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──水晶の群が軋む。
割れて、崩れていく。
耳を突くような轟音。喧しくてうるさい筈なのに、ベルゼブモンには周囲がとても静かに思えた。
戻って来るまでの間、此処で何があったのかは知らない。──自分はただ、憎悪すべき黒紫を狙って撃っただけ。それが運良く同行者達を巻き込まなかっただけの事。
だから、そこまで礼を言われる事もないのだが──と、思う。
上空を仰ぐ。見当たらないあの二体は、どうやら戻って来るらしい。
此処が崩れて無くなるのと、どちらが先か。いずれにせよ、自分がそれまで留まる事に異論はなかった。
「……」
大切なものは、既に腕の中に在る。
離れてしまわないよう抱き締める。
仮に足場が崩れても大丈夫だ。今の自分には、彼女が授けた翼があるのだから。
深い穴の底から、どこまでも飛んで行けるのだから。
「……──」
成長を続ける光の根。壁は次々と崩落し、視界に空が広がっていく。
すると、男は自らの視覚情報に違和感を覚えた。
どこまでも果ての無い空。
灰色にしか映らない筈の空。先程までは確かにそう見えていた筈の空。
何故だかそれが、いつもと違う色に見えて────
「────ベルゼブモン?」
声を聞いた。
鈴を転がした様な、透き通った綺麗な声が。
「────」
仰いだまま、ベルゼブモンは目を見開く。
唇を震わせ、腕の中へ目線を落として──
「……──、──カノン……」
名前を呼んだ。
何度呼んでも届かなかった、少女の名前。掠れた声で、けれどはっきりと口にした。
「……」
少女の瞼は薄く開かれている。
美しい琥珀色の瞳は濡れ、長い睫毛の先に雫が結ぶ。そのまま、涙となって零れていく。
それを、男はそっと指で拭った。──触れた頬に一瞬、あの幾何学模様が浮かび、消えていった。
「……どこか、痛いのか。カノン」
少女は小さく首を振る。
「怖いのか。カノン」
少女はまた、小さく首を振った。
「────あなたが、」
白く細い指が、男の首元に触れる。
「生きて……いてくれて、……嬉しいの」
恐る恐る、不安げに。
そんな少女の手を、男は強く、けれど大切に握り締めて──自身の頬にそっと当てた。
「大丈夫だ」
掌から感じる温度。やわらかな温もり。
「カノン。……俺は、ここにいる」
穏やかな笑顔。優しい眼差し。
カノンは、安心したように微笑んだ。
「……──ありがとう、ベルゼブ」
水晶が軋む音がする。瓦礫が轟音となって響き渡る。
それは遠い日、いつかモノクロームの世界で聞いた、鐘の音の様で。
声も、何もかも、掻き消してしまいそうなそれを聞きながら────二人は互いの鼓動を、確かに感じていた。
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