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 ──天使達が大聖堂を封鎖してから、どれだけの時間が経っただろう。

 英雄達を出迎えようと集まっていた民衆は、いつしか歓喜の声を上げなくなった。

 雨が止んだ。それは選ばれし子供たちとパートナー達が、天での戦いを制した証。世界が救われた証。
 なのに、誰も戻って来ないのだ。慌ただしく中へと入った、ホーリーエンジェモン達も出てこない。封鎖する天使達も何も言わない。

 何が起きたのだろう。民衆に不安の色が見え始めた頃──そのうちの一人が声を上げた。

「──!! 大天使様が出てこられた!」

「天使様! 天使様!!」
「子供達は無事なのでしょうか! 同胞達は!?」
「彼らに会わせて! お礼を伝えたいのです!」

 聖堂前の広場は一瞬にして大騒ぎとなる。
 そんな民衆達を見渡しながら、ホーリーエンジェモンは顔を歪めた。

「……。……数が、減ったな」
「ええ、兄上。……けれど二割の犠牲で済んだ。八割が、救われました」

 毒に溶けた都市にはもう、昨日までの輝きは無い。

 海の結界が空を覆うまでの間に、自分達が失ったものは少なくなかった。
 守れなかった区域があった。守れなかった民がいた。自分にもっと力があればと、どれだけ悔いて詫びても足りない。

 ──集った民衆の中には、生き延びながらも毒に焼かれた者だっている。なのに自身を差し置いて、英雄達に会おうと待ち続けているのだ。

 このままではいけない。ホーリーエンジェモンは、白いローブを揺らして前に出る。

「──我が愛しき民よ。毒の雨を生き抜いた同胞達よ。
 デジタルワールドを救済された、我らが英雄は無事に帰還した。我らの都市に戻って来た」

 その言葉に、再びの歓声が沸き上がった。しかしホーリーエンジェモンは彼等を制するよう、片手を上げ──

「けれど英雄達の傷は深く、今は療養が必要である。彼らを迎える場は後日改めて設けよう。──それまでは傷付いた都市を、そして自身を癒す事だ」

 輝く翼をはためかせ、天使は説く。
 純粋無垢な民衆は、その神々しさに目を輝かせた。──雨から都市を護ったホーリーエンジェモン達もまた、彼らにとっては救世主。その言葉に耳を傾けない者はいない。

「各々、胸の内にて英雄達を讃えよ。毒で失った遍く命に祈りを捧げよ。それこそが今、救われた我らに許された行いである」
「──動ける者は速やかに復旧作業に戻れ! 怪我をした者は留まらず、各地の教会に向かい治療を受けよ! 救われた命を決して無駄にするな!」

 エンジェモンの号令と共に、天使達が広場へと集まった。そのまま民衆を解散させ、誘導していく。
 やるべき事は山積みだ。都市の損害をそのままにはしておけない。この都市は今後、毒ではなく──外敵から民を守る為の要塞たり得なければならないのだから。

「天使達を数体、外門および宿舎棟周囲の警備に当たらせます」
「ああ。──できる事なら私も、宴と共に彼らの偉業を讃えたい所であったが」
「同感です。しかしこの状態では暫く難しいでしょう。私も先ずは各区域の教会へ、怪我人達の治療に向かいます」
「頼んだぞ。私は英雄達の治療処置に戻る。……今度こそ……子供達をリアルワールドへ帰してあげなければ」

 遠い目をして呟く。ようやく取り戻した、本物の空を見上げて。

「……──兄上」
「何だ?」
「兄上の中のセラフィモンは、何か仰っていますか?」
「私が我が祖の言葉を聞いた事など、一度も無いよ」
「……。……私は彼の記録も、尊き意志も、何一つ受け継がれませんでした。……それでも……彼と、かつての英雄達の願いが、これでようやく遂げられたと思っています」

 ホーリーエンジェモンは「ああ」と小さく微笑む。

「そうだな。……きっと」

 セラフィモンは、オファニモンは、ケルビモンは笑ってくれるだろうか。世界が救われた事に。美しく広がる青空に。名も知らぬ過去の子供達は、喜んでくれるだろうか。

 死者の声は聞こえない。思いは汲み取れず、天啓のように降り注ぐ事もない。
 だからこれは、生き残った者達のエゴでしかないのだ。一方的に、自分勝手に「そうあればいい」と思いたいだけ。

 ──だが、彼らはどうだろう。
 あの日々から今日までを生き抜いた英雄達。彼らは何を感じ、何を思うのか。
 当人達に尋ねるつもりはない。その資格が自分にあるとも思えない。

 けれど──どうか彼らが、彼らこそが。
 願いを果たして報われるように。彼らの世界が今度こそ救済されるように。

 ホーリーエンジェモンは、静かに祈った。



◆  ◆  ◆




 ペガスモンに連れられ、一行は身を隠すように聖堂から移動する。

 天使達なりの配慮だった。外に出ればきっと、民衆から溢れんばかりの拍手喝采を浴びるだろう。それは確かに嬉しいのだが──生憎と全員、心身共に疲弊しきっている。
 実際問題、都市も民もお祭り騒ぎが出来るような状態ではないのだ。諸々の事は、ある程度落ち着いてからの方が良いだろう。

