お二人共。長い間、本当にお疲れ様でした」
マグナモンが一歩前に出て、手を差し出す。なんとも業務的な挨拶と共に、二人と握手を交わした。
「未熟な義体しか提供できなかった事は、心残りでしたが」
「ボクらにとっては十分すぎる身体だったさ。マグナモン。キミも最後までやり遂げなよ」
「……小生は……あの時、貴方達と交わした誓いを果たします。愚かな小生が犯した罪を償います。──どうか二人の願いが遂げられるよう、心から祈りを」
そして────。
古びたアパートの金属扉。マグナモンが片手を挙げると、その向こう側に白い光が溢れ出した。
向こう側に繋がっているのはリアルワールドではない。そこに広がるのは、天の塔へと続く道程だ。
「……あ……」
行ってしまう。柚子は、それでも伝えるべき言葉を見つけられない。
そんな彼女の様子を見て、みちるとワトソンは目を合わせた。そして少しだけ可笑しそうに笑って────
「ねえ、今度はアタシ達を見守ってね」
「あと少しだ。頑張って」
二人で、柚子の肩をしっかりと掴んだ。
「……! ……っ。……あの、私……ちゃんとやりますから。こっちは、任せてくれていいですから……」
「うん」
「だから二人も絶対、無理しないって……。……」
「うん」
「……今まで……ありがとう、ございました……っ!」
肩から手が離れる。二つの手はそのまま、冷たいドアノブへ。
優しい笑顔を浮かべ、義体達は扉の向こうへ旅立って行った。
遠のく背中を見送りながら、ウィッチモンは柚子の背中をそっと抱く。
「────ユズコ。そんな、永遠の別れという訳ではないのデスから」
「でも……ウィッチモン。言いたい事はね、ちゃんと言える時に、伝えておかないとダメなんだよ……」
「それは……。……ええ、そうデスね」
目線の先には、こちらを振り返る二人の姿が。
ウィッチモンは遠い目で、光に埋もれる彼らに手を振った。
◆ ◆ ◆
光が溢れる。
少し進んで、振り返る。
ウィッチモンが軽く手を振っていた。
マグナモンは真っ直ぐにこちらを見ていた。
────柚子は泣きじゃくっているようだ。
扉は閉まって、もう、後ろは見えなくなった。
◆ ◆ ◆
白い道が続いていく。
まだ義体の姿を保っているみちるとワトソンは、暢気に喋りながら進んでいた。
「この身体ともサヨナラだねぇ」
みちるはしみじみと息を吐く。
「十年近くか。長かったね」
「いやー、むしろそれで済んで良かったよ。これ以上大きくなってからキッズに声かけたら、不審者扱い即逮捕案件ですもの」
「はは。それは確かに」
緊張感など感じられない。だが、これがいつもの二人だ。最後までなるべく、“いつも通り”を演じるのだ。
「それにしても着かなくない? マグナモンの奴ゲート間違えてない??」
「仕方ないよ。亜空間からデジタルワールド経由して、それから更に空の上だ。まあ、時間かけた方がウィッチモン達も準備できるし」
「いやはや……美少女戦士みちるちゃんの変身シーンをご覧いただけないのは残念だけど、その分カッコイイとこ見せないとねー。なんつって! あ、そうだ。向こう着いたら途中で寄り道してもいい?」
「えーっ。別にいいけど、何するのさ」
「先回り第二弾でーす。できたらで良いけどー」
近所のコンビニにでも行くかのような足取りで、進んでいく。
やがて道の終わりがが見えてきた。ようやく出口だと、数歩だけ後ろを歩く青年は──少女の背の向こうを眺める。
そんな時。
みちるが突然、その軽やかな足取りを止めた。
「どうしたの? みちる」
自分より小さな背中に向けて、義体の青年はいつもと変わらぬ表情で問いかける。
義体の少女は振り返らず、真っ直ぐ前を向いたまま──
「────はるか。これで最後だ」
それまでの、“いつも通り”に終わりを告げた。
「何か言い残す事は? 神様へのお祈りはオーケー?」
「言いたい事は包み隠さない主義だったからなあ」
わざと立ち止まって、青年は悩む素振り。その間に、少女は再び歩き出した。
ひとり進んでいく背中を見つめながら──「あ、そうだ」と。何かを思い付き、そして少女の名を呼んだ。
「ボクさ、キミの隣で生きられて幸せだったよ」
すると、少女は三つ編みを揺らして振り返る。
白い光の中────真夏の向日葵のような笑顔が眩しくて、青年は思わず目を細めた。
「うん。キミはアタシにとって、最高の相棒だ」
光の道が終わりを告げる。
天の塔、その内部へと繋がるゲートが、二人を迎えた。
◆ ◆ ◆
────遠い日の事を、思い出す。
あの日、彼女は全てを失って。
あの日、彼女はそれでも取り戻そうとした。
がむしゃらに選択した道の先。どうか、それがハッピーエンドとなりますように。
ボクはただ、最後まで傍で見届けるだけだ。
◆ ◆ ◆
光の道を抜け、灰色の空を越え、挑むは美しき天の塔。
吸い込まれるような白い空間。そこに、二つの義体が降り立った。
「久しぶりの運動だから、筋肉痛が心配だわねぇ」
少女は冗談交じりに笑って、どこまでも続く吹き抜けを見上げる。
そして
<────侵入者を確認。対象の排除を開始します>
機械的な音声が響く。
清廉な壁に這う、水晶の枝が伸びる、伸びる。
青年が前に出た。作り物の身体を、鮮やかな光で包み込む。
光の中から聞こえてきたのは羽ばたく音。かつて『春風はるか』だったものは形を変え──栗色のフクロウと成り、少女の肩に乗った。
「やだアウルモン。そのまま戦うつもり?」
「まさか。もう一度だけ、キミの肩に止まりたかっただけだよ」
そして再び、アウルモンは自身のデータを書き換える。
少女の肩から飛び立ち、迫り来る巨大な枝の前へ────。
直後。風を切るような音と共に、世界樹の枝が切断される。
切断部が凍結し、その機能を停止させた──それを成したのは細身の長剣だ。
剣を手に、降り立ったのは白亜の戦士。
その背に翼を抱き、再びヒトのような姿を得た。
「──ボクはアウルモン。彼女の聖なる鳥。
そして────彼女の願いを叶える者、ヴァルキリモンだ」
純白の羽が舞う。少女はそれを懐かしそうに眺めて──「確かに挨拶は大事だね」と。だって、仮にも神様の御前なのだから。
少女は笑った。自らを殺そうとする神聖な枝を受け入れるように、前を向いて両手を広げた。
────光を纏った三つ編みが解け、長く伸びた髪が揺蕩う。
キラキラと艶めいて、その色を美しいアクアブルーに染めていく。
広げた両手に装甲を纏った。
閉じた瞳から頭部をかけて光が覆う。──それは、蛇の頭を模したマスクとなった。
「──やあやあ、よく聞け! イグドラシルの枝ども葉っぱども!」
長く伸びた三つ編みが揺れる。
かつて『春風みちる』だったものは、大剣を抱き、腰布を大きくなびかせて────意気揚々と名乗りを上げた。
「道を開けろ! 脇役達の大舞台だ!
アタシこそはオリンポス十二神が一人! 女神ミネルヴァの名を戴く者である!!」
第三十話 終
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