◆ ◆ ◆
イグドラシルの内部セキュリティ。
外部のバリアを奇跡的に突破した者、若しくは内部の反逆者が出会う防衛機構。
それは純白の無機物。駆除対象と認識した者を狩るためだけに動く、意思の無い機械だ。
──────本来であれば。
クレニアムモンの背後に浮かぶ三つの防衛機。
いずれも黒い泥にまみれ、腐食していた。
『……何故……毒が、此処に』
天の塔は毒の泉だ。しかしその源たるイグドラシルは少女の中に在る。
そして──毒の雲海は塔の更に上空で、ロイヤルナイツの結界により塞き止められている筈なのだ。
ならば今、目の前にある「毒」はどこから来た?
防衛機が溶けていく。溶けて、固まって、形を変化させていく。
それを眺めながら、クレニアムモンは笑顔を浮かべていた。
「私も、貴様らも、世界も、何もかもが生まれ変わるのだ。その様を見届けるのが私だけなど……我が主が、寂しがってはいけないだろう?」
──無機物の防衛機は、騎士の様な造形へと成り果てる。
かつて天の結界を作った、クレニアムモンとマグナモンの仲間の姿に。
「……ああ、そうだ。そうだったな。いけない。イグドラシルの御座を整えて差し上げねば」
思い出したかのような独り言。クレニアムモンは、空を見上げる。
「すまない。さっきの『用事』がまだ、残っていたよ」
友ではない無機物にそう言い残すと、騎士は両手で槍を掲げた。
回転させる。その速度は見る間に増していき、やがて空を切る。
音速の衝撃波は周囲の壁を吹き飛ばして、どこまでも続く吹き抜けに「穴」を空けた。
空のテクスチャが剥がれ、空間が割れていき────続く先に垣間見える第三階層。
ゲートを繋がなければ移動できない筈の空間を、こじ開けた。階層同士の狭間そのものを破壊する事によって。
遥か上空の崩落部まで、空間を転移しながら移動する。そして潜り込むように、クレニアムモンは第三階層へと姿を消していく。
ベルゼブモンは「待て」と怒鳴り、遠く離れた騎士に向けトリガーを引いた。しかし届く筈もなく、また飛行能力を持たない彼は追う事さえ許されない。
ライラモンも同じく声を上げたかったが──内心、このまま最後までクレニアムモンが現れない事を願ってしまう。
嵐のように自分達を蹂躙して去った騎士。なんという置き土産をしてくれたのか。防衛機だった黒い何かは、その頭部らしきものをこちらに向けていた。
彼らは、ロイヤルナイツではない。
生命体でないあれらには殺意すら無い。ただ侵入者を狩るだけのプログラムだ。
『……悠長に戦う時間はありません。防戦をしつつ、イグドラシルの捜索に転換して下さい。クレニアムモンが離脱した今……このチャンスは逃せない!』
「わかった! ガルルモンとベルゼブモンは飛べないから、オレたちと離れないで──」
飛行機のエンジン音にも似た騒音がメガシードラモンの声を遮る。フレアモンが、第二階層の上空へと鋼鉄の翼を展開させていた。
「だめだよフレアモン! そんなことしたら……!」
その熱と動きに反応したのだろう。「元」防衛機──泥人形の騎士達は、照準を一斉にフレアモンへ向ける。
彼の目線の先には、クレニアムモンが空けた時空の亀裂があった。
「クレニアムモンを追う! このまま奴を放置すれば取り返しがつかない!!」
仲間達が呼び止めようとするも、既に声が届く距離ではない。ワーガルルモンは彼に続くように後を追った。
ワイズモンはフレアモン達の言動に困惑を隠せなかったが、無理矢理に気持ちを切り替える。メガシードラモンに応戦するよう指示を出し──
『防衛機は彼らが惹き付けます! ベルゼブモンはライラモンと共にパートナーを!』
「────」
「ほら行くよ! 何ボーっとしてんだ!」
「──…………俺は」
ベルゼブモンは腕のスカーフに目を向け、そして上空へと視線を移す。
泥の騎士はがむしゃらに武器を振るい、同行者達に襲い掛かる。
フレアモンは鎧で防ぐが、何故かネプトゥーンモンの加護が発動せず──滴る毒で皮膚が焼けた。
防いでは焼き、焼かれては殴り、それを繰り返す。追い付いた二人も同様に、血と泥にまみれた戦闘を開始させている。
「……。……俺は、行けない」
