◆ ◆ ◆
程無くして、エンジェモンが水瓶を抱えながら主聖堂に戻って来た。
堂内の暗鬱とした空気に言葉を失う。それからすぐに、想定されていた「儀式」が失敗したのだと察した。
何てことだ、と。心の中で口にする。
聖堂の外は今や歓喜に満ち、民衆は英雄達が姿を見せるのを待ち詫びている。
毒による被害は確かに甚大で、彼らを讃える余裕など本来は無い。けれど、それでも民衆は聖堂前に集まっていた。
──救われた側の者達は、あんなにも笑顔を浮かべているのに。
肝心の彼らが、救った者達が、この有様だなんて。
「エンジェモン、聖水をこちらへ。……君達も飲みなさい。多少なり電脳化の影響が残っているだろう。地下の洗礼室にはまだ多く貯蔵されているから」
「わたし、いらない……二人に全部あげてください! お願いだから皆を……助けて下さい……!」
泣き腫らした二人の子供達。暗く沈む二柱と亜空間の魔女。それを慰める仲間達も──あまりに痛々しくて、エンジェモンは見ていられなかった。
「……貴様は何も言わないのか、毒の。仲間達が悲しみに暮れているというのに」
「……。……俺が何か言えば、こいつらは戻るのか?」
黒い男は無表情のまま、目線を向ける事もなく答えた。
エンジェモンは思わず舌打ちしそうになったが、冷静さを取り戻して止める。
そのまま踵を返した。洗礼室へ聖水を汲みに戻る為だ。──去り際、俯くウィッチモンの肩に軽く手を置いて、
「──過ぎたる自責は傲慢になる。貴女はきっと全てを尽くしたのだから、せめて顔は上げると良い」
ウィッチモンは唇を噛んで、目を閉じた。
柚子はそんなパートナーの横顔を見つめ、名前を呼ぶ。……それ以外は、何と言ってあげるべきか分からなかった。
──もしあの時、タイマーが壊されていなかったとして。
それでもきっと蒼太と花那は、アポロモンとメルクリモンと戦う道を選んだのだと思う。
だが、やはり考えずにはいられないのだ。
一体どうすれば良かったのだろうと。どんな道を選べば、大事な人達がこんな悲しい思いをしなくて済んだのだろうと。
すると──
「その子、まだ起きないのね」
すぐ近くで声を聞き、柚子は驚いて顔を上げた。
「カノン、さん……」
「ちゃんと、逢えたかしら。……もう一度、会いたい人がいるって言ってたから」
「────」
……深くは聞いていなかったが、みちるは彼女の事を知っていたらしい。
しかしカノンの言葉は「みちる」ではなく、目の前の「ミネルヴァモン」を指している。柚子はボタンの掛け違いのような違和感を覚えた。
「……分かりません。……そうだといいな、とは……思いますけど。……どこかで、ミネルヴァモンと会ったんですか?」
「二回、会ったわ。学校の前に公園で。……それと、あの場所で」
カノンは、ポケットの中の音楽プレイヤーをスカート越しに触れる。
柚子は目を丸くした。──なるほど。作戦中のいつかは分からないが──自分達の知らない所で、彼女達だけのやりとりがあったようだ。
ミネルヴァモンの事だ。きっと満面の笑顔で、おどけながらネタばらししたに違いない。
「中にいるあの子達も、この子みたいになれたらいいのに」
「……そうですね。……でも、きっと難しいです。だってみちるさんとワトソンさんは、マグナモンの義体があったから──」
それも特別な義体だから、リアルワールドでも分解せずに生きられたのだ。
──そう言おうとして、気付く。
「────義体……」
蒼太と花那も、そしてカノンも。
既に“まとも”でなくなった彼らは今──人間よりずっと、電脳生命体に近い状態に在る。
「……そうだよ。デジモンが義体を使って、リアルワールドで生きられたなら……──ねえウィッチモン! もしかしたら皆、戻れるかもしれないよ!」
柚子の言葉に皆、顔を上げた。
それは以前、マグナモンの贖罪で聞いた存在だ。蒼太とアポロモンが天の座で見つけ、そして弔った人形達だ。
一方でホーリーエンジェモンは首を傾げていた。セラフィモンから受け継いだ記録にそんな単語は残っていない。
「──説明を頼めるか?」
「…………ただの人形デス。ロイヤルナイツが作り出した、……人間に擬態し、リアルワールドで暮らす為の」
回路を収集する為の隠れ蓑。──あくまで数あるうちの二体に限っては。
本来はただの器だ。奪った回路の移植先。イグドラシルと繋ぐ為の媒介。
だが──そこまでは彼に言うまい。きっと知らない方が良いだろうから。
『……あそこに埋まってたマネキン、確かに顔はリアルだったけど……』
『!? 私たちマネキンになっちゃうの!? でも、みちるさんたちは全然、マネキンじゃなかったよ……!?』
『……きっと作りが違うのかもしれない。俺たちが見たのと二人とじゃ……』
