◆  ◆  ◆



 借りていた寝間着と毛布を畳んで、少しばかりの身支度をする。
 持って来たものなんて殆ど無いから、あっという間だ。

 準備が出来た順に食堂へ集合。カノン達は今回も一番乗り。
 レオモンはいつもの朝食の代わりに、温かなスープを用意してくれていた。

「……寂しくなるな」

 子供達が帰還する旨は、夜の間に天使から聞かされたらしい。

「ちゃんとよく食べて、よく寝るんだぞ。今日は寝不足みたいだから、帰り道に転ばないよう気を付けるんだ」

 それから「景気付けだ」と言って、子供達の背中を軽く叩く。出会った時のように、歯を見せて豪快に笑ってくれた。

「ありがとうレオモンさん。お世話になりました!」

 要塞都市でずっと面倒を見てくれた彼に、子供達は感謝を述べる。──次にこの世界へ来られたら、彼やお世話になったデジモン達とまた会いたい。そう、思いながら。



 客間から上がった階段を再び降りて、エントランスへ。
 そこにはエンジェモンが待っていた。一行と目が合うと、彼は自らの胸に拳を当てる。

「大聖堂まで先導させてもらう」

 子供達は彼にも挨拶をしようとしたが、それより先に蝶番の擦れる音が響いた。
 次いで扉の軋む音。静けさが満ちるエントランスに風が吹き込み────。


「「デジタルワールドの救世主に喝采を!」」


 一斉に、大きな歓声が湧き上がった。

 宿舎棟から大聖堂まで繋がれた、民衆の花道。子供達の出発を見送りたいと、何より感謝を述べたいのだと、動ける民が夜明け前から殺到していた。
 鳴り止まない賛辞の声に子供達は圧倒される。──それはかつて、彼らが青ざめながら浴びた期待であり、プレッシャーであり、目を背けられない現実そのものであった。

 けれど────

「……よかったな誠司。街の皆、笑ってる」
「……──うん。これならきっと、オレが炊き出ししなくても平気だね」

 空を舞う紙吹雪の中。無傷の者もいれば、負傷した者もいた。
 それでも彼らが生きている事に変わりはない。自分達の戦いで、ここにいる彼らを助けられたのだ。
 守れなかったものもあったけれど、たくさんの命だって守った事を実感する。

 ……そう思うと、嬉しかった。
 ここまでやってきて良かったと、今は素直に、そう思えたのだ。



 花道の先。大聖堂の前ではホーリーエンジェモンが迎えてくれた。
 エンジェモンは一行から離れ、大天使の隣へ。二人は一行を前に膝を着くと、深く深く頭を垂れる。

「──聖要塞都市の長として、諸君に心からの感謝と敬意を送ろう」

 それは紛れもない本心。しかし、ホーリーエンジェモンの中には未だ複雑な思いがあった。
 英雄たる彼らには富も報酬も無く、ただ名誉や称賛といった無形の物しか送れない。それが遺憾であったし、何より────。

 世界を救った余韻に浸るどころか、パートナー達と過ごせる時間があまりに短かった事。それに対し力になれなかった事が、彼には残念でならなかった。
 ウィッチモンとの試算の後、天使や民衆には速やかに接見の禁止を命じた。……少しでも仲間同士、水入らずの時間が過ごせていたらいいのだが。

 すると────

「ホーリーエンジェモンさん! ユキアグモンのこと頼みます!」
「チューモンのこともお願いします……! おいしいご飯、おなかいっぱい食べさせてあげて下さい!」

 誠司と手鞠の声に、ホーリーエンジェモンは顔を上げる。
 子供達は笑顔だった。晴朗な笑顔で、ホーリーエンジェモン達に「ありがとう」と言った。照れているユキアグモンをチューモンが小突き、微笑みながら悪態を付いていた。

 ホーリーエンジェモンは数秒、呆気に取られると────なんと声を上げて笑い出す。
 隣でエンジェモンが驚愕している様も相まって、きっと生まれて初めて、心底可笑しそうに笑ったのだ。

