◆  ◆  ◆



 進む。進む。
 背後から追ってくる機体を突き放す。
 壁を壊し、壁を作り、僅かでも時間を稼ぎながら。

 上る。上る。
 水晶で構成された空間はどこを向いても同じ景色。
 水の底へ沈むように。霧の中を進むように。夜の空に浮かぶように。
 何度も平衡感覚を失いそうになりながら、影絵の猫が示す方角だけを信じて進む。

 階層間ゲートの接続可能圏内へと入れば、最上層へも天上の結界へも移動可能となる。──彼が天上にいてくれたら幸いなのだが。
 と、言うのも。イグドラシルが手元にいない状態での、最上層への突入は望ましくなかった。神がいなければ座に行ったところで意味が無い。むしろ戦闘によって、座が破損してしまうリスクだってある。

 そして当のイグドラシルだが────ライラモンからの連絡はまだ無いようだ。防衛機からはうまく逃げられているらしい。
 今のうちに彼女が、神と少女を発見する事ができたなら……非常に理想的ではあった。クレニアムモンと邂逅するより先に、彼女らを連れて天の座へ────そうすれば作戦完了。毒の雨も止み、世界の崩壊が食い止められる。

「……毒のにおいが濃くなってる。防衛機……じゃない。空の毒か……!?」
『わ、私にもわかるよ……! ひどい、嫌なにおい……私たち、外に近付いてるってことなの……!?』

 ────しかし何事も。そう、都合良くはいかないものだ。

『目標エリアに異常値! 外部からのゲート構築……、……熱源反応、ロイヤルナイツです!!』
「戻ってきたか……! 俺達を簡単には行かせてくれないわけだ!」
「ギリギリまで進もう! 少しでも近付くぞ!」

 そして。
 彼らが向かう先の空間が歪む。
 まだ遠くに位置するであろうゲートからの転移。クレニアムモンは、再びその姿を現した。

 周囲の水晶に反射する黒紫色。
 騎士は静かに佇んでいた。第二階層で出会った時と、特別変わった様子は見られない。

「……これは何の音だ?」

 すると突然、クレニアムモンはそんな事を一行に問う。

「ずっと鳴っていたか? お前達と会った時は気付かなかったが。……天の座があまりに静かだったから、余計に気になるのだろうか」

 その言葉に、フレアモンとワーガルルモンの中に湧き出るような怒りが湧いた。
 何を────こいつは、何を言っている。

「お前が、降らせたんだろう」

 この雨を。この世界に。
 クレニアムモンはきょとんとした顔でフレアモンを見ると、すぐに「ああ」と納得した。

「そうか。こんなに強く降っていたのか」
「────ッ! ……お前のせいで……! お前が結界を壊したせいで! 今! 大勢のデジモン達が死んでるんだぞ!!」
「いずれは死んだとも。彼らも、お前達も、私も」
「イグドラシルが生まれ変わるからか!? だからってこんな事する必要があったのか!?」
「それにあの結界は……お前とマグナモンの仲間達が命を懸けて作ったんだろう!? ……その犠牲を、お前は無駄にしたんだぞ……!」

 二人の糾弾に、クレニアムモンは顔色ひとつ変える事はなかった。

「最後だからこそ、最期だからこそ、盟友達(かれら)を在るべき場所で眠らせるのだ。安息なりし天の座に、我らがイグドラシルの円卓に。
 それを邪魔はさせまいよ。私はこの場で終わっても良いが、彼らの終末は穏やかでなくては」

 なんて身勝手な理由だろうか。憤り溢れる彼らの眼差しに、けれど騎士はどこか懐かしそうに目を細めて──

「だが、そうか。お前達は──“またしても”、そうして私を責めるのだな」

 やはり変わらないな。そう言って小さく笑った。

「「────!!」」
「おい。……おい! 俺達がやるのは……奴を殺す、それだけだ。話す必要はない」
「そうだな。私は責められるべきだろう。私は殺されるべきなのだ。しかし私は騎士である。ロイヤルナイツが一人である。主と盟友達の名に懸け、世界が生まれ変わる瞬間(とき)まで────私は、我が忠義と正義を貫き通す」

