- Epilogue -
◆ ◆ ◆
──長い長い、夏休みが終わった。
俺達は秋を迎えて、冬を越して、春に出会う。
いつもと変わらない夏が来る。いつも通りの夏休みを過ごす。
秋を迎える。金色の銀杏並木の下。
冬を迎える。銀色に煌めく雪の中。
春を迎える。咲き誇る桜並木の下。
そしてまた、夏が来る。
その繰り返し。
デジヴァイスは光ることなく、日に日に埃を纏うだけ。
──あの夢のような日々は、こうして思い出に消えていくのだろう。
勇気に溢れた少年期とも、いつの間にか別れを告げていた。
「大人になるって怖いなあ」
たまらずに独り言。
世間からすれば、自分はまだまだ子供だろうけれど。
デジヴァイスは、今日も静かに眠っている。
──ああ、そういえば。
行方不明の子供のニュースは、あれからさっぱり聞かなくなった。
◆
──走る。走る。
誰よりも速く、どこよりも遠く。
風のように、どこまでも自由に。
──駆ける。駆ける。
そうすればきっと、あの場所に着けるような気がして。
そうすればきっと、彼らの側へ行けるような気がして。
まあ、きっとそんな事は起こらないのだけど。
それでも構わない。夢見るだけで、追い風のように背中を押してもらえるのだから。
──願いを胸に。
私は今日も、グラウンドのトラックを走り抜ける。
◆
あの激動の日々を経て。
わたしは、少しだけ強くなった気がする。
だって、男の子たちがいじめてきても怖くなくなった。
あの子ほど強気にはなれないし、悪態だってつけないけれど、少なくとも泣いたりしない。自分の言葉を、はっきり伝えられるようになったのだ。
だから、受けたい学校も自分で決めた。
入った時にはもう、数人の先生しか「彼女」を覚えていなかった事も含めて──選んだ道に後悔はない。
今では毎日のように、朝にお祈りを捧げている。
そんなわたしを見て、あの子は何と言ってくれるだろう。
いつかその日を楽しみに。こっそり買った、小さなティーセットを眺めて思う。
◆
いつだって前向きに。それがオレのモットーだ。
どんなに凹んだって、なるべく次の日には忘れて切り替える。
でも、流石にさ。あの夏の事は忘れられないよな。
ずっと心に残っているんだ。悲しい事も、辛い事も。
だけど下は向きたくないから、それ以上にたくさん楽しい事を思い出す。
もしも見た目が変わっても、この笑顔で分かってもらえるように。オレはいつだって笑っているよ。
前向きに希望を抱いて。
とりあえず、今年の恐竜展のチケットを予約した。
◆
──分かってはいたけど、私はどう足掻いても凡人だ。
特別な力があるわけでもない。秀でた才能があるわけでもない。成績だってそこそこ程度。
だから、自分の力だけでは道を開けそうもなくて。
そんな現実に、打ち拉がれそうになる日が、時々ある。
けれど────「貴女は貴女のままで」、「キミはキミのままで」、「無理しなくていーんだよ!」「程々にすりゃあいい」って。
彼らならそう言ってくれるだろうと、都合良く思い込んで励ましてもらうのだ。
さあ、明日も頑張ろう。
また巡り合える運命を信じて。
◆ ◆ ◆
「──ちょっと蒼太。なんか同窓会のお知らせ来てるわよ」
ある夏の日。
学校から帰って早々、蒼太は母親に呼び止められた。
「同窓会?」
「小学校のだって。初めてなんじゃない?」
どうする? と母親に問われ、蒼太は少しだけ考えあぐねる。
「……同窓会って言ってもなあ。周りの奴ら大体、中学まで一緒だったし」
とは言え、見ないで捨てるのも気が引けるので、一応。母親からそれを受け取る。
油性ペンで宛名が書かれた茶封筒。中には一枚のコピー用紙。学校が発行するにはあまりに簡素な「お知らせ」が入っていた。
「……────あ」
“八月■日、■■小学校の同窓会キャンプを開催します。朝九時に校門前へ集合して下さい。持ち物は──”
“────山吹柚子。”
「……!」
気だるげな表情から一変。蒼太は手紙を握り締め、慌てたように階段を駆け上がった。
自室に飛び込み、勢い良く扉を閉める。そのままスマートフォンを取り出した。焦りで指先を震わせながら──
「えーっと……花那は多分部活だし宮古は塾だろうし、まず誠司……って電話来た!?