「あの騎士野郎を殺しに行きたいなら気持ちは分かるよ。でも今はいないんだ。わざわざ追うのは時間の無駄じゃないのさ!」
「違う。──俺は飛べない。カノンを見つけても、連れて行ってやれない」
「……は?」
「だから駄目だ。それなら俺は、此所に残る」
「……何言ってんの……そいつだってアンタのこと待ってるんじゃないの!? 今なら行けるってのに……迎えに行ってやらなくてどうすんだ!」
ライラモンはベルゼブモンの胸ぐらを掴み上げた。ベルゼブモンは、上空の戦闘から視線を逸らさなかった。
「……俺の銃だけだ。アイツに傷をつけた。だから……カノンは、お前が」
男は相変わらず言葉足らずで、ライラモンはひどく苛立ちを覚える────が、それでも男の意図を察した。
つまるところ、この男はフレアモンの勘を信じている。そして現状、自身がチームの中で最も強いであろう事も理解している。
狂う程、しかし毒に飲まれてもなお自我を保つ程、探し求めていたパートナーが近くにいるかもしれないというのに。再会の機会を手に入れたのに。ベルゼブモンはパートナーの捜索をライラモンに託したのだ。
「……。……確かに、世界が変わってアンタがアンタじゃなくなったら……パートナーだって悲しむだろうさ」
「…………カノンに……会ったら、これを」
「嫌だね。その赤い布はアンタがちゃんと会えたら渡してやんな。──ワイズモン、そういう事だ!」
『貴女への使い魔に熱源探知機能を付与させました! こちらは干渉と回復で精一杯ですので……!』
「戦闘時だけフォローしてくれればいい! こっちは適当に走り回る!」
ライラモンは最も近くに位置する玄関扉に手をかけた。仲間達を残し、ひとり少女達の捜索を開始した。
◆ ◆ ◆
「────」
集合住宅のそれを模した扉が、音を立てて閉められる。
ベルゼブモンは唇を噛んだ。恨めしく、名残惜しく扉を睨み付け、自身に湧く感情を声に込めて──
「──降りてこい! 俺を、乗せろ!!」
男の声にメガシードラモンが反応した。即座に方向を転換し、落ちるように下降する。
『オレたちと戦ってくれるの!? パートナーさんは……』
誠司が言い終える前に、男はメガシードラモンの爛れた皮膚に足をかけた。
落下しない為だろう、乱暴に髪を引っ張る男に抵抗しようとするが──男の表情を見たメガシードラモンは言葉を飲んだ。
空気の海を飛び上がる。自分が離脱した僅かの間に戦況は悪化していた。
泥のレイピアが、ランスが、帯刃がフレアモンとワーガルルモンを狙う。時折、本来の防衛機としての機能を思い出すのか──ひび割れた水晶片を弾丸のように放っていた。
「クイックショット!」
銃声と硝煙が上がる。水晶片が次々に砕かれ、散っていく。
「……! ……メガシードラモン、ベルゼブモン! あっちを頼む!
ワーガルルモン、一体をそっちに飛ばす! その扉を壊してくれ!」
そう叫ぶと、フレアモンは騎士の一体に飛び掛かった。背後で銃声と雷撃の音を聞きながら。
歪んだレイピアが肌を掠める。毒による激痛に顔を歪め、レイピアを素手で掴む。そのまま腕を捻って背後へと回り、動きを封じた。
──目線を通路に向ける。ワーガルルモンは言われた通りに玄関ドアを壊し、その周囲の壁を破壊した。
「いいぞ、フレアモン!」
脇に避け、合図を送る。
フレアモンは騎士を抱えたまま突進した。壁にぽっかりと空けられた穴に照準を合わせ、騎士を放るように手を離し────
「紅蓮獣王波!」
拳から放たれた炎の獅子は、背を穿ちながら騎士を穴の中へ連れて行く。
ワーガルルモンが即座に部屋の中へ飛び込んだ。床に転がる騎士に飛び掛かり、馬乗りになる。
「カイザーネイル!!」
切り裂き、殴り、切り裂き、殴り、突き刺し────けれど繰り返す度、彼の拳は確実に焼け爛れていく。
「続けろ! お前達は治る!」
同行者達にベルゼブモンは叫んだ。ランスの騎士と帯刃の騎士が高く上昇し、上空から男を狙った。
銃弾の雨で迎え撃つ。それを回避した一体──帯刃の騎士が男に迫る。
「サンダーブレード!」
メガシードラモンが頭部の刃で応戦した。直後、フレアモンが合流する。
「すまない遅れた! 状況は……」
