◆ ◆ ◆
──焔が燃える。
紅い焔が、碧い焔が。哀しき人形達を包み込んでいく。
水晶の床は、自分達が手を出すまでもなく光の枝が破壊し尽くした。おかげで「彼ら」の焼却に時間は要さなかった。
「────」
焔の中、光の枝は成長を続けていく。天に枝を、地に根を広げるように。
その過程で──床だけではない。壁も、天井も、何もかもが破壊されていった。
崩落した天井の先、弔いの煙は穏やかに昇っていく。
鮮やかな、青色の中へ。
「──空だ」
アポロモンは晴れ渡る空を見上げた。
要塞都市の、作り物のそれとは違う──本物の青空。
差し込む光芒が眩しくて、思わず涙が出そうになる。
腕の中で眠る“妹”に、この空を見せてあげたかった。やっと取り戻したと伝えたかった。
毒の浄化に成功しても尚、ミネルヴァモンは目を覚まさない。
「……」
だが────生きてさえ、いてくれれば。
今は、それだけで。
「……帰ろう」
メルクリモンが短剣を掲げた。
「今度は、一緒に」
陽光に照らされた切っ先が、自分達が辿った次元の穴へ突き刺さる。──空間が裂け、光の道が現れた。
少しばかりくすんだ光。どこか物悲しい帰り道。
数歩だけ進んでから──少年と少女は振り返る。
『『……』』
神の座は静かに照らされている。
瓦礫に埋まり、けれど美しく。
『……イグドラシル……』
そう呟いた、少年の声は風に消えた。
『……』
ふと、瓦礫の中に蜃気楼を見る。
美しい水晶の球体。美しい水晶の人形。形のない誰か。
『……もう、泣かなくていいんだよ』
波のように光が揺らめく。
風に、瓦礫に掻き消えて。
最後に。
ごめんなさい。
ありがとう 。
────そんな、音にならない声が聴こえた気がした。
◆ ◆ ◆
第三階層の凄惨な状況に、四人は思わず言葉を失った。
光の根は既に下層へと侵食。外壁は崩落し、標高の高さ故か突風が吹き込んでいた。
崩れた瓦礫は風に飲まれ、軽々と吹き飛ばされていく。直撃すれば只では済まない。
──そんな状況で、足場になりそうな場所など残されている筈もない。
ゲートを抜けた途端、メルクリモンは何もない空間に足を踏み入れた。アポロモンが咄嗟に片手を伸ばし、腕を掴む。
ぶらりと宙に浮く身体。
二人の傷から零れた赤いものが、底の見えない水晶の奈落へ吸い込まれていった。
「……ライラモン! メガシードラモン!!」
メルクリモンの呼び声が水晶に反響する。──返事はない。
「ワイズモン!! ……誰も……いないのか!?」
風のせいでにおいが追えない。いつ二人がいなくなったのかも分からない。
最悪のケースが脳裏を過る。
血の気が引いて、全身から汗が滲み出た。
しかし、直後。
彼等の呼び声に応えるかのように、何処からか乾いた発砲音が聞こえてきた。──次いで、風に紛れた硝煙のにおい。
そのどちらにも覚えがあった。二柱は「まさか」と顔を見合わせる。アポロモンはメルクリモンの腕を自身の肩に回すと、兄妹二人を抱えて瓦礫の雨を進んだ。
そして──
「「──……!!」」
音と硝煙の先に、男の姿を見る。
腕の中の少女を瓦礫から守るように──黒い翼を大きく広げていた。
どうして、と。蒼太が呟く。
その声は届く前に銃声で掻き消された。アポロモンの背後で、瓦礫が音を立て砕け散った。
「遅い」
ベルゼブモンの、再会の第一声はそれだけだった。
「あ……、その、ごめん……」
やや不満気な男に、アポロモンは咄嗟に謝る。
驚愕と困惑で、まだ状況の整理がつけられない。
「な、なあ。皆を──」
「あいつらは」
血が滲むような赤色から、ホリーグリーンの色へと変わった男の瞳。アポロモンのエメラルドグリーンの瞳と、目が合った。
「ここには、もういない」
男はそこまで言ってから、少しばかり思考するように目線をずらして──
「生きている」
と、続けた。
『……よ、よかったあ……!』
『そっか、誠司と宮古のこと迎えに行ったんだ!』
仲間の無事に、久しぶりの笑顔が戻る。安堵に胸を撫で下ろした。それだけ動けるのなら、きっと問題ないだろう。
「それで、君は……僕達を待っていてくれたのか」
「……」
「ありがとう。……生きていて良かった。君も、君のパートナーも」
男に救い出されたであろう少女も、擦り傷や切り傷はあるものの、大きな怪我はしていない様子だ。
緊張しているのか、それとも警戒しているのか、端正な顔を曇らせている。──眠るミネルヴァモンの姿を、じっと見つめながら。
