◆  ◆  ◆



『ライラモンより通信!!』

 雨音が響く中、影絵の猫が耳元で声を上げる。

『やりました! イグドラシルを発見、回収に成功! これより合流します!!』

 それは誰もが待ちに待っていた言葉。
 ワイズモンは歓喜を露わに、選ばれし者達は、瞳に星の光を宿した。

『あとは手鞠たちが来るまで……!』
『俺たちが持ちこたえれば!!』

「──エンド・ワルツ!!」

 下方から聞こえる騎士の声。掲げる槍先から嵐が放たれた。
 周囲の水晶壁を巻き込み、砕き、彼らが抱く希望の欠片ごと飲み込んで押し寄せる。

『皆オレたちに隠れて! ──メガシードラモン!』
「アイスリフレクト!!」

 メガシードラモンによって幾重にも張り巡らされる氷壁。僅かでも衝撃を減らそうと、瞬きの間に破壊と再生を幾度も繰り返した。完全に突破されるまで、あと十秒は稼げるだろうか。

「ワーガルルモン跳べ! 俺達で援護する! ベルゼブモン、いけるか!?」
「ああ」

 氷壁の最後の一枚が割れる──瞬間、

「清々之咆哮!!」
「ヘルファイア!」

 火炎の衝撃波と銃弾の雨。
 フレアモンの清々之咆哮がクレニアムモンのエンド・ワルツに押し負けそうになる中、弾丸が嵐の目を抜け騎士に降り注ぐ。
 トリガーを引く限り弾丸を射出する自動連射機能、それは機関銃ならではの特性だ。騎士はその身で受けるか、槍もしくは盾で防御する体勢を強いられる。

「ゴッドブレス!!」

 魔盾による攻撃の無効化は約三秒。その隙にクレニアムモンは距離を詰める。
 だが──ゴッドブレスの効果が消え、盾が弾丸を跳弾し始めた頃。騎士は僅かな違和感を抱いた。
 盾の内側から周囲を見回す。──先程までそこにいた、ワーガルルモンとフレアモンの姿が無い。

「──、あそこか」
「フォックスファイアー!!」
「紅蓮獣王波!!」

 挟撃は既に感知されていた。──が、騎士はそれを敢えて身に受ける。防衛対象としての優先度は、究極体の弾丸に比べれば劣るからだ。
 当のフレアモン達も、この攻撃で効果が得られるとはあまり思っていなかった。目的は、別にある。

 ──炎がぶつかり合い、周囲に煙幕を張った。

 煙幕に紛れながら二手に分かれる。
 フレアモンとワーガルルモンは散開し、撹乱しつつゲート解放地点へ接近。メガシードラモンとベルゼブモンが引き続き騎士を足止めする。

『第二階層、最上層との各ゲートを平行接続! 完了まで約四分、耐えて下さい!』
『! また盾の無効化……それにこの反応……──気を付けて皆! あの衝撃波が来るよ!』

 そして幾重にも、幾重にも。メガシードラモンは氷を生み出し、自身もろとも壁と成る。
 メガシードラモンはそれを厭わなかった。仲間達を守れるなら安いものだ。それに──自分の中のパートナーが、亜空間の仲間が、自身を治してくれると信じていた。

『ワイズモン、ゲートの状態は!?』
『第二階層との連結は完了です! しかし最上部がまだ……!』

 ワイズモンの声に焦りが見える。──何を手間取っているのだ。そんな自分への苛立ちを募らせていく。どういうわけか、何度試みても最上層へのアクセスが拒否されるのだ。
 委譲されたマグナモンの権限が無効となった訳ではないだろう。最上層の空間外殻には明らかに上書きされた痕跡があり、こちら側の干渉を硬く拒んでいる。

 マグナモンと同等、もしくはそれ以上の権限を持つ者────となれば、誰の手に由るものかは明白だった。

『……クレニアムモン……ッ!』

 ああ、どこまでも──どこまでも邪魔を!
 思わずデスクを殴り付けそうになるが、必死に堪えた。──ならば更に書き換えてやればいい。書き換えて繋いでやればいい!

