◆  ◆  ◆





 声が聞こえた。

 聞き覚えのある、中性的な声。
 凛々しくて、震えていて。

 それを口から零す、黄金を身に纏った騎士は

「────、────」

 泣いていた。
 背中を震わせて泣いていた。

 白くて、白くて、白い空間に。
 居たのはその黄金と、虚空を呆然と見上げる黒紫。

 その、白くて、あまりに白くて、気持ちが悪いくらい真っ白な空間に。


 散らばっているのは何だろう。


「────、────また、駄目だった」

 人形が落ちている。

 人間の形をした何かが落ちている。いくつも。

「小生が、至らないせいだ。何もかも」

 そう、あれは人形だ。
 だってあんなにも、誰一人動かない。
 だから“落ちている”──その表現が相応しいのだ。

 そうじゃなかったら、

「許してくれ……赦してくれ……」

 あの、ミハルによく似た、アレは。

「ねえ」

 あれ、何?
 どうして、


 ミハルが。


「────ああああああ!!!!」

 後ろで、ヴァルキリモンが叫んで、駆け出した。剣を抜いて飛び掛かった。

 でも騎士様は二人共、微動だにしなくて。ヴァルキリモンの剣を避けようともしなくて。
 かと言ってそれは、彼を侮った訳でもないのだろう。きっと、そんな心の余裕さえ無かったのだ。

 ヴァルキリモンは黄金の騎士の腕を切りつける。
 騎士の胸に抱かれていた、ミハルを奪った。

「ミハル!!!」

 何て事だ。どうしてこんな事に。ヴァルキリモンはそう叫んで、必死に未春を起こそうとする。

 アタシは息をするのも忘れて、身体の動かし方さえ分からなくなって。
 眼球を回す。転がる子供達をひとりずつ目視していく。

「────回路を使えば、イグドラシルは治る、筈なんだ」

 霞む視界の端、黒紫の騎士が声を漏らした。

「人間の回路……育った回路が、我が君を」
「……嗚呼……何故、だって今度は、焼き切れないように……パートナーのデジコアだって介したのに……!!」

 二人の騎士の会話。
 内容が、理解できない。分かりたくもない。

「……! オリンポス十二神……」

 今更こちらに気付いた黒紫の騎士は、よりによって縋るような目を向けてきた。

「その子供は貴様のパートナーか……? ああ、こんな場所まで来たのだ。今度こそきっとそうだろう。あの二体でなく貴様のデジコアを使えば……『回路』はきっと我が君と繋げられる」
「……、……は?」

 こいつは何を言っているのだろう。
 それは、どういう

「ミネルヴァ!! ──ミハルは生きてる! まだ息がある!」
「……!!」

 相棒の声にハッとした。騎士を無視してミハルを抱き上げる。
 まだ温かい。何より、か細いけれど息があった。

「連れて行こう! リアルワールドに……! 此処じゃ人間の治療は無理だ!」

 危険な状態であろう事は、目に見えて理解できた。
 たった一晩の間で、未春はあまりに衰弱している。────何が、あったのか。

 すると、

「無駄だ。もう、間に合わない」

 黒紫の騎士が、こちらに向けて何かを抜かす。

「回路の摘出に耐え切れなかった。この人間達は……いずれ果てる」
「──黙れロイヤルナイツ。それはただ、ボクらデジモンが無力なだけだ。お前達が何をしたのかは知らない、でも……何て事を…『!」

 ヴァルキリモンは憤り、糾弾した。

「この子達は死なせない。絶対に生き延びさせる! ……だからリアライズゲートを開け。すぐに!! お前達なら出来る筈だ!!」

 けれど騎士は弁解する素振りも見せず、ただ、告げる。

「駄目だ、駄目だ。その子達は帰れない。リアルワールドに帰したところで肉体が分解する」
「「────!?」」
「嗚呼、何故こんな事に。子供達はどれほど長い間デジタルワールドで生きていたのだ? 彼らの肉体はとうに変質した。人間のものとは明らかに異質な構成だ。……もっと肉体が正常であったなら、耐えられたかもしれないというのに……!」
「……違います、クレニアムモン。小生が……正しく回路を摘出できていれば、こんな事にはならなかった!!」