「生きてる。……向こうはお前がやれ」
フレアモンは帯刃の騎士に向かって飛翔する。同時に、二人がランスの騎士へ。
メガシードラモンが体当たりをし、騎士を宙へ押し上げた。溶けかけた腹部に銃口が向けられた──瞬間、その腹部から水晶片が発射される。
即座にメガシードラモンは旋回し回避。ベルゼブモンは彼の髪を掴み、浮遊しながら銃弾を放った。ランスの騎士は円盾でそれを防ごうとするが、銃弾は紛い物のそれを貫通していく。
「……とおくからだときりがないね。どうする?」
「動けなくする。押さえられるか」
メガシードラモンは頷くと、ランスの騎士目掛けてスピードを上げた。
尾で騎士を壁に激突させ、機体が壁から離れる前に頭から突撃する。──騎士は音を立てて壁にめり込んだ。
毒で焼ける外殻の上をベルゼブモンが駆け渡り、騎士に飛び掛かかる。首らしき部位を掴み上げ、頭部に銃口を押し当てた。
くぐもった銃声が、数発。
騎士は機械的な痙攣を見せる。男は再度トリガーを引こうとし──あと何発で機能を停止させるか、一瞬だけ考えて──
『……え? なんで銃しまって────』
────喉元に喰らい付いた。
毒ごと、残っているかもしれない防衛機のデータを喰らおうとする。
既に汚染されているベルゼブモンは、どれだけ毒に触れても皮膚を焼く事はない。激痛に見舞われる事もない。相手が分解するまで、捕食する事を止めない。
「なにしてるの!? おかしくなっちゃうよ!!」
止める声が届くことは無い。男はひたすらに牙を立て、飲み込んで、せり上がる嘔気に身を任せた。コンクリートの床に黒い吐瀉物が広がっていった。
──見かねたメガシードラモンが男を咥え、無理矢理に騎士から引き離す。
「アイスリフレクト!」
氷の壁を張り、それを尾で叩き割る。食い散らかされた騎士の身体に破片が注ぎ突き刺さった。
『み、水! 水出してやって! ……しっかりベルゼブモン! 毒に負けるな!』
「ワイズモン、やつの状態は!?」
『……信じられませんが成功です。防衛機としての機能はほぼ全壊しています! 残った毒を焼いて下さい!』
『あとはオレたちに任せて休んでて! ──メガシードラモン!!』
「サンダージャベリン!!」
雷撃が落とされる。
毒の焼ける臭いが広がる中──騎士が焦げて塵になるまで、それは撃ち続けられた。
『────防衛機、一体の機能停止を確認! 二人は……』
「オレたちはこのまま上にいく!」
『了解。空間の「穴」には結界としての機能は確認されません。そのまま突き進んで!』
『……そーちゃん、村崎……!』
『誠司! すぐ追う!!』
フレアモンは振り返らなかった。メガシードラモンも躊躇わず上空を目指した。
二人を追おうとする帯刃の騎士。その腕を掴み、フレアモンは炎の拳で殴り飛ばす。
騎士の背から伸びた、しなる帯刃がフレアモンを切り裂く。けれど彼もまた攻撃の手を休めず、拳と刃はひたすらに入り乱れていく。
『……! なあフレアモン、今……何か見えた! 胸の所だ!』
フレアモンは咄嗟に騎士の胸部へ目線を落とす。────機体を「騎士」として形作っていた毒が、焼け焦げて剥落している。僅かに残されていた本来の純白が、表面に露出していた。
すかさず胴体を掴み、騎士の胸部に顔を寄せた。水晶片が発射される寸前、口元が触れる位置までその純白を近付けて────
「────清々之咆哮!!」
至近距離から放たれた浄化の炎。
騎士の胴体に、大きな穴が空いた。
「──、──」
呻き声ひとつ上げず、痙攣する騎士。
未だ完全には停止しておらず、このままでは再び起動しかねない──そう、ワイズモンが忠告する。
だが、
「……いや、もういい。時間も無いから」
フレアモンはそう言って手を離した。
騎士は吹き抜けの奈落へ、吸い込まれるように落下していった。
『…………フレアモン、大丈夫? 傷を……』
「大丈夫だ。……傷は、まだいい。後で治そう。大丈夫だから」
そう言って、フレアモンはワーガルルモンのもとへ向かう。裂傷から赤い血を滴らせながら。
彼が騎士と戦っていた、部屋の様子はまさに惨状だった。
「……ワーガルルモン……」
飛び散る血痕と黒い飛沫。毒の焼ける臭い。
