◆  ◆  ◆



 最上層で発生した光の根は急速に成長し、瞬く間に第三階層を崩壊させる。
 程無くして、その影響は第二階層にも及び始めた。

 それは収容室とて例外ではない。
 ──ただ、子供達の安置を想定し堅固な構造になっていたのは幸いした。壁と床は大きな音を立て振動するが、自壊しない程度に収まっている。

 それでも十分、命の危機は感じるのだが。
 手鞠と誠司はベッドの下に潜り、身を震わせていた。とにかく必死で、学校の避難訓練を思い出そうとしていた。

「……そ、そういえば……オレ、ずっと……思ってたんだけど」

 誠司の笑顔は酷く引き攣っている。

「な、何……?」
「防災頭巾ってさ……あれ、意味あるのかな……」

 上擦った声で、そんな事を言ってみた。

「……し、知らない……でも、ヘルメット、がいい……」

 そういえば教室の隅には先生用のヘルメットがあった気がする。──などと考え気を紛らわそうとするが、恐怖は増すばかりだ。

 直後。そう遠くない場所から、何かが崩れるような轟音が聞こえてきた。二人は叫び声を上げる。

「崩れた!? どっか崩れたよね!? 怖い怖い怖い!! オレ今あんま動けないのに!」
「ど、どうしよう……! 待ってた方がいいのかな、逃げた方がいいのかな!?」
「逃げるってもゲートないじゃん! や、山吹さーん!!」

 部屋の外どころかベッドからも出られない。デジヴァイスも通信障害なのか、ノイズばかり叫んでいて連絡が取れない。
 あまりの絶望的状況が恐怖を増幅させる。二人は堪らず号泣し始めて──


「────くそ! ドア引っ掛かって開かないじゃないの!」
「せいじ! てまり! 離れてて!!」


 その時だった。
 扉が大きな音を立て、大破する。──メガシードラモンの頭部が、屋内へ思い切り突っ込んだ。

「「……!!」」
「ちょっとやりすぎだよ! 二人が怪我したらどうすんのさ!」
「ご、ごめん……。……あれ? 二人ともどこに……」

「メガシードラモン!!」
「ライラモン……ッ!!」

 ベッドの下から抜け出し、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら駆けて行く。傷だらけのパートナー達に、力一杯抱きついた。

 その身体には、別れた時には無かった多数の傷痕。服に、頬に、残った血が擦れて付いた。
 ──離れていた時間は決して長くない。けれどその間に、どれだけの激しい戦いがあったのか。二人には想像もつかなかった。

 だが、心配したのだ。本当に死んでしまうのではと思っていた。
 とにかく二人が無事だった事と、そしてこの状況で助けが来た事の安堵。他にもたくさんの感情が入り混じって──その全てが嗚咽となり、二人の口から漏れて響いた。

「……ごめんな二人とも。怖い思いさせて」

 ライラモンは黒ずんだ両手を二人の頭に置く。メガシードラモンも、彼らの涙を拭うように頬をすり寄せた。
 動く度、まだ身体はズキズキと痛むけれど──今はそれが生きている証だと実感できる。

 生きてこの子達を、迎えに来られて良かったと、心から思った。

「──まずはここから出るよ。天井、やられたら面倒だからね」
「オレが上を飛ぶから、ライラモンはふたりをおねがい。……せいじ、具合どう?」
「う……うん、咳はマシになったけど……左手あんま力はいんないから、掴まるのとかは……」
「安心しな。ウチの横っ腹に吐きさえしなきゃ落とさないよ」

 ライラモンはニヤリと笑い、冗談交じりに誠司を脅かした。それから両脇に二人を抱え、蔓で自身と固定する。
 メガシードラモンは部屋の中から頭を抜くと、周囲の様子を確認する。少しでも瓦礫の落下が少ない場所を探していた。

