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そして、世界には今日も雨が降る。
*The End of Prayers*
第三十二話
「雨に唄えば」
◆ ◆ ◆
それは、夏の夕立のような大きな雨粒。
空を覆う暗雲から、一斉に降り注いでいく。
大地に丸く花を描いて、広がって、埋め尽くして。
目の前の水晶の壁には、そんな地上の姿が映し出されていた。
雨音はノイズのようにザアザアと鳴いていた。
まるで、雨の幕でぼやける風景を窓越しに眺めるような……そんな感覚が、ほんの一瞬の錯覚が、不思議と彼らの心を過ったのだ。
だが────めくるめく、映っては消える映像の中。
とある場所の姿が映し出されると、花那が悲鳴にも似た叫び声を上げた。
彼女はそこに、廃工場都市のシェルター地区を見た。聖要塞都市の広場を見た。名前も知らない、けれど見覚えのあるデジタルワールドのどこかを見たのだ。
映るのはほんの一瞬で、雨が降っている事しか判らない。そこにいるであろうデジモン達の安否は不明なまま、映像は次の場面へと移り変わる。
思わず駆け寄ろうとするも、電脳化した子供達には何も出来ない。そんな事をしたところで意味も無い。画面越しに見ていた柚子達も、ただ声を詰まらせていた。
どうして。
世界中に、雨が降っているのだろう。
「あれは、何だ」
言葉を失くすフレアモン達に、ベルゼブモンが目線を向ける。
「俺には、わからない」
「…………毒が……降って、るんだよ……」
フレアモンの声は震えていた。ベルゼブモンは数度、咳込むと──自身の掌に零れた黒い血と、水晶に映る雨を見比べた。
「なら────あれは、俺がやったのか?」
「違う。……お前だって毒の被害者だ。何も悪くない」
「……。…………毒の俺が……喰い続けて、これから喰っていく事も……お前はそう思うのか」
「……毒があっても無くても……生きる為に命を食べる事は、そもそも俺達の在り方だ。ベルゼブモン、そこに善悪は無いんだよ。──でもこれは違う。この雨は……こんなもの、ただの虐殺だ……!!」
クレニアムモンを野放しにして──こうなる確証があったわけではない。あったのはただ、取り返しのつかない事になるだろうという漠然とした予感だけ。
──それがまさか、こんな最悪の結果となろうとは。
かつてロイヤルナイツが築いた結界。天上の毒の泉を堰き止めていた、ダムの役割をしていた筈のもの。それが、破壊された。
結界の礎であった仲間の亡骸に────クレニアムモンは一体、何をしたのだろう。
「……そうか。だからさっきの防衛機は、あいつの仲間の形を……」
ワーガルルモンは項垂れ、顔を覆いながら膝を着く。
この雨はいつから降り始めていたのだろうか。
塔に侵入してからしばらく、クレニアムモンは姿を現さなかった。──きっと、この為の「用事」を済ませていたからだ。雨は自分達が第一階層にいる間、もしくはそのすぐ後から──今まで、ずっと降り続けているのだろう。
きっと、恐ろしい程の被害が出ているに違いない。
自分達を見送ったデジモン達の顔が浮かぶ。出会ってきた同胞達の顔が、浮かぶ。
「僕達は──……また、間に合わなかった……」
自分達は、また。
────救えない。
『……、……ッ……皆様……まだ、作戦は続いています。こうしている間にも時間は過ぎていく』
ワイズモンが声を絞り出した。
『早く、移動を。此処で嘆いていたって、何も解決しないのだから』
「…………そう言えるのは……ワイズモンのこきょうが、ここじゃないから……!」
『でしょうね。ウィッチェルニーも時間の問題だとは思いますが』
こんな事、言いたくはない。毒で故郷を失った仲間に、今まさに失おうとしている仲間に、言いたいわけがない。──けれど、
『今、この時……地上の仲間達はきっと、生きる為に足掻いている。生きていたいと戦っている。──ライラモンだって探索を続けてくれています。貴方はそれを無駄にすると言うの?』
「……だめだよ、もう、まにあわない。こんなに毒がふったら、天使様の結界だってふせげない。天使様がふせげないのに、デジタルワールドがだいじょうぶなわけない……!」
「────なら、お前はここにいればいい」
ベルゼブモンが掌で氷壁を叩く。びくりと顔を上げたメガシードラモンの目の前に、黒い手形が擦れて跡を残した。
「結局、アイツを殺せばいいんだろう」
