◆  ◆  ◆




 小さなベルの音が鳴り、エレベーターの扉のように空間が開いていく。

 天の塔、第二階層。
 第一階層のような混沌さは無くなっていたが、それでも決して真っ当とは言えない。あらゆるものが「白」で彩られたその空間は──相変わらず、リアルワールドに存在する建築物とよく似た構造をしていた。

 例えるなら、吹き抜けに面する集合住宅の外廊下だ。
 しかし壁に対して床がやたらと広く、奥行きは人間が居住するそれの数倍はある。その狂った遠近感に、子供達は生理的な恐怖を抱いた。

 そもそも、ここは先程入った低層マンションの中ではないのだろう。それは目に見えて明らかだった。──階層数があまりに異常なのだ。
 高層やタワーどころの話ではない。上にも下にも、階層が無限に続いている。空は見えず、吹き抜けを見下ろしてもコア部分は見えない。






 気が触れそうになる白の塔。
 マグナモンの話通りであれば、此処には────

「カノン!」

 ベルゼブモンの声が、回廊に反響する。

「どこだ、カノン!」

 ────そう。第二階層にはイグドラシルとその母体が居る筈だ。一行は上層を目指す過程で、彼女らと出会わなけれなならない。

『少なくとも五キロ圏内にそれらしき熱源は確認できません。……そもそも空間の歪みが激しいので、単純な距離で測る事に意味があるのかも……』

 なら、どうやって彼女達を探す? 反応が探知できるまで、等間隔に並ぶ扉をひとつずつ開けていくのか?
 無理だ。そんな途方も無い作業、何日あっても時間が足りない。

「かべ、こわそうか」
「馬鹿だね、そんな事したら気付かれるじゃないの。……アイツみたいに大声で呼ぶのもどうかと思うけど」
『遅かれ早かれ気付かれますよ。────ただ』

 ────使い魔の猫が、複数の熱源を突然に感知する。

『もう、と言うべきか、ようやくと言うべきかは、分かりませんが──……!』
『ひとつ近付いて来てる! 究極体ワクチン種……! 距離は……』
『あてになりません、転移しながらの移動です。戦闘用意、即座に!』

 その正体は、考えるまでもない。

 全員に緊張が走る。爪を、牙を、刃を、銃を構え──それぞれが別の方向を警戒する。
 神経を研ぎ澄ませる。──気配は無い。匂いも、足音も無い。扉を開く音だって。確実に近くにいるのに、その存在を捉える事ができない。

『────あ、また近付いて────』

 柚子が声を上げた、直後。


「奇妙な組み合わせだな」


 その声は──空に浮かぶメガシードラモンよりも遥か上空から聞こえてきた。

 吹き抜けの空。何もない筈の空間。
 けれど、まるでそこに大地が広がっているかの様に、“彼”は宙に立っていたのだ。

「だが、そうか。そういう事か。……友よ」

 黒紫の鎧を纏い。
 黒紫の槍を構え。

「────私は、騎士である」

 侵入者達を見下ろす、一人の騎士。

「デジタルワールドの創造神、世界樹イグドラシルに仕えしロイヤルナイツである。正義に身を捧げ、騎士道を敬う者である。ならば侵入者相手でも名乗らねばなるまい。
 ────我が名は、クレニアムモン」

 威厳に溢れた声で、名乗りを上げた。

 マグナモンの黄金の輝きとは正反対の鈍い光。フレアモンとワーガルルモンは目を奪われ、その身が硬直していくのを感じた。
 それは恐怖からだろうか? ──違う。拭いきれない既視感からだ。初めて出会う筈なのに、その色も、声も、何もかもに覚えがあるのだ。
 一体、何故。けれどそんな二人を他所に、クレニアムモンは穏やかな口調で続ける。

「挑むならば応えよう。対話を望むなら語り合おう。──ああ、構わないとも。この身はイグドラシルの『完成』を待つのみだ。時間は余る程──」
「──お前が」

 黒い男が声を漏らした。

 震える両手で銃を握る。
 心臓が大きく音を立てる。頭蓋に突き刺すような痛みが走る。
 感情が────沸騰して、溢れた。

「お前が、カノンを──……!!」

 ────反響する銃声。
 しかし直後、弾かれたような硬い金属音が響く。

「人聞きの悪い」

 漂う硝煙は槍に掻き消された。

「彼女は進んで身を差し出したのだ。貴様の為に」
「────!!」

 ベルゼブモンは声を荒げ、再び銃を向ける。それをつまらなそうに見下ろしながら、クレニアムモンは槍を振りかぶり──

「────ベルゼブモン!」

 男の視界が横転した。
 何かに蹴飛ばされた感覚。その直後、槍から放たれた衝撃波が床を打ち砕いた。
 全員、即座に回避行動を取る。しかしベルゼブモンを庇ったワーガルルモンが避けきれず巻き込まれた。

