◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆






 扇風機からクーラーへ、運転を切り替える。
 ゆっくりと鳴り出す機械音。冷え始める室内。窓際の風鈴が小さく揺れる。その音色をを遮る外の蝉がうるさい。

 机の上には、ちゃんと自分達で用意したお菓子の山。

 友達の来訪を待つありふれた家庭の様な、そんな風景。







*The End of Prayers*

第九話
「コネクト」






◆  ◆  ◆



 連絡した時間通りに、子供達は廃墟へとやって来た。
 蒼太、花那、コロナモンにユキアグモン。そして──

「……ワトソン、さん? ですか?」

 廃ビルの前に立っている青年に、柚子は恐る恐る話しかける。

「そうだよ。はじめまして」
「や、山吹です。……あの、電話のこと……。……私、結局何も出来なくて……」
「ああ、気にしないで。ボクらもなかなかキツイかなって思ってたんだ」

 そこから案内されたアパートは、廃墟からさほど遠くなかった。
 築何十年かは想像したくない、古びた外観。鉄の外階段は錆びている。

 柚子はアパートの垣根を覗いた。小さな庭に、狼のような生き物が座っている。

「ここ、ほんと古くてね。一応お風呂もトイレもついてるけど、曰く付きだし狭いし。空き部屋ばかりだし。安いから住んでるけど。
 ──で、今回は一階の大家さん宅で会議です。諸事情でね。どうぞ。ちゃんとクーラーをつけといてあげたよ」

 扉の向こうから流れる、涼しい風が子供達を撫でた。みちるが手を振って迎える。

「いらっしゃーい! わ、新顔ちゃんだ! よろしくね! アタシみちる!」
「ぎーぃ」
「え、なんでガルルモンだけ外にいるの!? やだ、暑くて可哀想じゃないですか!」

 花那が慌てて入り、窓を開け────息を飲んだ。

「……え……!?」

 ブギーモンが、目を覚ましていた。

「! 近付いちゃだめだ、花那」
「……ガルルモン……そいつ、いつから……」
「……意識自体は、前からあったみたいなんだ。説得して何とか……」

 具体的に何をしたのかは、口を濁す。
 尋問するより、半ば拷問に近かった。脅しながら痛みを与えて起こしたのだ。──我ながら、今でも後味が悪い。

 ブギーモンはガムテープで口を塞がれ、モゴモゴと呻いている。
 その悪魔の様子を、花那は怖いと思った。だが、それ以上に────怒りが込み上げた。

「……よくも皆を……」
「花那、中に戻って。……大丈夫。友達のことはすぐ聞き出すから」

 するとコロナモンが、ユキアグモンを連れて窓際へやって来た。ユキアグモンは敵意を剥き出しブギーモンを威嚇する。

「……コロナモン。その子が例の?」
「ユキアグモンだ。蒼太の友達と一緒にいて……運良くこの子は助かった」
「……そうか」
「……ぎゅー」
「喋れないのか?」
「こっちに来てから喉の具合が悪いんだって。それ以外は無事みたい」
「……リアライズのダメージが喉に集中したんだろう。それにしても……ユキアグモンは特に、神聖タイプのデジモンじゃないよな?」
「? その筈だけど……何で?」
「ホーリーリングをつけてるから、気になって」
「……あれ、本当だ。アグモンの亜種なのにどうして……」
「おーい皆! お話の前にお菓子食べようよー」

 みちるが呼ぶ。ユキアグモンは、ブギーモンを睨みながらも戻って行く。
 目の前に出された様々なお菓子。蒼太と花那は、まだ食べる気分になれない。柚子も食べようとはせず、自身の鞄からノートパソコンを取り出していた。ワトソンに持ってくるよう言われたものだ。

 窓の外を見る。ブギーモンの側には皿に入った水が置かれていて、ガルルモン以上に犬の様だ。
 コロナモンは庭へと降りた。ガルルモンと目線を合わせ、ブギーモンの側に寄る。