 騎士の言葉に青ざめたのは、ヴァルキリモンも一緒だった。
 つまり奴らはこう言いたいのだ。──『デジタルワールドに長くいすぎたせいで、子供達はヒトでなくなった』──。

 ────アタシ達が。
 ねえ、もっと早くに答えを出して、この子を帰してあげていれば。

「…………」

 兄さん。アタシ達は未春に、取り返しのつかない事をしていたんだね。

「……ミハル……」

 頬を撫でる。

「……。……ごめんね……」

 細く柔らかい髪を、撫でる。

「────……み、ぃちゃ……ん」

 すると瞼が微かに動いて、僅かに開いて──零れた声は、アタシの呼吸で掻き消されそうなほど小さかった。

「……ミハル、迎えに来たよ」
「……、……あの、ね? ……■■■、モンたち……」
「……え?」
「きて……くれた、から……みんなで……」

 思わず耳を疑った。兄達が、此処に来ているのか?
 兄達が来ているなら──何故ミハルの側にいないのかは分からないが──とても心強い。加護を再び宿してもらえればアタシも帰れる。天使達の元まで行って、リアライズゲートを開いて──……!

「……無駄だと、言うのに」
「うるさい。お前はもう喋るな……!! ──こっちを見ろ黄金、兄さん達は何処にいる」
「……、……そ、それは」

 口ごもる。泳いだ瞳が上空に向いたのを、見逃さなかった。
 即座にヴァルキリモンに目配せをする。彼は頷いて、アタシとミハルを抱いて飛び上がった。

「! 待ちなさい! 行ってはいけない……!」

 力無き制止の声など聞こえない。
 とにかく今は未春を、そして散らばった子供達を────どうにかして救う道を!

 ────だから、進まないといけないのに。
 ミハルの声はどんどん、どんどん、小さくなっていくのだ。

「待ってて、もう少しだよ……! 兄さんが……」
「もう道がない! ミネルヴァモン、ここから先は走って探そう! ボクは向こうを!」
「……ッ! クソッ……なんで……いないんだよ誰も!! ヴァルキリモン、お前が見つけたら遣いの鳥を飛ばして! いいね!?」

 飛ぶ事を諦め、水晶の廊下を足で駆ける。
 駆ける、駆ける、早く、速く、必死にミハルを抱えながら。

 けれど。
 その間にも、呼吸は浅くなっていって。

「頑張れミハル、頑張れ……! すぐに兄さんを見つけるから! 皆で帰ろう! アタシ達の家に帰ろう!! もう一人にしないから! だから……!!」

 胸の鼓動も、遅くなっていって。

「……みぃちゃ……」
「なあに? ミハル……」
「……、……お、ねがい……ある……」
「いいよ、何でも聞いてあげる。ミハルのお願い、なんでもいっぱい聞いてあげる! 何して遊ぶのだって、どこに行くのだって、おいしいものを食べるのだって、何でも……!」
「──、んな……──を」


