◆ ◆ ◆
────空を昇る。
大剣を握り締め、杖のように床を突いて、杭のように壁を抉りながら。
昇っていく。
「──……兄さん」
身体の痛みも、錘を括り付けられたような重さも、今は感じない。
「……にい、さん」
ヴァルキリモンがくれた羽の温もりも、背中を押してくれる追い風のような錯覚も、もうわからない。
それでも進む。
酷く欲張りな、一縷の願いを胸に抱いて。
「……」
あと少し。
……なのだろうか。そうだといいけれど。
間に合うといいな。
入れ違うかもしれない。そうしたら、もう仕方ないか。
滲んだ視界に映る、移送機の残骸は星の様。なんだかとても綺麗に思えた。
揺らめく星の海に大剣を突き立てて、最上層への道を繋いでいく。
邪魔をする結界はもう無い。
アタシを阻む者はもういない。
キラキラと、キラキラと。広がっていく天の川。
さあ、行こう。
「一緒に。……──ミハル」
◆ ◆ ◆
────そしてアタシは、光の中に愛おしい姿を見る。
二人は目を丸くさせてこちらを見ていた。
当然だろう。いきなりこんな美少女が現れたのだから。
……それが、アタシがアタシだから驚いてるのか、それとも見知らぬデジモンが現れたから驚いてるのか。
彼らは兄なのか、まだそうではないのか。──分からないけれど。
とにかく今、此の場所にいるのが彼らだけという事は──イグドラシルに関しては上手くいったのだろう。
熾烈な戦いが繰り広げられられたのか、二人とも想像以上にボロボロだった。
さて、何を言ってあげようか。
おつかれ? おかえり? はじめまして?
何でもいい。アタシは頑張って、血が溜まった喉から声を絞り出そうとして──
「──あ、」
そんな、呆けた声を出した。
ああ、だって、
『……ねえ今、何か変な音した……』
メルクリモン、貴方の上に。
ひび割れた白の天井の上に、何かいる。
マグナモンのような形の、黒い何かが、残っているの。
「──!! メルクリモン! 花那!! 離れ──」
ぱりん。
──そんな小さな音を立てて、天井の一部が剥がれ落ちた。
それを合図とするかのように、
水晶のステンドグラスが、一斉に弾け飛んで──
「────マッドネス!!」
気付けば駆け出していた。
不思議と足が動いていた。
床を蹴り、突き進む。鉛のように重たい身体が、こんなにも言う事を聞いてくれるなんて。
「メリー、ゴーランド──!!!」
大きな音が聞こえた。
ガラスの割れる音。誰かの叫び声。
全部、全部、アタシの剣が吹き飛ばしていく。何がなんだかわからなくなる。
見上げればキラキラの欠片。ドロドロの何か。
混ざり合って、焼けるように熱くて、
視界が、真っ暗に、
「「────ミネルヴァ!!」」
名前を呼ばれた。
……よかった。
◆ ◆ ◆
──今、思えば。
あの日──リアルワールドの空にオーロラが、たくさんのゲートが輝いたあの日。
アタシはどうして、部屋の外に出てしまったのだろう。
知っていたんだ。二人がリアルワールドに来ていた事。
気付かない訳がない。アタシ達は繋がってるんだから。
でも、彼等の擬似核と繋がっているからこそ。出会う事で記憶を刺激したらいけないから。
本人達とは会わないように、ワトソンくんと決めていた。遠巻きに、あの子供達から様子を聞く程度にしようって決めていたのに。
それなのに──
『────君! 怪我はない!?』
心配になってしまったんだ。
襲来したデジモンに、兄達が殺されるんじゃないかと思って。また命を繰り返すんじゃないかと思って。
