◆  ◆  ◆




 ────今。
 目の前で、何が。

「え?」

 誰かがそんな声を上げた。
 さっきまで、そこにいた筈の仲間がいない。

 彼がいた場所には黒い液体だけが、大輪の花を咲かせていた。

「「────!!!」」

 少女達の叫び声が響いた。
 少年達の喚く声が轟いた。

 網膜に焼き付く墜落。
 子供達の精神は激しく動揺し、伝播し、パートナー達の身体が強制的に硬直する。

 直後、フレアモンとワーガルルモンの視界が大きく揺れた。騎士の装甲に撥ね飛ばされたのだ。
 フレアモンが壁に激突した。ワーガルルモンが床に叩き付けられた。頭部に受けた衝撃で、二人の意識は白い色に塗り潰された。

 その中で、

 ────“また、駄目なのか。”

 そんな言葉が浮かぶ。繰り返し浮かんで責め立てる。
 どうして手が届かなかったのだろう。
 どうして間に合わなかったのだろう。
 まただ。また──自分達は何度だって、仲間を救えない。


 ────ああ、頭痛がする。


『……モン! ワーガルルモン!!』

 ふと、我に返る。
 その瞬間、ワーガルルモンは視認するよりも先に身を跳ね反らした。彼の目前まで迫っていた槍が、頬を裂いて床を砕いた。

「──ッ!!」
『は、離れて! 跳んで逃げて……!』

 声を上擦らせながら、花那は必死に平静を取り戻そうとしていた。寒くないのに全身が震えるようだった。

『どうしよう……どうしよう、どうしよう!! どうしたらいいの!? だって今、落ちて……ッ……助けなきゃ……』
『し、下まで……飛んで、行かないと……でもここからじゃ……!
 ……誠司……メガシードラモン! 動ける!? もしかしたらまだ間に合──……』

 フレアモンは突き刺さる破片を振り払い、メガシードラモンに目を向けた。──だが

『え……、……──あ、あんなに……酷い、なんて』

 未だ止まらない赤色。水晶の足場から溢れて、こぼれていく。
 その深く大きな裂傷を塞ごうと、傷口には何体もの黒猫が張り付いていた。ワイズモンのデータを溶け込ませ、必死に止血を試みていた。

『メガシードラモン! メガシードラモン!! ち、血が止まらないよ……! 山吹さん、もっとオレ使って治してよ! 早くしないと死んじゃう!! メガシードラモンが死んじゃう……ッ!!』
『このスピードじゃないと海棠くんが分解しちゃうの! お願い、もう少し頑張って!!』

 柚子は声を荒くする。自棄になりながら、それでも「手を動かせ」と必死に自身に言い聞かせる。

『ユズコ! ベルゼブモンの位置はそちらで見えますか!? 捕捉さえ出来ればワタクシのデータを……!』
『それは……! ……もう、だめだよ……だってもう、感知できる範囲にいないんだよ……! 付けた使い魔の接続だって切れてる! だから……っ』
『────ああ……、……そう、ですか。……っ……では、修復優先度は、変わらず……メガシードラモンに……──ッ!』

 クレニアムモンが水晶の瓦礫を投げつける。ワーガルルモンの腕が、それを防ぎ切れずに潰された。

『…………ライラモン』

 そんな彼らの様を、手鞠達は呆然と見つめる。
 どうして────こんな事に。

『……海棠くん……、わたしの、せいで……』
「…………」
『それに……ねえ、だってわたしたち……さっき、カノンさんと』

 電脳化した手で、実体の無いデジヴァイスを握り締める。その中にいるであろう「神様」は、何も言わない。

『約束……したのに……』

 ライラモンは動けなかった。目を見開いたまま、手鞠の声さえ遠くに聞こえた。

 心には、悲しみよりも衝撃があった。衝撃よりも絶望があった。
 自分達のせいだ。分かっている。そのせいで仲間が二体、潰された。

「…………畜生」

 何一つ、成し得られないのか。
 自分達はこんなにも無力なのか。
 こんなにも────弱いのか。

「ぁああ畜生! 畜生!! 何なんだよもう!! 何でこんな事になったんだよ……! ……こうなったら!」
『!? 何するの!?』
「付き合え手鞠! ウチらで意地でも時間稼ぐ! ────クレニアムモン! こっち向け! おい!!」

 フレアモン達を追いながら、騎士は目線だけをライラモンに向け────彼女の思惑通り動きを止めた。
 ライラモンが見せた行為は、仲間達にさえ到底理解できないものであった。自らの首元に、刃を向けているのだ。食い込んだ肌からは血液が一筋、流れていた。