 ────皆を、どうか助けてあげて。


「ミハル」

 そして、その言葉の後。
 未春は深く深呼吸をした。

「ミハル?」

 それから、返事をしなくなった。

「……え、……あ、」

 辺りは、あまりに静かになって。

「あああ……あああぁっ……! あああああっ!!」

 アタシは静寂を裂くように、叫びながら走り回った。

「誰か……!! 誰か助けて! ミハルを助けて!! ……兄さん! どこ行ったの兄さん!!」

 大切な子を抱き締めながら、必死に兄弟を探し回った。
 本当にいるかも分からない彼らを、いるのだと信じて。

「ねえ!! ッ……どこに……行っちゃったの……兄さん達……」

 この子を、助けて欲しかった。

「────! あ……」

 ふと、馴染みのあるにおいを感じ取る。
 それが兄のものだと、すぐに分かった。ミハルを抱く手に力を込め、足がもつれそうになるのを必死に堪えながら走る。

 辿り着いたのは暗い部屋だった。
 怖いくらい静かで、けれど確かに中に兄達がいるのだと──確信を抱ける程、においが濃かった。

「兄さん!」

 誰の気配も感じない空間に、声を掛ける。

「兄さん、兄さん!! ミハルが……!」

 けれど、

「……兄さん?」

 そこには、やっぱり誰もいなくて。
 代わりに大きな水晶の柱が、いくつも立ち並んでいただけだった。





◆  ◆  ◆






 水晶の中には、愛しい兄達の姿が在った。





◆  ◆  ◆





「────」

 全身から力が抜け、ミハルを抱いたまま膝をつく。
 体温が一気に下がり、震えと脂汗が噴き出していく。

 周囲には、子供達と共に姿を消したデジモン達の姿も在った。皆同じく、水晶の中にその身を眠らせていた。

 だが、どうでもいい。
 そんなもの、そんな事、どうでもいい。
 下で倒れていた子供達の事さえ────もう、どうでもいい。

「…………、……」

 何もかも、無くなってしまった。空っぽになってしまった。
 気付けば────アタシは無意識に、眠る兄達の前に少女を横たわらせていた。

 小さな体の温度が下がっていく。
 血と肉で構成された肉体に、何故だかノイズがかかって見えた。

 その幻覚が、何を意味していたのかは分からないけれど。
 この子はもう動く事も、目覚める事もないのだと、理解した。

 アタシは、未春の頭を撫でた。手を握った。
 顔にかかった長い前髪を、そっとかき分けてあげた。



 ────放心状態のまま、意味も無く部屋を出る。



 美しい白の空間が出迎えた。
 見上げれば、美しく煌めく光。

 ああ、これはきっと神様の光だ。
 だからアタシは手を伸ばして────光に乞う。

「返してくれ!」

 叫ぶ。

「帰してくれ!!」

 叫ぶ。

「兄弟をかえしてくれ! あの子をかえしてくれ!!
 お願いだから、神様!!」

 ああ、けれど。
 どれだけ願っても、祈っても。その果てには何もない。
 誰も助けてなんてくれない。誰も救ってなんてくれない。
 アタシの大切なものを、アタシの小さな世界を、助けてなんてくれやしない。

 そしてアタシは……何度、同じ事を思ってきただろう。
 だって、ねえ。本当に、こんな事になるんだったら、


「────アタシが最初に死ねばよかった!!」






「やめて、ミネルヴァ」

 自らの喉に食い込ませた、剣の切っ先が止められる。
 あたたかな感触。手を、体を、包み込んだ。

「それだけは、やめてくれ」

 それでもアタシが剣を取ろうとするから。
 ヴァルキリモンはアタシの腕に矢を突き刺す。アタシが自身の喉を裂くことができないように。

「…………なあロイヤルナイツ。どうして、あの二人が」

 彼の後方には黄金と黒紫が、空っぽの瞳でこちらを見ていた。

「お前達と同じだ。察して、気付いて、此処まで来た。────私達はそれを、受け入れて」

 けれど毒の真実を。世界の真実を。子供達の現実を、惨状を。
 全てを知って、激昂して、糾弾して────剣を抜いたから。

 黒紫の言葉は、信じられなかった。だって兄達が敗れるはずない。
 けれど現実は見ての通り。──生け捕りにされ、天に喰われた。

「ミハルが……彼らがどうして、こうならなきゃいけなかったんだ。世界を救おうとしただけじゃないか」
「────彼らは世界を、救おうとしてくれた。だからこそ……」

 誰より冷静であろう黒紫は、それでも声を詰まらせていた。

「……人間の回路が、我ら電脳生命体に恩恵を……ならばそれは、創造主イグドラシルに対しても、同じ……」
「でも皆、死んだじゃないか」
「回路が焼き切れた。神との接続に耐え切れなかった。だから、パートナーなるデジモン達のコアを使って、そうならないように」
「そう、なったじゃないか……!」
「まだだ!! まだ……そのオリンポスのデジコアを繋げば回路は繋げられる! あの子供も再び起動するかもしれない! もっと数が必要だ……もしくは変質する前の肉体……いいや、いっそ変質したのならば我が君の苗床に────」
「……! お前は……!」
「クレニアムモン!!」

 黄金が叫ぶ。

「もう……いい……!」

 そのまま、泣きながら、地面に頭を擦り付けた。
 何をしてるんだろうと思った。そんな事をしても、未春は帰って来ないのに。

「全ては……小生らの、不徳の致すところ」
「……何が、『もういい』のだ、マグナモン」
「我らのせいだ。イグドラシルを止められなんだ、我らロイヤルナイツの罪は……どうあっても贖い切れるものではない。これ以上はもう……!」
「頭を上げろマグナモン。──逃げるな!!」

