◆  ◆  ◆




 こうして、オリンポスの神々と人間の少女との奇妙な共同生活が始まった。

 未春はとにかく無邪気で人懐こく、いつだってこぼれる程の笑顔を浮かべて──おかげで皆とはすぐに打ち解けた。
 何より戦いに疲弊した彼らを癒してくれる。なんともありがたい存在になったのだ。

 別に可愛いから、という理由ではない。まあ実際可愛いけど。

「ネプちん、ネプちん、これでいい?」
「ありがとう未春。これで皆を治してあげられる」

 毒と汚染デジモンを焼く激動の日々。究極体と言えど無傷では済まない。
 そんな彼らに対し──パートナーの未春によりデータを増強したネプトゥーンモンが、文字通り“身を削って”仲間の傷を修復するようになったのである。

 肉体のデータを修復するまでの時間、兄弟達は未春と色々な会話を交わす。
 まだ見ぬリアルワールドの事を聞く。人間という種族の生態を、デジモンとの価値観の違いを。たくさんのことを教えてもらった。

 代わりに、アタシ達もデジタルワールドについてを語る。生憎と今はこんな有様だけど。
 それを未春は感情豊かに聞いてくれた。幼さ故か、とても純粋でいい子だった。

 デジタルワールドの現状を悲しんでくれた。
 自分で良ければ喜んで協力すると言ってくれた。
 ただ、そこに「自身の命が危険に晒され得る」事への自覚は無かった。──当然だ。こんな幼い子に、どう覚悟を決めろと言うのか。

 実際、他の子供達は既に危険に身を置いているだろう。パートナーとなった者同士、なるべく物理距離が近い方がデジモンへの影響も大きいと聞く。

 けれど兄弟達は、何処へ行くにも決して、未春を外に連れ出そうとしなかった。
 降りかかる危険を憂慮したのだろう。数少ない安全圏、深海神殿に彼女を置くと決めたのだ。

 もちろん一人で留守番はさせない。きちんと警備、もとい子守り付きで。

「──ミィちゃん、またお留守番?」

 その重役を任されたのが誰かは、言うまでもない。

「そー。戦力外通知です。過保護なお兄ちゃんお姉ちゃんズが、あの黒いのには触るなって」

 そんなオニイサマの一人はウイルス種だが、逃げ足が速いのでお許しが出ている。実に不服だ。

「じゃあ、私と一緒にかけっこ練習しようよ! 足はやくなるよ!」
「大事なのはフォームと効率だぜミハルちゃん。■■■■兄が帰ってきたら教えてもらおうね。ガッコーだっけ? 走る競技があるんでしょ?」
「体育すきじゃないー。学校もすきじゃないー。ミィちゃんたちと遊んでる方が好き!」
「あらやだトーコーキョヒ! 人間は大変だねえ」
「いやだなー、あと四年も行かなきゃいけないなんて。デジモンはいいなあ」

 そうだろう、そうだろう。アタシも勉学は嫌いなので、学舎通いを強制されない世界なのはラッキーこの上ない。そういうのはアウルモンやネプトゥーンモンみたいな奴らが頑張れば良いのだ。

 でもその代わり、ここでは力が全てなんだけどね!!

「ミハルは幼年期かなあ。デジモンで言ったら」
「えー、私もう八歳だよ! もっとお姉さんだよー」
「はいはい」

 ……未春の子守りは楽しかった。
 ずっと末妹扱いされてた自分に、下の兄弟ができたみたいで。ああ、なんでも背伸びをしたがる“幼年期”の可愛いこと。見ていて頬が緩んでしまう。

「そういえばミィちゃんたちって、兄妹なのに全然、似てないよねー」
「そりゃあ、血の繋がりなんてないからねぇ」
「けど、家族なんだよね?」
「そうだよ。デジモンは自由だから、誓い合うだけ家族になれる。要は心の問題だ」

 それにアンタの両親だって、元は他人なんでしょ?
 そう言うと未春は目を丸くして「知らなかった!」と声を上げた。むしろなんでアタシが知ってるんだ。

「じゃあ、私も家族になれる?」
「もちろん。ミハルもアタシ達の家族だよ。兄さん達はとっくにそのつもりだ」

 家族にも友達にも会えない日々は、きっと心細いだろう。
 だから、せめてアタシ達が。この世界では、この子の家族になろうと決めたんだ。




◆  ◆  ◆




「────やあ、ミネルヴァモン。その子が例の?」

 未春がメンバー入りしてからしばらく、アウルモンが久しぶりに神殿へ顔を見せに来た。
 いつものようにアタシの左腕に止まると、きょとんとする末春に向けて首を回す。

「フクロウさん?」
「ボクはアウルモン。ミネルヴァモンのお友達だよ」
「じゃあ、私ともお友達だね!」

 アウルモンは未春に撫でられ弄られ抱き上げられる。もみくちゃにされる様子があまりに滑稽で、笑い声を我慢できなかった。

「あーあ、もっと早く来てくれたら、フクロウさんも一緒にお写真とれたのに!」
「写真?」
「この前とってもらったんだよ!」

 未春は嬉しそうに、写真立てを持って来て見せた。
 そこには未春と、アタシ達オリンポス十二神の集合写真が収められている。せっかくだからとネプトゥーンモンが提案したのだ。

