◆  ◆  ◆



 パートナーの背中が小さくなっていく。

 申し訳ない、という気持ちが胸を渦巻いた。けれど後悔は無い。
 離脱後は何かしらの形で、恐らくはワイズモン達が二人を守るだろう。
 これ以上、負荷をかけることもない。何より生きて帰してあげられる。

 だから──満足だ。

「……アンタは行って良かったんだよ、メガシードラモン。そんなボロボロで」
「ううん。……ケガしてても、完全体でも……力が、足りなくても。……オレたちにはまだ、やれることが、あるとおもうから」
「……そうだね」

 ライラモンはデジヴァイスを見つめ、苦笑した。
 ああ、神様とやら。どうせなら自分達も究極体にしてくれれば良かったのに。

 クレニアムモンの標的は相変わらずこちらに向いていた。自分達の首を刎ねて、イグドラシルを取り返すつもりなのだろう。

「でも誠司の言った通り……次に致命傷を食らったら、そのままだ。もう治せない」
「……うん」
「ははっ、……上等じゃないか。受けて立つさ! だから──メガシードラモン、覚悟はいいね?!」
「──とっくに!!」

 互いに声を震わせながら、空を仰ぎ、騎士を睨んだ。

 ────刹那。
 そんな二人を掠めるように、何かが空へと昇っていくのを見た。

 光の尾を描いて、高く、高く。
 まるで、二つの箒星のように。




◆  ◆  ◆



 ────白い壁に、白い床。
 白で塗り潰された第二階層。

 手鞠は誠司の肩を担ぎながら、息を切らしてゲートを抜ける。
 そのまま膝を着いた。気付けば首元の襟が、自分の涙でぐしゃぐしゃに濡れている。

 戦闘の喧騒も聞こえなくなり、緊張が解けたのだろう。誠司は手鞠から離れると、床に両手を着いて泣き出した。

「……う、うぅぅ……ッ、ちくしょう……、なんで……」

 自分達だけ帰ってきてしまった。自分達だけ、戦いから逃れてしまった。
 まだ友達が戦っているのに。まだ、戦えたのに。治してあげられたのに。

「宮古さん、なんで! オレのこと置いてってくれなかったんだよ……!」
「──!!」

 感情的な言葉に、手鞠の顔がカッと熱くなる。

「……だって……だって! わたしたち、邪魔になるだけだった! クレニアムモンがわたしたちを狙うなら……わたしたちがいるせいで、皆が余計にケガするかもしれなかったんだよ!」
「でもメガシードラモンは! ……ユキアグモンはまだ全然、治ってない……! あんなんで戦ったら死んじゃうよ! もう治せないのに!」

 誠司の泣き声は嗚咽混じりで、ひどく上擦っている。
 手鞠は目を伏せた。──ああ、彼の言う事だって尤もなのだ。自分達のパートナーは完全体で、騎士と対等には戦えない。それは自分達以上に、彼ら自身が理解していた事だ。

「なあ、神様……神様いるならお願いだ。ユキアグモンを死なせないでくれ。皆を守ってくれ。お願いだから助けて……」
「…………海棠くん」
「せめて……ちゃんと、治してあげたかったんだ。元気にして、それで……。……そーちゃんと……蒼太と村崎みたいに……最後までユキアグモンと戦いたかった……!」

 それが──いや、それも本音なのだ。彼の、彼らの。

「ッ……悔しい……もっと、強く……させてあげたかったのに……」

 咳込んで、嘔吐した。身体が熱い。左手がやたらと冷たい。
 そんな誠司の背中をさすりながら、手鞠もまた声を震わせる。

「…………わたしだって……自分で約束、叶えたかったよ」

 託されたのに。イグドラシルを連れて行くと誓ったのに。
 理想とは程遠い現実。あまりにも思い通りにいかなくて、嫌になる。

「わたしたち、最初も最後も……花那ちゃんと矢車くんに、助けてもらってばかりだったね」
「……」

 自嘲気味な手鞠の作り笑顔が痛々しくて、誠司は思わず表情を歪めた。
 それから、自身の感情を彼女にぶつけてしまった事に罪悪感を覚える。──右手を握り締めて、彼女に謝ろうとした。

 その時だった。
 周囲に突然、軽快な電子音が響き出す。

「「!?」」

 二人は驚いて顔を上げた。心臓が跳ねそうになり、涙も止まった。
 周囲には誰もいないが、音は近い。何コールか鳴った頃、二人はそれが誠司のデジヴァイスから流れているものだと気付く。