みちるも、はるかも、誰がどう見ても人間そのもの。人形らしさの欠片も無い。
だからこそ誰も気付かなかった。彼らが人間でないと見抜けなかった。
「──義体がどうやって作られたのか、俺達は知らない。それでもミネルヴァモンの義体は……あの顔は『ミハル』のだった。……あの子が成長したら、きっと『みちる』みたいになってたんだ」
埋まっていた人形達は皆、眠っていたけれど。
あの子は違う。見届ける事の叶わなかった未来の姿で、ちゃんと生きていた。
ヴァルキリモンだってそうだ。もし彼の姿も、かつての子供達のうち誰かがベースとなっていたなら──二人は義体のまま、幼い姿から青年中期まで成長した事になる。
「……僕は、可能性があるならそれに賭けたい。この子達がリアルワールドで、生きていける可能性を……」
勿論、二人の身体の事だ。義体を使うかどうかは本人達が決めるべきだろう。
蒼太と花那は戸惑う。……が、正直他に方法があるとは考えられない。時間が解決してくれるとも思わない。実際に「みちる」と「はるか」という成功例が存在する以上、メルクリモンが言うように可能性はあるのだ。
ならば、と。二人が拒む理由は無かった。しかし──
「──手段そのものには賛成デス。媒介を用いた電脳体から物質体への強制変換……物理的な器に入れてしまえば霧散する事も無い」
それも今回はヒトからヒトへの回帰。デジモンが人間擬きに成るより、成功する可能性は高いだろう。
だが、それには人形ではなく、「完全な義体」の造形が不可欠となる。
彼らは成長し、年齢を重ねて年老いる。生殖をする可能だって。
故に。血も肉も神経も内臓も──消化器官や生殖器も。義体に搭載された全てが機能しなければならない。蒼太と花那が「人間」として生きられなければ、それは成功とは呼べないのだ。
──問題はそこだ。そもそもウィッチモンはマグナモンから、「二つの義体」の製造方法を継承していない。
一晩のうち、それも数時間という限られた時間の中。
騎士は自身の持つあらゆる知恵をウィッチモンに授けたとは言え、内訳には優先順位が存在する。当然、作戦に直結する内容が大半を占めていた。
「……ソウタ達が見たという義体……そのレベルのものであれば、ワタクシでも作り出せまショウ」
子供達の電脳化、実体への再変換。パートナーとの一体化と分離。
騎士から授かった技術を応用すれば、恐らく製造可能だ。──人間の容姿を貼り付け、肉の模倣物を埋め込んだだけの人形なら。
「しかしリアルワールドで生存し、成長する程の精度となると話は別デス。……現状、材料も製造工程も不明なまま……この状態ではとても作れない。
──デスので……時間が許すなら、義体に関する情報が残っていないか探して来マス」
「いや、探すってアンタ……あの塔にかい!? とっくに崩れてるのにどうやって……」
「記録自体が抹消されていなければ、瓦礫中にデータの残滓があるかもしれない。……幸い外部の結界も崩壊していマス。マグナモンの権限を使えば、ワタクシだけで侵入も──」
「────マグナモンの?」
その時。
呼ばれた騎士の名に、カノンが顔を上げた。
「貴女、マグナモンの力が使えるの?」
「……え、ええ。ほんの一部を譲り受けただけデスが……」
「じゃあ、きっとあの子と話せるわ。それでマグナモンの記録も見つけられる」
「……!? それはどういう……」
「だってイグドラシルは忘れない。あの子と子供達がやった事を、ひとつだって」
塔も騎士も、全てはイグドラシルが生み出したもの。イグドラシルへと還ったもの。
ならば騎士達が重ねた罪もまた、イグドラシルに保有されている筈だ。
少女の言葉は、つまりそういう事だった。ウィッチモンは愕然とする。
「……イグドラシルの中を覗き見ろと?」
「瓦礫の中を探すより、ずっと早いでしょう?」
「ロイヤルナイツでさえ、かの主への謁見には許可が必要と聞きマス。ワタクシでは最上層にさえ至れない」
「別に、行かなくたっていいの」
そう言うと、カノンは再び祭壇の前へ。
「……何をなさるつもり?」
「何もしない。私にはもう何もできない。けど────私を使って、何かする事なら」
「……! カノン──」
「大丈夫よベルゼブモン。いなくなったりしないから。……この人達に、助けてもらったお礼がしたいの」
差し込む光が、祭壇と少女を照らす。美しく照らしている。
「だから、貴女」
虹彩に浮かぶイリデッセンス。
差し伸べられた白い腕が、細い指が、ウィッチモンを手招いた。
「……!! ……──」
──その瞳に吸い込まれるように。
ウィッチモンは祭壇へ導かれ、少女の前へ。
気付けば膝を着いていた。……授かったマグナモンの一部がそうさせているのだろうか。微量と言えど、ロイヤルナイツのデータは自分には身に余るものだったらしい。