「次は一緒に写ろーね。ネプちんに頼んであげる!」
「それは楽しみだ。……あ、神殿の中で撮ったんだね。まあ、外は今危ないし仕方ないのか」
「やっぱりお外って危ないの? いつも出ちゃダメって言われるの」
「なら、キミはいつも此処に?」
「うん。ミィちゃんとね、皆が帰ってくるの待ってるんだー」
「……へえ。ミィちゃん……ぷっ」
「ミハル喜べ! 今日のディナーは焼き鳥と唐揚げだ!」
「だめだよお腹壊しちゃうからね。……ミハル、オリンポスの皆は優しい?」
「みんな優しくて大好き! ミィちゃんいつも一緒にいてくれるし……。
 ……あれ? そういえばアナちゃんとマルくんは? 今日は一緒にお留守番するって……」

 未春は不思議そうに神殿を見回して、二人はどこ? と聞いてくる。

「二人はお出かけ。大事な用事です」
「えーっ、二人と遊ぶの楽しみにしてたのにー」
「ドンマイ、それは次回におあずけだ! 上手くいったらミハル、今度は空の神殿に行けるからね。ディアナモンの月の神殿はとっても綺麗なんだよ」
「ほんと!?」

 二人がいない寂しさは何処へやら、未春は星のように目を輝かせた。

「楽しみだねえ! 早く帰ってこないかなあ」

 海しか見えない窓を見上げて、空想の月夜を思い浮かべる。そんな未春に気付かれないよう、アウルモンがそっと耳打ちをしてきた。

「……ミネルヴァモン。事情は知らないけど、何かするなら二人だけじゃない方がいい。それこそ六柱、全員でやるべきだ」

 心配するアウルモンに対して、アタシは「大袈裟な」だなんて肩をすくめて、

「仮にも究極体のオリンポス神だよ? それが二人もいるんだから。それに危なくなったら切り上げてくるって」

 ────今、思えば。
 あの時、自分は何て事を口にしたのだろう。アウルモンの警告を受け入れて、すぐにでも仲間を呼んでいれば──。



 結局、夜になっても二人は帰ってこなかった。

 月の神殿から救難信号が送られてきたのは、兄弟達が彼らを探しに向かおうとした矢先の事だった。




◆  ◆  ◆




 ──救難信号の発信者はマルスモンだった。
 黒い水によって進化した究極体と交戦。対処しきれなくなり、ようやくの連絡。ディアナモンが戦闘不能になったのだと。

 一同、顔が真っ青になる。
 兄達はすぐに月の神殿へと発とうとして──その背中を追うように、アタシは咄嗟に声を上げた。

「待ってよ!!」

 兄達はどうして咎めないのだろう。二人と一緒に神殿で待つ筈だったアタシに、どうして叱咤ひとつ浴びせなかったのだろう。
 理由は明白だ。そんな余裕すらない程、事態は逼迫していたのだ。

「アタシも行く! ……行かせてくれ!」

 だが、せめて責任は果たさなければ。二人の行為を黙認して、彼らに伝えなかったのは自分だ。
 今この瞬間だけは────のうのうと神殿で待つなんて、出来るわけがない。

「──もちろんだ、僕達と来てくれ。君の力も必要になる」
「ネプトゥーンモンはミハルを頼む。ミネルヴァは俺達と。俺とネプトゥーンモンの加護は、もう二人にかけてあるから……」
「だが、ウイルス種の兄弟達よ。夜の月の神殿には太陽も水源も無い。私達の加護は合わせても二時間しかお前達を守ってくれない。くれぐれも時間には気を付けなさい。
 ヴァルキリモン、君も同行を。いざという時は……」
「分かってますネプトゥーン殿。少なくとも彼女だけは守り抜く」

 月の神殿までは遠い。
 加護というタイムリミットを抱えたアタシは、脚の速い兄──彼も同じ条件だが──に背負われ、先行する事になった。

「全速力で行く! ミネルヴァモン、振り落とされるな!」


 ────そしてアタシ達は、毒にまみれた夜を駆ける。


 ようやく世界の惨状を知る。宵闇に溶ける黒い泉をいくつも目にする。
 それを気に留める間もなく景色は過ぎて────走って、走って。

 やがて俊神たる兄の脚は、月の神殿を目視できる距離まで辿り着いた。
 神殿はとっくに溶けていて、そこにはマルスモン達でも敵わなかったらしい──毒によって肥大化したデジモンの影が見えた。こんなに離れた場所からも、はっきりと。