「……こいつには、何て?」
「全部話して協力すれば、命だけは助けるって。……それで、一応は話がついた」
「わかった。……ブギーモン、俺たち約束は守るよ。だから話してくれるよね」

 ブギーモンは相変わらずモゴモゴと、何かを言っているようだった。

「……今から口を自由にしてあげる。いい?」

 そう言うとコロナモンは、口元のガムテープを一気に引き剥がした。

「────ぶっ……っでえ……! このクソ野郎! よくもやりやがって殺してやる! てめえら殺してやる!! クズが! 死に損ないのクセによぉ!」

 口が自由になったブギーモンは、力の限り罵声を飛ばす。
 コロナモンとガルルモンは顔色一つ変えなかった。ユキアグモンが牙を剥いて威嚇する。ワトソンは少し呆れ顔だ。みちるは「うわ、口悪っ」と言って笑っていた。
 しかし子供達は恐怖に顔を引き攣らせ──体も硬直し、動けなくなった。声を聴くだけで震えが止まらない。

「……皆、絶対に部屋から出ないでね。コイツは俺たちに任せて」
「何が任せてだよカッコつけやがって!」
「その減らず口は、質問の時にいっぱい叩いてもらうよ。聞きたい事が山ほどあるんだ。
 最初にコロナモンが言ったろう。僕らだって命をかけてここまで来た。だから容赦なんてしない。……僕らに対して何かするのはまだ見逃す。だけどあの子たちに何かしようとしたら」

 ──そう言ったガルルモンの眼には、殺意が込められていた。
 目を隠されていても伝わる殺意。ブギーモンは苦い顔で黙ると、大きな音を立てて舌打ちをした。


 ガルルモンがブギーモンを地面に押し付ける。質問はコロナモンを中心に行うことになった。
 これなら死んでしまう心配もない。恐らくは逃げ出す心配も、手を出される心配もない。
 ……心置きなく、尋問が出来る。

「……子供たちをどうするつもりだった?」
「……」
「子供たちは、生きてるの?」
「…………死んでたらどうするよ?」

 声は掠れていた。

「……何言ってんのよあんた……!」
「柚子さん! 今は……!」

 怒りで立ち上がった柚子を、蒼太が止める。ブギーモンは口を歪めて笑った。けれどその挑発に、コロナモンは応えない。

「どっちなんだ。答えて」
「…………てめぇらに話して俺になんのメリットがあんだ」
「知っていることを話せば殺さない。ちゃんとデジタルワールドに送る」
「帰り方も知らねぇのにか?」
「お前は知ってるだろう?」
「……ここの担当が言いやがったんだな。で、話せばデジタルワールドに返すって? こんな身体で帰れってか? ハッ、それこそ鬼畜じゃねえか! 人間には甘いクセに同胞には随分と惨いことするもんだ!」

 ブギーモンは濁った声で笑う。

「……確かに、そうだね。今のデジタルワールドはきっと地獄だ」
「そうじゃなくてもだ。俺のいる所は、てめぇらがいたようなヌルい所とは違ぇんだよ! 変な所にデジタライズなんてされたら、それこそあっという間にロードされて終わりだ」
「……なら、現実性のある条件にしよう。お前の願いを一つ聞いてあげる。但しこの子たち──人間に手を出さない事が前提だ。それでどう?」

 その言葉に、ブギーモンの耳がぴくりと動いた。

「…………願い?」
「この場で出来る範囲で、お前がして欲しい事だ。手当てもそうだし、他にもあると思う。言ってみなよ。俺たち、約束は守るから」
「…………」
「どうする?」
「…………なら、水よこせ」
「質問に答えたらだ」
「……」
「ここには食べ物もあるよ。昨日から何も食べてないはずだ。体力だってもう……」
「……」
「だから答えて。子供たちは無事なのか。子供を攫った理由は何なのか」

