◆ ◆ ◆
その後、棟に戻って来たのはウィッチモン一人のみであった。
「夕食の前に、皆様。少々お時間よろしいデスか?」
彼女は戻るなり、子供達にそう告げる。
子供達は疲れきった顔を見合わせた。食堂のテーブルには、今まさに夕食が並べられようとしていたが──皆大人しく席を立つ。
何か話があるのだろう。わざわざ呼び出すということは、きっと大切な話なのだ。
程度は違えど、そう理解できた。どこか心配そうなレオモンに「待ってて」と伝え、子供達はウィッチモンと宿舎棟を後にした。
──静まり返った夜の街。
民衆の喧騒も、昨晩まで輝いていた電飾の輝きも今は無い。毒の被害を受けたのだから、当然と言えば当然なのだが。
「なあウィッチモン、何処に行くの?」
「いつもの聖堂デスよ、ソウタ」
使い魔に持たせたランタンが揺れる。星の瞬きだけでは足りないのか、周囲には深い暗闇が広がっていた。
だが、不思議と子供達に恐怖は無かった。たくさんの使い魔が灯りを抱え、彼らを護るように囲っていたからだ。
大聖堂に天使達の姿はなかった。被災区域の救助活動を続けているのだろう。
彼らはそのまま奥の主聖堂へ通されて──
「あ、皆だ!」
誠司が声を上げた。温かな松明の灯りの中、デジモン達が子供達を出迎えてくれた。
仲間の姿に子供達は安堵する。しかし彼らの神妙な面持ちに、真剣な眼差しに──息を飲んだ。少しだけ、緊張で鼓動が速くなった。
「──これからの事を」
話しておきたくて、と。
背中越しにウィッチモンは言う。子供達は身構えつつ、けれど驚きはしない。……今後の事は、遅かれ早かれ話さなければいけないと分かっていたからだ。
「……わたしたち、おうちに帰るんだよね?」
元の世界へ、生きるべきリアルワールドへ。
「ええ、テマリ。家族や友人に無事を知らせテあげなければ。……何よりこれ以上の滞在は、皆様の身体にも負担となりマス」
「あのね、お父さんとお母さんに話して……大丈夫だよって、もう心配ないんだよって、分かってもらえたら……次はちゃんとここに来たい。誘拐じゃなくて、皆で冒険しに……」
そう、はにかんで微笑む。
「ちゃんと帰れば体も大丈夫だよね? チューモンや皆にも、こっちの世界にだって来て欲しいな」
「……──結論から申し上げれば」
けれどウィッチモンの表情は、真剣なまま変わらなかった。
「ゲートを再び繋げられる日が、いつ訪れるかは不確定デス。少なくともしばらくは難しいでショウ」
「……え?」
「デジタルワールドは現在、正常な状態とは程遠い」
原因は主に毒であるが、それが生まれるより以前──イグドラシルに異変が起き始めた時期から、世界はずっと歪み続けていた。
次元の壁もまた、それに呼応するように揺らいでいた。本来ならば交わる筈の無い、デジタルワールドとリアルワールドが繋がる程。
「壊れた壁を崩すのと、強固な壁を崩す労力が同等ではないように。──安定した世界同士を無理に繋げば、ゲート越えに伴う負荷も増大しマス。滞在以前の問題デス」
最悪、デジタライズと同時に肉体が散る可能性だってある。そうなればもう、義体を用意したところで蘇生は間に合わない。
「デスので……負荷のかからないゲート構築と、異空間で存在を確立する為の防護処置。これらの条件を満たしてからでないと、デジタルワールドとリアルワールドを繋ぐ事はできまセン」
──その必要な環境を整える為に、どれだけの時間を要するのか。
電脳生命体である彼等にとって、時間の経過は問題ではなかった。
デジモンに年齢の概念は無く、進化を除いては成長も老いも無い。電脳核が耐えさえすれば生き続ける。転生を繰り返す事だって。
しかし人間は、年を重ね老いていく。
肉体はいずれ稼働を停止させ、後代に記憶が継がれる事もない。
「我々も全力を尽くしマスが……」
手鞠は狼狽えた。もしそれが叶わなければ? 或いは、気が遠くなる程の年月が必要なら?
