◆  ◆  ◆





 ────時を遡り、第三階層。


 黒紫の騎士が去った後、そこには血と肉の残骸が広がっていた。

 水晶の瓦礫の上に転がる仲間達。
 ブラックデジゾイドの針で身体中を貫かれた二人に対し、ワイズモンの使い魔が懸命の救護を行っている。

『──メガシードラモン! ライラモン! 頑張って!!』
『電脳核周囲と主要器官の修復完了! ……損傷率七十二、八十三……!』

 早急な処置が実を結び、辛うじて一命は取り留めていた。
 しかし──デジコア本体の損壊は免れたものの、傷が多すぎてデータ漏出が深刻だ。このままでは肉体が維持できなくなる。
 失ったデータを補うべく、ワイズモンは亜空間から使い魔を生成・転送し続けた。二人の体内へ溶かしていく。

 だが、使い魔はあくまでワイズモン──ウィッチモンであった彼女のデータから派生する分身のようなもの。独立した存在ではない。
 量産するほど彼女のデータが擦り減り、擦り切れ、使い魔の質は低下する。柚子が同時進行でパートナーのデータを補完するものの、ワイズモンの消費速度はそれを上回っていた。

『使い魔の生成が追い付かない……ッ──水晶を糸に変換し、物理的縫合を……!』
『で、でも誰が縫うの!? そんなこと出来る使い魔、もう残ってないよ!?』
『通信用個体を分離させます!』

 今送り込んでいる使い魔には、もう視力どころか聴力も通信機能も備わっていない。ただの餌にしかならないデータの塊だ。
 ……アポロモン達と共に最上層へ送るつもりだった個体は、空間を超える前に消し飛ばされてしまった。完全体程度では、天の座をその目で見る事さえ許されなかったのだ。

 故に今、天の座で何が起きているのかは分からない。
 当然ながら探知も不可能だ。……どうかに上手くやってくれている事を、願うしかなかった。

「……──ら、……いら、も……」

 赤い海にだらりと打ち上げられた、メガシードラモンは虚空を見つめている。

「……どこ、に……」

 身体は動かせない。けれど必死に仲間の姿を探そうとする。
 遠く視界の端でぼやける、人影のような何かが、倒れて動かない何かが──仲間でない事をひたすらに願いながら。

『縫合箇所からデータが漏れ出してる……! 三十番までの個体は分散なさい!』
『……!? ま……待って、ワイズモン……』
『穿孔部の閉鎖を最優先! ……使い魔をもっと送らなければ……!』
『ワイズモン!! ……腕、なくなって──』

 いつの間にか、ワイズモンの深紅の袖から手首が消えていた。
 ──間接的とは言え、自身のデータをロードさせているのだ。当然、その代償は避けられない。

『ワタクシの事はいい! ホーリーエンジェモンだって、都市を守る為に四肢を捧げたのだから!』
『でもこのままじゃワイズモンが……ウィッチモンが……!』

 死んでしまう。
 献身に耐え切れず、彼女まで。

『──そ、』

 それは、駄目だ。
 パートナーが死ぬなんて駄目だ。でも仲間が死ぬのだって駄目だ。もう誰一人、欠けてなんてたまるもんか。

 心臓の音がバクバクと高鳴る。柚子の呼吸が荒く、浅くなっていく。
 冷静になれと言い聞かせる。ワイズモンの消耗を補おうと、デジヴァイスを握る手が震えていた。

『……ワイズモンが、死んじゃったら……帰り道はどうやって開くの!? 此処からじゃなきゃ……此処だから繋げられるんでしょ……!?』
『────』
『それに矢車くんと村崎さんは!? マグナモンはもういないのに、ワイズモンまで死んだら二人とも戻れなくなるんだよ!?』

 ワイズモンは下唇を噛み締める。──柚子の言う事は、尤もなのだ。

『私を取り込んで。今からでも……! その方がもっと速くワイズモンをカバーできる!』
『──ですが、ユズコ。それをしたら……それでワタクシが、この身をロードさせ続けたら──貴女、ワタクシの中で分解……』
『やってみなきゃわからない! 死んじゃってからじゃ遅いんだから!』
『────っ……!!』


「……、……せいじ」

 水晶に身体の熱を奪われながら、メガシードラモンはパートナーを想う。
 見送ってくれた仲間達を、雨が降る故郷を思う。

 視界には誰もいない。

「……」

 ──皆に、会いたい。

「……、……しにたくない……」


『ワイズモン!!』
『……、──ッ……、……わかりました。……ユズコ、ワタクシのパートナー……!
 ──使い魔による修復機構、設定可能限度四十秒まで全自動化。選ばれし子供の量子変換────』