息を荒くしながら、ワーガルルモンが振り返る。
「……それは、壊れたのか?」
「ああ。……多分」
「……傷が酷いじゃないか」
「お前こそ」
「治せば、いいのに」
「……お前こそ」
「嫌な予感がするんだ。無暗に使いたくなくて」
「……。……僕もだよ」
ワーガルルモンは、皮膚を失った掌を見つめる。
「…………“再生”、か。……」
『……でも……ねえ、二人共……痛くないの……?』
「……痛いよ。すごく痛い。でも、大丈夫。僕達はまだ生きてるから」
ワーガルルモンは騎士を置いて部屋の外へ。フレアモンの肩に腕を回すと、鋼鉄の翼が二人を浮かび上がらせた。急いでメガシードラモン達の後を追う。
空にはもう、二人の姿は見えなかった。無事に第三階層へ入れたのだろう。
『……海棠くんたち、大丈夫かな』
『バイタルは正常です。戦闘が行われている様子も、付近に熱源反応も無い。……ですが』
『うん。さっきからノイズが酷くて音が聞こえないの。視界モニターも、メガシードラモンの氷で反射しちゃって……』
状況は把握できないが、少なくとも防衛機やクレニアムモンとは遭遇していないと分かる。安心する反面、フレアモンとワーガルルモンは焦りを抱いた。
──早くクレニアムモンに追いつかなくては。
「……っ」
フレアモンが放った「取り返しがつかない」という言葉────それが何を指していたのかは、実のところ当人達もうまく理解できていない。
ただ、無性に嫌な予感がしているだけ。言ってしまえばただの直感だ。きっと自分達が知らない──クレニアムモンが再生しようとしている「いつかの自分達」が、知っているのだろうと思う。
────そう。ここまできたら最早、疑いようがない。
ずっと探してきた、自分達という存在の正体。遠い日の記憶。
その答えが、全てが此処に在るのだろう。
クレニアムモンは知っている。自分達は知っている。
ああ、けれど自分達だって──知っていたのだ。思い出せないだけで、本能はとっくに気付いている。
だから、急がなければ。全てが「また」手遅れになる前に。自分達は辿り着かなくては。
何より時間に余裕が無い。先程の戦闘で、作戦時間をだいぶロスしてしまった。
破壊された空間の穴。剥落したテクスチャに近付いていく。
それに伴い感じる毒のにおい。──気付いてはいたが、先程浴びた毒は地上のそれよりもずっと濃度が高いようだ。
「そういえば……どうしてさっき、ネプトゥーンモンの結界が起動しなかったんだろう」
ふと、ワーガルルモンはそんな事を思う。……そうだ。こんな事になるなら、ベルゼブモンにも彼の加護を授けてもらえばよかった。
彼らは空間の穴へと飛び込んでいく。
薄い膜に触れたような感覚。僅かに感じた雨のにおい。それを疑問に思った時には、既に目の前の光景は全く別の物へと変わっていた。
天の塔、第三階層。
最初に視界に映ったのは、幾重にも重なる氷壁。
そして────その中で泣き叫ぶ、メガシードラモンの姿であった。
◆ ◆ ◆
辿り着いた第三階層は、天の塔としての機能と形状をそのままに保っていた。
クリスタルの群晶が浮遊し、床も壁も水晶で構成された電脳空間。
迷路のような構造ではあるが、重力の概念が再び失われ、意思のままに空間を移動できる。自由ながらも先程までの狂気は消えた、神秘的な空間だ。
そこでメガシードラモンは泣いていた。氷の壁で自身を隔離するように守りながら。
ベルゼブモンは全身から黒い液体を滴らせながら、水晶の壁の一角を、無表情のまま見つめていた。
何があった?
するとベルゼブモンが静かに、自分の目線の先を指差した。フレアモンとワーガルルモンは恐る恐る顔を向け────
「────ぁ」
クリスタルの壁に映し出された──“それ”を見て、絶句する。
映っていたのはデジタルワールドだった。
遥か遠く離れた地上。見覚えがある場所も、無い場所も、様々な場所が映し出されていた。
その、全てに。
「────……なん、で」
雨が降っているのだ。
世界中に。黒い、毒の雨が。
第三十一話 終
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