「すまない、すまない。……こちらこそ『ありがとう』。ああ、本当に……」

 仮面の下から零れた涙を指で拭い、立ち上がる。純白の翼とローブを揺らし、胸に手を当て敬礼した。

「……我等が英雄に、選ばれし子供達に栄光あれ。異なる世界へ遠く離れようと、この芳恩を我等は決して忘れない。────いつか、また会おう」

 そう言って、一行を送り出す。
 子供達に負けない位、彼もまた、晴れやかな笑顔で。



◆  ◆  ◆




 聖堂の門が開かれると、一行は誰に付き添われる事なく奥へと進んだ。

 翼廊の奥の扉を抜け、硝子細工の螺旋階段を上る。
 ステンドグラスから太陽の光が差し込む。目を見張るほど鮮麗な空間を抜ける。
 階段の先のロビーでは、青銅の大扉が彼らを迎えた。

 大扉の向こうは主聖堂だ。リアライズゲートの開放はそこで行われる。
 一行は真っ直ぐ大扉を目指すが────

 途中で、二つの足音が止まった。

「────」

 その事にデジモン達は気付いていた。子供達も、扉の前で気が付いた。

「……────カノンさん」

 手鞠は、震える声で名前を呼ぶ。
 白い少女は微笑んでいた。黒い男は相変わらず仏頂面だ。それでも、子供達の事をじっと見つめていた。

「お見送り、ここまででごめんなさい」

 最後まで見届けられない事を詫びる。
 カノンは、リアライズゲートを目にするのが怖かった。帰らないからこそ怖かったのだ。だから主聖堂には入らない。……その選択を、誰が責める事などできようか。

 手鞠は言葉に詰まっていた。何か言えば涙が溢れてしまいそうで、けれど最後にそんな顔は見せたくなくて。────その時

「そ、そいつ! 一昨日、惚気てたんで!」

 蒼太が、わざとらしく声を上げた。

「後で本人から聞いてください!」
「あと似顔絵は苦手っぽいっす!」

 誠司も加わり男を指差す。カノンはひたすら目を丸くさせていた。
 同じく困惑する手鞠の肩を、柚子と花那は優しく押しながら──

「カノンさん、ベルゼブモン。二人とも元気で!」
「またねー!」

 元気よく手を振る。友人達につられて、手鞠も顔を綻ばせた。
 そんな彼らの姿に、カノンは安心したように目を細める。何故だか学校の卒業式を思い出し────遠い場所へ往く友を送るように、小さく手を振り返した。


「──さようなら、ありがとう。あなた達の世界が、いつだって平和でありますように」





◆  ◆  ◆



 側廊に並ぶ天使の彫像に見守られながら、大理石の長い身廊を進む。
 クリアストリーとバラ窓からは光が差し込み、聖堂内を明るく照らしていた。

 祭壇周辺には、既にゲート開放の準備が施されていた。
 手動か、一定以上時間が経てば自動で開く仕組みらしい。「ホーリーエンジェモンも手が込んだ事を」とウィッチモンは感心する。

「リアライズゲートは、ワタクシ達が拠点にシテいた居室に繋ぎマス」

 とは言え、ゲート自体は特別なものでも何でもない。開いた後はこれまで通り、ただ終わりまで進んでいけばいい。

「亜空間は既に解除し、リアルワールドとなッテいマスので……」
「そこからは、ひとまず学校まで私が送るからね。あとは現地解散!」

 アパート付近の地理は柚子が把握している。路頭で迷い通報される心配もない。幸い、この時間であればリアルワールドも日中のようだ。

「うわー、なんかドキドキすんなー……」
「お、お母さんたちに、連絡した方がいいのかな……。あ、でも電池無いままだ……」

 元の世界でさえ、もう何日も失踪している事になっているだろう。普通に帰ってしまっていいものか悩んでしまう。別に悪い事をしていたわけでないのだから、堂々とすればいいのだが。