「ね、ねえ、花那ちゃんたちは……?」
「それも大丈夫。……絶対、後で会える」

 メガシードラモンの合図に合わせ、ライラモン達は収容室を脱出した。
 併泳するコバンザメの如く、彼の真下に付くよう飛んていく。不意の瓦礫から二人を守る為だ。

「「……」」

 収容室の外は、見覚えのある白い集合住宅の内観。
 光の根により破壊され、廃墟のような様相に変わり果てていた。

 ライラモンに抱かれながら、手鞠はふと振り返る。視界の先、自分達がいた場所があっという間に小さくなっていく。

 そして、数秒後

「──あ」

 光の根が収容室の天井を貫いた。
 そのまま、崩れていってしまった。



◆  ◆  ◆




「──あの二人がここにいるって!?」

 一時的な避難場所を探す最中。手鞠と誠司はどうしても、管制室にいるかもしれないみちる達の事が気掛かりだった。

 しかし話を聞いたライラモンは、当然ではあるが「そんな馬鹿な」と訝しむ。
 何故なら二人は亜空間にいる筈で──何か任されていたとしても、人間が此処に来るなんて危険な真似をウィッチモンがさせる訳がない。

「やっぱ考えらんないね。あのウヨウヨいる防衛機に会ったら即死だってのに」
「ほ、ほんとだよ! オレたち聞いたんだ! 山吹さんだって、二人が言ったなら大丈夫って……」
「ねえ、迎えに行こうよ! 周りが崩れて出られなくなっちゃってるかも……!」

 二人の事はワイズモン達から何も聞いていない。──が、この子達が嘘を吐く理由もない。
 もしかするとその「管制室」とやらは安全なのだろうか? 判断に迷い、ライラモンは表情を渋らせる。

「……でも、そういえば……ワイズモンとゆずこからの通信、静かだったよね」

 思い出す違和感。
 戦闘中は必死で気に留まらなかったが、言われてみればそうだ。普段であれば聞こえてきたであろう野次、もとい応援の声が、この作戦中はちっとも聞こえてこなかった。柚子は確か、自分達は更に別の空間にいると言っていたが──

「……いってみよう、ライラモン」
「……そりゃあ、一か八かってやつかい?」
「もし本当だったらたいへんだもの。それにここが崩れても、オレたちは飛べるからなんとかなるよ」
「まあ……そういう意味じゃ確かに、逃げ遅れるとかは無いだろうけどさ……そのカンセーシツって何処にあるの? ウチらも今、ワイズモン達と連絡取れないんだよ」

 使い魔は連れて来たが、何やらずっとノイズを叫んでいる。空間が歪んでいる所為なのか、それとも自分達がロードし使い潰した所為かは分からないが──とにかくまともに機能しない。辛うじてGPS代わりになる程度だ。
 ──とは言え、その唯一の機能が一番重要とも言える。こんな迷宮でワイズモン達に見失われたら、それこそ帰還できなくなるだろう。

 しかしナビゲートが無いとなると、手当たり次第に探す他なくなる。
 自分達はそれでも構わない。どれだけ時間をかけたっていい。だが、時間をかける程に崩壊は進む。──自分達と違って彼等は飛べないのだ。崩れれば、落ちていく、

「……ああ、いっそ探し損になれば最高だ。もし本当に来てたとしてもさ、先に亜空間に戻ってくれてるなら……」
「だいじな場所なら、きっと下の階にはないと思う。このまま上に進んでくよ。……みちるとわとそん、ヒント言ってなかった?」

 そう言われても、と誠司は頭を抱える。急に連絡が来て、曖昧な用件を伝えられたら勝手に切れたのだ。思い当たる節など何も無い。

「……ねえ、さっきの通信、海棠くんのデジヴァイスに来てたよね? もう一度使ってみようよ!」

 別の次元である亜空間と異なり、同じ塔の内部なら繋がるかもしれない。
 手鞠の提案に、誠司は「それだ!」と指を鳴らした。デジヴァイスを取り出し、握った右手を高く掲げる。

