◆ ◆ ◆
月の神殿での一件から、ある程度の月日が経過する。
アタシは今日もお留守番。子守をしながらお留守番。
泣いてばかりだった未春も、最近ようやく笑顔を見せるようになってきた。
「姉さん達はいなくなっちゃったけど、また会えるから、悲しまなくていいんだよ」
未春にはそう話したが──実際、二人はあの場でデジタマを生成しなかった。
だから、同じ個体として発生する事はもう無いのに。「人間と違ってデジモンの命は繰り返すから、二人はちゃんと生まれ変わって会いに来るよ」なんて言っていたのだ。
嘘ばっかり。でも、薄情なアタシは涙ひとつ見せないから、きっと説得力があっただろう。
「いつになったら戻って来るかなあ」
未春は信じて、そんな事を言い出すようになっていた。
一方、ひどく傷心したネプトゥーンモンは塞ぎがちになってしまった。
他の二人の兄も、毎日がむしゃらに戦いに出てはボロボロになって帰ってくる。……どこか、自棄になっているようにも見えた。
こんな事なら。こんな事になるなら。
どうして──アタシは此処にいるのだろう。
「ごめんなさい」
傷を癒した直後、再び戦地へ向かう兄の背に、懺悔する。
「────どうしたんだい、急に」
振り向いた兄は、穏やかに笑ってくれていた。
「生きてるのが、アタシでごめんなさい。■■■モン、あなたの妹はディアナモンだったのに」
「……、……ミネルヴァモン」
「アタシの所為なんだ。アタシが……知ってたのに、何もしなかったから」
優しい彼はやっぱり、アタシを責めはしなかった。
それどころかアタシを抱き寄せて、震える声で
「そんなこと、言わせてごめんな」
どうして彼が謝るのか、分からなかった。
「ごめんな……」
やめて。言わないで。
どうせなら張り飛ばして、思い切り叱ってくれたら良かったのに。
もう一人の兄もまた、戦っては傷を癒して、纏う加護が続く限り無茶を繰り返す。
彼はウイルス種だから、脚が速くたって危ないのに。
今日も彼は外の浄化に向かおうとしていた。
そんな背中に、少しだけ冗談交じりに声を掛ける。
「雨合羽でも作ろうか?」
もしくは傘でもいい。そうしたら、少しでも安心だろうから。
「アウルモンの羽をむしって作ってあげるよ」
「はは。そんな事したら彼が泣いちゃうよ。……大丈夫、すぐに戻る。僕には時間制限があるからね」
この兄もまた、頑張って作った笑顔を向けてくれるのだ。
「ところで、ネプトゥーンモンはまだ部屋に?」
「……うん。塞ぎこんでる」
「…………無理もないか」
すると兄は踵を返して、石柱の側に腰を掛けた。
「これまで……領地のデジモン達が、死んでいくのが悲しかった。……でも……、……家族が死ぬのは、こんなに苦しかったんだな」
そう言って、両手で顔を覆う。
「ああ、嫌だな」
指の隙間から声が漏れた。
「大切な誰かを失くすのは、もう嫌だ」
そんな彼に、アタシは、どう声をかけたらいいか分からなくて。
けれどアタシが謝れば、むしろ彼を傷つける事は分かっていたから。
「兄さん達が泣いてるのを、見るのは辛い」
それしか、言えなかった。
「ミネルヴァ。……お前は、どうか最後まで笑っていてくれ」
愛情深い大きな手が、アタシの頭を撫でる。
アタシは「もちろん」と答えた。意地でもそうするよと言うと、兄は、少しだけいつもの笑顔を見せてくれた。
◆ ◆ ◆
それから、更に月日が経過する。
未春がデジタルワールドに来てから、どれほど時間が過ぎただろう。
もう、それさえ曖昧だ。数か月……半年、それとも一年だろうか?
