◆ ◆ ◆
──天使達が大聖堂を封鎖してから、どれだけの時間が経っただろう。
英雄達を出迎えようと集まっていた民衆は、いつしか歓喜の声を上げなくなった。
雨が止んだ。それは選ばれし子供たちとパートナー達が、天での戦いを制した証。世界が救われた証。
なのに、誰も戻って来ないのだ。慌ただしく中へと入った、ホーリーエンジェモン達も出てこない。封鎖する天使達も何も言わない。
何が起きたのだろう。民衆に不安の色が見え始めた頃──そのうちの一人が声を上げた。
「──!! 大天使様が出てこられた!」
「天使様! 天使様!!」
「子供達は無事なのでしょうか! 同胞達は!?」
「彼らに会わせて! お礼を伝えたいのです!」
聖堂前の広場は一瞬にして大騒ぎとなる。
そんな民衆達を見渡しながら、ホーリーエンジェモンは顔を歪めた。
「……。……数が、減ったな」
「ええ、兄上。……けれど二割の犠牲で済んだ。八割が、救われました」
毒に溶けた都市にはもう、昨日までの輝きは無い。
海の結界が空を覆うまでの間に、自分達が失ったものは少なくなかった。
守れなかった区域があった。守れなかった民がいた。自分にもっと力があればと、どれだけ悔いて詫びても足りない。
──集った民衆の中には、生き延びながらも毒に焼かれた者だっている。なのに自身を差し置いて、英雄達に会おうと待ち続けているのだ。
このままではいけない。ホーリーエンジェモンは、白いローブを揺らして前に出る。
「──我が愛しき民よ。毒の雨を生き抜いた同胞達よ。
デジタルワールドを救済された、我らが英雄は無事に帰還した。我らの都市に戻って来た」
その言葉に、再びの歓声が沸き上がった。しかしホーリーエンジェモンは彼等を制するよう、片手を上げ──
「けれど英雄達の傷は深く、今は療養が必要である。彼らを迎える場は後日改めて設けよう。──それまでは傷付いた都市を、そして自身を癒す事だ」
輝く翼をはためかせ、天使は説く。
純粋無垢な民衆は、その神々しさに目を輝かせた。──雨から都市を護ったホーリーエンジェモン達もまた、彼らにとっては救世主。その言葉に耳を傾けない者はいない。
「各々、胸の内にて英雄達を讃えよ。毒で失った遍く命に祈りを捧げよ。それこそが今、救われた我らに許された行いである」
「──動ける者は速やかに復旧作業に戻れ! 怪我をした者は留まらず、各地の教会に向かい治療を受けよ! 救われた命を決して無駄にするな!」
エンジェモンの号令と共に、天使達が広場へと集まった。そのまま民衆を解散させ、誘導していく。
やるべき事は山積みだ。都市の損害をそのままにはしておけない。この都市は今後、毒ではなく──外敵から民を守る為の要塞たり得なければならないのだから。
「天使達を数体、外門および宿舎棟周囲の警備に当たらせます」
「ああ。──できる事なら私も、宴と共に彼らの偉業を讃えたい所であったが」
「同感です。しかしこの状態では暫く難しいでしょう。私も先ずは各区域の教会へ、怪我人達の治療に向かいます」
「頼んだぞ。私は英雄達の治療処置に戻る。……今度こそ……子供達をリアルワールドへ帰してあげなければ」
遠い目をして呟く。ようやく取り戻した、本物の空を見上げて。
「……──兄上」
「何だ?」
「兄上の中のセラフィモンは、何か仰っていますか?」
「私が我が祖の言葉を聞いた事など、一度も無いよ」
「……。……私は彼の記録も、尊き意志も、何一つ受け継がれませんでした。……それでも……彼と、かつての英雄達の願いが、これでようやく遂げられたと思っています」
ホーリーエンジェモンは「ああ」と小さく微笑む。
「そうだな。……きっと」
セラフィモンは、オファニモンは、ケルビモンは笑ってくれるだろうか。世界が救われた事に。美しく広がる青空に。名も知らぬ過去の子供達は、喜んでくれるだろうか。
死者の声は聞こえない。思いは汲み取れず、天啓のように降り注ぐ事もない。
だからこれは、生き残った者達のエゴでしかないのだ。一方的に、自分勝手に「そうあればいい」と思いたいだけ。
──だが、彼らはどうだろう。
あの日々から今日までを生き抜いた英雄達。彼らは何を感じ、何を思うのか。
当人達に尋ねるつもりはない。その資格が自分にあるとも思えない。
けれど──どうか彼らが、彼らこそが。
願いを果たして報われるように。彼らの世界が今度こそ救済されるように。
ホーリーエンジェモンは、静かに祈った。
◆ ◆ ◆
ペガスモンに連れられ、一行は身を隠すように聖堂から移動する。
天使達なりの配慮だった。外に出ればきっと、民衆から溢れんばかりの拍手喝采を浴びるだろう。それは確かに嬉しいのだが──生憎と全員、心身共に疲弊しきっている。