──もしもし誠司!? なあ、お前ん家にも手紙────……え、初デートで爬虫類カフェ行ったら引かれてフラれた? さっき!? 待ってろ今すぐそっち行く! 一発で元気になるもの持ってくからさ!」
◆
誰もいない夏休みの小学校。
塗装し直された校門の前に、二人の男女が立っている。
かつては同じ程の背丈だった二人だが──今は青年の身長の方が、頭ひとつ分高くなっていた。
オーロラ事件から六年。
小学五年生だった彼らは今、高校二年生。
もう、体の中にあった不思議な回路は機能していないだろう。
共に手を取って戦う事は、彼らを支えてあげる事は、できないだろう。
「ねえ。まだちゃんと、見えるかな。皆のこと」
前を向いたまま花那が呟く。
少し高い位置で結ばれた、ポニーテールが風に揺れた。
「声、聞けるかな。……あのピリピリした感じ、もう無くなっちゃってるのかなあ」
「……先輩が連絡取れたんだし、見たり聞いたりは平気だと思うけど」
「……そうだよね。久しぶりだから緊張しちゃって」
「それは……まあ、仕方ないよ。俺もだし」
「……うん」
それから、少しだけ沈黙が流れた。
花那と二人きりで話すのは久しぶりで、何を言うべきか分からなくなる。
──中学生、高校生ともなれば、自然と小学生時代のコミュニティからは離れていくものだ。同じ旅をした仲間であっても。
「……。……あのさ」
「ん?」
「……陸上、インターハイ優勝したって」
「あ、そうそう。七月にね。凄いでしょ?」
「流石にビビった。スポーツ推薦も余裕だな」
「先生にも言われたけど、大学は普通に受けるつもりだよ。……選手になりたいとかじゃなくて、好きに走りたいだけだから」
「……そっか。……自由で良いと思う。そのうち並んで走れんじゃない?」
誰と、とは言わなかったが。
花那は可笑しそうに、「流石に人間やめなきゃ無理だよ」と笑う。
昔と同じ笑顔が、そこにあった。
「……。──あ、誠司来た」
息を切らせながら、満面の笑みで駆けてくる青年がひとり。背丈は伸びても、誠司はずっと変わらない。
「村崎めっちゃ久しぶり! そーちゃん先週ぶり!」
「おう。傷心旅行だな誠司」
「うっせー」
誠司が加わった事で、彼らは段々と懐かしい雰囲気を取り戻していく。
程なくして手鞠と、主催である柚子がやって来た。
仲間達と久しぶりの再会を喜んだ後、柚子は彼らを別の場所へと案内する。小学校はあくまで待ち合わせ場所というだけらしい。
照り付ける日差しの中、熱せられたアスファルトの道を進んでいく。途中でコンビニに寄ったりして、どこか遠足気分だ。
「そういや山吹さん、受験なのに旅行していいんすか?」
「めちゃくちゃ平気。指定校取ったからねー」
「うっわーいいな。オレ絶対むりだもん」
「誠司はとりあえず留年するなよ。頼むから」
「手鞠も塾、平気なの? 夏期講習とか」
「うん、大丈夫! この日程ならお母さんたちも行って良いって。それにほら、柚子さんの手紙にも『安心安全の引率者付き』って書いてあったでしょ?」
うっかり誘拐騒ぎにならぬよう、今回家族には事前に説明済み。同窓会の後、そのままサマーキャンプへ行くという事になっている。
「でも先輩。ここ、俺たちしかいないですよね?」
引率者も緊急連絡先も、家族に配慮した架空の物なのだろうか?
すると、柚子はくるりと振り返って──
「嘘じゃないよ。私、“リアルワールドから”引率が付くとは書いてないからね!」
そう、歯を見せて笑う。
遠い昔に出会った、三つ編みの少女を思わせる笑顔だった。
◆
「じゃあ、持ち物確認! 蒼太から!」
誰もいない公園の奥深く。
六角形の屋根付きベンチでひっそりと、青年達は冒険前の最終確認。
「寝袋と着替え」
「え、それだけ?」
「あとアーミーナイフ」
「その便利ナイフありゃ何とかなるって。そんな荷物いらないっしょ?」
「私はちゃんとタオルとか紙の食器とか持ってきましたー」
「わたしも救急箱もってきたよ。怪我しないのが一番だけど、一応……」
そんな様子を微笑ましく見守りながら、柚子は「それより!」と声を上げた。
「一番大事なものあるでしょ? まさか忘れてないよね!」
彼女の言葉に、四人は振り向き口角を上げる。
そして、意気揚々と掲げて見せた。──少し色褪せたデジヴァイスと、紋章のペンダントを。
<────各デバイスの識別情報を確認>
その時だった。突如、デジヴァイスから機械仕掛けの音声が聞こえてきた。
驚いて顔を見合わす青年達。小さな液晶は淡く発光し、二進法の文字列を映し出す。
<残存回路測定、最低値クリア。疑似回路の事前投与は不要です>
「……それって、私たちの……」
「そのままデジヴァイス離さないでね。『皆』が凄く時間かけて、色々用意してくれたんだって!」
<体内にオリンポスのデータを確認。生体防護システムへ変換、作動準備完了>
<リアルワールドの座標を設定──完了。空間接続スタンバイ。声紋による承認をどうぞ>
「え、何。合言葉いるの? 宮古さん知ってる?」
「な……なんとなく、アレかなっていうのは……」
「そうそう、多分アレだよね!」
「あー、多分。というかアレしかないよな」
「……そーちゃんこっそり教えて!」
「皆、平気? せっかくだから全員でいくよ!」
光が溢れ、一瞬。オーロラに染まる夏の空。
五つの声は高らかに────。
「「デジタルゲート・オープン!」」
◆ ◆ ◆
光の道が拓く。
あたたかな道のりを進んでいく。
そこに恐怖は無い。使命感も無い。
多少の不安はあれど、彼らの胸は希望と期待に満ちていた。
いつか聞いた物語のような景色が、きっとそこには在るのだろう。
時間をかけて立ち直って、時間をかけて生まれ変わった──毒のない電脳世界が。
「────」
光の道を往く。
懐かしい道のりを歩いていく。
やがて終わりを迎えると、弾けた泡の様に、彼らの視界が切り替わった。
──青い空が広がっていた。
始まりも終わりも無い。どこまでも高く続いていく、鮮やかな蒼天。
真っ白な日差し。
漂う草いきれ。花の香り。
吹き抜ける優しい風。
そんな、煌めく世界の中で
「おかえり」
声を聞く。
緑滴る大地に、光は五つの影を映していた。
彼らは青年達に手を振り、駆けてくる。あの日と変わらない笑顔のまま────。
The End of Prayers
― 終 ―
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