「頼む頼む……デバイスってよく分かんないけど頑張ってくれ……電波とか受け取ってくれー!」
「ちょっと、そんな事して落としても拾ってやらないよ!」

 ブツブツと呟きながら腕を振り回していると──デジヴァイスの液晶ディスプレイが突如、光り出した。

「! お、来た!?」


<──“……を確認。通信記録──、……同デバイスと認識。──”>


 聞こえてきた機械音声。
 だが、ノイズ混じりで不鮮明だ。加えて周囲の轟音が喧しく、上手く聞き取れない。

<──“……室、──再接続、──ま──?”>
「何!? 聞こえない! えっと……とりあえずカンセーシツまで連れてって! 道案内! マップ! ルート!」

 半ば自棄になりつつ叫ぶ。

<──“音声、よる……──、──コマンドを実行します。”>

 驚くべき事に、なんと成功したらしい。
 液晶ディスプレイから放たれた光は、細い帯を描きながら上空へ伸びていく。

 まさか本当に成功するとは。四人は唖然と光の帯を見上げていた。そのまま五秒ほど経過し──

「というかあの方向……また第三階層かい?!」
「オレたちが通った穴がある。そこからいこう」

 メガシードラモンはライラモン達をヒレで押さえ、腹部に固定する。
 身体を大きく蛇行させると、光が示す方向へ勢い良く上昇した。

 

◆  ◆  ◆



 光を辿り、進む。再び第三階層へ。

「……──」

 メガシードラモンは注意深く周囲を見回した。
 自身が泣き崩れた水晶の間はもう、都市の様子を投影していない。

 そのまま、最初に通って来た道とは外れていき──未知のコースへ。
 未知と言っても、どこも同じような水晶の迷宮だ。今となっては殆どが侵食により崩壊しているのだが。

 降り注ぐ瓦礫を、頭部の外殻とブレードで破壊していく。子を守る親のように、三人をしっかり腹部に抱えながら。

 やがて──

「ね、ねえ! アレじゃないかな……!」

 手鞠が指を差す。
 その先に見えたのは、同じような水晶で出来た──けれど他とは明らかに外観の異なる建築物。根が迫っているが、崩壊は免れていた。

 光もそこで行き止まり。メガシードラモンは躊躇わずに向かい、侵入を試みる。
 ──防衛機が出てくる気配は無い。ロイヤルナイツのサイズに合わせている為か、今度はメガシードラモンも中へ入る事が出来た。

「わあ。中、広いんだなー」
「か、海棠くん……静かに……!」
「ご、ごめん」

 施設の中はひどく薄暗かった。
 光源は殆ど無く、非常灯のようなものが足元を僅かに照らすだけ。機械系統が停止しているのは元々か、それとも根の侵食によるものかは分からない。

「「……」」

 ──瓦礫の音以外は何も聞こえない。
 あの賑やかな声と、淡白な声は聞こえてこない。

 誰もいないのだろうか。
 仮に、二人が本当に居たとして──けれど先に戻ったのではないか?

