◆  ◆  ◆



 一階に下りると、コロナモンは思わず驚愕の声を漏らす。
 残っているのは二人だけの筈なのに、そこには先程と変わらす四人、こちらを向いていたからだ。

 ダメじゃないかと言われるも、みちるとワトソンは小さく肩をすくめるだけ。コロナモンは頭を抱えた。

「仲良くなりたくてお話ししてたのさ! 家帰ってもすることないし」
「あの赤い奴は? ちゃんと縛れた?」

 青年の言葉に、蒼太と花那の顔色が一瞬陰る。コロナモンは二人の目を見つめ、大丈夫だよと微笑んでみせた。

「まだ目は覚ましてないけど、今はガルルモンが見張ってるから」
「……コロナモン、俺たちは……」
「……やっぱり家まで送るよ。もう夜になる。暗くなったら、それはそれで危ないから。君たち二人も──」
「ボク達はいいよ。近いし。みちるも一人じゃない。それより聞きたいことあるんだけど」
「聞きたい事?」
「うん。──何でみちるは襲われたの?」

 遠慮のない直球な質問に、コロナモンは息を飲んだ。

「みちるもその子達も、無事だったから良かったけどさ。そうじゃなかったらどうなってたのかなって。別に隠される理由も無いでしょ? みちるはボクの大事な子なんだから」
「……」

 青年の言葉が胸に刺さる。──彼が疑問を抱くのも、それを自分達へ問うのも当然だ。
 ……そう、当然の事なのだ。被害者の家族なら事情を知る権利がある。それは、この子達にだって。
「……」

 蒼太と花那に目線を向ける。二人の顔には、まだ不安の色が強く残っていた。昨日からずっとこうだったのだろうか。
 ──守るなんて言っておきながら、この子達にこんな顔をさせていたのか。自分達は。

「……ごめんね」

 コロナモンはそう言って、蒼太と花那の手を取った。

「会った時からずっと巻き込んで、たくさん隠して、怖がらせて、なのにこんな事になって……本当にごめん」
「……私たちが襲われたの、コロナモンたちのせいじゃないんだよ。ねえ、謝らないで……」
「それで、どうして皆は襲われたの?」

 コロナモンは顔を上げる。真っすぐに青年を見上げ、目を合わせると──

「──人間の子供が狙われたんだ」

 自分でも驚くほど、言葉は流れるように喉を通った。

「皆が『子供』だったから。ただそれだけの理由で狙われたんだ」

 蒼太と花那の顔色が一瞬にして青くなる。……そうなるだろうとは思った。もっと落ち着いてから話すべきだったのかもしれない。だが

「ブギーモンが何体いたのかは知らない。どれだけの地域で起きていたかも分からない。でも……人間の子供が、少なからず誘拐されたのは事実だ。
 だから皆には……どうか、身近な人が無事かどうかだけでも、確かめて欲しい」

 告げられた答えに、ワトソンは「ふーん」とだけ返事をする。みちるは「物騒だねえ」と、わざとらしく声を上げた。
 蒼太と花那の手は、ひどく汗ばみ震えていた。



◆  ◆  ◆



「キミの言ったことが本当ならさ、それって結構大変な事だよね! なかなかビッグな誘拐事件じゃない?」

 そう言ったみちるの声には、相変わらず危機感の欠片も感じられない。
 外に出ても尚、あっけらかんと話を続ける彼女に、蒼太と花那は若干の不快感を覚えていた。自分達が抱く不安や恐怖が彼女には無いのだろう。青年も青年で、先程のコロナモンの答えに満足がいっているのか、それ以上追及することも、みちるを連れて帰ろうとすることもしない。

「……あの……俺たち、早く帰らないと」
「そうだったね! 家族とか、無事だといいねえ」
「……二人はいいの? 家族や友達に、連絡取った方が……」
「家族、ボクらだけだからなあ」
「この通り無事ですからね!」
「…………みちるさん、元気ですね」
「それが取り柄だからさ、少年!」
「……こんな事になってるのに」
「まあ半分は他人事だからね! 危うく被害者だけど。そもそもお引越ししたばっかて知り合いとかいないもん。若干一名お友達の安否が心配ですが」

 そう言って、にっこりと微笑んだ。

「でもキミ達は悩んでいいんだよ。それが普通なんだから!」
「……その友達、無事か確認しなくていいんですか」
「だって今更騒いだって仕方ないじゃん。これから攫われることはないんだし、無事なら無事なままだろうし?」

 確かに正論だった。……だが

「不安にならないんですか? 友達なんでしょ?」
「なんでかなー。まだちゃんと友達じゃないからかな」
「……なんですか、それ」
「アタシのことはいいんだよ。自分達のこと考えなって。ねえ、また遊びに来るよ! どうせまたこっち来るでしょ? 今度はいっぱいお話ししたいねー」

