◆  ◆  ◆




 ああ──だからさ、あの時。
 アタシが無理にでも笑って、「大丈夫」って言っておけば、よかったんだよ。

 なのにあんな醜態を見せて。情に深い兄が、それを聞いた優しい兄が、心配しない筈がなかった。

 夜明けになって戻ってみればこの様だ。
 神殿にいたのはアタシとヴァルキリモン、そしてネプトゥーンモンの三人だけ。二人の兄は、一足先に発ってしまっていた。

 ──それを知ったアタシは、番をしていたヴァルキリモンに掴み掛かる。
 だってお前、あの二人を見す見す行かせたって事だろう?

「ごめんね。でも、頼まれたから」
「……ッ!! ────ネプトゥーンモン!!」

 怒りで揺れる視界の端では、同じく加担したであろうネプトゥーンモンが俯いていた。

「どうして二人だけで行かせた!? どうして……わざわざアタシに悟られないように……!!」

 理由や経緯はどうあれ、アタシを激昂させるには十分な事実。兄達の加護を得られなければ、アタシは戦えないのに。

「……ねえ、まさか……またアタシだけ残れって? いつもみたいに此処で待ってろって言いたいの!?」
「……──」
「ディアナモンとマルスモンが死んだのも! ミハルが消えたのもアタシのせいだ!! なのにアタシは罪滅ぼしをする事さえ許されない!!」
「ミネルヴァモン、それは……」

 ──感情が溢れていく。言葉が、止まらない。

「それとも家族ごっこが過ぎて皆、アタシが成長期か成熟期にでも見えてたわけ!? ミハルと同じ庇護対象だった!? もしそうなら──」

 違う、違う。こんな事が言いたいんじゃないのに。

「──舐めるなよネプトゥーンモン。望むならお前のキングスバイトと我が大剣オリンピア、今この場で交えてみせようか!!」

 アタシは────その時ネプトゥーンモンが見せた顔を、忘れる事はないだろう。

「…………ミネルヴァモン……」

 ネプトゥーンモンは槍を構えるどころか、両手を上げて敵意の無さを訴えていた。
 大きな両手はアタシの肩をそっと掴む。その手も、低い声も──ひどく震えていた。

「……太陽の加護は、陽が昇れば自動的に付与される。……筈だ。お前達を死なせない為に、あいつは此処に宿していったよ。
 お前は……私がお前の尊厳を傷付けていた事を、許さなくてもいい。だが、お願いだ。これだけは」

 どうか生きていてくれ。
 生きて帰って来てくれ。

 どうか、どうか。

「……」

 それは、ネプトゥーンモンの心からの懇願。
 先に発った二人にも、同じ言葉をかけたのだろうか。かける事が、できたのだろうか。

「──もうすぐ日出だ。太陽の加護がキミに宿る。ミネルヴァモン、そろそろ海を上がらないと」
「……。……お前はアタシと来て。ミハルと二人を連れて帰るよ」

 振りほどくように、ネプトゥーンモンの手から離れていく。
 共に向かう選択肢をはね除けて、彼だけを置いて去ろうとする。

 アタシは、

「ごめんね兄さん」

 その、一言だけ。

 なんとか絞り出したけれど、他には何一つ、伝える事ができなかった。



◆  ◆  ◆




 雨が降る。
 世界に、雨が降る。

 美しい景色。
 おぞましい景色。
 命が溶けていく光景。

「ヴァルキリモン! こっちは全滅だ、次に行く!」

 降り注ぐ雨の中。鎧のように加護を纏って、情報を得る為だけに駆け巡り──背中に投げ掛けられる声さえ見捨てて走った。

 太陽の加護は続いても半日。それが役目を終え、海の加護へと切り替わった瞬間──ウイルス種たる自分は退避を開始しなければならない。
 こんな雨の中で加護が切れたら終わりだ。時間も捜索可能範囲も、あまりに限られている。

 だからこそ的は絞った。捜索対象はあくまで、人間とパートナーになった究極体──彼らが所属していたコミュニティに限定した。そうすれば、何かしらの情報が得られると踏んでいたのだ。

「──次、次だ! 誰か生きてそうな場所……!」

 だが──どいつもこいつも既に亡く、究極体という柱を失った集団は悉く毒に飲まれていた。
 あらゆるものが溶解して平らになった大地、人影を探すのは、それはもう楽だったとも。