けれど残念ながら、それだけ経っても世界の情勢は改善していない。
天使を含む他の勢力も、もうだいぶ疲弊してきているらしい。
彼らもご愁傷様だ。わざわざ子供まで誘拐してきて──本当ならもっと早くに解決している予定だったろうに、
他の子供達の様子は知らない。……生きているといいのだけど。
聞くところによれば、子供達の年齢に大きな幅はないとの事。つまり未春と同様、リアルワールドでは学び舎に通う幼子の筈だ。
大丈夫なのだろうか? ──と。アタシ達はここでようやく、漠然とした懸念を抱き始めていた。
この世界に誘拐されてから、未春は一度もリアルワールドに帰っていない。
人間としての教育を受けられていない。何より、家族と会えていないのだ。
勉強に関しては、籠りがちなネプトゥーンモンが勉学を教える形でなんとかフォローできている。しかし後者はどうにもならない。
リアルワールドでの彼女の扱いはどうなっているのだろう。
この子がいなくなって、本当の家族は心配しているだろうに。
「そういえば、デジタルワールドとリアルワールドじゃ時間の流れが違うらしいよ」
ある日。アウルモンが、そんな情報を仕入れてきた。
「こっちの方が十倍は速いらしい。もっとも毒のせいでデジタルワールド自体が歪んでるから、そのうち変わってくるかもしれないけど」
「……じゃあ実際、ミハルはリアルワールドだと、一ヶ月くらいしか姿を消してないって事になるんだね」
「一ヶ月『しか』、じゃない。ミネルヴァモン、一ヶ月『も』だ。あんな小さな子がそんなに行方知れずだなんて……きっと事件になってるよ」
それ以上に──と。アウルモンは「ある事」について、何より危惧しているようだった。
「そもそも、人間がこんな長い期間デジタルワールドにいて、身体に影響とか無いのかな」
────電脳空間に、血と肉で構成された生き物が暮らす事。
考えてもみなかったが、確かにそうだ。
だが──その「何かしらの影響」を調べる為の知識も、技術も、手段も、アタシ達は持ち合わせていない。
アタシ達は怖くなった。
未春はずっと安全圏に隔離している。けれどこの世界にいる以上、この先何も起きないなんて保証はない。アウルモンが言ったように、外傷以外の要因が彼女を傷付ける可能性だってある。
この子は、生きて帰してあげなければ。
この子が無事なうちに、リアルワールドに帰してあげなければ。
──そして、後日。
オリンポス十二神は、とある一つの決断を下す。
◆ ◆ ◆
「ミィちゃん。今日もお留守番だね」
「留守電だねー」
「今日は皆、無事に帰ってきてくれるかなあ」
「もうとっくにボロボロだからねえ。……本当、アタシにも手伝わせてくれればいいのに」
「でも、ミィちゃんが怪我するのはやだよ」
「……ありがとう」
俯く未春の頭を撫でる。
ああ、未春はいい子だね。優しい子だね。アタシ達は、君の事が大好きなんだ。
「ねえ、ミハル。兄さん達と話したんだけど」
────生きていて欲しい。
「そろそろ、おうちに帰ろっか。って」
けれどこの言葉が──彼女を傷付けてしまう事は、分かっていて。
だからこそ、その役割はアタシが一番相応しいのだ。
「……私、もう家族じゃないの?」
ほら、今にも泣きそうな顔を浮かべている。
「家族だよ。アタシ達はずっと家族。皆ミハルのことが大好きだ」
「だったら、なんでそんなこと言うの……?」
「でもねミハル。デジタルワールドにキミがいつ来たのか、誰も分からないくらい……ここで長い時間が経ったの。キミには本当の家族もいるだろうし……」
「そんなのいない……帰ったって家族なんていない! つまらない『シセツ』に戻るだけ! 私は皆と一緒にいたいよ、私の家族は皆なんだよ……!」
「……っ……それにリアルワールドには、ミハルがこれから歩んでいく未来がある。このままデジタルワールドに居続けるわけにはいかないんだ。
アタシ達はミハルが大好きだから……元気に帰って、人間の世界で人間として、幸せに生きていって欲しいんだよ……!」
それは彼女を帰すための口実ではない。アタシ達全員の、紛れもない本心だった。
「でも!! ……ねえ、私……デジタルワールドを助けるために、連れてこられたんでしょ……?」
天使達が、アタシ達が、身勝手に負わせた下らない“使命”。
そんなもの投げ捨てて、自分の命を大事にすればいいのに。
「私がいなくなったら……ミィちゃんたち、どうなっちゃうの」
けれど彼女にとって、それを放棄するという事は──デジタルワールドを、デジモンを、アタシ達を見捨てる事。見殺しにする事とイコールだったのだ。
「アタシ達は」
そんな選択、この子に出来るわけがないのにね。
「いつか、会いに行くから」
「……嘘」
だからアタシは──この子の腕を引っ張ってでも、連れて行かなきゃいけない。
「私、帰らない。ずっと皆といるの! 帰れなんて言わないでよ!」
「ミハル……!」