「──ああ、聞こえているとも。見えているとも。気でも触れたのか?」
「お前よりマシだ!! ……いいかい、今ウチの中にはアンタの大事なイグドラシルが在る! これ以上そいつら傷付けてみろ!? 神様もろとも死んでやるからね!!」

 手鞠と自身とが一体化している以上、本気で自死する事は無い。冷静に考えれば分かる事だ。
 しかしライラモンは、現状これが一番の時間稼ぎだと判断した。騎士ならば主君を守るのは当然だ。

『て、手鞠! 今のってどういう……』
『後で言うから……! 花那ちゃんたちは今のうちにベルゼブモンさんを……!』

 それに、自分達がイグドラシルの一時的な媒介者である事に違いはない。下手に手出しなど────

「────イグドラシル?」

 騎士の声が、大きく震えた。

「何故?」

 アレは、今────何と言った?

 見上げる。凝視する。
 忌々しい侵入者の中に、確かにイグドラシルの気配を感じ取る。

「何故だ」

 何故、何故。あり得ない。
 イグドラシルがあんな場所にいる筈がない。

「──フレアモン、先に行け!」
「ああ、分かってる!」
『待ちなさい! 彼の反応はもう……』
「そんなの自分の目で見なきゃ分からない!!」

 そんな、侵入者の声など届かない。騎士は呆然と、塔のシステムに自身を繋いだ。

『分散すれば貴方達が危険です!!』
『じゃあ諦めろって……!? まだ生きてるかもしれないのに、危ないから見捨てろって言うのかよ!!』
『この高さから墜落して、探知可能な範囲にさえいない! 身体が形を保っていると思いますか!?』
『────ッ……! でも……でも!! ……そんな……』

「────」

 嗚呼。

 イグドラシル、イグドラシル。
 御身は何処に。

「────これは」

 どういう事だ。
 何という事だ。
 イグドラシルの再編プログラムが停止している。

 我が君は、イグドラシルはあの娘の中で確かに「完成」されたのだ。
 その証拠こそが塔内部の歪みの停止。変貌を繰り返す内装の固定。
 ならば次に待つは体内での変質である。イグドラシルは娘を介して、塔に張り巡らせた人間達の回路と繋げているのだ。プログラムが停止する訳がない。

 自然停止はあり得ない。つまりは、強制停止。
 物理的要因、あるいは外部からの干渉による何かが──

「──まさか……いいや、アレは既に自らの命さえ絶てない……!」

 あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。

「貴様……あの“器”を壊したな!? 肉体を破壊し、その汚れた手でイグドラシルを引き剥がしたな!!? 何という事を……ッ!!」

 繋げなければ! 今すぐイグドラシルを人間の体内に! 回路に!!
 でないと再構築が止まる! 世界が造り変えられないまま世界が終わる!!

 収容した子供達の肉体を代替機とするか!? ──駄目だ、あの肉体達の回路は既に抜き取ってしまった! もう器としては使えない!

 このままでは────

「マグナモン……」

 世界が。

 友が守った世界が。
 友が遺した世界が。
 殺してきた全てが。
 これまでの全てが。

 無駄になる。


 嗚呼、愛しきイグドラシル。


「────ッ貴様らァァァァァァアアアッ!!!!」

 その時、空気が震えた。

 騎士が空間を蹴り上げる。槍を回収するのも忘れ、ライラモンに襲い掛かる。
 逃げられる筈もない。その姿を捉えた時には既に──黒紫の拳が彼女の腹部に深くめり込んでいた。

「出せ!!」

 異物を誤飲したわけでもないのに、どうやら腹を殴れば神様が排出されると思っているらしい。騎士の拳は何度も、何度も、何度も──

「がっ……、ぐ、ぅ──」
「イグドラシル! イグドラシル!! すぐに御身を取り戻そう! 回路に埋め込もう! あの娘が既に亡かったとしても!!」
「あの、子は……っぉえ、……がっ……お前の……ッせいで……!!」
「やめろおおおぉぉッ!!」

 フレアモンがクレニアムモンの頭部に飛び掛かる。騎士の顔面に炎を叩き込み、視界を奪う。

「逃げろライラモン! 早く!!」

 拳の矛先はフレアモンへ。
 胸ぐらを掴まれたまま、顎を砕かれた。

「貴様が!! 貴様らが!!」

 頬骨が、砕かれた。

「殺しておけば良かった!!」

 抵抗した腕が、折られた。

 クレニアムモンには最早、これまでの楽観さなど存在しない。気の余裕も存在しない。
 そこには憎悪が在った。ロイヤルナイツですらない不浄の身で、イグドラシルを宿主から奪った憤りが。世界の再構築を妨害せんとする異端者への敵意が。目の前のデジモン達は────騎士にとって、完全なる排除対象となったのだ。