 その時。
 亜空間のモニターが、熱源反応を観測した音を立てる。

『『────!!』』

 観測されたのはひとつの電脳体。
 そして、それに近い何かが。

 下方から真っ直ぐに上昇してくる。──仲間達の場所を、目指すように。

『……これは……』

 自動解析されたデータのひとつが、既存の記録と八割一致した。
 ワイズモンは目を疑った。それが観測された事も、そのデータから──毒の反応が、無くなっていた事にも。

『……──そうでしたか。先程のは、貴方が──……』


 ──やがて聞こえて来る翼の羽音。
 メガシードラモンの聴覚が、ぴくりと反応した。

 誰かが来る。警戒しなくては。立ち向かわなければ。──そう思ったが、身体を動かせない。

「……、……」

 霞む視界の中。黒い何かが風に乗り、舞っていく。
 メガシードラモンはそれが羽根だと気付いた。こんなもの、自分は知らない──

「……あ、……」

 眼球が人影を捉える。

 そこには、────墜ちて逝った筈の黒い男が。
 見覚えのない翼を背に、見知らぬ誰かを胸に抱いて、立っていた。

 びちゃり、と。赤い水溜りを踏む音がする。
 男は────ベルゼブモンは、無残に変わり果てた二体の姿をじっと見下ろしながら、

「──」

 右腕を掲げた。
 装着したブラスターが外れ、光の粒子へと分解する。

 穏やかに漂いながら──二人の、身体の中へと。

「……!」
 
 メガシードラモンは驚愕に目を見開いた。
 男が生きていた事にも、その行動に──そして、流れて来るデータから、毒の激痛を感じなかった事に。

 すると──

「……返して、いるだけだ」

 男は、静かに口を開いた。

「お前達から、喰った分を」

 抱いた疑問に対する、些か見当違いな答え。
 メガシードラモンは目を細めた。その拍子に、涙が溢れ零れていく。

 彼に何があったのか、どうして来てくれたのか。全然、分からないけれど。
 今は、何もかもどうでもいい。ただ──

「あ、りがとう」

 自分達は生きられる。
 生きて、また皆に会える。

 それが嬉しくて、たまらなかった。


『……──わ、ワイズモン。私の……』
『いいえ。……もう、必要がなくなりました』

 修復の為のリソースが確保された。漏出した分のデータも補う事が出来た。
 そして最後に残った二体の使い魔が、開いた傷を縫い付けていく。

 モニターに示された二人の損傷率が──次第に、低下していった。

『……、……──良かった……』

 数値の遷移を確認しながら、ワイズモンは深く息を吐く。自身の力不足を呪いながら、それ以上に安堵していた。
 まさに奇跡だと、そう思いながら。





 ────微睡みの中、ライラモンは目を覚ました。
 全身が穴だらけになった筈なのに、不思議と痛みを感じない。死んだのか、それとも神経データがバグを起こしたか、どちらかだろう。

 薄目から差し込む光と、全身を襲う倦怠感に、前者の可能性を否定する。まだ、生きているようだ。

「……メガシードラモン、は」

 声を出すと、喉に溜まった血がゴポゴポと音を立てた。
 顔を横に向け、吐き出す。首から下は痛くて動かせない。
 なんとか眼球を動かして、自分と同じく串刺しにされた仲間の姿を探す。

 ──すると、

「……は?」

 酷く痛々しいが、幸いにも無事そうな仲間の姿。
 そして──その側に、とっくに死んだと思った奴の姿があったのだ。

 意味がわからなかった。
 ひどく頭痛がするので、深く考えるのを止めた。

 だが──ひとつだけ、分かったことがある。

「……ああ、……なんだ、会えたんじゃないか」

 視界は未だ霞んでいて、それがあの少女かは分からなかったけれど。
 男がとても大事そうに抱いているから、きっとそうなのだろうと──そうだったら良いと、ライラモンは思った。




◆  ◆  ◆




「「せーーのっ!!」」

 清潔感が漂う白い部屋に、二つの掛け声がこだまする。

 白い床に転がる、白いシーツに巻かれた繭のような子供達。そんな彼らを、手鞠と誠司はひとりずつゲートの中へと押し込んでいた。
 子供達は目覚めなかったのだ。二人が何度も身体を揺すって声をかけても、静かに呼吸するだけ。起きる気配さえない。このままでは埒が明かないと──悩んだ末に、二人はある作戦を思い付いた。

