◆  ◆  ◆



「──やっぱり、そうだったんだ」

 花那は、自身の予感が当たったことに動揺していた。
 昨日、あの時間。本当なら手鞠は学校にいない筈だった。委員会は無かったから、学校に残ってるのはおかしかった。

 それでも残っていたということは、きっと何か用事があったのだろう。
 下級生は放課後の作業はない筈だし、五年生は手鞠しかいない。なら、頼んだのは恐らく六年生だ。確か三人が所属している。

「……あの……お母さん。手鞠ちゃんのケータイ、今持ってますか?」
『ケータイも荷物も置いて……あの子が一人でどこか行くなんて考えられないの! そんな子じゃないのよ! ねえ、本当に知らない!? 誰かのお家に行ってるとか……!』
「電話帳に入ってると思うんです。例えば……山吹さんって人の連絡先、あったら教えてもらえませんか」

 冷静さを欠いた母親は、躊躇うことなく個人情報を読み上げる。花那は出来る限り落ち着いて、言われた番号をメモに取った。




 そういえば、と蒼太は思い出す。
 自転車を大通りに置いてきたままだ。あれを使えば移動も楽だったのに。──そんな後悔をしながら、灼熱の日差しの中を走っていた。

「蒼太、大丈夫?」
「……何で?」
「さっきから顔色が悪い。辛そうだ。……どこかで休んだ方が」
「大丈夫、だと思う。大丈夫。暑いけど……。でも、後でいいよ。誠司の所に行く方が先だ」

 ──境遇が似ているから、巻き込んでいいわけではない。そんなことは皆わかっていた。
 それでも、仲の良い友達なら心強いから……協力してもらえたら嬉しいと思ったのだ。

 誠司は無事だろうか。
 きっと大丈夫だろう。だって、あのデジモンが一緒にいたのだ。もしブギーモンに会っていても、守ってくれたに違いない。
 
「……その誠司って子の家にいたのは、確かにデジモンだったんだよね」
「うん。白くて恐竜みたいな奴……絶対デジモンだと思う。……今度は、大丈夫だといいな」
「……──うん」

 ああ、今度は、腕の中で消えることがありませんように。
 目眩と頭痛を起こしながらも、淡い期待を胸に足を急がせた。到着した頃にはだいぶ息が上がっていた。玄関前でむせながら、力任せにインターホンを押す。

 出てきたのは誠司の父親だった。そして

「────嘘だ」

 蒼太が尋ねるより先に、重い表情で息子がいなくなったことを口にする。どこに行ったか知らないかと問われる。家の奥で母親が泣いていた。
 誠司の両親は頭を下げると、玄関を閉じた。
 蒼太は呆然と側の垣根に寄りかかった。ため息をつき──力任せに塀を殴り付ける。

「……蒼太」
「……や……やりやがった……」
「……」
「やりやがった……ブギーモンの奴やりやがった! 誠司……! なんだよ……なんなんだよ! なんでなんだよ!!」

 何度も塀を叩きながら、つまるような声をもらす。込み上げてくる感情にどうしようもなくなっていた。段々と息が荒くなり──しかし突然ふっと力が抜けたように、蒼太はその場に座り込んでしまった。

「蒼太……大丈夫!?」
「…………はっ……は、──っ」
「やっぱり途中で休んだ方が良かった! 水、探してくるから……」
「……なんで……なんで、こんなことに……」
「……それは……」
「俺もさ、お前も……もう、わけわかんないよな……」
「……、──」

「ぎゅー」

 どこからか、声がした。
 コロナモンは咄嗟に辺りを見回す。威嚇するように喉を鳴らすと、もう一度その声が聞こえてきた。

「ぎぎぎっ」

 しわがれたような動物の声────庭の影から、白い生き物がじっとこちらを見ている。

「! デジモン……!?」
「待って! ……お前、あの時の……」
「ぎぃーっ」

 警戒する様子もなく、ユキアグモンはトボトボと寄ってきた。コロナモンをじっと見つめ、次に蒼太を見て──手に触れる。あのピリピリとした刺激ではなく、ひんやりとした体温だけが伝わってきた。