「あの時に殺せば! あんな盟約など交わさなければ! あの時に!!」

 騎士を止めようとライラモンが切り付ける。
 鎧の接合部に突き立てる花の刃。──すぐに折られた。騎士はフレアモンを鈍器のように振り回し、ライラモンを叩き落とした。

「貴様は後だ! 腹を裂いて我が主を取り出して差し上げねば!」

 ワイズモンの使い魔が加勢に入ろうとした。全員、片手で握り潰された。

「お前も……! 我らが塔に群がる害虫が!!」

 握り潰した使い魔から逆探知する。
 そして──強制接続。亜空間のワイズモンの腕を、一瞬で焼け焦がす。
 アパートの一室に悲鳴が響いた。激痛に涙が溢れた。それでもワイズモンは、最上層へのハッキングを継続する。

『宮古! 柚子さん……! や……やめろ、やめてよ! もう皆を……!』
「止めろ? 何がだ? 止めるのは貴様らの方だろう!!」
「──フレアモン!!」

 追い付いたワーガルルモンが飛び掛かる。騎士は片手に掴んだフレアモンを盾にする。
 ぐしゃぐしゃにされた彼の有様を見た、ワーガルルモンの顔は悲痛に歪んだ。

「よくも……!! よくも!!」

 なんて酷い。中にいる蒼太だって痛いだろうに。
 メガシードラモンも辛いだろう。今もまだ痙攣している。
 ライラモンも、このままでは腹を切り裂かれて死んでしまう。
 ベルゼブモンは──パートナーに会えないまま、彼は。

 仲間達は、

「……、……!!!」

 ────頭痛がする。

「ボールディブローッ!!」

 振り下ろしたナックルダスターは、黒紫の鎧に傷一つ付けられなかった。
 クレニアムモンはワーガルルモンを蹴り上げると、彼の首を鷲掴みにした。

「! がっ……ァ」

 黒紫の指が首に食い込んでいく。
 抵抗が出来ない。ワーガルルモンとフレアモンは足をぶらりと浮かせて、視界は無意識に上へと移動していく。

 側で、フレアモンの何かが潰れて行く音が、聞こえた。

「あ、ああ……! 駄目だやめろ……! お前だって……世界を、救いたい筈……なのに……ッ」

 掠れた声を絞り出す。

「──そうだとも。全ては我が君の御心のままに。主の、友の願いを遂げる為に!」
『でもイグドラシルは嫌がってない! だから今も手鞠たちといるんでしょ!? イグドラシルだってデジタルワールドを守りたかったから……!』
「黙れ! 人間風情が知ったような口を!!」
『黙らない! 蒼太たちを離してよ……ねえ! 私たちの仲間を返してよ!!』
「何故分からぬ! 世界ごと生まれ変わらせなければ、遠い未来に再び毒が生まれかねないと! 我らがイグドラシルの涙を止められぬと! 未来を守る為……我らがどれだけの犠牲を……!」
「それでも……もう、これ以上……毒で大事な人を、死なせたくない! だから……!
 フレアモンを離せ! 僕の家族だ!!」
「────黙れ、黙れ! 黙れ!! また戯れ言か!? もう聞き飽きた!!
 貴様らがこんな障害になるのならばいっそ! あの時に! あの時に!! あの時に!!! 貴様らのデジコアなぞ結界に溶かしておけば良かったのだ!! 保護せずとも『あの二体』を利用する事は出来た!! とうに穢れた我が矜持など、あの時に全て捨てておけば!!」

 騎士は叫ぶ。
 遠い過去に情けをかけた事を悔いる。彼らを殺さなかった事を悔いる。

 フレアモンと、ワーガルルモンは、




「貴様らオリンポス十二神など!!」




 どくん、と、心臓が跳ねて。
 自分達がそう呼ばれた事が、理解出来なくて。

 けれど、
 けれど。

「────俺、達……?」

 頭痛が、頭が割れそうになる程の激痛が、破裂しそうになる程の胸の鼓動が。

 俺達は何だ?
 僕達は何だ?

 何だったんだ?
 教えてくれ、誰か。

「────、」

 夕暮れの荒野が浮かぶ。

 初めて出会った日。初めて交わす目線。
 抱いた懐かしさ。自分達は、“家族”だという認識。

「あ、……あ、れ?」

 此処にはきっと、その答えがあるのだと────分かっては、いたけれど。

「────」

 そうか、“あの時”。
 守れなかったものは。

 自分達は、

「……、あ」



 ────“生きてくれ。どうか生きて帰ってきてくれ。あの子と一緒に、どうか。”

 ────“兄さん達が泣いてるのを、見るのは辛い。”



「僕と、コロナモンは」



 ────“ 私、■■■っていうの! ”





 何かが。

 頭の中で、弾けたような音が聞こえた。





◆  ◆  ◆




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