いつになるか分からないというのは、「もう会えないかもしれない」という可能性も含むのだ。
感情が喉元までせり上がり、涙となって溢れていく。そんなパートナーへ、チューモンは優しさを込めた声色で言った。
「手鞠。……ウチらは諦めちゃいない。何がなんでも、生きてるアンタ達とまた会ってやるって……絶対にそうするんだって決めたんだ」
「それでもね、隠しだままにできながっだ。おでたちはこれを、皆に伝えなぎゃいけながったんだよ」
後悔が無いようにしたかった。
伝えたい事を伝えて、やりたい事をやって、少しでも後悔の無いように。
「知らないままサヨナラするのは、きっど凄く寂しいがら」
「……。……けど、ユキアグモン……そんなのって……」
誠司が声を漏らす。僅かに痺れが残る手を、ぎゅっと握り締めながら。
「だって、やっと全部終わって……平和になったのに……そーちゃんと村崎だって元に戻って、やっと……!」
「……せーじ」
「色んな事がこれからなのにさ! さよならしたら、次いつか分かんないとか……あんまりじゃんか……!」
ユキアグモンは誠司にそっと手を伸ばす。誠司はそれを掴んで、ユキアグモンを抱き締めた。
「泣がないで。ごめんね」
「……ッ……」
手鞠は頬を濡らしながら──現実を受け入れられず、呆然と立ち尽くす。チューモンはバツが悪そうに、目線を反らし頭を掻いた。
柚子は平静を装おうとして、けれど手が震えているのに気が付いた。無理やり押さえて無かった事にする。
「……」
コロナモンとガルルモンは真っ直ぐこちらを見つめていた。
柚子は振り返って、蒼太と花那を見る。二人もまた、前を向いたまま何も言わない。受け入れているのか、そうしようと努めているのか。
ただ──少なくとも。逃避や絶望をしているわけではないのだろう。
二人の瞳は濡れていたけれど、どこか力強さがあったから。そうであって欲しいと思ったのだ。
……それなら、自分はどうするべきか。
柚子は考えて、考えて、パートナーに目線を送る。
悲しさと罪悪感を抑え込んだような彼女の顔。──柚子はそれを見つめると、大きく息を吸った。
「──ねえウィッチモン。私たち、あとどれだけ皆といられるの?」
「……。……天の塔で皆様が受けた負荷は無視できまセン。遅くとも──明日には」
「……急だね」
「ええ、本当に」
お互いに、わざとらしく苦笑して
「……わかった。わかったよ、ウィッチモン」
声に出して、現実を肯定する。
自分と仲間の背中を、無理にでも押す為に。
「大丈夫。皆が頑張ってくれるなら、私たちはそれを信じて待つからさ」
ねえ、そうでしょ?
もう一度振り返って、仲間達に問う。蒼太と花那は目を見開いて、それから寂しげに微笑んだ。
「……──俺も、待てるよ。いつまでだって、皆のこと信じて待てる。
だから誠司……俺たちも出来ることをやろう。絶対、何かある筈だから」
「……オレたちに、できること……?」
「そーた。だから、おでたちは皆をここに呼んだんだよ」
ユキアグモンの言葉に、蒼太は首を傾げる。
「だっで何もしないで待づの、みんなも嫌でしょ?」
「流石にこの話だけして終わりにゃしないよ。そんなのお互い雰囲気最悪じゃないか」
チューモンは大股でコロナモンの側へ。彼の胸元の毛を思い切り引っ張った。
「い、痛い痛い」
「さっきから黙り決め込んでるんじゃないよ。言い出しっぺのアンタらがここに来て凹んでどうすんのさ」
「……ごめん、チューモン」
「あーあ。だから言ったんだよ。こういうのはさ、絶対めちゃくちゃしんみりするんだって」
コロナモンの毛を掻き回す。その姿を見て、ガルルモンとウィッチモンは少しだけ笑った。
「……ええ、そうデスよ。悲しい話だけでは終わらない」
「ほらコロナモン、ガルルモン。アンタ達の提案なんだ。ここからは任せるからね」
「ぎぎっ。イグドラシルじゃないげど、ふたりども神様だもんね」