「ワーガルルモン!」
『花那!!』

 フレアモンは落下していく彼を抱き止め、階下へと逃げ込む。
 ────胴を支える手に、ぬるりと温かな感触。ワーガルルモンの脇腹が切り裂かれていた。

「……! 止血する!! 傷口を焼くぞ、堪えろ!」
『まっ……って。ッ……私が、やるから! ゆ、柚子さん……!!』

 花那は苦悶しながら柚子の名を呼んだ。影絵の猫がワーガルルモンの身体に巻き付き、花那との同調が強制的に増幅されてゆく。
 すると──ワーガルルモンの創部が修復し始めた。フレアモンは思わず目を見張る。

「中に人間がいるのか」

 自動修復の光景はクレニアムモンにとっても想定外だったのだろう。興味深そうに目線を向けてくる。

「あの時は、ここまでの事はしなかったろうに。……いいだろう。観測はしておいてやる。いつか────」

 もういない友に向け、他愛なく語りかけて

「────我らが作る新たな未来で、卿に語ろう」

 騎士は目の色を変えた。

 ふわりと浮き、重力に任せて急降下。そのままメガシードラモンの頭部に膝を落とす。
 鈍器が地面にめり込むような音がした。メガシードラモンは呻き声すら上げられず落下し、数階下の通路に激突する。

「!? は、ちょっと────」

 ライラモンと、視線が合う。

「────ッ!! マーブルショット!!」

 新緑の光線は片手ではね除けられた。
 直後、騎士はライラモンの目の前へ転移。ライラモンは咄嗟に距離を取ろうとする──が、腕を捕まれた。花弁の刃を突き立てても、ブラックデジゾイドで構成された鎧には傷ひとつ付けられない。

「ちっ……! 弱そうなウチを先に潰しとこうってワケ?!」
「まさか。騎士であるからには極力、一騎討ちで勝敗を決めたいというだけだ」
「アンタの騎士道なんざ知らないよ! 手を……っ離せ! おい!!」
「──そうだな。レディがそこまで言うのであれば」

 離してあげよう。
 クレニアムモンはライラモンの腕を掴んだまま、槍を。

「ぎゃああああああああ!!」

 幅広く巨大な穂先は、細い腕を貫き切断した。腕は落下し、本体は蹴り飛ばされて壁へとめり込む。
 柚子とワイズモンが即座に、手鞠との同調による修復を試みる。すぐに止血されたが、激痛が止まらなかった。

「サンダージャベリン!!」
「紅蓮獣王波!!」

 雷撃と炎の獅子が吹き上がり、騎士を襲う。
 だが、クレニアムモンは何もない空間から黒紫の盾を生み出し──二人の攻撃を容易く防く。

『ワーガルルモン、行ける!?』
「平気だ……それより花那は大丈夫なのか!?」
『気にしないで! ワーガルルモンより全然痛くないよ!』
「メガシードラモンが先に行く。俺達は同時にやるぞ、いいな!」

 メガシードラモンはヒビが入った外殻を空に向け、雷撃を放ちながら突進する。
 それを合図にフレアモンが飛翔した。ワーガルルモンは床を蹴り、手摺壁を飛び越えていく。

「サンダーブレード!!」

 雷の刃と黒紫の盾がぶつかり合う。
 クレニアムモンはメガシードラモンを盾で抑えたまま、彼の顔面に向け槍を投げた。
 ぎゃっ、という短い悲鳴の後、盾から頭部の刃が離れる。槍が、メガシードラモンの片目に突き刺さっていた。

「おや、すまない。狙いを外した」
「──、──ッ!!」
「……このッ……カイザーネイル!!」
「紅・獅子之舞!!」

 ワーガルルモンが背後から、フレアモンが上空から、騎士に飛び掛かる。
 拳と蹴りが嵐のように入り乱れる中────クレニアムモンはその全てを躱しながら、さも可笑しそうに口を開いた。