 ブギーモンは口を噤む。しばらくの間、コロナモン達も口を挟まず見つめていた。
 捕獲された身体はすっかり渇ききっている。水分の消費も激しかった。──理由は主に汗だ。直射日光さえ当たらないものの、犬小屋の中はサウナのように灼熱だ。人間ならとっくに脱水と熱中症を起こして死んでいる。

 涼しい部屋の中、みちるがブギーモンの視界で水を飲む。喉を鳴らし、無い味の感想をわざとらしく述べながら。

「……」

 じわり。じわり。

「────ちっ」

 そしてブギーモンは、ひび割れた唇をようやく開いた。

「……。……仕事だ」
「それは答えじゃない。なんでその仕事をするのかだ。仕事の目的は?」
「…………儀式に必要だから連れて来いって命令だ。具体的に何をするかは知らねぇ」
「……儀式?」
「俺は答えた。先に水よこせ」
「……。……ユキアグモン、水持ってきてくれる?」

 するとユキアグモンではなく、みちるが元気な返事と共に立ち上がった。コップに水を入れてくると、怖じ気づく素振りもなく窓の外へ身を乗り出す。
 みちるからコップを受け取ると、コロナモンは中身をブギーモンの口に流し込んだ。

「…………ぬるい」
「答えてくれたら、次は冷たい水をやる」
「……」
「ねぇねぇ、次に黙ったら十秒ごとに口に土つめよーよ!」

 けたけたと笑い声。冗談でないと悟ったのか、ブギーモンの顔が青くなる。

「待っててアタシ庭降りるから。灼熱の泥団子でおままごとだぜ」
「! ……が、ガキ共は……俺らの城にいる筈だ! 死んじゃいねぇよ生きてる……!」

 生きている。──その言葉に、蒼太と花那と柚子は安堵の表情を見せた。

「ダークエリアの北の領地……その真ん中に城があるんだ! 言うから! だから変なことすんじゃねぇ!」
「えー、変じゃないよ飴と鞭だよぅ。ねえコロナモンくん?」
「あ、うん。まあ……。……それよりブギーモン。今の話、本当だね」
「なぁ、冷たい水くれよ……! 食べ物もだ……腹減って死にそうなんだよ……!」

 惨めな姿だった。
 喘ぐような命乞い。しかし事実、彼の体力も精神も限界だ。
 久しぶりに飲んだ水が、生への欲求を沸き立たせる。もう、意地やプライドが張れるような状態ではなくなった。

「仕方ねーですなー。ちゃんと洗いざらい吐いてよー?」

 今度はワトソンが氷水を持って来て、コロナモンに渡した。もう一度ブギーモンの口に流し込む。ブギーモンは必死にそれを飲んでいた。

「……全部だ。知ってることを全部。俺たちが納得できるまで」
「はっ、はぁっ……──ご、『ご主人様』から……人間の子供を攫って来るよう言われたんだ。最低ノルマは二人……集めたら選別して、その後に儀式するって……」
「ご主人様? ……選別とか儀式って──」
「待て待て! こっちも順を追って話すから……! お、押さえ付けられて苦しいんだ。離してくれよ……!」
「……ガルルモン、どうする?」
「いいよ。どうせ逃げられないんだ」

 ガルルモンがブギーモンの背中から足を離す。しかし疑う姿勢はそのまま、警戒を解くことはしない。

「それにしても、随分素直になったな。さっき僕が聞いた時は全然だったのに」
「……うるせぇ黙れ。こんな所で死にたくねぇだけだ畜生! プライドじゃ腹も膨れねえだろうが! ……俺は……全部終わったら、最後には帰りてえんだよ……!」
「……」
「でも今は駄目だ。このまま帰っても死ぬのは目に見えてる! だから……なあ、お前ら……約束守るって言ったよな!? お、俺を中に移せ。もうこんな所いたくねぇんだ死んじまう! 中に入れてくれ!」