 亜空間の柚子達からの連絡だろうか? 誠司が慌てながら適当にボタンを押す。

 すると────


『────あー、テスト、テステス。こちら管制室。こちら管制室』


 聞こえてきたのは、よく知る青年の声だった。

『マイクは生きてるっぽいけど、声、届いてる? デジヴァイスに繋ぐの初めてだからなあ』
「……これ……え、おにーさん? 何で!?」
『まあ大丈夫か。きっと聞こえてるよね』
『やっほー! アタシもいるよー!』

 どうして。それに、何故。戸惑う二人を他所に声は続いた。

『とりあえず用件ね! 今からそのあたりにゲート開くからさー、ちょっと騙されたと思って飛び込んでみ?』

 ますます意味が分からない。止まった涙はすっかり奥に引っ込んだ。
 詳細はともかく理由が知りたい。誠司が二人の名を呼ぶと────


『最後の仕事だ。キミ達に託すよ』


 抑揚の無さは相変わらず。しかしどこか優しさが込められた声色で、ワトソンははっきりと言葉を紡いだ。

「……それって、どういう意味……」
『それじゃあボク達はこれで』
『健闘を祈るぜ! ばいばーい!』
「!? ちょ……おにーさん!」
「みちるさん!!」

 電源プラグを抜かれたような音と共に通信が切れる。
 あまりに突然で一方的な連絡に、やはり戸惑いを隠せなかった。

 互いに顔を見合わせる。突拍子もない言動に、「あの人達ならやってもおかしくない」という思いも僅かにあるのだが──

「……いや、でもやっぱ意味わかんな……」

 言いかけて、止まる。
 誠司はそのまま大きく目を開き、言葉を失った。彼の視線の先には──本当にゲートの光が輝いていたのだ。

 二人は声を上げた。信じられないと、互いの顔とゲートを交互に見た。
 何が起きているのだろう。このゲートは一体、どこに繋がっているのだろう。

 二人の首に下げられた紋章のペンダント。
 小さく音を立て、視界に入り込む。

「「……」」

 ────気付けば、立ち上がっていた。足を前に踏み出していた。

『手鞠ちゃん、海棠くん! どこ行くの!?』

 デジヴァイスからは今度こそ柚子の声が聞こえてきたが、二人は足を止めなかった。
 手鞠は誠司に肩を貸し、誠司は道の先を見据えながら。

『これ……ゲートの反応!? どうして……!? ねえ待って、そっちの状況が映らないの! 何かあったら危ないから──』
「ゆ、柚子さん! えっと、その……」
「なんかカンセーシツから電話きてさ! おにーさんとおねーさんから!」
「それで、この中に行けって……! 最後の仕事だって言ったんです! わたしたちに託すって、言ってくれたんです!」

『────』

 デジヴァイス越しの、柚子の声が止まる。

「勝手にごめんなさい! でもきっと──」
『──わかった』

 その言葉に、手鞠は思わず「え?」と聞き返す。理由を聞かず肯定した柚子の反応に、逆に躊躇ってしまった。
 だが、柚子はやはり止めない。

『大丈夫。……二人が、そう言ったなら……絶対、大丈夫。
 だから行って。進んで! ……お願い!』

 声は何故だか涙ぐんでいる。その理由を、手鞠と誠司が知ることは無かった。





◆  ◆  ◆




<────“音声データの再生を終了しました。”>

 機械仕掛けのアナウンスが、管制室の中に反響する。

<“プログラム起動。転送ゲートを約六十秒間開放します。延長を希望する場合はデジタルデバイスに再度接続して下さい。”>
<“指定区域に他のデバイスは発見されませんでした。自動探知に失敗しました。もう一度再生する場合は────”>

 やがてアナウンスの声も消え、管制室を静寂が包み込む。
 冷たく硬い金属製の床には、二つの人影が横たわっていた。

「……、……やっぱりさ、録音したやつだと、不自然だよねえ」

 自らが吐き出した血液の水溜り。
 ゆらゆらと、美しいアクアブルーの髪が揺れている。

「でも、ミネルヴァ。……デジコア、戻した後じゃ……ちゃんと喋れない、からさ……用意してて、良かったよ」

 自らが吐き出した血液の飛沫。
 白い羽が、鮮やかに染められていた。

「……ところで、第二階層……誰、戻って来たの?」
「手鞠ちゃんと海棠少年、だけかなぁ。あの感じ。……時間、経ちすぎてたから、心配だったけど……人間に戻れて良かった。……ミハルみたいに、ならなくて良かった」