 引き留めてごめんねー、と言いながら、みちるは手を振って帰っていく。ワトソンも軽く会釈をし、後に続いた。
 二人の姿が見えなくなると、コロナモンは空を見上げる。……深い群青色。もう夜だ。急いで帰らせないと、きっと家族が心配する。

「……」

 ──この子達の家族は無事だろうか。

 二人だけを助けても、二人は決して幸せになれない。二人が生きる日常そのものを守れなければ意味がない。
 当たり前の事なのに、自分達が一番わかっている筈なのに、どうしてもっと早く、その配慮が出来なかったのか。

「……急いで帰ろう」

 握ったままの二人の手。震えは少しだけ落ち着いていた。

「……ごめんね」

 何度目かの謝罪の言葉に、子供達はただ首を振った。
 子供達の足取りは重く、しかし急いでいると分かる。焦っているのだろう。

「言い訳なんてしない。もっと前に言うべきだった。二人にも家族や友達がいるのに……すぐ、教えてあげなかった。本当にごめん」
「……私も蒼太も一人っ子だから、家族はきっと大丈夫なの。……本当に子供だけ狙われてるなら……心配なのは、友達で……」
「学校で皆、オーロラの話してたんだ。だから……皆、今日のオーロラ見てたら……きっと外に出てるかもしれなくて」
「ねえ、もしブギーモンに攫われたらどうなっちゃうの? 私たち、どうなっちゃってたの?」
「……それは」
「さっきみちるさんが……二人がブギーモンと、何か話してたって……」
「……連れて行かれた後の事は、本当に分からないんだ」

 今は、まだ。そう付け加えて、コロナモンは二人の手を強く握った。
「俺とガルルモンが、最初に会ったブギーモンから聞いた事は────」



◆  ◆  ◆



 ────『なんでこんな所にデジモンがいるんだ?』

 自分達を見たブギーモンが、真っ先に言った言葉はそれだった。

 空が一瞬暗くなり、直後現れた──ディスクリートオーロラに似た光の帯。
 それがリアライズゲートだと、コロナモンとガルルモンはすぐに察した。

 同時に、ひどく混乱した。ゲートの大きさがあまりに異常だったからだ。
 コロナモンは慌てて花那に電話したが──電波の状態はひどく、なかなか繋がらない。ようやく繋がった時は話し中で、かけ直した時にはもう圏外になってしまっていた。「圏外」が何か知らない二人は、焦りながらリダイヤルを繰り返していた。

 窓から身を乗り出して周囲を見ると、逃げるように走る人間の姿を見たという。──それがみちるだった。
 そして、追っている「何か」が物陰から姿を現した瞬間。ガルルモンが建物から飛び出した。古くなった窓枠が、彼の巨体と肩から刃状に伸びるミスリル毛で砕かれた。

 今まさに少女へ掴みかかろうとする「何か」、それがデジモンだと理解できない二人ではない。
 対峙するガルルモンとブギーモン──その時は名前を知らなかったが──を目を丸くして見ていた少女を、後を追ったコロナモンが廃墟の裏に隠れさせる。

 獲物を取られたとブギーモンは不機嫌そうに睨んできたが、自分達の姿を目にした途端に表情が変わった。

『……なんだお前ら。リアライズしても無事なのか? へえ、相当悪運強いな。普通のゲートからだったら耐えられなくて分解するぜ? まぁどうせ中身はボロボロだろうけどな。せっかく拾った命なんだから少しでも長く使えよ』

 一見こちらを気遣っているようだが、違う。明らかに見下している顔だった。強者が弱者を慈悲すら抱いて憐れむ眼差し。圧倒的な力の差があるという自信。二人がどこから現れたのか、疑問にすら思わない程の驕りだ。

 だが、コロナモンとガルルモンにとってブギーモンの内心などどうでも良かった。二人が気になったのは彼の行動だ。人間を追う必要などどこにある? 何よりリアライズ直後にも関わらず、飛び回っている事が信じられなかった。

『なあ、お前もこっちに逃げて来たんだろ!? なのに何やってるんだ!?』

 コロナモンがそう叫ぶと、ブギーモンは心底馬鹿にしたような顔で笑いながら

『お前らみたいな死に損ないと一緒にすんなよ。こっちは仕事で来てるんだから』


 ────人間界に渡るのは最終手段である。

 ダルクモンの話を、ガルルモンは忘れていない。実際、リアライズ自体が命がけの行為であることは二人ともよく知っている。二人自身も相当なダメージを負った。テリアモンは耐え切れず命を落とし、一緒に来た彼女の仲間も恐らく、リアライズと同時に散っている。そして──コロナモンとガルルモンは知らない事だが、リアライズ地点では幾つも、デジモンが散る際のデータの塵が目撃されていた。