 そして────空間が、震えた。

 クレニアムモンは身を屈め、水晶壁を蹴って勢い良く跳躍する。
 槍を構えた黒紫の砲弾。一行は即座に散開────直撃を逃れるも、衝撃波が二秒後には襲い掛かる。
 ワーガルルモンが即座に氷壁を張り巡らせた。が、耐え切れない。氷と水晶の破片は煌めきながら、彼らの皮膚を引き裂いていく。

「紅蓮獣王波!!」

 フレアモンが高度を取り、炎の獅子を放った。クレニアムモンは槍の一振りでそれを切り裂く。その衝撃はそのままフレアモンをも吹き飛ばした。
 しかし、槍を掲げた事で生まれた小さな隙──それを狙ったベルゼブモンが、騎士の胴体に向け銃を放つ。

「ダブルインパクト!!」

 クレニアムモンは身を翻す。弾丸は鎧を削るように掠めると、その先の水晶壁を砕け散らせた。
 男はトリガーを引き続ける。しかし射撃間隔の僅かなタイムラグが、騎士の回避を許してしまう。────それならば、
 
「────オーロサルモン……!」

 ショットガンを銀の男の機関銃に変形させ、騎士に向けて乱射した。

「ヘルファイア!!」

 機関銃から放たれる弾丸の雨。クレニアムモンは魔盾を生み出し構え、正面から迎撃する。

「ゴッドブレス!!」

 約三秒、全ての攻撃を無効化する魔盾アヴァロン。それが役目を全うする────直前、クレニアムモンは魔槍を高速回転させ、残りの銃弾も弾き飛ばしていった。

『ワーガルルモンしっかり……! あの槍、止めるよ!』
「ああ!」

 追うように、背後からワーガルルモンが斬りかかる。機関銃の弾丸に巻き込まれる事も厭わずに。
 クレニアムモンはもう一方の手でワーガルルモンを殴り払った。──僅かに騎士のバランスが崩れ、槍の回転が揺らぐ。その瞬間、クレニアムモンの脇腹に鉄の雨が降り注いだ。

 宙に舞うブラックデジゾイドの破片。初めて見せる、鮮血の飛沫。

「……不完全とは言え、流石は究極体か」

 感心したように、一言。クレニアムモンはやはり顔色を変えなかった。
 そして砕けた鎧に手を当て、クレニアムモンは自身のデータにアクセスする。

 ────損傷箇所が復元される。強制的な自己修復。

『……は!? そんなのってありかよ!?』

 自己修復能力があるなら、地道に鎧を砕いたところで意味が無い。一気にデジコアを破壊できるレベルまで攻撃しないと────

『フレアモンとワーガルルモンはクレニアムモンの動きを押さえて! 我々はベルゼブモンへの弾丸補充を!』
「……ッ……蒼太ごめん。今から無理させる!」
「柚子! 僕らの治癒を繰り返して! でも花那と蒼太のデータが壊れないように……!」
『わかってる! 中の二人が危なかったら、無理にでも止めるから!』

 最早、捨て身の覚悟と言っても過言ではなかった。
 あの鎧を砕く手段が限られているなら、自分達はこうするしかないのだ。

 ワーガルルモンが拳を構え、クレニアムモンの脇腹めがけて飛び掛かる。

「それは──何度やっても変わらぬだろうに」
「グレイシャルブラスト!」

 振り払おうとする腕に向け、ワーガルルモンは氷の爆風を放つ。冷気で鎧の表面を凍結し、騎士と自身の肉体とを固定させた。
 続けて上空からフレアモンが急降下。クレニアムモンの槍ごと、もう一方の腕にしがみつく。