『もう大丈夫。ブギーモン……君を襲った赤い奴は、俺たちがやっつけたよ』
家にいれば良かったのに、様子を見に来たりなんかしたから。
そんなアタシの浅はかな行動で、アタシ達は出会ってしまった。
『……あ、その、俺たちにも驚いたと思うけど……』
『コロナモン、この子を一人で置いてくのは心配だ。……また、あのゲートからデジモンが出てくるかもしれない。蒼太と花那と安全な所へ──』
どんな因果かは知らないけれど。
運命なのかは分からないけれど。
それでも本当に、遠くから眺めるだけで終わろうと思っていたんだよ。
『──大丈夫? やっぱりどこか痛むの?』
それなのに、「どうして?」
『だって君、涙が』
────ああ。
これは、
「違うよ」
なんて様だろう。これじゃ女優失格じゃないか。
「──うん、そう。違うんだ。目に煤が入っただけ」
『俺のやつだ! 火傷してない!?』
別に、なるつもりもないけれど。
とにかくアタシ達は、傍観者じゃなきゃいけない。表舞台に立っちゃいけない。
そうしないとアタシはまた、取り返しのつかない事をしてしまう。きっと誰かを死なせてしまうから。
だから、
「へーきへーき!!」
嘘を吐け。塗り固めろ。
「平気だよ、大丈夫。アタシには、“家族”がいるからね」
今度こそ、二人を連れて行く為に。
「────みちる! みちる!!」
そして金属バットを手に、遅れて登場した脇役セカンド。
二人を見て青ざめる彼へ、アタシは満面の笑みを振りまいてあげた。
「ワトソンくん! もー、遅いよー!」
「……みちる、その二人……」
「そんなわけで、アタシはもう大丈夫です! そっちも急いでるんでしょ? 引き止めちゃってごめんねー」
『よかった、家族が来たなら安心だ。……僕らは友達を探しに行くよ。さっきみたいな奴が、まだ他にもいるかもしれない』
『危ないから、二人もすぐに帰った方がいい。わかったね?』
そう言い残して────去っていく。
愛しい背中が、いなくなってしまう。
「じゃあね! 助けてくれてありがとー!!」
気が狂いそうになる。
「……みちる、平気?」
けれど、そう一言。
アタシのメンタルを心配する、その言葉に少しだけ救われた。ひとりぼっちにならなくて良かったと、心底思う。
「……あの侵略者を、キミは目が合った時点で殺しておくべきだった。ボクが此処に来るまで三匹そうしたように」
「……だから金属バット? ……たらればの話はしないでよ。起きちゃったものはしょうがないんだから」
「ああ。でも──これでもう、キミはこの事件の関係者だ。これ以上お互いの電脳核の影響は無視できない。……やり方、変えないとね」
相棒はいつだって冷静だ。時たま、憎らしくなる程度に。
その言動と表情は、噛み合っていなかったけど。
「──ミネルヴァ」
「違う。……それは今、アタシじゃない」
「…………」
「……馬鹿だねぇ。お前がそんな顔してどうするの」
アタシは、“みちる”。
デジモンじゃない。ただのか弱い女の子。
かつて出会った一人の少女と、同じ容をしているだけの。
だから、アタシはまだ──それを演じていなければ。
廃墟の前で体育座り。美しくて憎らしい空を眺める。
それにしても、あの赤い奴。よくも台無しにしてくれかけたな。絶対に許さない。
──まあ、それはさておき。
「……、──はぁ」
先程の数分間なんて無かったかのように、アタシは心を切り替えるのだった!
