◆  ◆  ◆  ◆  ◆





 私は。

 あなたの笑顔を知らない。あなたの声色を知らない。
 それでも心からの忠誠を、この名と鎧に懸けて誓う。

 あなたの世界をずっと、何としても繋げて行くから。
 どうか泣かないで欲しい。哀しまないで欲しかった。

 主よ。
 
 あなたが創る世界ならば。あなたが愛す世界ならば。
 遍く命は救われるのだ。その過程が如何であっても。

 この道こそが、あなたを救済するのだと信じている。







*The End of Prayers*

第三十六話
「ラストワルツ」






◆  ◆  ◆





 ──何かが、
 砕ける音を聞く。

 これまで数え切れないほど耳にしてきた。
 たくさんの何かの、誰かの、砕ける音が。

「──サウザンドフィスト!!」
「──フォイボス・ブロウ!!」

 腹部から全身へ伝わる衝撃。露出した胴体に叩き付けられた、二つの拳。
 刹那、騎士は思う。この身を守る筈の鎧は、主より賜った黒紫の鎧は、何処へ行ってしまったのだろう。

 ……そうか。あの、オリンポスの影か。
 この地に辿り着くより前に果てた、名も知らぬオリンポスの子ら──その影が既に、彼らと共に。

「────は、」

 そんな声が面頬から漏れた。別に何も、可笑しい事など無かったのだが。

 腕を振り上げる。
 抉られた肩の断面から生えた──槍を、棘を成す有刺鉄線の両腕。
 それは敬意と憐憫、そして僅かな慈愛を以て、目の前の二柱を抱き締める。

 アポロモンとメルクリモンの背中は、文字通り串刺しとなった。
 肉を裂き、骨を断ち、彼らがようやく取り戻した電脳核は砕かれた──

 ──筈だった。

『ッ……! 二人とも……!』
『負けるな!! 頑張れ!!』

 電子の海で、蒼太と花那はデジヴァイスを掲げていた。輝く紋章の光は、騎士の切っ先が電脳核へ到達する前に二柱の身体を修復させていく。
 故に、アポロモンとメルクリモンは止まらなかった。ひたすらに、がむしゃらに突き進んだ。ただ騎士を見据え、真っ直ぐに。攻撃の手を決して止めない。