実際問題、都市も民もお祭り騒ぎが出来るような状態ではないのだ。諸々の事は、ある程度落ち着いてからの方が良いだろう。
今朝ぶりの宿舎棟は、毒で屋根が溶け落ちていた。
……他の建物も、こうなっているのだろうか。
「ウィッチモンとパートナーは後程、祭室までお越し下さい。腕を治療しますので」
ペガスモンは英雄達に深く頭を下げると、「では、自分はこれで」と踵を返した。
「ちょっと待ちな。ウチ腹減ったんだけど、食堂勝手に漁ってもいい?」
「ああ、それでしたら────」
「────ユキアグモン!!」
その時。叫ぶ声と共に、棟の玄関が勢い良く開けられる。
そこには民衆と同様、彼らの帰りを待ち望んでいた──ひとりのデジモンの姿があった。
「……! レオモン!!」
ユキアグモンが駆け出す。両手を広げて、レオモンの胸の中へと飛び込んだ。
「……ああ、ああ……! 帰って来てくれた……生きていてくれた……!」
「レオモンも……! 雨、いっぱい降っだのに……ちゃんと生ぎでる!!」
「ああ、シェルターに避難していたんだ。天使の皆々がそれを毒から守ってくれた。……それでも雨が続けば全員、、生き残れなかっただろうが……君達が、毒を終わらせてくれたから──」
ありがとう。そう言ってレオモンは顔を上げる。
子供達に、同胞達に、改めて感謝を伝えようとして──
「……ユキアグモン。……この子達しかいないのか?」
「え?」
──五人いた筈の子供達が、三人しかいない。
パートナーも同様だ。どこにも見当たらなかった。
まさか、と。レオモンの表情が一気に青ざめる。──が、手鞠とユキアグモンが慌てて彼の誤解を解いた。
「ぢがうのレオモン。いぎでる!」
「花那ちゃんたちも皆、ちゃんと無事です! ただ、えっと……まだ、やる事があるみたいで」
四人は、此処には戻らずに行ってしまったのだと言う。
「大丈夫なのか? あの子達だって怪我をしただろうに。癒してからでも……」
「はい。でも……きっと凄く、大切なことなんです」
事情は分からないし、友人達の身体の事はまだ心配だけれど──それでも、後悔させたくなかった。
やるべき事があるなら、やりきって欲しいと思ったのだ。
だから、背中を押した。
「それに今度は、ちゃんと戻って来てくれるって……オレたち信じてるから」
「レオモンさん。わたしたち、それまでここで待ってていいですか?」
子供達の顔付きは、この数時間で見違える程に変わっていた。
空の上で何があったのか。何を見たのか──地上にいた自分には想像もつかない。レオモンは、喉の奥が熱くなるのをぐっと堪えた。
「……もちろんだとも。……そうだ、新しい部屋を用意したんだ。案内しよう。いつもの部屋は毒にやられてしまって……」
「食堂は無事かい? 漁ろうと思ってたんだけど」
「幸い無事だったよ。君が漁らなくても、すぐ調理するから待っていてくれ。
────そうだ。あの黒い彼と、黄金の騎士殿は何処へ?」
彼らの分も用意しないと。
そう言ったレオモンに、ペガスモンは首を傾げた。
「ウイルス種の同胞なら、既にパートナーの少女と祭室へ行かれましたよ。後程合流するでしょう。……あの騎士殿は見ていませんね。皆様の出立の後まではいらっしゃいましたが……」
「……あれ? ウィッチモンと連絡取ってたんじゃないの? マグナモンさんから何かもらったって言ってたじゃん」
マグナモンさんはどこに行っちゃったんですか?
ブギーモンの分のご飯、持って帰ってあげないと。
何も知らない、知らせていない仲間達。
無垢な顔で見上げてくる彼らに、ウィッチモンは表情を変えなかった。
ただ、少しだけ黙って──それから大きく息を吸う。
「────二人は、」
「マグナモンさんは」
柚子が、言葉をかぶせた。
声を震わせないように、強く拳を握りながら。
「……何処に行ったか、分からないけど……。ブギーモンはお別れになっちゃったんだ。ごめんね、作戦のすぐ前で言えなかったの」
──違う。マグナモンはもういない。ブギーモンはとっくの前からもういない。
なのにスラスラと言葉が出てくるものだから、自分で自分に驚いた。
「でも私、あいつと仲直りできたんだよ」
並べていく嘘の中に、少しだけ本当を織り交ぜて。
唖然とする仲間達の顔を、これ以上曇らせないように。柚子はありったけの笑みを浮かべて見せた。
「あんな奴でも寂しいけど、ブギーモン最期、笑ってたからさ。良かったなーって!」
──とびきりの作り笑顔。
鏡で見たらきっと、酷く見覚えのある出来になっているのだろう。そう、柚子は思った。
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