泣き喚く未春の腕を掴もうとする。
だが、未春は振り払った。力でアタシに敵う筈がないのに、振り払って、目を真っ赤にさせて、
「どうしたら幸せかなんて、そんなの私が決めるんだから!」
────そう叫んで、走って行ってしまった。
「……ミハル……」
小さな声で、呼んでみるけれど。
「ごめん……」
あの子には届かない。
アタシは震える手を握る。
──振り払われるのも当然だ。掌には力なんて、これっぽっちも入らなかったんだから。
◆ ◆ ◆
「失敗した」
外で待っていたネプトゥーンモンに、そう声をかける。
彼は予想していたのか、短く「そうか」とだけ答えた。……本当ならこのまま、未春を連れて天使の元へ、リアライズゲートを開きに行く予定だったのだ。
「すまない。嫌な役をさせて」
兄が謝る事ではない。自分がやるべきだと思っただけ。──結果はご覧の通りだが。
「……兄さん達……先に聖堂、行っちゃってるから……」
「呼び戻してくる。きっとまだ道中だろう」
「帰ったらミハルをフォローしてあげて。部屋に篭っちゃってるんだ」
「……、……ああ」
もう一度、今度は全員で話し合おう。
不器用すぎる兄は、それだけ言い残して去っていった。
「────」
哀愁漂う背中を、ひとり見つめる。
「……うまくいかないなあ」
何もかもが空回り。何もかもがアタシのせいで。
自由気儘に外を駆け回っていた、懐かしい日々は何処へやら。
そんな自己嫌悪に溺れていく。
冷たい石のテーブルに突っ伏して──それはもう、長いこと。
────気付けば、いつの間にか眠ってしまっていた。
「──、──……! ──!!」
どのくらい眠っていたのだろう。
うなされるアタシを睡眠から引き摺り下ろしたのは、ヴァルキリモンの声だった。
「…………ん、何……」
「ミネルヴァモン!! よかった……!」
彼にしては珍しい、大きな声が神殿に響く。アタシは中途半端な覚醒に頭痛を覚えながら、彼に不機嫌を振り撒いた。
「無事だね!? 何も起きてない!?」
「……何の事かさっぱりですけど。絶賛ネガティブ中なので放っておいて──」
顔を上げて、目を疑う。
「……ヴァルキリモン。何、その怪我……」
「ボクの事はいい! それよりミハルは!? 一緒じゃないのか!?」
「ミハルなら自分の部屋に……」
それだけ聞くと、ヴァルキリモンは直ぐに部屋へと向かう。彼のいた場所に、白の羽がいくつも舞った。
「ヴァルキリモン……ちょっと、アウル!」
追いかける。あの子の部屋の前で、ヴァルキリモンは大声で名前を呼んでいる。
内側から鍵がかけられているのだろう。回らない取っ手がガチャガチャと音を立てた。
「ミハル、ボクだよ!」
「ま、待って。ミハル、部屋から出てこないんだ。アタシが……」
「──!! ……開けるよ!」
制止する間もなく、ヴァルキリモンは剣を抜く。蝶番を破壊し、そのまま抉じ開けた。
「ミハル!!」
名前を呼ぶ。
花で飾られた部屋の中、彼の声だけが空しく響いた。
◆ ◆ ◆
アタシの中で。
動揺や焦燥といった感情よりも先に、疑問が生まれた。
どうしてだろう。いる筈の、あの子がいない。
「……! 遅かったか……!」
隣で壁を叩く音が聞こえた。どうでもよかった。
「ミハル、どこ行ったの」
扉の鍵をかけたまま、いつの間に抜け出したのだろう。
「ミハル」
神殿を散歩してるのだろうか。かくれんぼだろうか。
────もしかして、神殿の外まで出てしまった?
いいや、出ていない筈だ。出られない筈だ。ネプトゥーンモンがいなければ、海中の壁があの子を阻むのだから。
「大変、きっと迷子になってる」
大丈夫。
胸の中は酷く、ざわつくけれど。
「探してあげなきゃ」
なのに────踵を返すアタシの腕を、ヴァルキリモンは掴んで止めるのだ。
「一緒に探してくれないの?」
「……いないんだ」
「だってアウル、誰かを探すの得意なのに」
「子供達がいないんだよ!」
また大声。……嫌になる。いつもの声でもちゃんと聞こえるよ。
けれどヴァルキリモンは──彼にしてはやっぱり珍しい剣幕で──アタシに告げるのだ。
選ばれし子供達が、忽然と姿を消しているのだと。
「────は、」
訳が分からなくて、思わず笑いそうになった。
けれど、彼がそんな冗談を口走るような奴じゃない事くらい、知っているんだ。
「天使達の……パートナーも消えた! 目を離した間にいなくなった! 他の勢力の子供達だって……!」
彼はただ、忠告しに来てくれたのだろう。
そんな信じられない事態を。受け入れられないような現実を。
いち早く知ったから、心配して駆けつけてくれたのだ。
「……セラフィモン達は……何も知らなかった。誰も、あの子達が何処に行ったか知らなかった! それに他のデジモン……“その時”に子供達と一緒にいたデジモン達も、揃って姿を消してる。だからボクは……!」
理解できるのに。受け入れられない。
だって、そうだろう?