 そしてやはり、蒼太と花那は残ったのだ。兄達と共に。

「……」

 彼らは辿り着いた。かつての彼らと同じ、そして自分達が夢見た形に。
 愛しい仲間と手を取り、共に前を向き、未来へと立ち向かう──絆が生んだ姿に。

 だが、足りない。あとひとつ、最後の一押しが必要だ。
 羽化したばかりの彼らが、その全てを取り戻す為には。

「────兄さん」

 それは流れる星の様に。紅く碧く、激しく燃ゆる二つの電脳核( ひかり)
 中に在るのは遠い記憶。彼らが究極体として生きていた、全てを込めて。

 二つの核は持ち主の元へ還って行き、仮初の電脳核と融合されるだろう。
 彼らは全てを取り戻す。そんな、あまりに待ち遠しかった今日という日。

「…………」

 けれど今日に至るまで、彼らの命は何度繰り返されてきた事か。
 美しく自由で、そして過酷なデジタルワールド。デジタマのまま放り出された彼らは、何度も生まれて、戦って、死んでいった。生きるという事は大変なのだ。

 しかしそんな命の代償は、彼らが受け続けてきた累積ダメージデータは全て──電脳核の解放と共に「こちら」へ転送済み。
 ああ、予定通りだとも。マグナモンが良心からプログラムしていた通り、何も問題ない。ノーリスク&ハイリターンの、遅くなりすぎた誕生日プレゼントだ。

 だから、ここまで。こっちはもう自分の電脳核がボロボロなんで無理です。
 イグドラシルじゃない神様がいるならもうすぐ会えるかしら? きっと髭がもじゃもじゃなナイスダンディとみた! という訳で、あとは自分達でなんとか頑張って欲しい。

 なーんて。

「……ヴァルキリモン。痛くない?」
「……さあね。最初は、痛かったけど……平気になったよ」
「そりゃ結構。……ありがとねぇ。長いこと付き合わせちゃって」
「…………馬鹿だなぁ。ボクがそうしたかった、だけなんだから」

 ヴァルキリモンは力無く笑った。

「あとは、まあ……ボクらがどのくらい、しぶとく転がってられるか……。……わからない、けど」

 あの子達が終わるのが先か、自分達が果てるのが先か。
 自分達と世界の、どちらが先に静かになるだろう。

 投げ出された腕を懸命に動かし、手を握る。
 微笑み合う。「大丈夫。一緒だ」──そう、ミネルヴァモンは言った。

「だから怖くないよ。お前も、アタシも」
「……──ああ、そうだね」








 けれど────、

「……でも、やっぱりさ、キミは……見届ける、べきだよ」
「────え?」

 手を離して、伸ばして、彼女の頬に触れて。
 自身の中に残されたデータを、少しだけ。ミネルヴァモンへと送り込んでいく。

「……ヴァルキリモン。何して……」
「ボクは……──キミの鳥。ミネルヴァの聖梟。ボクの翼を、キミにあげる」

 どうか彼女を空まで連れて────その願いを。
 キミがそれを遂げる姿を、どうかボクに見せてくれ。

「さあ」

 どうか、

「行っておいで」

 どうか。

「……────お前も馬鹿だね。アウルモン」
 
 ミネルヴァモンは起き上がる。
 身体はさっきよりも軽かった。立ち上がる事ができたのだ。ふわりと羽が生えたような錯覚を抱いて、よろめきながら足を動かす事だってできた。

 そして、一歩。
 また一歩。進んで行く。
 振り返らない。彼の意志、決意の為に。自分の感情が揺れてしまわないように。

「ありがとう」

 それだけを口にして、ミネルヴァモンはひとり、管制室を後にする。
 彼女の背中を、ヴァルキリモンは微笑みながら見送っていた。




 ────また、静かになる。

 残滓のような命が、どれだけ続くかをぼんやり考えながら、ふとある事に気付いて──ヴァルキリモンはひとり、可笑しそうに笑ってみせた。

「……。……あー、そうだ。寝たままだとモニター、見れないなあ」




◆  ◆  ◆








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