 辛うじて息のあるデジモンを見つけては話を聞く。が──そもそも何も知らないか、「気付かぬうちに姿を消した」と言うばかり。何の役にも立ちはしない。

 時間がない。
 焦燥感に潰されそうになる。時間がない、あまりに足りない。

 どうして、デジタルワールドはあんなにも命で溢れかえっていたのに。
 どうして皆生きていないんだ。どうして誰も知らないんだ。世界を救うなんて名目で奔走する羽目になった、可哀想な子供達を。どうして誰も────アタシは、守ってやれなかったのだろう。

「ミネルヴァモン、行き先を変えよう! 大聖堂に向かう!」
「!? でも……天使達は何も知らないって……!」
「違う、彼らのデータを分けてもらう! 少しでもキミが動けるように!」

 時間を忘れて駆け回るアタシに対し、ヴァルキリモンはしきりに加護の起動時間を気にしていた。──当然と言えば当然だ、直接毒を浴びれば、アタシは尤も厄介な「究極体の汚染個体」と成り果てる。そこから先は言わずもがな、只々地獄が待ってるだけだろう。

 ヴァルキリモンはアタシを抱えて飛び上がり、聖堂都市へと方向を転換する。
 空に上がっても尚、立ち込める毒のにおいが鼻を突いた。動きを止めると集中力が切れ、一気に嘔気が押し寄せる。彼の胸に嘔吐しそうになるのを必死に堪えて────ぼやけた思考を、気合で回転させていく。

「……っ……」

 考えろ、休むな、考えろ。
 三大天使。天使の軍団。聖なる都市に、天まで聳える大きな聖堂。アタシみたいなウイルス種はお呼びじゃない、あんなに神聖でありがたい場所でさえ子供達を守れなかった。

 天使の結界も海神の結界も、意味を成さない転移の能力。
 ああ、あまりにチートすぎる。ルール違反じゃないか。卑怯じゃないか。……そんな力があれば、今すぐだってミハルの所まで行けるのに。

 けれど──そんな大層な力なんて、きっと、神様のお許しでもなければ手に入らないのだ。

「──……あれ?」

 ふと、自分の思考に疑問を抱く。

「神様」

 そう、神様。
 アタシは────思い出す。以前、神殿でアウルモンに聞かされた話を。

 毒で塗られていく世界。
 そんな世界を救おうと、数ある勢力が敵味方の垣根を越えてまで挑む中──未だ目立った動きを見せていない奴らが、いただろう。
 どれだけ三大天使が救援要請を出しても、静観を決め込んでいた彼らが。

「……ロイヤルナイツ……」

 デジタルワールドを運営する、創生者の騎士達。それはそれは偉大で、強大な。

 頭の中に雷が落ちるような錯覚をした。
 身体の中に衝撃が走り、衝動が響いた。
 どうして気付かなかったのだろう。今この時まで浮かばなかったのだろう。例えこじつけであったとしても────子供達の失踪が彼らに由るものだとすれば、あらゆる辻褄が合ってしまうのに。

 各地に構えられた結界を容易に越える力だって。それぞれ究極体に守られていただろう子供達を、襲うような力だって。
 ロイヤルナイツなら、「ああそうか」と納得できてしまうじゃないか。

 ────それはきっと、アタシの人生における最初で最後の名推理。

「行ってみるかい、ミネルヴァモン」

 ヴァルキリモンは、信じてくれた。

「聖堂よりももっと高い、空の上だ。辿り着く前にキミの加護が切れる」
「……世界で一番、特別な場所なんでしょ? きっと毒だって枯れてるよ」
「根拠は?」
「第六感」
「ああ……なら、きっと確かだろうね」

 現実問題、アタシ達にはもう他に選択肢が無かった。
 地上を駆ける時間が残されていないなら、ようやく掴んだ可能性に賭けるしかない。それが、無謀だったとしても。

「でも──……もしアタシが毒になったら、その時はすぐ落としてね。悪いけど、そこから先はお前に託すよ」
「検討だけしておくさ、相棒」

 ヴァルキリモンは、アタシ共々その高度を上げていく。
 天使達の領域よりも遥か遠く、もっと、もっと、天の上。神様の領域を目指して。



◆  ◆  ◆





 空は灰色。雨模様。
 兄達の加護に弾かれる毒は、高度に相関して濃度と粘度を増していく。──嫌な予感がする。

 例えばアタシの理想通りに、一定以上の高度を越えた途端、空が鮮やかに晴れたなら────世界を巻き込んだ犯人は明白。神と騎士達が悪意を持って、この世界を殺そうとしているという事になる。

 でも、もし神様の領域にまで毒が広がっていたら?
 だから、子供達を連れ去ったりしたのだとしたら?