 ユキアグモンは何かに納得したように手を引っ込めると、今度は蒼太の顔に手を伸ばしてきた。
 一瞬身構えたコロナモンだったが、すぐにその行動の意味に気付く。

「……冷たい……」

 目眩で視界が霞む中、額と首に感じる冷たい感覚。目の前のデジモンは小さな氷をいくつも生み出し、蒼太の口へと半ば強引に突っ込んできた。
 コロナモンが蒼太を日陰へと引っ張って行って、しばらく。気付けば、頭痛やら目眩やらが和らいでいた気がした。額と両脇が、あてられた氷で濡れていた。

「……。……蒼太を、助けてくれてありがとう」
「ぎー」
「……君、喋れないの?」

 首を振る。

「……喉、いだい。ぎぃ。こっぢ、来てがら……」
「……そっか。でも、他は大丈夫みたいだね。……良かった。……君が無事で、本当に」

 生きてる仲間がいて良かった。
 コロナモンがそう言うと、ユキアグモンは蒼太から手を離し、ぽんとコロナモンの頭に手を置いた。

「あ、あづい」
「……俺はコロナモンだ。君の名前は?」
「ゆ、ゆ、ユキアグモン。ぎぎっ」
「……ユキアグモン……なあ、誠司知らない?」

 息を整えながら、蒼太はユキアグモンと目を合わせた。しかしユキアグモンは、申し訳なさそうに目を伏せた。

「ぎー……」
「昨日からいないんだ……連絡が取れなくて、どこにいるかわからないんだ。一緒じゃないの……?」
「せー、じ」

 ユキアグモンはトボトボと庭の奥に戻っていく。少しして、今度は何かを手に持って現れた。
 誠司のリュックサックだった。

「一緒、いだ。せーじ」
「……お前……」
「出だら、いながっだ」

 ごめんなざい。小さな声でそう呟く。蒼太はそれで全てを察し、項垂れた。

「……お前が悪いんじゃないよ」
「ユキアグモン。君がここに帰ってきてくれてよかった。……その子、誰かに連れて行かれたんだよね」
「……きゅー……」
「………誠司だけじゃないんだ。友達が……他にも多分、アイツらに連れてかれた……なあユキアグモン、俺たち」
「せーじ……」

 ユキアグモンはじっと空を見上げると、リュックサックを蒼太に差し出した。


「だすげで」



◆  ◆  ◆



 ──暗い自室。クーラーの音だけが小さく鳴る静かな場所。
 山吹柚子は耳を塞ぐように、じっと床にうずくまっている。

 彼女は昨日からずっと、学校や警察からの聴取を受けていた。今朝も学校に呼ばれ、ようやく帰ってきたところだった。
 何があったのか、何を見たのか。まるで犯罪者のように追及された挙句、包み隠さず話したら──ショックでおかしくなったのだと、カウンセリングを勧められた。

「……私、狂ってなんかない……」

 自分で思っている以上に、精神が不安定なのは確かだったが──自分が見たものは間違いなく、何もかも現実だ。
 夢であって欲しいと願うのは柚子の方なのに、周りの大人達は、親でさえ、柚子の証言を妄想としか受け取ってくれない。

 普通に考えれば当たり前かもしれない。羽の生えた悪魔が子供を小脇に飛んで行ったなど、映画の中でしかあり得ない。
 結局、強盗が押し入ったという事にされてしまった。私はその目撃者。後輩が攫われるのを見た貴重な目撃者なのに、おかしくなって使えない子供。