「……嘘でしょ?」

 柚子は今度こそ、目の前の生き物が許せなくなった。

「いいわけないでしょ……!? あんた何言ってんの!? こっちが手出せないと思って調子乗らないでよ!!」
「うるせぇぞガキぃぃっ! てめぇこん中入ってみやがれ! どんだけ暑いと思ってんだ!? てめぇこそこっちが手ぇ出せねえと思って調子乗ってんじゃねえぞ!」
「あんたたちが最初からこんな事しなきゃよかった話じゃない! ふざけないでよ!! さっさと答えて皆を返してよ!!」

 立ち上がり窓際へ──行こうとするが、その腕をワトソンに掴まれた。

「……離してください」
「いや、わざわざ庭に出なくてもって思って。押し入れならスペースあるけど?」
「本気で言ってるんですか!?」
「ワトソンくん部屋入れるの反対だったくせに」
「前言撤回。要はボクらに手を出さなきゃ問題ないんでしょ」
「入れろ! 入れてくれ頼む! どこでもいいから……!」

 そう喚いてのたうち回るブギーモンを、ガルルモンはじっと眺めていた。──深くため息を吐いたのち、鼻先でコロナモンの背中を押す。

「……コロナモン、部屋に入れるから引き摺ってくれ」
「それは……大丈夫なのか?」
「このままだと本当に死ぬかもしれない。そうしたら話が聞けなくなる」
「……あなたたち……正気じゃない……!」
「……──ああ、僕らもそう思うよ。皆は、そこから少し離れてて」

 ガルルモンはブギーモンの頭を加え、犬小屋から引き摺り出す。
 その姿は悲惨だった。この真夏日に毛布に包まれ、入れられていたのかと思うと──まだ生きているのが信じられない。子供達は息を飲んだ。

 コロナモンが毛布の端を掴み、屋内までブギーモンを引っ張る。襲いかかろうとするユキアグモンを蒼太が止めていた。その間ブギーモンは暴れる事なく──部屋に入ると、身を包む涼しさに感動した。
 それからワトソンが手際よく押し入れを開け、コロナモンが下の段へブギーモンを放り込む。目隠しも毛布もそのままで暑かったが、外よりは断然涼しい。ようやく生きている実感を得られたと、ブギーモンは大きく息をついた。
 次に、みちるが台所から食パンの袋を持って来る。コロナモンがブギーモンの口にパンの切れ端を入れると、ブギーモンは必死に咀嚼していた。

「も、もう少し水……」
「脱水になってるならスポーツ飲料のがいいと思うけど。あ、みちる。扇風機あっち向けて」
「ちょっと! 甘やかさないで下さい!」

 柚子は苛立ちを抑えられなかった。蒼太と花那は未だ怖気づいた様子で、ガルルモンの顔の側に身を寄せていた。

「……ガルルモン。コロナモンあんなに近くにいて……噛まれたりしないかな。大丈夫かな」
「それにあいつ……ちゃんと全部話してくれるのかな」
「……大丈夫だ。多分ブギーモンも、すぐに自分の状況を理解できるから」

 どういうこと? と花那が首を傾げる。

「毛布の下にも鎖を巻いてるんだ。ろくに動けない上、あの狭いスペースに入ったらもう逃げられない。外のがまだ、逃げられる可能性があったのに。
 多分、奴も奴で限界なんだよ。だから……しばらくの間は、変なことも手を出したりもしないと思う。ブギーモンが忠誠よりも保身を優先するならね」
「……さっきから色々話してくれてるし、きっと自分の事の方がが大事なんだね。……でも良かった。これで手鞠たちのことがわかるなら……」
「ぎー! ぎー!」

 ユキアグモンは柚子の隣で威嚇し続ける。離さなかったら噛み付くぞと言わんばかりだ。

「もういいでしょ。水も食べ物もあげたんだから。早く話してよ!」
「……──ああ」

 ブギーモンは口の端から飲み物を垂らし、にちゃりと微笑んだ。




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