そう、短絡的に結論付ける。そもそもベルゼブモンがフレアモン達を待っていたのは、現状と進路が分からなかったからだ。デジタルワールドがどれだけ毒に飲まれようと、彼が立ち止まる理由にはならない。
ある意味で──この状況を悲しまない者が一人でもいたのは、一行にとって幸運だったのかもしれない。
「…………たおしたって、もどらないよ……」
「殺さないなら、食われるだけだ。俺は俺の世界を取り戻す。……奴は何処だ」
『……──彼が現在、塔の上空にいるのか、最上層にいるのか……いずれにしても、各層間との接続可能エリアまでは向かわねば』
「そこまで案内しろ」
『勿論です。使い魔が示す方へ────』
そう、此処で留まる訳にはいかない。
答えを得たベルゼブモンは、ひとり先に進もうとする。それを見た蒼太達が慌てて声を上げた。
『お、俺たちも行こう……! クレニアムモンを止めなきゃ!』
『結界だって、まだ全部は壊れてないかもしれないよ! 早くしないと本当に皆、死んじゃうよ……!』
悲痛な声で訴える。────ワイズモンの言う通りだ。時間は刻々と進んでいき、いずれはこの子達も危険に晒される。
ワーガルルモンは顔を上げた。泣き腫らしたメガシードラモンと、目が合った。
「…………メガシードラモン、誠司。……僕達は上に行くよ。でも二人は、無理しなくていいんだ。故郷が……失くなる事は、本当に……苦しいから」
「──が、るるもん……」
「ここにいていい。ワイズモン達の亜空間に行ったっていい。大丈夫、僕達は迎えに来るよ。…………だから、どうか無事でいてくれ」
氷壁から、メガシードラモンから、離れていく。
「……あ……」
仲間達は水晶の迷宮へを身を隠す。メガシードラモンは、その後ろ姿を眺める事しか出来なかった。
◆ ◆ ◆
電子の海を渡る。
水晶の迷宮を駆ける。
既に下界の映像は見えなくなった。だが、雨音のノイズは止まない。
『────反応を確認。数は二つ、防衛機です!』
ワイズモンの通信も、耳を澄まさなければ掻き消えてしまう程。
うるさくて、煩わしくて────耳を塞いでしまいたいと、何度思っただろう。
『十秒後に一機目とエンカウント! 距離は──……』
だが、思うだけだ。
耳を塞ぐことはしない。目を閉ざすこともしない。
前に進まなければ。悲しみに暮れる事も、失意に項垂れる事も、自分達には許されはしない。
「……前にも後ろにもいない!? どこに……」
『フレアモン、壁だ! 突っ込んでくる!!』
「! ────紅蓮獣王波!」
防衛機が壁を突き破ると同時に、フレアモンの拳から炎の獅子が放たれた。
炎が巻き上がり、水晶が砕け散る、毒の焦げる臭いが通路に立ち込めていく。
『あいつ……さっき下で倒したはずなのに!』
「別個体だ! 同じ見た目でも……毒で勝手にロイヤルナイツの姿を変えられてるだけ! ……クレニアムモン、何を考えて……」
「フレアモン! 応戦するか!?」
「いや、こっちは俺が押さえる! ワーガルルモン達は次の奴を!」
『────二機目、来ます! 二時方向!』
「フォックスファイアー!」
「クイックショット!!」
確かな手応え。しかし一撃では到底、破壊には至らない。
だが、構わない。一機ごとに破壊する猶予は無い。
第二階層での戦闘から、ワイズモンが防衛機の構造を解析。毒で変異しているものの、熱源探知センサーと視覚ユニットを破壊すればしばらく足止め出来る────筈だ。
「紅・獅子之舞!!」
毒の剣で身を裂かれながら、フレアモンは機体の一点に拳を叩き付けていく。
それを繰り返し────騎士が一時的にフレアモンを視認できなくなった。そして時を同じくして、ワーガルルモン達も二機目の「目くらまし」に成功する。
『皆、こっちに続いて!』
黒猫が先導し、三人は壁の崩落部から飛び出した。防衛機の機能が再起動するまで、少なくとも数分は稼げるだろう。
「俺に掴まれベルゼブモン! 奴らを振り切る!」
『走って、走ってワーガルルモン! あんなのいっぱい相手にしてたら時間なくなっちゃう!』
『……そうだ、時間……! なあ、あとどれくらいなんだ!?』
『残りあと七十五分! 急がないと、一時間切っちゃうよ!』
そう告げた柚子の声に、一行は動揺が隠せなかった。体感と現実はあまりに乖離していて、焦燥感が彼らの鼓動を一気に早めた。
第二階層へ到着した時は二時間半近くも残っていたのに────だが、こうなった原因は明確だ。地上の様子に足を止めていた間もそうだが、何より戦闘に時間をかけすぎた。