 ふざけないでよ。

「柚子」

 父親がノックをしてきた。返事をしないでいると、もう一度名前を呼ばれた。
 両親共に、ひどく娘を心配している。それは理解していたが、しばらくは話す気になれない。

「……電話来てるぞ。断ろうか?」
「……学校も警察も嫌。病院だって嫌。どうせまたて変人扱いされるんだから」
「…………学校の友達みたいだけど……村崎さんだって」
「……村崎?」

 あの五年生だ。……きっと、手鞠ちゃんを探しているのだろう。

「やっぱり、やめておくか」
「……待って。一応、話すから……」

 ドアを開けると、心配そうに顔を歪めた父親が受話器を渡した。無理して話さなくていいと言われた。心配してくれているのに、私は受け入れられなくて……また、固く扉を閉める。

「……もしもし?」
『柚子さん……! 私です、村崎です! あの……』
「何か、用? ……手鞠ちゃんなら」
『知ってます。だから……昨日のことで、柚子さんに聞きたいことがあるんです』
「……」

 嫌な予感がする。
 胃の中が、えぐれるような気分だ。

「……聞いてどうするの?」
『……え?』
「聞いたって……どうせ全部信じちゃくれないでしょ!? わかってんのよ……!」
『あ、あの』
「何もかもあり得ない! どうせ妄想だって! だから村崎さんに言えることだって何もない!」
『柚子さん……』
「でも手鞠ちゃんのことなら……あの子は私のせいだから……! 私が残したせいだから! 私のせいだから!! お願いだからもう何も聞かないでよ!」
『あの、待って下さい……! 電話切らないで! お願い、切らないで下さい! 柚子さん……手鞠が攫われたの見たんですか!?』
「……もうやめて……」
『お願いです。落ち着いて聞いて欲しいんです。信じますから……!』
「……できるわけない……私だって信じられないんだから……! 気なんか遣わなくていい! 皆そう言って……学校も警察も親も! 結局信じてくれるどころか病院行けって言われたんだよ!?」

「……──警察……」

 一人だけ助かった、学校で唯一の目撃者。やはり彼女は警察に話を聞かれていた。

『……わ、私! 柚子さんに協力して欲しくて……!』
「何を!? あなたに協力したって……私なんかが協力したって! 手鞠ちゃんは帰って来ない……!」
『警察も学校も……信じてくれないのは当たり前なんです。だって大人には見えないから……! ニュースでちゃんと話が出ないのだってきっと、調べようがないからなんです! 私たちにしか見えないから!』
「…………何、言ってるの?」
『だからお願いです。協力して下さい! 私たちじゃ警察からは話聞けないんです! 柚子さんしか……!』
「え……、……え?」

 ──ふと。
 自分の話を聞いた大人達が、抱いた気持ちはこんな感じだったのだろうかと、柚子は思った。

「……村崎さん……さっきから何言って……」
『お願いします……! 手鞠も、他の友達も皆! 助けたいんです! お願い……!』
「待ってよ……待って、話がわからないの。何で知ってるの? 何を知ってるの? 村崎さん……」
『手鞠を襲ったの、赤くて羽の生えた、悪魔みたいな生き物でしたよね……!?』

「……────え?」

 どうして?
 そんな、見ていなければわからない事を。

「なんで……知って……」
『……わ、私……私たち昨日、手鞠を攫ったのと同じ奴に、襲われたんです』
「……──嘘」
『だから信じます。柚子さんのこと信じます。疑うわけないんです。だって本当なんだから……!』
「なんで……え? 襲われたのに、無事なの……!? あんな化け物だよ!?」
『……それは』
「ねえ、お願い……そっちが先に話してよ」
『……! で、でも』
「村崎さんは私の知らないことも知ってるんだ。色々知ってるんだ。じゃあ教えてよ……! 手鞠ちゃんどうなっちゃうの!? 私どうすればいいの!?」
『柚子さん落ち着いて……』
「落ち着いてる。さっきよりずっと落ち着いてる! 私の言ったこと信じてくれるのも、私が知らないこと知ってるのも村崎さんだけなら、もうそこしか私は頼れない……!」

