◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
跡形もなくオーロラが消えた後、燃えるような橙色の空。
風のない停滞した空気に汗ばみながら──騒ぎを知らない人々は、それぞれがいつも通りの生活を全うしていた。
例えば買い物帰りの主婦。例えば仕事帰りのサラリーマン。遠くから聞こえるサイレンの音など気にも留めない。
自分達の知らないところで何が起きたかなど微塵も知る事はなく、また、自分達の上を飛び去って行く生き物の姿にも気付きはしない。
いつもと変わらない日常の風景。
関わらなければ絵空事でしかない非日常が散らばる。
*The End of Prayers*
第七話
「ハーメルンの笛吹き悪魔」
◆ ◆ ◆
建物を飛び越えながら、ガルルモンは廃ビルへと向かう。
その背にはコロナモン、そして蒼太と花那を乗せ、口にはブギーモンを咥えていた。あまりに異様な光景であるが、ガルルモンとコロナモンは人目を気にする様子もなく──眼下を過ぎていく人々にも、不思議と気付かれている様子はなかった。
「──まだ、顔色よくないね」
コロナモンが心配そうに振り向いた。
「近くにいて、怖くない?」
ガルルモンの頭で隠れながらも、視界に映るブギーモン。子供達は俯くと、コロナモンは「そうだよね」と苦笑した。
蒼太と花那は気まずそうに、コロナモンとガルルモンを見る。二人の背にはたくさんの傷の痕──昨日のものに、今日負ったものが上塗りされていた。子供達を気遣う声にも力がない。
それがひどく気になっていたが、心配をしてもきっと「大丈夫」と言うのだろう。
「……コロナモンもガルルモンもいるから、私、今は怖くないよ」
「……そっか。よかった」
「でも、連れて帰ってどうするの……?」
「……こいつには話がある。二人には絶対、手を出させないよ。大丈夫だから」
言い聞かせるようにそう言って、ブギーモンに目をやる。当のブギーモンはどうやら気を失っているようで、力なくだらりと咥えられていた。
「……なあ、コロナモン」
「何?」
「もし二人が来てくれなかったら、俺たち死んじゃってたのかな」
「……殺されたかはわからない。それについても、確認したい事があって」
「確認したいこと?」
「……それより二人は、俺たちの所に来ようとしてたんだよね」
「……うん」
「良かった。そのおかげで間に合ったから」
花那の質問にも蒼太の質問にも、きちんと答えはしなかった。
「俺とガルルモンが、ちゃんと守るからね」
程なくして。見覚えのある、廃れた雑居ビルが見えてくる。
「──あ、帰ってきた!」
廃ビルに戻ると、やけに明るい聞き慣れた声が出迎えた。
人気のない通り。廃墟の前で体育座りしていた、見知った少女と見知らぬ青年がこちらを見ている。
蒼太と花那は動揺を隠せない。何故みちるがこの場所にいるのか。尾行でもされていたのか──とにかく怪しむ一方で、今度はコロナモンが驚いたように声を上げた。
「君たち……! 危ないから帰った方がいいって言ったのに、ずっとここにいたの?」
その言葉に、蒼太と花那は更に驚愕する。
「なあ、コロナモン──」
「まあね! ていうかそれ、アタシ襲ってきたのと同じやつ?!」
みちるはブギーモンを興味深そうに眺め──近付こうとし、側にいた青年に止められた。コロナモンは慌ててガルルモンから降りると、みちる達を遮るように前へ出た。
「こんな場所にずっといたらダメだよ。家族だって迎えに来てくれたんだから……」
「そうなんだけどね。みちるを助けてくれたこと、もう一度お礼言いたかったんだ」
みちるの家族らしい青年は、抑揚のない声で言う。
背が高く、大人びた高校生のような外見。みちるとは少しも似ていない。
「ボクの家族を守ってくれてありがとう」
「……。……うん」
「それと、キミのお友達? 見つかって良かったね。……ああ、ごめん。これ以上は後にしようか。いつまでも『それ』咥えさせるのも……」
青年が顔を上げる。──視線を受け、蒼太と花那は慌ててガルルモンから降りた。ブギーモンは相変わらず、だらりと首を垂らしている。
「……ガルルモンと一緒に、ブギーモンを置いてくる。二人は中で少し待ってて。上の階には、危ないから来ちゃダメだよ」
「ボクらも手伝おうか? もし縛るなら、人手があった方が良いでしょ」
「!? だ、だめだよ。ブギーモンに近付くのなんてだめだ……! ……君たちはちゃんと帰るんだ。いいね?」
そう言うと、コロナモンはガルルモンに再び飛び乗る。ガルルモンは高く飛び跳ねると、壁を登るように蹴り上げ──窓枠だった場所から、屋内へと入って行った。
「わー! 凄いねぇ今の!」
「……あの」
蒼太がおずおずとみちるを見る。みちるは笑顔のまま首を傾げた。
「なーに?」
「……驚かないんですか、アイツら見て」
「さっき会ってるし!」
「なんで……」
「あ、それねー。アタシってば助けてもらったの! あの大きな子が咥えてたのと同じ奴に追っかけられてさ。そしたら」
「……ブギーモンに?」
「そういえばそんな名前だったっけ! なんか三人……ん、三匹? 三体? まあいいや。色々と話してたみたいだけど。けっこー深刻そうだったよ。隠れてたからよく聞き取れなかったけど!