言葉は出せず、無意識のうちに頭を垂れる。
赤い帽子が床に落ちて、露わになる額。
──そっと、母体の手の甲に触れた。
「────……ッ!?」
瞳の奥で火花が散る感覚。
意識が遠のき、けれど糸を手繰るように駆け抜けて──ウィッチモンはカノンを媒介に、イグドラシルと接続した。
「────あ、」
視界は既に切り替わっている。
画面越しに見ていた、水晶の群れとよく似た光景。光が数多に反射する海の中。
そこは高位の空間。最上層と同様、究極体レベルでなければ干渉できない場所。
にも関わらず成熟期の身で接続できたのは、目の前の「媒介」のお陰だろう。
この少女は一体、いつからこんなものに成り果てていたのか。
『──嗚呼、クレニアムモン。貴殿は、我らは、何という事を』
自分のものではない、けれど覚えのある誰かの声。
溢れんばかりの懺悔。赦しを乞わず、けれど贖罪を望む声。
そして、その先に
《『────』》
身に覚えのない、声の様な音を聞いた。
直後。ウィッチモンの意識の中に、莫大な量の情報が流れ込む。
イグドラシルが保有する記録に触れたのだろう。──処理が追い付かず、頭が焼き切れそうになる。
「……ウィッチモン!」
無意識化で絶叫するウィッチモンに、柚子が駆け寄った。
蹲る彼女の背を抱いて、知識と運命の紋章を握り締める。
──紋章が輝き、光が彼女を包む。脳を抉る濁流が少しだけ穏やかになった。
「ウィッチモン、しっかり!」
「────、……──あ、……あぁ」
だが、止まらない。イグドラシルが抱え込む、沢山のおぞましい記憶と記録。
藻掻いて、進んで、やがてウィッチモンは辿り着いた。マグナモンの罪の証へ。
「──、──これ、は」
そこには、生きた人間から回路を抜き出す方法が在った。
デジモンから電脳核を抜き出す方法が、抜き取った回路を保存する方法が在った。
そして──
『────』
マグナモンの声色で語られる。
情報としての記録が淡々と。ページを捲りながら、読み聞かせるかのように。
『デジタルワールドに点在した子供達を回収。回路摘出後はリアルワールドへ送還予定』
『──全個体、回路の摘出に伴う負荷に耐え切れず機能停止』
『摘出回路、最上部への接続に耐え切れず焼失』
『接続媒介と保護殻が必要である。結界へ運用予定であった電脳核を媒介として転用』
『保護殻と並行し、現実世界における回路収集を目的とした外装の作成を検討』
『回収した個体のうち、外傷が最も少ない二名を素体として選出。
オリンポス十二神に託された少女。三大天使が匿った少年』
『半物質化、有機義体の製造を開始。──肉体の構成情報を走査し、立像化。生体因子にて補正後、個体間の体格差より肉体の経年変化を試算』
『二名の究極体デジモンが協力者として確定』
『義体への電脳体移植を完了。拒絶反応見られず』
『リアライズゲート越えによる電脳核負荷、実測値問題なし』
『現実世界における稼働を確認。以降、義体の状態に関しては定期的な経過観察を──』
『──現実時間、稼働半年。異常なし。二体の現在の構成状態を記録』
『──現実時間、稼働六年。身体の成長レベルは計算通り。異常なし』
『──現実時間、稼働八年。連絡が断たれたが、生体反応は確認──』
「……ッ────!!」
これは、あくまで記録だ。
手記でさえない、事実と情報だけが織り成す羅列。
そこに騎士の感情は欠片も無い。それでも──吐き気を催しそうになった。
ああ、本当に嫌になる。こんな事が行われていたなんて。
「大丈夫?」
──少女の声がした途端、ウィッチモンの意識は勢い良く引き戻される。
全身から汗が噴き出す。震える膝が崩れ、柚子が慌てて彼女の腰を支えた。
「……」
白昼夢のようだった。
あれだけの情報を見せられていたのに、恐らく時間はそう経っていない。──顔を上げると、琥珀色の瞳が心配そうにこちらを覗いていた。
「具合、悪そうだわ」
「……──ええ、最悪デス。でも──」
────これで、道は開かれた。
人間の肉体を利用した義体の製造工程。その核心に至るまで詳細に、ウィッチモンの脳内に「情報」として焼き付いて、こびりついた。
ああ、十分だ。ウィッチモンは立ち上がる。
呼吸は浅く、顔色は最悪。けれど瞳には、瞬く星の様な強い光が込められていた。
「……ありがとう。これよりソウタとカナの分離処置を再開しマス。
そして人形ではない、完全なる義体の生成を。……ちょうど二人分、男女の義体のデータを発見しまシタから──」
散って逝った全ての子供達へ、仲間達へ。
その犠牲を救済に。決して無駄になどするものか。
◆ ◆ ◆
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