「──僕が囮になって引き付ける。ミネルヴァモンはその間に二人を探して!」
「わかった!」

 幸い、俊足の彼は逃げ足もまた速い。他の兄達とヴァルキリモンが来るまで時間を稼ぐつもりだ。言われた通り兄と別れ、マルスモンとディアナモンを探す。

 周囲には黒い水溜まり。溶解した命の痕跡が散らばる。
 二人の名前を呼んだ。瓦礫をひっくり返して、そこにいない事に安堵して、周囲を探し回った。

 毒のプールに足を突っ込む。兄達の加護が守ってくれる。何も怖くない。
 怖いのはただ、自分の最悪の予感が当たってしまう事だけだ。

「──! ヴァルキリモン……兄さん達も来てくれた……! よし、これで……!」

 仲間が追いついた事を察し、再び捜索を開始する。直後、周囲には戦闘による轟音が響き始めた。
 その音に負けないよう大声を上げる。名前を呼ぶ。何度も繰り返す。

 気付けば空の暗雲が流れ、隙間から僅かに月明かりが差し込んだ。
 煌々と、黒い大地を照らす。導くように、ある一点を示すように────
 
「……ディアナモン……?」

 そこには、ディアナモンが


「────姉さん」


 既に分解が始まっている、彼女が、転がっていた。

 持っていた大剣が、音を立てて地面に落ちた。叫びながら一心不乱に駆け寄った。
 ディアナモンを抱き上げる。彼女はアタシの顔を見ると、懸命に口を開いて、動かして、

「……ミ……ネ、ルヴァ……」
「待って、お願い待って、ねえ、今ミハル達が……■■■モンが来るから、待って」
「……にいさま……」
「そうだよ! 今すぐ来てくれる!! だから……!」
「……、……」

 そして

「……────みんな」

 耳元で、最期に、はっきりと。

「だいすきよ」

 掠れた声でそう、零した直後────ディアナモンは散った。

 さっきまで彼女だった光の粒子は、月の光と混ざって、分からなくなってしまって。
 それを見ながらアタシは、「アタシも大好きだよ」って、言いたかったのに。

 言えなかった。

「────」

 後悔と喪失感が胸を潰す。
 涙ひとつ、流せないまま。





 ────そして、後にアタシはネプトゥーンモンから聞かされる。
 マルスモンもまた、間に合わなかったのだと。

 兄達とヴァルキリモンが戦う中、ネプトゥーンモンと未春は瓦礫の下にマルスモンを発見した。分解こそしていなかったものの、その損傷は凄まじく──もう手の施しようがなかったそうだ。 

「……その声……ネプトゥーンモンか?」

 未春は彼を治そうとした。パートナーとしての繋がりを持つのはネプトゥーンモンだけなのに、未春は必死に彼の傷に手を当てて、治そうとしたのだ。

「マルくん、もう治るからね、痛くなくなるからね……!」
「……ミハル。こんな、危ない所にまで」

 神殿から出しては駄目じゃないかと、マルスモンはネプトゥーンモンを叱って──

「……そこに、いるのは……デジモンは、お前だけだな」
「ああ。皆、あの汚染デジモンと戦っている。……問題ないよ。大丈夫だ、ディアナモンだって」
「彼女には……悪い事を……」
「謝罪なら後で聞く。だから早く、早く私のデータを取り込め、何をしている」
「ネプトゥーンモン」

 彼は、気付いていたのだろう。肉体の形状を保ちながらも、自身のデジコアは既に崩壊し始めていた事を。空っぽの核にデータを取り込んだ所で、意味が無い事を。

「選んでくれ。この命をお前に託すか、世界に還すか」

 だからこそ選択を迫った。
 飛散するデータを、ネプトゥーンモンが取り込むのなら────まだ、間に合うから。

「……マルスモン……」
「そ、そんなこと、言わないで……大丈夫だよ……! ねえ、そうだよねネプちん! 今、マルくん治してるんでしょ!?」

 ロードすれば、彼のデータはネプトゥーンモンの中で生き続けるだろう。何よりネプトゥーンモンが強化される。毒に打ち勝つ可能性が上がる。

 けれど────

「────お前の命は大地に還り……いつか再び、我等と共に歩む日を」
「……承知した。後は、頼んだぞ」

 彼の選択を、マルスモンは笑顔で受け入れた。

「…………ネプトゥーンモン。此処は寒いな。……すまない。少しだけ、手を……」

 言い終えるより前に、ネプトゥーンモンは彼の手を握り締める。
 マルスモンは、穏やかに散っていったそうだ。




◆  ◆  ◆



 → Next Story