『絶対に……!! ……ごめんなさい皆、もう少し時間を稼いで! ライラモンはそのまま待機──』
『──え? 何、ライラモン……「いいから繋げ」? どうして……』

 通信機はライラモンの急かす声を大きく響かせた。
 イグドラシルを第二階層に置いておけない。変質を進めて世界ごとぶち壊すか、自分達が命を懸けるか────今すぐ選べと。

『何ですって!? そんな……、──ッ!!』

 イグドラシルと宿主を抱えた状態で騎士と交戦する? ──無理だ。リスクが高すぎる。隙を見せれば二人共クレニアムモンに奪われる! だからこそ、二つのゲートは同時に開放する必要があったのに──

『──、────分かりました。クレニアムモンの足止めは継続……フレアモンとワーガルルモンはライラモンの護衛を最優先!』
「「了解!!」」

 苦渋の決断だった。
 イグドラシルの変質を、その進行を止める。それは最優先事項だ。仮に最上層とのゲートが繋がれたとしても──その時に手遅れになっていては、意味が無いのだから。

「……何をするつもりだ?」

 砕け散る氷の破片の向こう。騎士は、再び位置を変える二体の姿を見る。それから訝しげに空を見上げた。

 ──正直、何を企んだ所で彼らに打開策など無いだろうが。
 それでもここまで足掻く様には、疎ましさと同時に感服さえ覚える。

「諦めないのは良い事だ」

 皮肉ではなく、素直に。もしも彼らが志を共にする者であったなら、世界はもっと早くに“救済”されたろう。
 しかし彼らは道を違えた。これまでも、これからも、誰も彼もが自分と共には歩まない。歩めない。悲しいが仕方のない事だ。

「成る程、やはりゲートの接続か。離脱か合流……、……合流だな」

 推測する。現れるのは恐らく、第二階層で姿を消していた一体。
 ミネルヴァモンとヴァルキリモンは盟約がある以上、安置された仲間の電脳核を危険に晒す真似は避ける筈だ。

 そして────奴らの行き先は最上層、イグドラシルの天の御座。

 其処へ向かおうとしている事など、今までの行動を見れば自明。
 故に、最上層の空間外殻には既に多重の結界を張り巡らせている。盟友達の穏やかな終末を邪魔したくはない。

「……ふむ」

 わざわざ指摘する事はしないが、概ね当たっているだろう。
 しかしどこか決定打に欠ける。ただ最上層に向かうなら、わざわざ別行動を取る理由はない。

 ……なら、狙いはあの少女か。

「────」

 だとすればあまりに不敬。あまりに不遜。
 しかし理解は出来る。だからこそ、愚かだと思う。

 彼らはの本質は「正義」だ。……そう、悪ではないのだ。解っている。だからきっと彼女をも救おうとするだろう。
 しかしイグドラシルを宿している以上、あの少女がどこに居ようと──それが例え天の座だったとしても、我らが神の変質は、再誕は、約束されているというのに。

「──……人間の子供達は、いつだって我々の犠牲になるな。友よ」

 矛盾する思考と言動。
 己の行為に後悔は無い。全ては世界の救済の為。

 それでも哀憐の情は湧くのだ。今こうして抗ってくるデジモン達も、その中にはパートナーの子供を宿している。早く帰らなければ分解してしまうというのに、それに気付く様子も無い。

 そもそも────選ばれし子供などという存在自体が。
 デジヴァイスも紋章も、我らが神と世界が創られた幻想。その具現でしかないというのに。

「────ああ、」

 憐れなオリンポス。
 お前達のパートナーは、再び“世界”に殺されるのか。

『第二、第三階層間、ゲート解放!!』

 ワイズモンの声に呼応するように、朽ちた移送機の一つが光る。
 騎士がその方向へ、盾から僅かに顔を出した瞬間──ベルゼブモンは機関銃を片手に持ち替えながら、自身のショットガンを構えて放った。
 機関銃で牽制しつつ、急所たる頭部をショットガンで狙い続ける。それは騎士も理解しており──故に彼は、頭部と胸部を盾で守り続けた。