「清々之咆哮!」

 咆哮と火炎の衝撃が、クレニアムモンの顔面に直撃する。
 巻き上がる煙。白い視界の先を見透かすかのように、ベルゼブモンは装甲の薄い腹部に照準を合わせていた。

 トリガーに指をかける。──だが、煙の向こうの影が大きく揺れた事に気付き、ベルゼブモンは咄嗟に動きを止めた。

「────ッ!」

 直後、煙の中から突進してくる騎士。しがみついたフレアモン達を、まるで盾のように構えながら。
 ベルゼブモンは地面を蹴った。──彼の背後にあった水晶壁にクレニアムモンが激突する。硬い物が圧し潰されたような、嫌な音が響いた。

 壁は砕け、崩れていく。二人をエアバッグ代わりにしたクレニアムモンは当然ながら無傷だ。
 騎士の背に向け、ベルゼブモンはすぐさま銃弾を撃ち込む。数発は鎧を抉ったが──

「ぐっ……!」
「……! ッ……!」

 もう数発は、しがみついていた仲間達へ。
 だが、彼らも銃創を瞬時に修復。クレニアムモンを押さえこむ事を諦めなかった。槍で切りつけられても、決して手を離さなかった。

 全てはクレニアムモンを止める為に。
 彼さえ止められれば、イグドラシルを、この雨を、世界を。

「──やはり、やはり、力が足りなさすぎる。これではしつこいだけの雑魚ではないか」

 落胆したような声が漏れた。クレニアムモンは二人を振り解くと、上空へと投げ飛ばす。
 槍を振るう。その衝撃波は真空の刃となり、身動きの取れない二人へ──

「こんな有様では取り戻せんよ。お前達は」

 フレアモンの鋼翼が、ワーガルルモンの足が、切断された。

「あ」
「──、──」

 続けて騎士は、自身の足元に向けて衝撃波を放つ。
 衝撃波はそのまま遥か下方へ。空間ごと砕き切り裂き、下層への道を繋ぐ。

「墜ちて行け。人間共々生まれ変われば……案外、“元の姿”になっているかもしれないぞ?」

 全身にのしかかる重力。腹の中を蠢く浮遊感。
 飛び上がれない。着地できない。受け身も取れない。パートナーによる修復が間に合わない。
 上空からは銃声が聞こえてくる。金属を弾く音が聞こえてくる。

 元の姿? 生まれ変われば?
 思わず笑いそうになる。ここでやり直せば「雑魚」から抜け出せるのか? クレニアムモンを今度こそ止められるのか? そんな訳がないだろう!

『フレアモン……!!』
『ワーガルルモン!!』

 頭の中で響く、パートナー達の呼び声。


 ────ああ。

 自分達は、あと何度────やり直せば、





『────メガシードラモン!! そーちゃんたちを受け止めて!!』

 その時だった。周囲のノイズに混じり、そんな声が聞こえてきた。
 直後、あたたかな何かが────フレアモンとワーガルルモンを掬い上げる。

 彼らの目に映り込む、真っ赤な鱗。
 置いてきたはずの仲間の姿が、そこには在った。

『……せ、誠司……』
『うわ! めちゃくちゃ怪我してんじゃん! 大丈夫!?』
『海棠くん……メガシードラモンもどうして……!』
『そ、そうだ聞いてよ! あの後すごい事が分かって……! なあ、まだ生きてるんだ! 皆、生きてるんだよ……!』
「天使様も、みんなも……生きてるデジモンはたくさんいて……! もう全部、だめだって思ってた、でも……! ちがったんだ、そうじゃなかった!!
 ……ごめんね、あの時オレ、あんなこと言って……! オレだけ逃げて、ほんとうにごめん……!」

 フレアモンとワーガルルモンは顔を見合わせる。────思わず、涙が滲んだ。

 まだ、生きているデジモンがいる。地上で戦っている仲間がいる。
 生きてくれている。手遅れじゃなかった。まだ、間に合うのだ。

「いいや……いいや、ありがとう……! それを教えてくれて……僕達を、助けてくれて……!!」

 その事実は────彼らの心に、どれだけ希望をもたらした事だろう。

 メガシードラモン達はあの後、ワイズモンの使い魔が共有した進行経路を辿り、無理矢理に追いついて来たという。壁を突き破り、防衛機に見つかってもなんとか離脱し──その肌には、修復されきっていない痕がいくつも見られた。