 縁起でもないが、その時は間違いなく世界ごと全滅だ。

 ──こうして思考を巡らす間にも、ヴァルキリモンはどんどん空を昇っていく。
 既に太陽の加護は尽きた。海の加護が発動しているが、空の上では長続きしないだろう。

 地上はもう見えない。
 空の先も、見えない。

 早く辿り着いて欲しい気持ちと──これでミハルが居なかったら、自分達は無念にもゲームオーバーとなる、そんな不安とが胸の中でせめぎ合っていた。

 そうして段々と息苦しくなり、空の中で溺れそうになった頃、

「────ミネルヴァモン、あれだ」

 アタシ達は辿り着く。

 遠い空の果て。究極体の翼でさえ、やっとの思いで届いた天の領域。
 強固な結界を幾重にも纏いながら、美しい巨塔は浮かんでいた。
 毒は見えなかった。けれど、塔の上部には真っ黒な雲が浮かんでいる。

「……で。着いたのはいいけど、下手に飛び込んだら結界で蒸発するやつ?」
「ボク程度でも辿り着けたんだから、これで結界まで甘かったら侵入し放題だろうね」
「それもそうだ。……じゃあ、ダメもとだけど」

 騎士相手に対話を望むなら、それ相応の態度を示さなければならないだろう。
 彼らに届くかは分からない。防犯用の録画媒体が設置されてる事を願いながら、アタシは塔に向かって声を上げた。

「────我はオリンポス十二神が一人、戦女神ミネルヴァモンである!!
 創造神に仕えし騎士達よ! 僅かでいい……どうかお目通り願いたい!!」

 声は空に吸い込まれ、消えていく。届いたのか、届いてないのか。

「ロイヤルナイツ!!」

 気付いてはくれないだろうか。
 もし此処にミハルが居なくても、何か一つでも手掛かりを。

「子供達はデジタルワールドを救う為に連れて来られた! デジモンの都合で連れて来られたんだ!! 世界を管理する貴方達なら何か知ってるだろう!?」

 だってアタシはここまでだから。加護はとっくに消え果てて、地上へ戻る過程で毒に飲まれる。
 だから──ねえ。欠片ほどでも得るものがあるなら、アタシはそれをヴァルキリモンに託して逝けるから。そしてヴァルキリモンは、兄達へそれを繋げてくれるだろう。

 どうか────

『────入場を承認します。オリンポスの蛇姫』

 声が聞こえた。
 空間全体に響いたアナウンス。中性的で凛々しくて、けれどどこか震えている声。

 静かになると、浮かぶ結界の一部が解放され始めた。一枚ずつ、ゆっくり──それを目にしたヴァルキリモンはすぐに中へ飛び込んだ。

「「……」」

 あまりに易々と事が運びすぎて、思わず罠なのではと勘繰ってしまう。しかし疑ってみたところで進展もしない。アタシ達は、神の領域へと足を踏み入れた。




 塔の中は、美しかった。
 地上の地獄が嘘のよう。水晶と大理石で構成された無音の世界。
 出迎えは無い。それどころか誰もいない。自分達の侵入を許した声の主も、姿を見せない。

「────」

 好きにしろ、とでも言いたいのだろうか。

「ロイヤルナイツを探そう」

 ヴァルキリモンはアタシの手を引いて、どこまでも続く螺旋階段を飛び越えていく。
 塔の中はどうなっているのか。どんな構造になっているのかも分からない。声の主は何処にいるのだろう。子供達は、何処にいるのだろう。

 塔の天井は続く。
 空の果てに在るのに、更にその先へ。ずっと、ずっと。

 だが────誰もいない。

「何処だ!!」

 誰も、どこにもいない。

「ロイヤルナイツ! お前達は何処にいる!!」

 此処だけ別の世界になってしまったみたいに、思った。

 やがて────螺旋階段の先に、僅かな空間の揺らぎを見つける。
 揺らぎの先に浮遊する水晶の鳥籠。それらはアタシ達を迎えると、更に上の空間層に連れて行く。

 その先はまた綺麗な空間だった。
 先程とあまり変わらない内装。階段があって、いくつもの部屋があって、扉が浮かんでいて──眩暈がする程美しい。

 美しすぎて吐きそうになる。

「また、あの籠だ」

 長い長い時間をかけて進み、また、空間の揺らぎまで辿り着いた。

「……あの籠はキミによく似合うね、ヴァルキリモン」
「同感。いっそボクが囚われのお姫様なら良かったのに」

 上昇しすぎて頭がおかしくなったのか、相棒はそんな冗談を言ってみせた。

 鳥籠はまた、アタシ達を出迎えて。
 運んでいく。どこまでも、どこまでも。





 そして、鳥籠がアタシ達を連れて行った先は────。






◆  ◆  ◆



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