 距離を詰めながらの攻防戦。
 攻撃は無効化され、当たっても修復される。実に不毛であるが──目的は果たされていると言って良いだろう。足止めは間違いなく出来ていた。
 ──だが、その為に盾となったメガシードラモンはボロボロだ。衝撃波は氷壁ごと彼の身体を切り裂いていく。損傷に対し、修復が追い付いていなかった。

「……ここでオレたちが負けたら……みんなが……!!」

 押し留める。耐えて、絶えるまで、絶対に押し留める。
 そんなメガシードラモンの上空で──

「──ライラモン!」

 ワーガルルモンの声が聞こえた。
 ベルゼブモンが待ち焦がれたように顔を上げて、移送機に目をやった。

 ライラモンがイグドラシルと宿主を連れて、ようやく合流を──

「待たせて悪かったね。イグドラシルは連れて来たよ。……ああクソ、あのロイヤルナイツまだピンピンしてるじゃないのさ!」
「……え? ライラモン……君、どうして」

 そこにいたのは、ライラモン一人だけ。
 連れて来る筈の少女は、いなかった。



◆  ◆  ◆



 何故、と。
 その場の誰もがそう思った。

 ライラモンと手鞠は、イグドラシルと宿主を連れて来る筈だった。
 そして現に、彼女は「イグドラシルを連れて来た」と言った。

 だが──そこに、イグドラシルと一体化した筈の少女がいないのだ。

 誰も、第二階層でライラモン達が宿主と交わした言葉を知らない。宿主たる少女の身に何が起きていたのかを知らない。

 当然、仲間達は問うだろう。彼女の言動の真意を尋ねるだろう。
 ライラモンはカノンと別れた事を仲間達に伝えていなかった。防衛機の追尾もあり、報告する余裕が無かったのだ。

 ──しかし、その結果。

「……カノン、は」

 よりにもよってベルゼブモンが────困惑と狼狽に、攻撃の手を止めた。

「カノンは──……何で、いないんだ」

 全員の顔が青ざめる。
 その瞬間をクレニアムモンが逃す筈もなく────盾を不要とした騎士は槍を構え、空間を転移し接近する。メガシードラモンが咄嗟に氷壁を張るが、多層生成は間に合わない。

『あ……、ユキアグモン……』

 槍は、その僅かな氷壁ごとメガシードラモンの腹部を切り裂いた。
 噴き出した大量の血液。みるみるうちに周囲を染めていく。

『誠司ーーッ!!』

 滞空が出来なくなった、メガシードラモンは音を立て通路に墜落する。
 その重量に水晶の床は割れ、崩落しかけた。下手に動かせばメガシードラモンは床ごと崩れ落ち、見えない底へ消えていくだろう。

 溢れる赤い海。水晶と巨体の間に挟まれ、男が溺れた。

「────さあ、何故だろうな。私の予想も見事に外れたとも。てっきりお前達は、あの少女だって救うかと──」
「……ぁああああ!!」
「待て! フレアモン!!」

 フレアモンが即座に旋回、全速力で鋼翼を起動した。再び槍を構えるクレニアムモン目掛けて突進する。

「紅・獅子之舞!!」

 拳と金属がぶつかり合う音。
 落下する海竜が通路に激突した音が、水晶に反射した。

「……お、おい、ちょっと……メガシードラモン……」
「ライラモン! 君はここにいて!」

 ワーガルルモンはライラモンを残し、水晶を駆け降りて行った。彼女が呼び止めるも既に遅く──。

『……まずい、これはまずい! 何て事……!!』

 メガシードラモンは戦闘不能。──致命傷だ。修復にはかなりの時間がかかるだろう。

『ベルゼブモンは……彼のダメージレベルは……! ……これならまだ動ける筈……けれど行動可能範囲が狭い! アイスリフレクト無しでは牽制しきれない!! ……──陣形の再構成は不可能……それに外壁の突破だって、まだ……!』
『ワイズモン、落ち着いて……!』
『撹乱はもう出来ない……皆で足止めは……? ……いいえ、盾になる前に誰かが死ぬ! このままでは──』
『────ウィッチモン!!』