「これから、リアルワールドへ、あの子を」
あと少しだったんだ。
あと少しだったのに。
「……、……ミハル」
誰もいない廊下に向けて、名前を呼んだ。
「出ておいで、ミハル」
お願い。もうあんな事、言わないから。
「ミハル……、……」
────お願いだから。
でも、いない。未春がいない。
何度も何度も、神殿中を探し回ったのに、気配ひとつ感じられなかった。
「……あの子はもう、此処にはいないよ」
「だったら外だ。外に探しに行こう」
「駄目だ。外は今、雨が降ってるから」
「────雨って」
「キミが加護も無しに外に出たら、間違いなく汚染される」
「……そんなに危ないのに……何で、ミハルは……」
「あの子の意思じゃないんだ。他の子供達だって。きっと誰かが──……」
「こんな海の底に来て攫ったって……? 兄さんの結界を破って乗り込んで来たって!? あり得ない!! そもそも神殿には誰も──……」
────来なかった。
「……誰も……」
本当に?
「…………あ」
だってアタシは、起きてすらいなかったじゃないか。
アタシは、ただ呑気に、
「……──また……アタシのせい……」
あんな事を言わなければ。
ずっと側にいてあげれば。
眠ってさえ、いなければ。
また、アタシは。アタシが────家族を
「違う! そうじゃない、キミのせいじゃない! 落ち着いて──」
「────ミネルヴァモン! ヴァルキリモン!」
その時だった。
俊神たる兄が、血相を変えて道中から戻ってきたのだ。
「大変だ、外の毒が……! ……二人共どうしたんだ!?」
錯乱するアタシを押さえ込みながら、ヴァルキリモンは兄に事情を話す。──その時の会話は、よく覚えていない。
すぐに他の兄達も戻って来て、即座に話し合いが設けられた。
「……私の結界に、何かが細工されたような痕跡は無かった。突破したのではない、恐らく転移の権能だろう」
その時点で、究極体以上のデジモンによる行為だと推測する。
手口も単純明解、だからこそ厄介だった。──そもそも誘拐なんて真似をする目的が分からない。子供達の力が必要だったなら、交渉してくればいいものを。
「最初から……僕達の理解を得られないと分かってたんだ。だからこんな事を!」
「──今すぐ行こう。ミハルを探しに行こう。アタシも、行くから」
「駄目だ!! ……俺とネプトゥーンモンの加護は切れたばかりだ。この雨の中、お前達が外に出るのは自殺行為でしかない!」
「────ッ……! 再起動まで何分だ!」
「五時間はかかる! それに……もう日没だ。俺の加護は日中じゃないと持続しないし、水源から離れる可能性だってある。……ディアナ達の時とは違うんだ。世界中を探し回るなら……せめて夜明けまで待つべきだ!」
駄目だ、そんなの。そんな悠長に待ってられない。
「早くしなきゃミハルが……!!」
「……待ってミネルヴァ、何か聞こえる。……通信だ。ネプトゥーンモン殿、外から通信が!」
一瞬だけ、誰もが期待した。もしかしたら未春が助けを求めているかもしれないと。
だが──
『────、……えん……救援を……!!
だ──か、助け──、毒が──、──、──ぉ──、────ァア!!』
助けを求める声は、外の、残された領地のデジモンのものだった。
────外は、やはり大雨らしい。毒の雨が突然、土砂のように注いでいる。
「……私と■■■モンはミハルを探しつつ領地へ向かう。二人は待機だ!」
「!? ミハルは……最優先じゃないって言うの……!?」
「そんなわけないだろう! だが……助けを求める地上のデジモンも救わなければ! それが私の、オリンポス十二神としての責務なのだから……!」
「……っ……!!」
「……すまない。……夜明けまでには必ず、一度戻る」
何も、言い返す事が出来なかった
飛び出していく二人の背中が。どんどん、小さくなっていく。
それと同じように、心も萎んでいくような気持になった。
「……朝まで神殿の警備はボクが。貴方達はその間に備えた方が良い」
「…………ありがとう。僕は此処で待つよ。ミネルヴァは──」
「部屋に行く」
未春の部屋に。何か、手掛かりになるものが残っていないか探す為に。
唇を噛み締めて、震える膝を自分で殴って、共に残った二人へ背を向けた。
すると
「ミネルヴァモン」
兄に呼び止められる。
「大丈夫か?」
そう、問われた。
何も大丈夫じゃないと思った。きっと彼も分かっていた筈だ。
だが──それでも案じずにはいられない程、アタシの顔は惨めだったのだろう。
アタシは笑えなかった。
片手を振って応える事もできなくて、そのまま背を向けて部屋へと向かった。
◆ ◆ ◆
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