 空いているベッドからマットレスを剥がし、床へ敷く。子供の身体をシーツで包み、ベッドからマットレスへ引き摺り下ろした。そのままゲートまで手鞠が引っ張り、誠司が押していくのだ。

 それを、ひとりずつ繰り返していく。
 幸いゲートは柚子が開放したまま固定されており、既定人数が収容されるまで閉じる事は無い。焦る必要は無い。

「はぁ、はっ……、か、海棠くん、次の子……!」

 ──とは言え、自分達と同等の体格の子供達を運ぶのはかなりの重労働だった。
 手鞠の腕力は人並み以下であるし、誠司に至っては左半身がうまく動かせない。

「……くっそー、体に力はいんねー!!」
「だ、台車、ほしい……」

 全身の筋肉が痙攣して痛い。こんなことなら普段から運動しておけばよかった。
 デジモン達であれば、簡単に彼らを運んであげられるのだろうか。そんな思いが一瞬、過って──
 
「……っ、わたしたちだけでも、やれるんだから……!」

 自分を鼓舞し、ありったけの力を振り絞る。
 それから長いこと時間をかけて──ようやく、最後の一人をゲートの中へと押し込んだ。

「よっしゃ全員終わったー! ……寝たままだけどいいんだよな?」
「う、うん! そのはず!」

 目覚めるか否か、以前に。寝たきりだった子供達が、自分の足でゲートを超えるのは困難だとワイズモンも想定していた。
 故に、ゲートはエレベーターのような開閉式。閉じて開けば、目の前にはリアルワールドが広がっている算段だ。

「……病院の前とかに、繋がってるといいんだけと……。でも、とにかくこれで──」

 光の道で転がる子供達。
 報告した分の人数が収容されると、ゲートは大きく輝いた。

「今度こそちゃんと、皆が帰れる……!」

 少しずつ、リアライズゲートの入り口は小さくなっていく。
 子供達を包んで、デジタルワールドから消えていく。

 ──どこか、懐かしさを覚える光景。

「「……」」

 いつか、遠いお城の地下室で。
 囚われた子供達が帰るのを見送った。自分達は残ると自分で決めたのに、閉じていくゲートを見て泣いた。

 けれど──

「……これを通るのは……もう少しだけ先だからな」

 今はもう、泣かない。
 友が全てを終えて、戻ってくると信じているから。一緒に帰れると信じているから。
 真っ直ぐに、しっかりと。二人は見送り──そして、見届けた。



 ゲートが消滅し、彼らの前には再び殺風景な収容室が広がる。
 誰もいないベッドの群れ。そのひとつに、誠司は腰をかけた。

 咳込む彼の背を、心配そうに手鞠がさする。

「ありがとう。張り切りすぎちゃったな。……でも、オレの事より……」
「……うん」

 友は、パートナー達は無事だろうか。
 無事でいて欲しい。せめて生きてさえくれていれば。

 不安を胸に、手鞠は使い魔を抱き上げる。そして柚子に連絡を取ろうと──

「──!! うわぁっ!!」
「な、何だ!? 地震……!?」

 突然、収容室の床が跳ねるように大きく揺れた。



◆  ◆  ◆




 塔全体を揺らすかのような異常な振動は、間も無くして亜空間でも計測される。

『最上層に高エネルギー反応! 下層に干渉してる……!?』
「……上って……アイツらは!?」

 まだ全身に残る痛みに顔を歪めながら、ライラモンとメガシードラモンは身を起こした。

「……今のウチら程度で、加勢になるか分からないけど……今ならコイツだって──」

 言いかけて、再び大きな振動に身体をよろけさせる。
 思わず上を見上げると、そこには────目を疑うような光景が広がっていた。

 ワイズモンのデジタルゲート、そしてクレニアムモンが抉じ開けた穴──最上層と繋いだ空間から、巨大な光の根が突き出していたのだ。

 それが、伸びていく。水晶の壁を破壊しながら。

「……何さ、あれ……」
『不明です! 敵性反応はありませんが、それよりも第三階層の物理的破損が……!』

 先程の衝撃の原因は、間違いなくアレだと誰もが気付く。
 破壊されていく第三階層。崩れて散っていく水晶の瓦礫。──何が、起きているのか。

 空間の破壊の影響か、亜空間と天の塔との通信も不安定になり始めた。
 最悪、遮断さえされなければ。仲間達の座標さえ捕捉できていれば、問題無いのだが──

「……。……おい」

 突然、ベルゼブモンがメガシードラモンのヒレを掴む。
 驚いて振り向くと──ベルゼブモンは、根により崩落した壁を指差していた。

「あれは、お前が」
「……え?」
「下で……見ていたやつだろう」

「……────ぁ」

 メガシードラモンは目を見開く。
 崩落した壁。露出した外の空間。

 天の塔に停滞していた毒の暗雲が──飛び出した光の根に、吸収されていく様を。

 ──もしもこれが、クレニアムモンが望んだ未来の形だったなら。
 こんな事にはなっていない。世界が創り変えられる過程で、こんな回りくどい手段は取られない。自分達も世界も、とっくに毒もろとも消滅している筈だ。