 柚子が叫んだ。
 ワイズモンはびくりと身体を震わせる。柚子の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。

『パートナー、しっかり!!』

 決して諦めはしない、強さを持った瞳が。
 知識と運命の紋章、そのペンダントを握り締めながら。

『私たちは……ここから皆を助けるんでしょ!?』
『……ッ……。──ええ、ええ! ……ありがとう……!』

 顔を上げる。

『──最上層へのアクセスは一時中断。各員の修復作業に移行します! ワタクシを糧に、せめて致命傷だけは!!』

 即座に自身のデータを使い魔に変換する。最上部への干渉さえ行えるなら、自分の四肢が残らなくても構わない。──自分のデータが足りなければ柚子との同調でカバーする。それは柚子も覚悟の上だった。

『ワタクシのデータを限界まで割きます! 変換が済んだ使い魔から転送を!』
『操作は私に任せて! 絶対やってみせるから、ワイズモンはハッキングに戻って!』

『──フレアモン、ワーガルルモン! こいつの腕にしがみつけ! 槍なんて使わせるな!』
『ベルゼブモンのばか! なんで攻撃やめちゃったの!? 起きて! 早く起きてよ!!』

 蒼太と花那の声に、男は目を覚ます。自身の黒い液体と、誰かの赤い液体が混ざったものを吐き出した。
 這い出ると、目に映ったのは未だ痙攣するメガシードラモンの姿。──何が起きたのかを理解し、自身の浅はかさに唇を噛み切った。あの騎士に対抗できるのは、自分の銃だけだったというのに。

『パートナーさんが来なかったのだって理由があるんだよ! 手鞠たちが意味もなく置いてけぼりにするわけないんだから!!』
『来ないなら迎えに行けばいいだろ! 全部終わらせて助けに行くんだよ! 俺たちはリアルワールドから連れて来られた皆を……そのパートナーさんだって助ける為に来たんだから!!
 だから立って! 俺たちを……皆を信じて!!』

「……──」

 男は、答えなかった。
 だが──ショットガンのグリップを、強く握り締める。上空の彼らを見上げて。

「槍さえ無ければ──と、思っているならば」
「紅・獅子之舞!!」
「カイザーネイル!!」
「ああ、いいだろう。試してみるがいい」

 騎士は魔槍をブーメランのように投げ捨てた。そして彼らの望み通り、己の拳で彼らを迎え受ける。
 騎士の意図は分からない。だが、チャンスだった。彼が槍を手放した今、そしてフレアモンとワーガルルモンが彼を抑えている今──彼は銃弾から身を隠す事が出来なくなる。

 フレアモンとワーガルルモンが騎士に飛び付く。ベルゼブモンは照準を、正確に騎士へと合わせ────

「────ばっ……馬鹿野郎おい! 後ろだ!!」

 ライラモンの声が聞こえた。



 手放された槍が。
 円軌道を描きながら、男の背を切り裂いた。




◆  ◆  ◆



 深く。
 深く、深く。
 肉を抉る。臓器を裂く。
 迸る黒い液体が、メガシードラモンの紅い鱗を焼いていく。

 銃弾は明後日の方向へと飛んだ。ぐらりと、身体が大きく揺れた。
 半分近く切り裂かれた背中から、何かがたくさん、泉のように湧いて──それでも銃を向けるが

「……我ながら良いコントロールだ」

 霞む視界の中。
 そんな騎士の声が、やけに遠くに聞こえてきて

 そして、そのまま

「「ベルゼブモン……!!」」

 美しい水晶の奈落へ。



 男は、落ちて行く。



◆  ◆  ◆




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