 ならば、と。クレニアムモンは腕に力を込める。──だが、肉に突き刺さった腕が動かない。言う事を聞かないのだ。

 気付けば腕が、錆びたようにボロボロと自壊を始めている。
 崩れていく。──アポロモンの矢を、そして月女神の影の矢を受け、破裂した部位から広がるように。

 腕から解放された反動。二柱が一歩、大きく足を踏み込んだ。

「──再構築を──!」

 崩れたなら生み出せばいい。壊れたなら造り直せばいい。
 この命が燃える限り、ブラックデジゾイドは何度でも、

「────」

 顔を上げた。
 瞬間──水晶の反照が、彼の視界で弾ける様に輝いて────


「「ああああぁあ!!!!」」


 轟く咆哮と共に、何かが砕ける音を聞く。

 紅と碧の炎を抱いた二つの拳が、騎士の身体を穿つ音だった。





 ──軋み、砕けていく。
 腹から脇へ、脇から背へ、────全身へ。

 ──割れて、散っていく。
 鈍く光る黒紫の破片。飛沫を上げた鮮やかな赤。

 胴体を貫かれた、騎士の目が大きく見開かれる。
 自身の電脳核が撃ち壊される感覚。視界が一度だけ暗転して、次いで光が雪崩れ込んだ。

「──、──」

 ──目の前には、自分を討ち取った二柱の獣。
 悲願だったろうに。ようやく仇を取れただろうに。何故かちっとも嬉しそうでない。

 今にも泣き出しそうな顔で、こちらを見上げていた。
 
「……哀れ、だな。……オリンポス……」

 腹の中から拳が抜かれた。
 体内のデータが一斉に零れて、流れ出ていく。

 ──そのせいだろう。クレニアムモンの全身から、みるみるうちに力が抜ける。毒で作った仲間の人形共々、崩れ落ちるようにして倒れた。

「……──赦してくれ、ロイヤルナイツ」

 近い筈の声が、遠い。

「貴方を止めてでも──僕らは、僕らの世界を守りたかったんだ」

 ──ああ。
 そんな事は、知っていたとも。

「……」

 身体を這わせる。
 腕は無いから、脚に、無理矢理にでも力を込めて。

「……、……わが……きみ……」

 焼け落ちた天蓋のベール。煤汚れた祭壇。宝石の欠片が小さく煌めいていた。

 綺麗に並べた筈の結晶は、すっかり散らばってしまっていて。
 集めようとするが、腕が無い。

「────」

 見上げる。

 水晶の座には輝く光。
 かつてと変わらず其処に在る、美しい光。

「……、イグ、ドラシル」

 下半身の感覚が消失する。
 しかし苦痛より、喪失感より、後悔の念が押し寄せるのだ。

 騎士としての責務を果たせなかった。
 救って差し上げる事ができなかった。永久の安寧を、差し上げる事ができなかった。

 あと少しだったのにと、惨めに思う。
 そんな、意味のない思考を繰り返す。

「……」

 ────だが、せめて。

 遂げられぬなら。叶わぬのなら。
 いずれまた、主が涙される未来を憂いながら──それでも祈ろう。



 我らのデジタルワールドに、どうか祝福があらんことを。




◆  ◆  ◆



 大きな金属音を立て、騎士の身体が床に叩き付けられた。

 肉体の粒子化が始まる。鈍い黒紫ではない、美しいたくさんの光が舞う。
 アポロモンとメルクリモンは、その様をただ見守った。言葉を手向ける事も無く、静かに。

「「……」」

 ──遠い日に守れなかった少女を想えば、悲しみが増すばかり。
 彼らの記憶に触れながら、心に触れながら、蒼太と花那もまた口を閉ざしていた。

 きっとこれで、ようやく全てが終わったのに──どうしてこんなに虚しいのだろう。 
 それが、不思議でならなかった。

『……。……あ……』

 花那が声を零した。二人の間を抜けていくように、何かが過った事に気付く。

 それは光だった。
 光が枝の様に広がって、伸びていた。

 光の枝は、床に転がる騎士の側へ。
 胸から下を失った彼の────頬に、触れた。

「────」

 黒紫の眼窩に微かな深紅が灯る。

 何かが触れた。そう、錯覚した。
 けれど温もりは虚無であり、瞳に映る姿は虚像である。

 自分が奪ってきた、多くの命とよく似た容。母体の器と良く似た貌。
 けれど当人ではない。この「何か」は、彼らの中の誰でもないのだ。

 何より──


《────『クレニアムモン』》


 聞こえた声は肉声ではなかった。
 かと言って機械音でもない。ただ言葉を織り成すだけの音の羅列。
 側にいるのは、あまりにも曖昧な存在だ。

 だが──クレニアムモンは直ぐに確信を抱く。
 だからこそ、わからなかった。

「……」

 ──何故。