ユキアグモンは誠司を立たせると、小走りで主祭壇の前へ。チューモンとウィッチモンもそれに続いた。
子供達は戸惑いを隠せない。そんな彼らに、側へ来るようガルルモンが呼んだ。
初めてこの場所に来た日と同じように、子供達を横に並べさせる。デジモン達も一人ずつ、パートナーと向かい合った。
「────まずは、皆」
ステンドグラス越しの月明かり。
穏やかに照らされた祭壇の下で。
「目を閉じてお祈りを。毒の世界で散った、たくさんの命に」
故郷の家族へ。同郷の仲間達へ。いつか出会った友、見知った彼等──名も知らぬ誰か。
デジモンも人間も、皆等しく。遍く命に追悼を捧ぐ。
聖堂が玉響の静謐を湛え、ガルルモンは再び口を開いた。
「──生き残った僕達は、この弔いを以て新しい世界へ進んでいく。顔を上げて、前を向いて……たくさんの願いと一緒に。それぞれの旅路を歩いていくんだ」
子供達は瞼を開くと、ゆっくり目線を上げ────ガルルモンとコロナモンの様相に驚いた。
二人は全身に光を纏っていた。けれど神々しく舞うそれは、いつか見た蛍の光ではない。
まるで、季節外れの雪の様に。
光は子供達へ注ぎ、彼等という存在を充たしていく。
「少し、おまじないをしよう。俺とガルルモンからのプレゼントだよ」
コロナモンがそう告げた──刹那。
デジヴァイスが輝きを放った。首に提げた紋章が煌めいた。
「────此より授けるは、我ら二柱の名の下に」
それは厳かなる祷りの儀式。
はじまりの二柱が、今を生ける命へと手向ける。
「──俺はコロナモン。光明の神、オリンポスのアポロモン。
死と疫病から守る、太陽の加護を君達へ。
その未来に、数多の光があらんことを」
「僕はガルルモン。旅人の守護神、オリンポスのメルクリモン。
僕が司る幸運の加護を、最愛の君達へ。
その旅路に、幾千の祝福があらんことを」
二柱の恩寵は子らを護り、やがて導くだろう。
いつの日か────
「僕達がまた、出会えるように」
「ねえ、おでたちの世界を覚えでいて。どんなに離れでいても、きっど心は繋がっでる。おでたちは皆の側にいるよ」
「けど、目に見えないものだけじゃ不安だろう? どうせならちゃんと形で残しておこうじゃないのさ」
「ワタクシ達を繋ぐ、デジヴァイスを皆様が。ワタクシ達を描く紋章を我々が。互いに所持しておきまショウ」
「それは僕らの座標になる。いつか繋ぐ道で、君達へ辿り着く標になるから──」
ガルルモンはそう言って膝を着き、花那と目線を合わせた。
「パートナー。君の紋章を、どうか僕へ」
「……」
花那はガルルモンの瞳を見つめ、二つの紋章のペンダントを握る。
そして────そのひとつだけを外し、ガルルモンに差し出した。
「……私、……ガルルモンの心、持っておきたいんだ。ガルルモンには、私の紋章を持ってて欲しいの」
ガルルモンに渡したのは友情の紋章だった。
花那の手には、愛情の紋章が握られている。
「だって、ガルルモンは愛情でいっぱいなんだよ。私たちのことも、家族のことも、──ダルクモンのことだって」
「────……」
「後でベルト着けてもらおうね。私の友情の紋章、走ってるうちに失くさないでね?」
「……──ああ。……ありがとう花那。ずっと大事に持っておくから」
花那はにっこりと微笑む。それから一歩下がり、仲間達の顔を見て胸を張った。
「誠司くんは?」
「え……!? ……お、オレは……。……」
誠司は慌てて顔を上げる。そんな彼の濡れた頬を、ユキアグモンは優しく拭った。
「……。……ユキアグモン」
グルグルと喉を鳴らす、小さな恐竜の子。出会った時を思い出させるあどけない瞳。
──その姿に、誠司の口元が少しだけ緩んだ。
「……お前はさ、ユキアグモン。ずっとオレの希望だよ。だから……この希望の紋章を持っておきたい」
「せーじは、せーじつ?」