ねーねーそれよりさー。アタシたちも残っていい? コイツが聞きたいことあるんだって!」
◆ ◆ ◆
屋上への階段に巻かれていた鎖で、ブギーモンの手足を固定する。
その上から毛布で全身を巻きつける。──子供達が自分達の為に、持って来てくれたものだったけれど。
決して動けてしまわぬよう、しっかりと縛り上げる
縛り終えたブギーモンを床に転がす。──直後、オーロラを目にした時からずっと続いていた二人の緊張が途切れた。
思わず膝が床に付き、震える。安堵と恐怖が混ざって動悸がする。
自分達の目の届かないところで子供達が襲われた。
一歩間違えれば、少しでも遅かったら、また
「……まだだ。僕たちはまだ……早く二人をちゃんと、無事に帰してあげないと」
そうすれば、ようやく安心できるから。
──本当に、安心できるのだろうか?
恐らく自宅にいた彼らが、危険を察してわざわざ自分達の所へ来ようとしたというのに?
「ガルルモン」
そんな彼の心を見透かしたように、コロナモンは目線だけを向けてきた。
「俺は、不安だよ」
「……このまま家に帰すのが?」
「そうじゃない……って言えば嘘になる。だけど出来ることなら、なるべく二人から目を離したくないんだ。いつも一緒にいられるわけじゃないのはわかってるけど……でも、こんな事になったんだから」
「……」
「昨日も今日も……あの子たちが此処に来ようって判断しなかったら、間に合わなかった。きっと殺されてたよ。……さっき助けた子と違って、家だって遠いんだ。……何か考えなくちゃ。じゃないとまた二の舞だ……! 次は……」
「──次なんて無いさ。僕たちには、もう」
「……」
「もう、あっちゃいけないんだよ。こんな事……」
デジタルワールドで何もかも失った。
リアルワールドで大切なものを得た。
この世界だけにしかいない。唯一の、二人だけの友達。
「……コロナモン。本当に、おかしな話だな」
「……え?」
「僕たちは……テリアモンだって、昨日のアイツだって、生き延びるためにこの世界に来た筈なのに──こいつらは違ったんだから。……デジタルワールドで何が起きてるのか、ずっと分からなかったけど……これで本当に分からなくなった」
「……いいや、ガルルモン。すぐに分かるよ。だって──」
ブギーモンに目をやる。
ようやく見つけた、自分達の世界の現状を知る為の手掛かり。事情を知る生きた状態のデジモン。
それを捕獲した事は、二人にとってあまりに大きな一歩だった。
しかしその代償もまた、あまりに大きい。
みちるを襲った個体から聞いた、彼らの目的。そしてそれがもたらした結果は、あまりにも。
「……話そう。コロナモン。今回だけはちゃんと話した方が良い。……あの子たちの身近な人が、巻き込まれてるかもしれないから」
────「リアルワールドの人間の子供を、デジタルワールドへ連れて行く」。
「奴らの目的が本当なら、きっと……人間が沢山、『向こう』に連れて行かれてる」
「けど……そうしたら二人を、余計に巻き込む事になるんだよ。俺たちデジモンの、デジタルワールドの事に」
「……それでも、コロナモン」
「俺は……この世界に来て、あの子たちに嘘を吐いて、隠してきた事……それが間違いだったとは思わない。申し訳ないとは思ったけど、巻き込まないで済むならそれで良かった。何も話さないで、全部終わらせて、それでまた一緒に遊んで……そんな風になれたら、どれだけ良かったかって思うよ」
「……そんなの、今更じゃないか」
ガルルモンは苦笑する。