 ちなみに失踪中に何が起きていたか等、問われた際の証言もウィッチモン達は考えてくれていた。子供達でもできそうなシンプルな内容だった。

 そうして、最後の段取りについて説明が終わる。ウィッチモンは子供達から目線を離し──

「──では、そろそろ」

 その一言に、子供達の胸がどくんと鳴った。デジモン達の表情にも、僅かだが翳りが差した。
 ウィッチモンは祭壇の前へ。────進もうとして、

「……。……けど……その前に。ワタクシからも、改めてお礼を」

 足を止め、振り返った。

「ありがとう皆。ワタクシの大切な仲間達。……ユズコ。帰った後の事は任せマスね」
「──うん。大丈夫だよウィッチモン。私、ちゃんとやれるから」

「何だかんだ楽しかったよ。アンタ達と一緒にいて。だけどまあ、危なっかしい子達さ。これからは程々にしておきな。
 それと……──手鞠、しっかりね。アンタ根は強いんだから大丈夫。胸張って生きなよ。……次会う時は、デカいケーキでも一緒に」
「……ッ、……うん。約束……!」

 手鞠は涙ぐんで小指を出す。チューモンは、笑顔でそれを握り返した。

「せーじ。ずっど元気でいでね。おでもいつか、そっぢに遊びに行ぐからね」
「オレ……いつか絶対、ユキアグモンのこと母ちゃんと父ちゃんに紹介するから……! 大人でも見えるメガネとか、作ってさ……!」
「でもユキアグモン、今度はいきなり玄関に出てきちゃダメだぞ。俺らじゃなかったら大騒ぎだ」
「へーき、へーぎ。おで、『はちゅうるい』の真似、練習しどくんだ!」
「それは……心配だけど、頑張ってな……」

「ウィッチモン、もしそっちが大丈夫になったら連絡してね! 絶対だよ!」
「ええ、カナ。その時は事前に手紙を送りマスね」

 花那はウィッチモンと握手──は出来なかったので、腕と腕とを軽く合わせる。
 そのまま、いつものように振り向いて

「ねえガルルモン、コロナモン────」

 呼び掛ける。
 ……呼び掛けたが、

「……えっと」

 言葉が続かなかった。
 こんな時、何て言えばいいんだろう。

「……その、二人も……元気でね!」

 どんな言葉を、言うべきなのだろう。

「またサンドイッチ、作ってくるから……」
「……か、花那。今度は全員分でいっぱいだから、俺たちも皆で作ろうな!」
「うん! あと雨水、あんまり飲んじゃダメだよ。お腹こわしちゃうかもなんだから」

 コロナモンとガルルモンは笑って、「そうだね」「わかったよ」と答えてくれる。
 だから、自分達も笑顔で。

「デジタルワールド、これからまだ大変だろうけど……皆なら大丈夫だって思うからさ。俺たちも元気でいるから……」

 それなのに。
 他愛ない言葉を並べるだけで、瞳に涙が滲んでしまうのだ。

「「……」」

 ────ふと。空にオーロラを見た、あの日の事を思い出す。

 子供にしか見えなかったブギーモン。
 大人達には見えなかったブギーモン。
 肉体の成長と共に衰退する回路の話。

 いつか、自分達もそう成るのだろうか。
 回路を全て失って、目の前に彼らがいても分からなくなるのだろうか。

 ────ぎゅっと、デジヴァイスを強く握り締める。
 繋いできた想いが、紡いできた絆が。この手から、零れていってしまわないように。

「──大きくなっても、ずっと」

 そう、心から願い

「俺たちは、忘れないよ」
「私たちは、覚えてるよ」

 心から、祈った。

「……ああ、僕達は本当に幸せだ」
「ありがとう。皆のことが大好きだよ」

 ────直後、祭壇に七色の光が浮かぶ。
 刻限が訪れ、リアライズゲートは開かれた。

 選ばれし子供達は、今度こそ在るべき場所へ戻るだろう。

 けれど子供達の足取りは重く、なかなかゲートへ進もうとしない。……そうなるのも当然だ。お互い、名残惜しくて堪らないのだから。
 だから──パートナーデジモン達は顔を見合わせ、一歩。子供達から距離を取る。
 寂しそうに、けれど少しだけ嬉しそうに。離れていく温もりを心に刻んで、彼らの顔を目に焼き付けながら。

 愛おしい者達へ。
 幾度も涙した、けれどあまりに輝かしかったあの日々へ。


「またね、皆」


 別れを告げた。





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