「……哀しいな。もっと速く動けるだろうに、肉体が追い付いていないのか」
「うるさい! 何を、俺達を知った風に……!!」

 フレアモンはワーガルルモンの足場となりながら攻撃の手を休めない。
 そしてクレニアムモンも、言葉を止めなかった。

「いいや、いいや。知っているとも。貴様の炎はもっと熱く──」
「──円月蹴り!!」
「貴様の蹴りはもっと速く、深かった」

 騎士は先程から何を言っているのだろう。
 出会うのは、戦うのは、初めてだろうに。

「まだ“至る”為のデータが足りないか? ならばいっそ、中身の子供達を全て取り込んでしまえばいい」
「「────」」

 ──それは。

 いけない。それだけは。
 言葉の意味が理解できない、なのに知っている。デジモンが人間の子供達を食らえば、

「……っ……あ、ぁ……!!」
『フレアモン……!』
「やめろ、やめろ……違う! 俺達は……!!」
『フレアモン!! ワーガルルモンと花那が落ちる! 早く────』

「────ハートブレイクショット!!」

 耳を突くような轟音に、フレアモンは我を取り戻す。
 目の前の鎧には、弾丸による傷がひとつ。
 そして、目線を落とす。崩れかけた床の縁で、ベルゼブモンが銃を──片手にワーガルルモンの手首を掴んだ状態で──クレニアムモンに向けていた。

 男は続けて数度、銃を放つとワーガルルモンを放り上げた。ライラモンも声を上げながら応戦する。──まだ修復途中なのだろう。腕の切断面からは、新たなワイヤーフレームが再生されていた。

「すまないベルゼブモン。助けてくれて……」
「────」
「……ベルゼブモン?」
「ああもう! 手鞠が痛がってんじゃないの! どいつもこいつもふざけんな!! どうしてくれんだウチの腕……喰われたせいで全然治らない!!」

 ワーガルルモンは思わず顔を上げた。ベルゼブモンの口元には、赤と黒が混ざった液体がこびりついていた。

「……ベルゼブモン、ライラモンの切られた腕を……」
「────落ちていた。だから喰った」
「だ……駄目だ。それでも駄目だ。仲間を食べたら……それに今の僕らには、この子達のデータも混ざってるんだよ。僕達は……“もう”、子供達を……!」

 ────もう?
 もう、って、何が?

「────」

 止まぬ銃声と怒声。破壊音と雷鳴の中──ワーガルルモンの耳の中では、先程のクレニアムモンの言葉がこだましていた。

 自分達は、何をした?
 自分達に何があった?
 クレニアムモンは──

「────本当に、知っているのか。僕らを」

 頭痛がする。花那の声が遠い。

『両目パッチリしたな!? 進むぞメガシードラモン!!
 山吹さん、ワイズモン! オレたちのドーチョーももっと強くして!』

 頭痛がする。
 見上げる。メガシードラモンが騎士に食らい付いている。けれど牙が折られていく。
 見上げる。ライラモンの腕が修復した。けれど槍の衝撃波で再び負傷してしまった。

 見上げる。
 フレアモンは頭を押さえながら炎を放っている。────フレアモン、どうして泣いているんだ。

 なあ、フレアモン。

『────熱源反応を複数確認!』

 それぞれの影の中からワイズモンの声が響く。こんな時に、と柚子の焦燥する声も。

『数は三つ……デジモンではない電脳体……イグドラシルの防衛機です!!』
「ああ、取り零しか。せっかく見逃してやったのに勿体無い」
『……見逃した……? 二人に会ったの!?』
「気付かぬ筈がないだろう、この私が」
『……!』

 言われてみれば当然だ。先に侵入した上、防衛機構の破壊を目的としているのだから──二人の存在が気付かれない訳がない。
 だが────柚子は二人のバイタルサインを確認する。二人は変わらず、未だ戦闘を続けているようだ。信じ難いが、クレニアムモンが言った通り本当に見逃されたのだろう。

 しかし何故、わざわざそんな事を。問おうとした矢先、クレニアムモンが先に答えを告げた。

「おかしな事に、ただ暴れたいのだそうだ。我らの神には指一本触れないからと駄々をこねる。……どうせこの塔も再編されるのだ。最上部さえ無事なら、私は構わない」

 だから遊ばせてやっている。──クレニアムモンにとっては、防衛機構が破壊される事など些末事でしかないのだ。
 それを悟った柚子は、無性に悔しさを覚えた。けれど、反論したいのに言葉が出ない。──そんな彼女が震える手を握り締める様を、ワイズモンだけが目に留めていた。

「──まあ、アレらの願いはそもそも、そこにいる『二人の再生』だ」

 クレニアムモンはそう言って、フレアモンとワーガルルモンを指差す。

 え、と声を上げる二人。

「最後に夢を、叶えさせてやりたいじゃないか。────叶えられるなら」

 空間が揺れた。
 水面から、三つの影が姿を見せる。



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