 胸に込み上げた言葉は、もう声にはならない。

 ──どうして私なんかに。
 言葉の代わりに、どういうわけか涙が零れた。

 慈しむように向けられた瞳。
 遠く愛してやまなかった、それはそれは美しい宝石の虹彩が──彼を見つめて。


《『────ありがとう。もう、充分です』》


 ──光が舞う。

 クレニアムモンというデジモンを構成していた、全てのデータが飛散する。
 優しい光に溶けるように、イグドラシルの中へ還っていった。




◆  ◆  ◆




 天の塔から騎士がいなくなる。

 遠い過去に自らを捧げ、礎となり。
 黄金は自らに科した役目を終えて。
 黒紫は自らの忠義の果てに倒れた。

 長く、永く。けれど消えゆく時は泡沫の様に。
 ……だが、それは誰もが同じ。ロイヤルナイツもオリンポスも、生き抜いて、散って逝く儚さは変わらない。


 皆、等しく。
 イグドラシルの世界に生きた、電脳生命体の子らである。


《『────』》


 瓦礫に成り果てた祭壇で、イグドラシルはひとり佇む。
 空っぽになった円卓を、空っぽになった世界を、見下ろしている。

 自身を見つめるオリンポスの子らに、人間の子供達に、言葉を紡ぎはしなかった。

「……」

 何を、思っているのだろうか。
 本来ならば実体を、固定の姿を持たない筈の創造主。その姿がとても悲しそうに見えたのは──きっと、ヒトと良く似た姿を象っていたせいだろう。

「…………俺達は」

 言いかけて、アポロモンは口を噤んだ。──何を、伝えるべきか。

 責めるべきだろうか。マグナモンに真実を聞かされた時のように。
 怒るべきだろうか。遠い昔、パートナーを奪われた時のように。
 慰めるべきだろうか。悪意の無いまま、望まぬ殺戮を繰り返した事を。

 ……いいや、どれも違う。
 そんな事を言いたい訳じゃない。

 たくさんの大切なものを失った。毒を憎悪し、毒に悲哀した。もう取り返しはつかないし、何も戻って来てくれない。
 今だって胸が張り裂けそうだ。今だからこそ泣き出しそうだ。

 それでも、思うのは──
 
「……──俺達は……生きていくよ。あなたの創った世界を、これからも」

 命が果てる最後まで。

 ──すると、イグドラシルの瞳がオリンポスの子らを捉える。
 水晶の瞳に浮かぶイリデッセンスが、心を描くよう儚げに揺れた。

 しかし神はやはり黙したまま、何も言わない。何かを言いたそうでは、あったけれど。

 瞳は伏せられ、イグドラシルの輪郭がぼやけていく。──ただの光に戻っていく。
 その光も、やがて見えなくなってしまった。

「「……」」

 誰もいない水晶の座。
 祭壇に散らばっていた結晶も、いつの間にか無くなっていた。

『……いなくなっちゃったの?』
「……ちゃんといるよ。僕らには、見えないだけだ」

 少女の中で完成したイグドラシルは、座に戻った事で正常に起動した。

 たとえ見えなくとも、風のように──そこに在る。
 それはきっと、イグドラシルの本来の在り方なのかもしれない。そうメルクリモンは思った。

 気付けばクレニアムモンだけではなく、毒の騎士らも姿を消していた。彼等がいた筈の場所には、黒い水溜りの跡だけが残っている。
 その上を光の枝が這った。──毒が、吸いこまれていく。 

 かつて神が流した、たくさんの涙が。
 自身の光によって浄化されていくのだろう。少しずつ、少しずつ。

『これで、もう……全部、終わったんだよね? 毒も無くなるんだよね……?』
『……そうだといいな。……間に合って良かったよ。俺たちがあげた加護、もう切れちゃってるもんな』

 蒼太に言われ、気付く。いつからだったのか、太陽の加護はその効力を失っていた。
 昔はもっと長く使えたのにと、アポロモンは苦笑する。

「俺達、また修行し直しだ」
「……ああ、そうだね」

 メルクリモンも口角を上げた。どこか、寂しそうに。

「──下に戻ろう。ライラモンとメガシードラモンが心配だ。ワイズモン達にも、俺達が無事だって……──終わったって、伝えないと」

 アポロモンはそう言って身を動かす──騎士に空けられた穴から、ボタボタと血が零れ落ちた。
 自分でも驚いて、思わずメルクリモンと目を合わせる。緊張で自身の状態にも気付かなかったのか、メルクリモンも太腿や膝に大きな穴が空いていた。

「……」
「……」

 お互い、この状態でよく持ち堪えたものだと感心する。
 メルクリモンはアポロモンに手を貸そうとしたが、身体を動かせば血溜まりが増えるだけ。──緊張が解けるにつれて、みるみる痛みも増してきた。