だが、喜ぶのも束の間。降り注ぐ瓦礫の轟音が、彼らを現実へと引き戻していく。
『……アポロモン、あと少しだけ踏ん張れる?!』
「平気だ蒼太。瓦礫を撃ち落とすくらいなら何てことない。
それと……ベルゼブモン、ワイズモン達から何か預かってないか? 伝言でも、何でもいいんだ」
「……、……これか?」
と、見せられたのは黒い襤褸切れ。変わり果てていたが、確かにワイズモンの使い魔だった。
既に通信が再開されていたのか、黒猫は必死に何か訴えかけている。──が、ノイズが酷くて何も聞き取れない。こちらの声が届いているのかすらも。
しかし使い魔は仲間達を見回すと、突然飛び上がる。それから円を描くように回転を始めた。
そのまま、自身の形状を変化させていく。
「「──……!!」」
見覚えのある形だ。ブギーモン達の腕輪とよく似ている。
だから、すぐに察しがついた。使い魔が、ワイズモン達が何をしようとしているのか──。
◆ ◆ ◆
「──生体反応の詳細を再確認」
使い魔の視界は奪われ、通信もノイズに潰された。
「実体が二つ、テマリとセイジ。合成体、母体の少女」
けれど、感じ取った幾つもの熱源は──彼らが無事に合流できた事の証明となる。
「電脳生命体、六つ。ライラモン、メガシードラモン、ベルゼブモン。アポロモン、メルクリモン────ミネルヴァモン」
そこに、あの青年のものはなかった。
「各ポイントの座標は捕捉済み。……ユズコ」
……彼と仲間達が出会い、別れた事は知っている。
こちらの声も向こうの音も、ノイズに消されてしまったけれど。
「いいですね?」
「──っ、……」
ワイズモンの言葉に、柚子は声を詰まらせながら頷いた。
「──“腕輪”を起動。収容室の構造解析記録からゲート内部に被膜を構築。次元移送に伴う肉体負荷は軽減されます。第二、第三階層より外部空間へゲート接続──」
それは今、確認できた大切な生命達を迎える為の門。崩れゆく天の塔からの脱出路。
「転送先設定────聖要塞都市、大聖堂! デジタルゲート・オープン!!」
◆ ◆ ◆
黒い腕輪が光を放ち、上空にデジタルゲートが開かれる。
だが──塔の空間自体が歪んでいるせいだろう。開かれたゲートも酷く不安定なものとなった。
暴風が更に激しさを増す。アポロモンとベルゼブモンは、腕に抱いた少女達を守ろうと身を屈ませた。
「……君達から先に!」
アポロモンは声を上げ、炎の矢で瓦礫を砕きながら退路を作る。ベルゼブモンがカノンと共にゲートへ飛んだ。
『よし、俺たちも行こう!』
妹を抱き、兄を担ぎ、アポロモンは飛び上がる。
水晶の破片が当たって痛い。そもそも身体の傷が塞がっていない。ミネルヴァモンの右半身に自分の血がべっとりと付着して、腕から滑り落ちそうで怖かった。
暴風と瓦礫でバランスを崩しながら、なんとかゲートまで辿り着く。すると、
「早くしろ」
顔を出したベルゼブモンが──手を伸ばし、メルクリモンの手首を掴んだ。
「!? え、待っ……」
驚愕するメルクリモンを他所に、そのまま引っ張る。
アポロモンとミネルヴァモンも芋づる式に、ゲートの中へと勢い良く放り投げられた。
『わあっ! ……た、助かった……!?』
『花那、帰るまでが作戦! モタモタしてたらゲート消えちゃうかも!』
背後の暴風が信じられないほど、ゲートの中は凪いでいる。
しかし空間内もやはり不安定で、此処で留まる訳にはいかない。子供達の焦燥感に背中を押されながら、彼らは足早に道を進んだ。
「──なあベルゼブモン。さっき僕の手を」
崩落の音が小さくなってきた頃。メルクリモンは、無視できない疑問を男に投げ掛ける。
「君、毒はどうしたんだ」
風のせいかと思っていたが──今この瞬間でも、毒のにおいを彼から感じない。
「……、──俺には、わからない。ただ……」
「ただ?」
「腹は減ってない」
「……そうか」
──ミネルヴァモンに起きたような奇跡が、ベルゼブモンにもあったのだろうか。
このパートナーの少女が、それを成したのかは分からない。
彼女は、イグドラシルを埋め込まれたのだとマグナモンから聞いた。……その影響なのだろうか。それとも再起動したイグドラシルが彼の毒を消したのか。
いずれにしても、だ。──メルクリモン達は、これ以上深く尋ねる事を避けた。彼女が自ら口を開かない以上、きっと追究するべきではないのだろう。
「そうだ」
アポロモンはふと思い出す。
「あの時……クレニアムモンを撃ったの、君なんだろう?」
「……、……ああ」