「あーあ。──正直、死ぬかと思った」
なーんて。
◆ ◆ ◆
風が吹く。
何もかも吹き飛ばしてしまえと、ありったけの力を込めて。
それは最後の毒の騎士を切り刻み、白い壁に黒い花を咲かせていった。
「ミネルヴァ……ミネルヴァモン!!」
目の前で崩れ落ちる小さな身体。
メルクリモンは手を伸ばして、毒にまみれた細い腕を掴もうと──
「待てメルクリモン!!! ──毒を焼け俺の炎! 早く……ッ!!」
アポロモンが転がるように駆け戻る。白い床を真っ赤に濡らしながら。
メルクリモンとミネルヴァモンの間に割って入ると、彼女の身体を毒ごと炎で包み込んだ。
『アポロモン!? そんなことしたら焼け死ぬ!』
「毒で変わる前に!! この子はウイルス種だ!!」
『……──!!』
太陽の炎が毒を焼き祓っていく。──しかし毒は既に内部へと浸透し、ウイルス種の身体を蝕み始めていた。
「ああああ……駄目だ入るな! やめてくれ! こんな……!!」
「身体に入った毒も焼け! 僕とミネルヴァのデータを置き換えるから!!」
侵された内部のデータを焼き、損傷分をアポロモンとメルクリモンのデータで補う。もう、そうするしか手がない。
──その行為が過ぎれば、二人がどうなるか。
理解している。そして、それを、
『──続けてアポロモン! 私たちがカバーする!』
『もう毒なんかで死なせない! 絶対に……!!』
蒼太と花那は止めなかった。
このデジモンと会ったのは初めてだけれど──でも、知っている。二人の記憶の中で彼女は笑っていた。
その笑顔は、かつての二人のパートナーとよく似ていて。
その声は、──さっきの声を、自分達は知っているのだ。
『──何でだよ、みちるさん……!!』
焔が燃えていく。
二つ分のデータが、小さな身体に流れ込んでいく。
肉体は既に毒に由る変異を開始していた。
歪に形状を変化させた肉体。その部位を焼き、失ったデータは自分達のそれをロードさせる。
繰り返す。繰り返していく。
体表のテクスチャは焼け焦げた。もうきっと毒は残っていない。
だが、問題は内部だ。侵食スピードが速く、アポロモンの浄化が追い付かないのだ。
侵食が進む。かといって全てを燃やそうとすれば──焼失分のデータを補うのが遅れれば、内臓が焼けて死ぬ。
救い出せなければ、死なせるか、自分達が焼き殺すか、いずれかの結末を迎える事になる。
『い……イグドラシルは!? 助けてくれないの!?』
花那の声が、水晶の間に虚しく響いた。
『ここにも毒があるの! これも消してよ! 全部消してよ、ねえ!!』
『そうだ、人形……! 回路繋いだらベルゼブモンみたいに平気になるかもしれない!』
「俺達は生きた肉体同士じゃなきゃ回路を繋げられない! イグドラシルだから人形に繋げられるんだ! ……こんなに、こんなに回路があるのに……ッ!!」
「……助けてくれ。誰でもいいんだ、お願いだから! 僕らの妹を殺さないでくれ!! もう……奪わないでくれ……」
浄化によって焼け爛れてしまった手を、二人は強く握り締めた。
頭を深く垂れ、懇願の声を必死にかけ続ける。
──こんな結末があってたまるか。
また、自分達のせいで死なせてたまるか。
どうか助けてくれ。彼女の中の毒を消してくれ。
ここまで来たんだ。ようやく全部が終わったのに、こんな──。
『──!! 花那! メルクリモンが……!』
周囲に漂い始めた小さな光。
夏の川を浮遊する蛍のように。そんな見覚えのある光の粒子を見て──子供達は息を飲んだ。
もう、限界が近い。
『そ、蒼太も……アポロモンもだよ!』
ミネルヴァモンにデータを与え続けた結果だろうか。──ああ、確かに究極体の肉体を補填するには、膨大な量のデータが必要となる。それは蒼太と花那にも理解できる事だ。
だからこそ恐怖した。助けられないまま、自分達の分解が始まってしまった──
「────違う」
だが──アポロモンは否定した。ひどく声を、震わせながら。
「これは……このデータは、俺達のじゃ……」
アポロモンは、メルクリモンは──ミネルヴァモンへと流れ込むデータの中に、自分達のものではない何かを見る。
漂う光が形を成していく。
「「────」」
それは──黄金の輝きを抱く、小さな羽根。
遠い日、自分達を毒から救う為に、与えられた光。
──ずっと、自分達の中に在った光。
「……──ダルクモン?」
メルクリモンの瞳に映る、彼女は。
記憶の中と同じ笑顔で、手を──
「……ダルク……!!」
羽根が舞う。
紛れるように消えていく、玉響の夢。
────そして。
兄達から妹へ。ダルクモンの、かつての座天使オファニモンの神聖は受け継がれた。
──毒の侵食が止まる。光は太陽の焔に溶け、毒を祓っていく。
ミネルヴァモンから聞こえる呼吸の音が、少しだけ、穏やかなものに変わった。
◆ ◆ ◆
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