『二人ともそれ、大丈夫か……!? すぐ治すから……!』
「いや……だめだ。これ以上二人に負担をかけたくない。とりあえず俺は傷を焼けるし、飛べば大丈夫だから……」
『……わかった。……それなら、皆の所には俺たちで行ってくるよ。花那とメルクリモンは休んでて』
『……うん、ありがと。少ししたら追いかけるね』

 メルクリモンはその場に座り、腰布を破いて傷を圧迫した。布はすぐに真っ赤に染まり、周囲にじわじわと赤い水溜りが出来上がる。──思わず、苦笑した。

 アポロモンは傷口を焼くと、浮遊しながら自分達が来たゲートに向かう。
 すっかり瓦礫で埋まっているが、退ければ使えそうだ。屈んで瓦礫を退けていると────その下に、何かが埋まっている事に気が付いた。

「……ん?」

 上から崩れたもの、というより、戦闘によって抉れた床下から出てきたものだろう。
 白い何かだ。まるで──そう、

 マネキン人形のパーツのような

『……!? な──』
『! 蒼太? どうしたの!?』
『いや、これ、……嘘だろ……!?』
「────」
 
 アポロモンは膝を着いて、剥がすように床を砕く。

「……アポロ。そこに、何があるんだ」

 床下には人形が埋まっていた。いくつも、埋まっていた。
 その何体かは、電脳核らしきものの残骸と共に。

「──ただの人形だ、兄さん。……作り物だ。“あの子達”じゃない」

 それはマグナモンとクレニアムモンが作り上げた、ヒトの形を模した義体達。
 テクスチャを張っただけの顔は、眠るような表情のまま動きはしない。動くようには作られていない。

 かつての「選ばれし子供たち」から、そしてこれまで連れ去った子供達から──摘出した回路を埋め込んだ、ただの容れ物だ。 

『に、人形って……え……?』
「花那は多分、見ない方がいいよ。だからそこにいて」
『で、でも……』

 ──アポロモン達の、知り及ばない事ではあるが。
 クレニアムモンは一人になった後、この義体達を天の座へと埋めていた。

 本来なら義体達は、英雄達のデジコアを介してイグドラシルと繋がれる筈だった。……だが、適合者たるカノンが現れた事でクレニアムモンは計画を変更する。
 人形達の回路と核は遠隔でカノンに繋げられ、彼女の居場所を問わず神の再編を媒介した。そして彼らを礎とした祭壇に、母体を──変質を遂げ羽化した神を、身籠った状態のまま座して直に接続。体内で再誕させ世界を飲み込む手筈だった。……その時には既に、母体は形を成していなかっただろうが。

 ともあれ、そうしてデジタルワールドは救済される算段だったのだ。

 けれどクレニアムモン亡き今、埋められた人形達は役目を終えている。
 過去の厄災で散った同胞達の核も、また。

『……、……アポロモンの記憶にいた、あの女の子は……』
「……わからない」

 ──回路を抜かれた子供達。生きているのは、誠司や手鞠達と共に、あのオーロラの日に連れ去られた子だけらしい。
 だから、もしこの中に未春がいたとしても。──それは、ただ似せて作られただけの人形だ。

「でも、あの子は……ミハルだけは、いない気がするんだ」

 不思議と、そう思う。
 ただの勘ではない。過去と現在の記憶が統合されたからこそ、彼女は此処にはいないと思えたのだ。それは、メルクリモンも同様であった。 

「……お前と蒼太が戻った後、一緒に人形達を燃やそう。せめてもの弔いに」
「……うん」
「それと、ワイズモンと連絡が取れたら、あの子達に────みちる達に繋いでもらってくれ。話したい事があるんだ」

 神妙な面持ちで言う彼に──アポロモンは、小さく頷く。

「……ああ、俺も思ってたよ。だってさ、あの子の顔は────」




◆  ◆  ◆




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