だが、殺しきれなかった。本当は殺したかったのだと──静かに溢れた男の声からは、不満が滲み出ていた。
「ごめん」
再び謝る。横取りしたつもりはない。ベルゼブモンも同じく、そうとは思っていないのだが。
「でも、おかげで俺達助かった。ありがとう」
それと、初めまして。ベルゼブモンのパートナー。
飛びながら声を掛ける。カノンは驚いたように目を丸くさせ──それから、何故か哀しげに目を伏せた。
「……──あなたの……中にいる、その子達は」
「俺達のパートナーなんだ。後でちゃんと紹介するよ」
「…………ありがとう。けど、それはもう──」
「……え?」
『──見えたよ! ゴール!!』
花那が指を差す。
天の塔の空間を抜け、空を越えて。
雨が止んだ大地へ続く、長い道の先。
鮮やかな七色の光の海へ。
三体のデジモン達は、愛しいパートナーと共に飛び込んだ。
──作戦開始から五時間二十分。
あまりに長く、けれど短い戦いを終えて────英雄達は天の塔を脱出した。
◆ ◆ ◆
「──デジタルゲート、全ての生体反応の通過を確認。天の塔への接続、解除します。
……──作戦終了です」
ワイズモンがその言葉を発した瞬間、柚子の全身から緊張の糸が切れる。
そして、堰を切ったように涙が溢れた。両手で顔を覆うが、指の隙間から溢れていく。
「ユズコ……」
「……──ッ……お、終わったぁ……」
──やっと、終わった。
放課後にオーロラを見たあの日から続いた戦いが、ようやく幕を閉じたのだ。
「……ッ」
止めどなく流れる涙を、柚子は何度も腕で拭う。
生き残れて良かったと思った。自分達が、仲間達が。
だが──生き残れなかった者達が、帰ってこない仲間達がいる。それはマグナモンであり、ブギーモンであり、──ヴァルキリモンだった。
「……ぅ、うぅ……」
……本当はみちるもワトソンも、最初から帰るつもりなんて無かったのだろう。
「……ユズコ、……」
泣きじゃくる柚子を、ワイズモンはそっと胸に抱き寄せる。
静かになった部屋の中。
パートナーの泣き声と、古い冷蔵庫が放つコンプレッサーの音だけが聞こえてくる。
「……。……本当、嘘つきですね。貴方達は」
──目を閉じて呟く。それから、ワイズモンは自身を「ウィッチモン」へ退化させた。
天の塔との接続を断った今、完全体である必要もない。……何より、少し疲れた。
「手は、……やはり駄目デスか」
退化してみたものの、両手は相変わらず使い物にならなそうだ。思わず溢しそうになる溜め息を堪え──ウィッチモンは立ち上がる。
「……ウィッチモン……」
柚子は涙を拭いて眼鏡をかけた。拭いても再び溢れてくるので、あまり意味は無かったのだが。
「さあ、ユズコ」
パートナーを立ち上がらせ、狭くて短い廊下に出る。
玄関ドアの向こうに、光が溢れていた。
「──行きまショウ。仲間のもとへ」
◆ ◆ ◆
「……──か、帰ってきた……!!」
天の塔よりずっと狭い木造の空間。誠司の声が大きく反響する。
声を出した反動で咳き込みながら、周囲を見回した。──自分達は何処に送られたのだろう。
周囲には衣類や器具が置かれていて、何やら体育館倉庫を思い出すような場所だ。
光りまみれのゲートと、薄暗い屋内との明暗差で目が眩む。
「びっくりした……急にゲート開くんだもんな……。……そうだ、全員いる!? 誰か点呼!!」
「は、はい! こっち、手鞠います!」
薄闇の中、手鞠が泣き腫らした顔で挙手をした。
「大丈夫だよ。ちゃんと、いるから……!」
「……! ッ……うん……!」
「そ、それと、ライラ……あれ、チューモン!? 戻ったの?」
「おでもいる!」
一緒にゲートを越えた仲間達の声が響く。完全体だったパートナー達は、成長期に戻っていた。
誠司と手鞠は胸を撫で下ろした──が、他の友人達の姿が見えない。
「まさか、オレたちだけ……!?」
「……いや、単にウチらが変な場所へ飛ばされただけだろうね」
「ほかにも音、きごえるよ。みんなちゃんど戻ってきでる!」
デジモン達には別室の物音が聞こえていたようで、特に心配する様子は見せなかった。
「よかった……そーちゃんたち、ちゃんと生きてるんだ……。……帰って来てくれた……」
誠司はよろよろと歩くと、布がかかったままの椅子に座り込む。
痺れる左腕を撫でながら、深く息を吸い──声と共に思い切り吐き出した。
「……疲れた……」
第三十六話 終
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