「でも、もうその生き方はできないんだよ。……今までだってそうだ。こうして生きたいって思ってても、それが叶ったことなんて僕らにはなかったじゃないか」
どこか悲しそうな横顔に、コロナモンはたまらず目が熱くなった。
「……ああ。……俺だって……俺だってわかってる。ガルルモン、わかってるんだよ。本当は手遅れなことだって、分かってるんだ」
「……」
「だって……少なくともあの子たちはもう巻き込まれて、俺たちの事に関わってて、それで今日の事も、きっとこの先も……絶対に、俺たちだけの問題じゃ済まされなくなる」
声は震えていた。
悔しかった。どうしてこんなにも思い通りに行かないのか。自分達がいけないのか。怖いのも苦しいのも、どうして自分達だけで済んでくれないのか。優しくしてくれただけの子供達まで、その平穏を奪われるなんて。
「だから、俺たちは……」
言いかけて、コロナモンは一度大きく息を吸うと立ち上がる。
扉の方へと向かう。
「……話してくるのか?」
コロナモンは小さく頷いた。
「……あまり長く話す時間はないよ。もうすぐ夜だ」
「話しながら家まで送る。身近な人の無事を確かめさせてあげないと。……ガルルモン、ブギーモンを頼むよ。何かあっても、お前の方が俺よりずっと強いから」
「────わかった。……ありがとう、ごめんな。コロナモン」
ガルルモンはそう言うと、ブギーモンの側で腰を下ろす。
それからは互いに何も言わなかった。
静かな部屋の中、コロナモンが扉を殴る音だけが響き渡った。
◆ ◆ ◆
「ねえ、二人ってもしかして人見知り?」
階段に座る青年の声がロビーに響く。
「さっきからずっと黙ってるけど。何か話せばいいのに」
視線を受けながらも、蒼太と花那は気まずそうに顔を逸らしていた。
「……今はあまり、お喋りとか……する気分じゃないです」
「女の子っていつでもお喋りなイメージあるけど」
「偏見だよワトソンくん! それはアタシだけだよ」
「なるほど」
「てかアタシまだ二人の名前知らない! 折角だし自己紹介しようよ!」
「なんだ。みちる知らなかったんだ。……二人、名前は?」
「あ、あとあの命の恩人くんたちの名前も教えて! お礼言いたいからね!」
みちるはニコニコと見つめてくる。二人が渋々、呟くように自分の名を口にすると──みちるは飛びつくように二人と無理やり握手を交わした。
「よろしくねー! 改めて、アタシみちるね。名字は春風だけど、みちるちゃんで覚えてて! でね、そこの無愛想なお兄さんはワトソンくん。バット持ってるけど怖くないよ!」
「ちなみに愛称だけど」
「ホントの名前ははるかくんです! でも実質ワトソン氏だよね」
「昔キミが推理小説にハマらなきゃこんな事にならなかったのに」
「それにしても凄いよねー。お互い同じようなのに狙われた死にかけ仲間だ。運命みたい! 実は少し前から思ってたりするんだけどさ!」
「……死にかけ……ですか」
ふと、先程のことを思い出す。花那はスカートの裾を握った。
「……みちるさん……ブギーモンが死ぬの、見たんですよね。コロナモンとガルルモンが……その、倒した所」
「そうそう! あの二人がトドメさしてたの。かっこよかったよ!」
「怖く、なかったんですか。襲われたのもですけど、……その」
隣で聞いていた蒼太が顔をしかめた。みちるはきょとんとした顔で
「なんで怖いの? 助けてもらったんだもん、全然!
それにしても遅いねー二人。何か話してるのかなあ」
◆ ◆ ◆
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