「……じゃあ、アイツら……本当に……」

 残された雨水は透き通り、砕けた水晶の破片と共に光を反射する。
 その様に、水のにおいに、メガシードラモンは気が付いた。

 降り注ぐ雨の中────もう、毒は溶けていない。

「──あ……ああぁ……!!」

 仲間達がやり遂げた。
 生き抜いたのだ。

 長かった雨が────ようやく降り終わる。

「皆……!! ──ッ! ありがとう……ありがとう……っ!!」

 メガシードラモンは泣き崩れた。身体を震えさせ、声を上げて泣いた。
 都市に注いだ毒も消えていくだろう。これ以上、誰かが毒で死ぬ事は無いのだ。

 泣きじゃくる彼の背を、ライラモンが少しだけ乱暴に叩いた。泣くのはまだ早いと言わんばかりに。

「なあ、ワイズ──」
『テマリとセイジは無事です。セイジも、状態の悪化は見られない』
「……話が早くて助かるよ」

 毒を吸い上げる光の根は、相変わらず塔の破壊を続けている。
 此処もいずれは危ないだろう。このまま仲間達の帰りを待ちたかったが、根が第二階層に侵食すればパートナー達に危険が及ぶ。

『ゲートは収容室……メガシードラモンは入れないので、付近に直接繋ぎます。そこの使い魔を一体連れて行って下さい。ワタクシ達はその間に脱出経路の確保を』
「ほら立ちな。こんな場所さっさとおさらばだ」
「うん……」

 崩れ落ちた移送機の残骸が光り、ゲートが開かれる。この先で、パートナー達が待っている。
 ふたりはどうするの? と、立ち止まったままの男にメガシードラモンは尋ねた。崩落が進行する第三階層より、第二階層の方が安全な可能性はある。

「……俺達は……。……俺は、カノンとここにいる」

 あまり彼女を動かしたくないのだと、表情で訴えた。

「わかった。……うん。きみがいるから、その子も安心だね」
「……」
「それじゃあ……また、あとでね」
「……、……ああ」

 男の返答に、メガシードラモンは満足げに微笑んだ。

「ワイズモン、ゆずこ。二人も、オレたちを助けてくれてありがとう」
『……』

 ──こちらこそ。生きていてくれてありがとう。
 ワイズモンは小さく呟く。しかしノイズが邪魔をして、声は仲間達に届かなかった。




「────」

 ベルゼブモンは少しだけ二人を見送ると、再び少女の寝顔に目線を落とす。
 その傍らで、最後の一体となった使い魔が心配そうに彼らを見守っていた。

 男がずっと探していたパートナーの少女。……目覚める様子はない。
 モニターで彼女のバイタルを確認する。生きては、いる様だが。

『……あ、あの、……』

 柚子が、気まずそうに声を掛けた。

『その人、……もう、──』

 人間の反応ではなくなっている。
 バイタルも酷く不安定だ。何か処置を、した方がいいのではないか。

 そう伝えようとして、言い澱む。──すると、

「わかってる」

 遮るように男は言った。──言い切った。
 柚子は言葉を失った。咄嗟にパートナーの顔を見ると、ワイズモンは静かに首を横に振る。

『上に進んだ仲間達が、……絶対、戻って来ます。……その子と迎えてあげてくれませんか』
「……」
『合流次第ゲートを開きます。全員で脱出して下さい。それと……こちらとしては、生体反応さえ確認できれば十分ですから。この個体に関しては一度、通信を切っておきますので』
「……。……ああ」
『……それと、貴方も……ありがとうございました』

 男は黙したまま。そして使い魔もまた、それだけを言い残し沈黙した。
 いいの? と言いたげな柚子に、ワイズモンは「ええ」と短く答える。

 ──彼と彼女の間に在った物語を、ワイズモンは知らない。
 けれど今は、二人にさせてあげたいと思ったのだ。きっと、何よりも待ち望んだ再会なのだから。



◆  ◆  ◆



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