 誰もがそう思った。
 その、矢先だった。

「……まって。だれかいる」

 メガシードラモンの言葉に全員が警戒する。デジモン達は万が一に備え、即座に臨戦態勢を取った。

「……手鞠、誠司。絶対に離れるんじゃないよ」

 足元の非常灯が、廊下に残る血痕を照らしていた。
 それは道標のように、奥の部屋へと続いていく。

 終着点は、とある開け放たれた扉の先。
 ひどく薄暗い室内。ブラックアウトしたモニターの群れ。


 その下に──自分達の知らない、誰かが居た。

 
「────やあ、どうも」


 床に倒れたそのデジモンは、どこか聞き覚えのある声で言う。

「……え、何で……デジモン……? おにーさんたちは?」

 赤い海に浮かぶ白亜の戦士。
 既に、分解が始まっていた。

「「……」」

 何故、彼がその声をしているのか。こんな状況になっているのか。
 その疑問を、ライラモンとメガシードラモンは言葉にしなかった。

 ──察したわけではない。気付いたわけではない。
 ただ、目の前の炎が消えるまでの残された時間を──それに割いてしまうのは惜しいと思っただけ。

「あ、足……無くなって……このままじゃ死んじゃう……!」
「すぐ連れて帰ろう! あんなに酷くても、マグナモンさんなら治せるかもしんないよ!」

 手鞠は狼狽えた。誠司が急かすように促した。
 メガシードラモンは少しだけ首を伸ばして──ヴァルキリモンの顔を覗き込む。

「……きみが、『マグナモンの仲間』?」
「…………──ボクらは……そんな素敵な関係じゃ、なかったよ」

 乾いた笑いが漏れた。

「……こんなになるまで、たたかってくれたんだね」

 何故だかメガシードラモンは、彼の身体を掬い上げようとはしない。ライラモンは、何も言わなかった。

「全部、自分の為だ。ボクがしてきた事なんて」
「それでも……きみが、きみたちが、イグドラシルの機械をこわしてくれなかったら……オレたちはここまで来れなかった」

 ヴァルキリモンは「そうか」と顔を上げ、「役に立てたなら、よかったよ」

 子供達は焦りを増す。どうしてパートナー達は、彼を連れて行こうとしないのか。
 そんな二人の肩に、ライラモンはそっと手を置いた。

「────なあ、アンタ。見送るかい?」

 それは──彼がもう助からない事を、連れて行く事が出来ない事を。
 もう間に合わない事を、示唆する言葉だった。

「いいや。……ボクは、ひとりでいい。ひとりがいい」

 提案を拒む掠れた声。

「……でも……そうだな。ひとつだけ……」

 やはり聞き覚えのある淡白な声色は、最後に乞う。

「キミ……花、出せる?」
「……花?」
「一輪だけ、欲しいんだ。……向日葵がいいな。ちょっとだけ……良い思い出が、あるから」

 ライラモンは思わず困惑の色を浮かべる。
 けれど理由は聞かず、望み通り──花弁の手を掲げ、一輪。鮮やかな黄色い花を生み出した。

「……これでいいかい」

 小さな向日葵を、白亜の手に握らせる。
 彼の血で、汚れてしまわないように。

 ヴァルキリモンは嬉しそうに口角を上げた。……ライラモンとメガシードラモンは、それを見て胸が苦しくなった。
 そのまま彼に別れを告げる。泣きながら立ち止まろうとするパートナーの背を、押して進んでいく。

 ──ああ、許してくれ。
 目の前の命を救うには、自分達の命を使いきっても足りないのだ。

 ──どうか許してくれ。
 名も知らぬ協力者よ。自分達が生きる為に、此処で見殺しにする事を。

 心の中で何度も謝りながら──けれどそんな二人の感情とは裏腹に、彼らの背に向けヴァルキリモンは言った。


「ありがとう。キミ達は本当に、よく頑張ったね」



◆  ◆  ◆




 ──再び、管制室は驚く程に静まり返る。

 ヴァルキリモンの全身から力が抜けていく。
 大きな吐息となって、それは流れ出た。

 身体の分解が一気に進む。

「……」

 痛みは無い。
 だから最期まで、ゆっくりと思考することができるのだ。

 彼女の願いは遂げられた。
 自分の作戦も成功したし。
 世界もちゃんと救われて。
 巻き込んでしまったあの子達も、どうやら無事に帰れそうだ。
 何だかんだ、全てが上手くいったのだ。凄いぞ。これほど贅沢な事はない。

 これほど──幸せな事はない。

「ああ、よかったなあ」

 満足げに微笑みながら。
 最後のわがままで手向けてもらった黄色い花を、胸に抱いた。

「……」

 遠い日。夏の匂い。
 いつか彼女が見つけた、向日葵畑を思い浮かべる。

 過ごした日々を、いつだって隣で眺めていた笑顔を──想い浮かべる。

「……。……──みちる」

 ────どうか、どうか。

 彼女がちゃんと笑える日が、今度こそ訪れますように。


 心から、彼は願った。



◆  ◆  ◆




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