 今朝ぶりの宿舎棟は、毒で屋根が溶け落ちていた。
 ……他の建物も、こうなっているのだろうか。

「ウィッチモンとパートナーは後程、祭室までお越し下さい。腕を治療しますので」

 ペガスモンは英雄達に深く頭を下げると、「では、自分はこれで」と踵を返した。

「ちょっと待ちな。ウチ腹減ったんだけど、食堂勝手に漁ってもいい?」
「ああ、それでしたら────」


「────ユキアグモン!!」


 その時。叫ぶ声と共に、棟の玄関が勢い良く開けられる。
 そこには民衆と同様、彼らの帰りを待ち望んでいた──ひとりのデジモンの姿があった。
 
「……! レオモン!!」

 ユキアグモンが駆け出す。両手を広げて、レオモンの胸の中へと飛び込んだ。

「……ああ、ああ……! 帰って来てくれた……生きていてくれた……!」
「レオモンも……! 雨、いっぱい降っだのに……ちゃんと生ぎでる!!」
「ああ、シェルターに避難していたんだ。天使の皆々がそれを毒から守ってくれた。……それでも雨が続けば全員、、生き残れなかっただろうが……君達が、毒を終わらせてくれたから──」

 ありがとう。そう言ってレオモンは顔を上げる。
 子供達に、同胞達に、改めて感謝を伝えようとして──

「……ユキアグモン。……この子達しかいないのか?」
「え?」

 ──五人いた筈の子供達が、三人しかいない。
 パートナーも同様だ。どこにも見当たらなかった。

 まさか、と。レオモンの表情が一気に青ざめる。──が、手鞠とユキアグモンが慌てて彼の誤解を解いた。

「ぢがうのレオモン。いぎでる!」
「花那ちゃんたちも皆、ちゃんと無事です! ただ、えっと……まだ、やる事があるみたいで」

 四人は、此処には戻らずに行ってしまったのだと言う。

「大丈夫なのか? あの子達だって怪我をしただろうに。癒してからでも……」
「はい。でも……きっと凄く、大切なことなんです」

 事情は分からないし、友人達の身体の事はまだ心配だけれど──それでも、後悔させたくなかった。
 やるべき事があるなら、やりきって欲しいと思ったのだ。

 だから、背中を押した。

「それに今度は、ちゃんと戻って来てくれるって……オレたち信じてるから」
「レオモンさん。わたしたち、それまでここで待ってていいですか?」

 子供達の顔付きは、この数時間で見違える程に変わっていた。
 空の上で何があったのか。何を見たのか──地上にいた自分には想像もつかない。レオモンは、喉の奥が熱くなるのをぐっと堪えた。

「……もちろんだとも。……そうだ、新しい部屋を用意したんだ。案内しよう。いつもの部屋は毒にやられてしまって……」
「食堂は無事かい? 漁ろうと思ってたんだけど」
「幸い無事だったよ。君が漁らなくても、すぐ調理するから待っていてくれ。
 ────そうだ。あの黒い彼と、黄金の騎士殿は何処へ?」

 彼らの分も用意しないと。
 そう言ったレオモンに、ペガスモンは首を傾げた。

「ウイルス種の同胞なら、既にパートナーの少女と祭室へ行かれましたよ。後程合流するでしょう。……あの騎士殿は見ていませんね。皆様の出立の後まではいらっしゃいましたが……」
「……あれ? ウィッチモンと連絡取ってたんじゃないの? マグナモンさんから何かもらったって言ってたじゃん」

 マグナモンさんはどこに行っちゃったんですか?
 ブギーモンの分のご飯、持って帰ってあげないと。

 何も知らない、知らせていない仲間達。
 無垢な顔で見上げてくる彼らに、ウィッチモンは表情を変えなかった。
 ただ、少しだけ黙って──それから大きく息を吸う。

「────二人は、」
「マグナモンさんは」

 柚子が、言葉をかぶせた。
 声を震わせないように、強く拳を握りながら。

「……何処に行ったか、分からないけど……。ブギーモンはお別れになっちゃったんだ。ごめんね、作戦のすぐ前で言えなかったの」

 ──違う。マグナモンはもういない。ブギーモンはとっくの前からもういない。
 なのにスラスラと言葉が出てくるものだから、自分で自分に驚いた。

「でも私、あいつと仲直りできたんだよ」

 並べていく嘘の中に、少しだけ本当を織り交ぜて。
 唖然とする仲間達の顔を、これ以上曇らせないように。柚子はありったけの笑みを浮かべて見せた。

「あんな奴でも寂しいけど、ブギーモン最期、笑ってたからさ。良かったなーって!」

 ──とびきりの作り笑顔。
 鏡で見たらきっと、酷く見覚えのある出来になっているのだろう。そう、柚子は思った。





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