そうは言っても、決して短縮できるようなものではない。防衛機からの離脱だって、彼らにとっては精一杯の状況で行われている。
「……マグナモンの仲間が他の防衛機を壊してなかったら……僕らはどれだけの数を相手にする事になったんだ……!?」
考えるだけでもおぞましい。そして────たった数体としか交戦していないにも関わらず、これだけの時間と体力消耗した自分達が情けなくてたまらない。
『ねえ、その仲間のデジモンって今どこにいるの? 近くにいるなら一緒に戦ってもらおうよ!』
『そうだよ! きっと防衛機だってすぐ倒せる……俺たちもすぐクレニアムモンの所に行ける!』
『……、……どこにいるかは、私たちにもわからないんだよ。でも──』
二人は来ないだろう。姿を見せることは、ないだろう。
フレアモンとワーガルルモンが、「コロナモンとガルルモン」で在る限りは。
「……くそ……俺達にもっと、そのデジモン達ぐらい力があれば……!」
フレアモン達にとってはまだ見ぬデジモン。名も知らぬ彼ら。
一体どんなデジモンなのだろう。マグナモンの仲間なら、クレニアムモンの仲間でもあるのだろうか。それでも協力し、塔の防御機構を破壊してきてくれた。
一体どんな事情があって、彼らは。
“──まあ、アレらの願いはそもそも、そこにいる『二人の再生』だ。”
「────ッ」
ああ。また、頭痛だ。
雨の音がうるさい。
何かを思い出そうとする、頭の中に、ひどくノイズがかかって。
「……どうした。さっきより遅い」
「! ご、ごめん、スピード落としてる場合じゃないのに……!」
早く、もっと早く。
駆けて、翔けて、この階層を突破しなければ。
クレニアムモンに会わなければ。クレニアムモンを止めなければ。
「……まだ着かないのか」
『まだです。耐えて! そこから無理に接続しても不安定な空間に出るだけ!』
『ね、ねえ。クレニアムモンがやってたみたいに、私たちも壁ごと壊しちゃえば……!?』
『通路ならともかく、階層壁の破壊は不可能でしょう。残念ながら皆様では火力が足らなすぎる! 試したとしても──』
ワイズモンの声を銃声が掻き消す。弾丸は水晶の通路を貫通し、その先へ────だが、空間の果てと思われる壁に跳弾し、落下した。
なるほど、確かに。ベルゼブモンは舌打ちをした。クレニアムモンの鎧にさえ傷をつけた弾丸だが、空間を破壊する程の威力は持っていないようだ。
やはり自力で、移送機の設置エリアまで向かうしかない。
もし空間ごと破壊されることがあれば、それは────全てを終えたクレニアムモンが戻って来たということ。
『────ワイズモン、また防衛機の反応!』
『距離と方角は?』
『五百……来た方向から追って来てる! さっき戦ってた奴のひとつ!』
『ならば迎撃は時間の無駄です! そのまま前進!』
瞬時に逃避を選択する。防衛機は残していても構わない。みちるとワトソン────ミネルヴァモン達と邂逅しない範囲まで突き放せば、いずれ彼らが撃破してくれるだろう。
だから、もっと距離を。
遠くまで、もっと高く、もっと上へ────!
『……ッ』
唇を、噛み締める。
事前にマグナモンから提供された塔の構造と、変貌した現在の内部構造。その大まかな位置関係が一致しているなら、この先の上部空間には管制室と動力部が存在している筈だ。
『……管制室を利用すれば、子供達全員の位置関係が把握……、……いいえ、まともに稼働している保証がない。でも天の座を崩落させたくないなら、最低限の機能は残してるだろうから……』
思考が口からこぼれていく。いっそ破壊してしまえば防衛機も止まるだろうか? ──などと一瞬だけ考えてはみたが、恐らく塔自体が稼働不能となり墜落する。
よって動力部共々、損傷も破壊もさせてはならない。汚染された防衛機が誤射をする可能性も否定できない以上、付近での戦闘そのものを避ける事が望ましい。。
ならば。──管制室と動力部に接触しないルートを再検索。
数秒後、検索を完了。使い魔で仲間達を誘導する。……終ぞ、ここまで子供達が収容されている空間を見つける事はできなかった。
────すると。
『……あれ、熱源が……』
管制室が存在するであろう位置に、柚子は防衛機ではない二つの反応を感知する。
『わ、ワイズモ……』
『────こちらへ。急いで!』
それを、勘付かれてしまわないように。ワイズモンは仲間達を導いた。
◆ ◆ ◆
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