「……ど、どうしよう……」

 花那は困惑した。何から話せばいいのかも、何を話していいのかも分からなかった。
 ──蒼太とコロナモンはまだ帰ってこない。

「……ガルルモン」

 今頼れるのは、彼しか。

『……柚子さん、ごめんなさい! また連絡します!』
「!? 何で!」
『私、うまく説明出来なくて……! だから他の人に代わります。待ってて下さい! 五分くらい……!』
「……あなた以外にも、いるってことなんだね。……わかった。それなら、待ってるから」

 そう言って、柚子は電話を切った。
 ──自分の話をわかってくれた、喜びよりも高揚感に腕が震える。こんなにも頼もしいと、涙さえ浮かんできた。


 そのまま待機する。数分後、花那の言った通り電話がかかってきた。さっきとは違う番号だったが、それでも迷わず通話ボタンを押す。

「……村崎さん?」
『もしもし。ヤマブキさんってキミ? どうもはじめまして。ワトソンです』

 聞こえてきたのは、見知らぬ男性の声だった。




『……は?』

 明らかに訝しげな返事に、ワトソンはうんうんと頷く。

「ぼ、僕が代わるって言ってるのに……!」
「大丈夫大丈夫。人間のことはアタシらのがご存知なんだから!」
「でも花那は……」
「あ、怪しまないで。名前すごく怪しいけど怪しまないで。ニックネームなんで。それより花那ちゃんから聞いてるよ。学校では一人だけ助かったんだってね?」
『……は、はい』
「で、警察にお世話になったと」
『…………はい』
「それにワトソン君なら、余計な感情とか無しに進めてくれるから大丈夫だよ。見なよあの無表情さ!」
『あの……あなたたち誰なんですか? 村崎さんの知り合いですか?』
「まあね。ボクの家族が被害者仲間でさ」
『……そうなんですか』
「ちなみにアタシね!」
『えっ!? ……あの』
「まあ、この通り無事なんだけど。それは後にしよう。今は用件が先だ」
『……協力のことですか』
「そうそう。生憎ボクらは一般市民だから、事件の詳細を警察に聞けないんだよ。だからキミに協力を頼みたい。山吹さんなら警察に行って話すの、少なくともボクらよりは楽だよね?」
『……その、ワトソン? さん? 皆さんは……この事、どこまで知ってるんですか?』
「事件について? いっぱいだけど、話すと長くなるから後回し」
『……協力したら話してくれますか?』
「いいよ。そうしたら仲間だからね。ボクらのアジトに招待しよう」
「は、話を聞くだけにするって言った筈だ。それ以上は……!」
「協力してもらう以上はお礼もしなきゃ。この子、もうとっくに巻き込まれてるんだから。──じゃあ、何が知りたいかはガルルモンくんから」

 はい、と、ワトソンがガルルモンの側に携帯電話を持ってきた。

「……」
『……あの……』
「……君は、その……協力……してくれるんだね」

 さっきとは違う声に、柚子は一瞬戸惑った。

『……させて下さい』
「……危険なことだ。命に関わることだ。だからあまり、深追いして欲しくない」
『中途半端に知ってるのだって、周りに異常者扱いされるのだってもう嫌です。……だから教えて下さい。私は警察に何を聞けばいいですか? 知りたいことは何ですか?』
「……」

 ……蒼太や花那よりも頑固な子だ。ガルルモンはため息をついた。

「……まずは人数だ。いなくなった子供たちの具体的な人数が知りたいんだ。昨日だけでいなくなった子……今は、それだけでいいから……」
『今から行ってきます。少し待ってて下さい』
「無理はしないで、それに……本当に深追いしたらダメだ。巻き込んだことは、本当に謝る」
『……私が頼れるのはあなたたちだけです。だから、ありがとう』

 電話が切れる。ワトソンは何も言わずに部屋に戻る。
 ガルルモンは苦い顔のまま、もう一度深くため息をついた。 



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