 なのに。このデジモンは、人間界に来た理由を「仕事」だと言ったのだ。

『さっきの人間、俺たちのこと見えたろ』

 問われてもいないのに、ブギーモンは得意げに語り出した。

『それが出来るのは人間の中でも、まだ成熟してない幼体だけだ。そいつらを集めるのが俺らの仕事……で、この辺は俺の担当区域ってわけだ。……そういうわけで邪魔しねぇでくれよな。もたもたしてゲート閉じちまったら大変だ』

 二人はいい加減、このデジモンが何を言っているのかが分からなくなった。

 こいつは帰ると言った? デジタルワールドに帰る術があると言った?
 俺「たち」ブギーモンと言った? あの巨大なリアライズゲートから現れるのは自分以外にもいると?

 そしてそいつらは、何をすると言った?

『まぁしないとは思うけどな。そんな体力もねえだろ? 俺にしたっていくらクズ相手でも戦うのはまだしんどいし……そう、ギブアンドテイクで行こう! お前らがさっきの人間渡して、俺の邪魔しないで大人しくそこにいるならお互い無事に──』

 ────言い終わる前に。自身に起きたことを、ブギーモンは咄嗟に理解出来なかった。

 跳ね飛ばされる自分の体。牙を剥いている目の前の「クズ」達の姿。
 それらが一体何をしているのか、何をされているのか分からなかった。
 ブギーモンは自分が誤算をしていた事にすら気付かない。何故なら彼は正しかったからだ。リアライズしたデジモンは死にかけのボロボロ、間違ってなどなかった。ただそれが──例外的に、コロナモンとガルルモンに当てはまらなかっただけの事。

 リアライズしてから約五日。
 生き延び、傷を癒し、その間に戦いさえも経験している。
 そんなデジモンがいるなどと、彼に考えられるはずもない。

 一方のブギーモンは、リアライズ直後でも動き回れる代わりに、力がほとんど出せない状態になっていた。
 それでも普通に考えれば十分、信じられない事である。そして、それはブギーモンにとっては大した問題ではなかった。その僅かな力でも人間を攫うことには支障はないし、死にかけのデジモンにとどめを刺すくらいには事足りる。それなのに。

『なのに、どうして』

 頭を巡る言葉。それが口から発せられることは最後までなかった。ブギーモンは何一つ理解できないまま、その命を落とす事となる。

 ──粒子に分解していくブギーモンを、消え果るまで見守ることはしなかった。
 丁度終わった頃にやって来た少女の家族と、廃墟に隠した少女にすぐ帰るよう言い捨てて──コロナモンとガルルモンはそのまま、蒼太と花那を探しに走った。



◆  ◆  ◆



「──俺とガルルモンがあの時……最初に会ったブギーモンから聞いたのは、奴らの目的。それと、俺たちデジモンは子供にしか見えないっていう事だ」
「……私たちにしか? 大人には見えないの?」
「ゲートの光は見えても、デジモンの姿は見えないらしい。だから奴らは、自分たちが見えるかどうかを手掛かりに人間を探してた」
「じゃあ、もし捕まったら……お前たちの世界に連れて行かれてた? ……だからコロナモン、俺たちに『殺されてたかわからないって』言ったんだな」
「……うん。でも、分からないんだ。どうして奴らが子供を攫ったのか、連れて行った子がどうなるのか……。……とにかく、ブギーモンが目を覚ましてから聞き出さないと。
 考えたくないけど、もしも二人の友達が攫われてたら……俺たちが絶対、助けに行くからね」

 蒼太と花那は目を丸くした。

「……でも、それって危ない事なんじゃないの?」

 不安そうな花那に、頷く。もしそうなれば、更なる戦闘は避けられないだろう。だが──

「それでも俺は、俺とガルルモンは、君たちの友達を守るよ」
「……どうして、私たちにそこまでしてくれるの?」
「俺たち……お前らに何もしてあげられてないのに」
「……そんなことないよ。二人にたくさん助けてもらった、その恩返しだと思ってよ。……何より、君たちの周りの人が無事でいてくれるのを──」

 すると蒼太が、少しだけ力を込めてコロナモンの手を握る。

「それでも俺は……二人が傷つくのなんて、見たくないよ」
「私たち友達なんだから。コロナモンとガルルモンにだって、ずっと無事でいて欲しい……」
「……」


 するとコロナモンは、目を丸くさせ──それから寂しそうに笑って、ありがとうと言った。



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