「それはちょっと自信ないけど……」
「ぎぎっ。せーじ、笑った! おで、せーじの笑った顔、すごく好きだよ」
誠司はまた涙ぐんで、自身の首から誠実の紋章を外す。
ユキアグモンの──かつてホーリーリングを着けていた手に、しっかりと握らせた。
「ウチも純真ってガラじゃないね。ちょうどウチと同じ色だし、手鞠はそっち持っておきな」
「……うん。ピンク色で、チューモンと同じだね。……でもねチューモン。チューモンは本当に──わたしたちの光だったんだよ」
純真の紋章をチューモンへ。
地下牢で出会った小さな光は、歯を見せて笑い、受け取った。
「……ウィッチモンは物識りだし、こっち持ってたら私も賢くなれそう!」
柚子はそう笑って、知識の紋章を指差す。
「って、思うんだけど……どうかな」
「ワタクシが『知識』とは恐縮デスわね。
……──ねぇユズコ。貴女と出会えた運命を、ワタクシは心から誇りに思いマス。これまでも、これからも」
ウィッチモンは跪いて帽子を外し、頭を垂れた。
柚子は目を見開いて唇を震わせる。──運命の紋章をパートナーの首にかけた。ウィッチモンはそのまま腕を伸ばし、柚子を力いっぱい抱きしめた。
そして──
「──蒼太」
コロナモンは見上げる。柔らかく、微笑みながら。
「君は優しくて、勇気のある子だ」
「……」
「あの日……扉を開けてくれた君の勇気が、俺達を救ってくれた。傷付いた俺を助けようと何度も駆け付けてくれた、その優しさに救われたんだ。
──ありがとう。君達には、何度お礼を言っても足りない」
廃墟での日々が、これまでの事が────映画のフィルムを回すように思い出される。
「……コロナモン」
蒼太は、目を閉じた。
「……それを俺だって……そうだって、言ってくれるなら……」
首から紋章を外す。
勇気と優しさの紋章。その両方とも、コロナモンへ。
「俺はデジヴァイスだけで大丈夫。俺の心は全部、コロナモンに預けるよ」
「────」
首元に触れた手は温かかった。少しだけ、震えていた。
コロナモンはそっと手を重ねて、力強い眼差しで頷く。誓いを込めた胸の上で、二つのペンダントは美しく煌めいた。
◆ ◆ ◆
「さあ、おまじないはこれで終わりだ」
話し合いの締めくくりは、そんなあっさりとした一言だった。
「これで大丈夫。俺の言葉、予言になるって昔は評判だったんだよ」
「まあ頼もしい。今度ワタクシも、何か御告げを賜りたいデスね」
パートナーデジモン達は普段の調子に切り替わり、子供達へ笑いかける。
「ほら、終わったならメシにするよ! ウチはもう腹ペコなんだ」
チューモンはいつも通り、ぶっきらぼうに。
「ぎぃ。ごはん、たべよう! いっしょに!」
「時間をかけてごめんなサイね。お腹空いたでショウ?」
ユキアグモンはあどけなく。ウィッチモンは穏やかに。
子供達の肩を優しく抱いて、彼らを前へと進ませる。
この世界での思い出が、少しでも多くの笑顔で飾られるようにと。
「わっ……ガルルモン、押したら危ないよ」
「でも花那、早くしないと夕飯が無くなっちゃうかもしれないよ。食いしん坊な奴を残してきてるだろう?」
大きな鼻先で本当に背中を押すものだから、くすぐったさに思わず笑ってしまう。
そんな二人の姿に、コロナモンも小さく笑いながら──
「俺達も行こう」
仲間の後を追おうとする。
「……待って。コロナモン」
「ん?」
振り向いた笑顔。いつもと変わらない優しい眼差しに────蒼太は、手を伸ばした。
「一緒に行こう」
少しだけ、照れ臭かったけれど。
心残りの無いようにしたかったから。
「……もちろんだ。蒼太!」
コロナモンは嬉しそうに、──本当に嬉しそうに破顔した。
伸ばされた手を握る。二人で手を繋いで、歩いて行く。
◆ ◆ ◆
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