『ていうか、さっき凄い攻撃が降ってきたけど何!? 怪我もひどいし、もしかしてヤバい状況……!?』
『もうクレニアムモンがいるんだよ! ベルゼブモンがひとりで戦ってる!』
『え!? め、メガシードラモン急いで! 流石にひとりは死んじゃう!』
「──しっかりつかまってて!」

 メガシードラモンは声と共に急上昇した。クレニアムモンまでの僅か数秒の間に、フレアモン達も精一杯の修復を試みる。

 そして、

「メイルシュトローム!!」

 吹き上げる雹の嵐。雷の竜巻。
 彼らの真上にいた、クレニアムモンを包み込む。

 けれど暴風に巻き込まれて尚、クレニアムモンは冷静に槍を構えていた。こんな攻撃は物ともしないとでも言うかのように。

「……あのデジモン……生きていたのか。……残りの一体は? あれは死んだのか?」

 だが、メガシードラモンにとってはそれで十分だった。もとより自身の力で、あの騎士を倒せるとは思っていないのだ。

 僅かでもいい。仲間達が体勢を立て直す為の時間が稼げるのなら。
 あのデジモンを止めて世界を守り抜く為なら、的になる事さえ惜しくはない!

 騎士が嵐を槍で掻き消すまでの間に、瓦礫にまみれたベルゼブモンを回収する。防御創だろうか、両腕には一直線を描くように深い裂傷が付けられていた。
 パートナーが側にいない彼には回復の手段が無い。一度は治したマグナモンも此処にはいない。
 ワイズモンは即座に、自身の使い魔を男に捕食(ロード)させる判断を下す。……柚子と一体化していない事が幸いした。可能な限りデータを与えたとしても、他の子らより影響は少ないだろう。

『……これで……少なくとも片腕は修復できた筈……! 今のうちに移動を!』
『ヤバい来てる! 逃げろメガシードラモン! 行け行け行け!!』

「────クラウ・ソラス」

 凪いだ空間に腕を掲げ、両刃の槍を構える。
 投擲する。それは尾を描く流星のように獲物を追い、空へと逃げるメガシードラモンの尾を切り裂いた。

「ぐっ……ううっ」

 だが、血を零しながらもメガシードラモンは止まらない。
 痛くとも、苦しくとも、こんな所では止まらない。こんな所では終われない。

 あと少しなんだ。もう少しで辿り着ける。
 頭の刃がこぼれても、外殻がひび割れても、構わない。仲間達を背に乗せて、水晶の壁を砕いて、進んで、進んで。

 諦めない。
 絶対に諦めない!

「っ……あぁああああッ!!」

 自分達は────デジタルワールドに残った、最後の希望だ!!

『────接続エリア、入ったよ!!』

 数が半分になった使い魔から、柚子の歓喜の声が溢れた。

『これで最上階に行ける!!』

 見れば、周囲には移送機と思われる機体がいくつも浮遊している。
 既に機能は停止状態。他階層どころか同一空間内の移動さえできないガラクタ。それでも今の彼らにとっては、ようやく辿り着いたゴールテープだ。

 だが、一行が安堵したのも束の間。迫り来る騎士の気迫が押し寄せる。

 クレニアムモンは決して許さないだろう。彼らが神の座に立ち入る事を。
 けれどこれ以上は逃げられない。今はまだ最上層に移動する事も、ましてや下に落ちていく事など当然、選択肢としては存在しない。

 ただ、ただ、この場に留まり騎士を押さえるだけ。
 残された僅かな時間に用意された、華々しさの欠片も無い遅滞戦闘。

 号令も無く、喝采も無く、激しい雨音だけが響く中────黒紫の槍先が振るわれると共に、幕を開ける。



 その時だった。




『────!! ライラモンより通信!!
 やりました! イグドラシルを発見、回収に成功!! これより合流します!!』








第三十二話  終






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