 黒紫は黄金の首元を掴み上げ、強引に目と目を合わせる。

「我らは盟友達を殺した。地上のデジモン達を殺した。人間達を死なせてパートナーを殺した。それを無駄になどしてたまるものか!! 何があっても何としてでも世界を! 毒の無い世界を!! イグドラシルが涙しない世界を造らねばならぬのだ!!」

 演説の如く高らかに叫ぶ、黒紫の声に吐き気を催した。
 黄金の瞳は虚ろだった。死んでいるという表現が正しいと思った。

「……そうだとも。回路もデジコアも、我が君と繋げないなら結界の補填に使うしかあるまい。盟友達の結界はじき完成する……!」
「そこまでの行為を盟友達が望むと……!? クレニアムモン、小生らが間違っていたのです。小生らの手段が誤っていた!」
「至らなかった事は認める。だが……他に道はないだろうマグナモン。イグドラシルの修復プログラムの目処が立たぬ以上、そして結界が永劫続く保証も無い以上……毒はいつか再び降り出すのだ! デジタルワールドは、我が君の世界は真に消滅するぞ!」

 実に気持ち悪い、くだらない言い争い。
 しかし冷え切った心には、その言葉の羅列がスッと入り込んできてしまう。

「────なら、せめてアタシを」

 それ故だろうか。気付けば口を開いていた。
 殺してしまいたい程、醜悪に見える騎士達に声を掛けていた。

「アタシのデータを、デジコアを使えばいい。代わりに仲間を解放してくれ」

 だって、同じオリンポス十二神の、究極体のデータだ。取り替えたって不足はない筈。
 二体が無理なら、せめて一人だけでも。どちらかなんて選べないけれど、より生存する可能性が高い方が救われればいいと思った。

 アタシが生きているよりは、その方が良い。
 そしてミハルの亡骸と共に、ネプトゥーンモンの所へ帰ってくれるなら。

 だが、

「……駄目です、それは出来ない」

 一握の期待は、その一言で容易く打ち砕かれる。

「彼らの肉体はいずれも、既にその形を保っていないのだから」

 水晶の中で動かない手足も。眠るように閉じられた瞳も。
 ただのデータの残滓。あの中に実在するのは、彼らの電脳核のみだと黄金は言った。水晶から出て空気に触れた瞬間、崩れていくのだと。

 そうか、と思った。────ああ、そうなんだ。
 それだけだった。けれどすぐ、息が詰まりそうになった。
 こんなにも、現実は残酷だったろうか。苦しかっただろうか。

『────警告、警告。天上部に空間遮蔽層の構築を確認。ロイヤルナイツ各位は直ちに対処へ当たって下さい。警告、警告────』

 無機質なアナウンスが響く。
 アタシの頭には、その言葉は入ってこなかった。けれど二人の騎士は目を見開いて天を仰いだ。

「…………クレニアムモン。結界が……!」
「……警報停止。それは騎士達が遺した希望である。繰り返す、警報を停止せよ」
『────声紋を認証。警報を停止します』

 プツン、と何かが切れる音がして、静かになる。
 黄金は両手で顔を覆っていた。黒紫は、深く深く息を吐いた。

 きっと完成したのだろう。奴らの言っていた結界とやらが。毒から世界を守ってくれる光が、誰もが待ち望んでいた救いが。

 ──これっぽっちも、喜べやしないけれど。

 だってそれは、あまりに多くの命を燃やしてようやく出来上がったのに。
 そのくせ薄っぺらくて期限付き。いつまた毒を降らせるか分からない時限爆弾、だなんて。

 僅かな安堵さえ抱けない。
 毒が降らなくなったって、大切なものは何ひとつ戻ってこないのだから。

 目の前の騎士達は少しだけ喜んでいた。
 けれど、これまでとこれからの背徳へ抱く罪悪感に、顔を歪ませていた。

 ああ────きっと、「救いがない」とはこういう事を言うのだろうと、アタシはぼやけた頭で思う。辺りにはただ、虚しさだけが溢れていた。



◆  ◆  ◆



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