◆  ◆  ◆



「……まず、てめぇらが一番気になってる……とりあえずガキ共は無事……っていうのはさっき言ったか」

 自身の保身が約束された途端、悪魔は手のひらを返したように口を開き出す。

「デジタライズして、そこから問題なく城まで着けりゃあ、その後は地下牢にいる筈だ。少なくとも『選別』までは殺されねえ」

 ブギーモンの言葉には含みがあった。──城まで無事に着けないケースがあり得るという事だ。
 子供達にはその意味が分からなかった。だが、デジモン達には理解できる。ひとつは、道中で野生のデジモンに襲われた場合。

 そして──ウイルス種のブギーモンが、毒を浴びてしまった場合。
 迎え得る結末は、想像するだけでおぞましい。

「……なら、僕らが助けに向かうまでにタイムリミットがあるだろう。選別はいつなんだ?」

 ガルルモンの言葉に、ブギーモンは目を丸くさせた。

「……それ本気で言ってんのか? 本気で助けに行くつもりか?」
「もちろんだ」
「うわぁマジかよ……正気じゃねぇ。おめぇら無事だったんだろ? 無事に逃げて来られたんだろ? しかも死なねえなら、この世界で生きりゃいいじゃねえか。何でわざわざ死のうとするんだよ」
「俺たちは、──この子たちの友達だから。この子たちの日常を、取り戻すんだよ」
「……それだけの為に? ますます正気じゃねぇな」
「それでもいい。それに僕らは……他にはもう、何もない……」
「……ガルルモン。なあ、それってどういう──」

 蒼太の声に、ガルルモンは振り向かなかった。

「質問に戻るよ。その選別はいつなんだ?」
「……ご主人様が帰ってきたらって聞いたからな。俺らがこっちに来る……次の日から遠征する予定だった。順路がいつも通りなら約一ヶ月、最低でも二十日はかかる。
 選別の内容はまあ……名前通りだ。攫ってきたガキの中から優秀な奴を選ぶんだと。選んだ後は知らねぇよ。何人選ばれるのかもな。最悪ゼロってこともある」
「……意外と時間があるのか」
「なら、ガルルモン。なるべく早く対策を練って行こう。余裕は持った方がいい」
「……はぁ? バカじゃねぇのお前ら。時間差考えろって。向こうで一ヶ月ってことは、こっちじゃ大体五日だぜ?」
「……──え」
「そんな事も知らなかったのかよ。ははっ、学が無ぇなぁ」

 コロナモンとガルルモンの表情が凍る。
 ふと、テリアモンの言葉を思い出した。



 ────『すごいね。もう、半月もこの世界で生きてるなんて』



「…………あれは……そういう……」

 あの時から予感はしていたが──本当に時間差があったのだ。
 だが、その差が予想外に大きい。単純に考えればこちらの約六倍、向こうの方が時間の流れが早い事になる。

 それなら……早く手をつけないと、間に合わなくなる。

「デジタルワールドへの帰り方……!」

 コロナモンはブギーモンの頭を揺さぶるように掴んだ。

「急いで教えろ! お前の言う事が本当なら時間がない……!」
「……そう焦んなって。今日一日くらいは平気だろうし。いきなり行ったってどうするつもりだ? ……まあいいや。
 腕輪だよ。俺の右腕。それがゲートを開く装置になってて、俺ら専用のゲートが出てくる」

 ユキアグモンの金色のそれとよく似た、黒い腕輪が鈍く光った。

「……そのゲート、ブギーモンしか入れないのか?」
「そういうわけじゃねぇけど、俺らしか持ってないからな」
「それに……リアライズゲートを開けられるのは、神聖系デジモンか、それと同等のデジモンの筈だろう? お前はどう見ても……」
「さぁな。ご主人様が元々天使型デジモンだったから、作れなくてもおかしくねぇけど……まあ、正規のゲートじゃねえのは確かだ。ダメージが軽減されるゲートなんて普通じゃ有り得ねえ。作ったのはまた別のヤツなんだろうさ」

「……天使型……」

 ガルルモンの顔が翳る。

「とにかくゲートを開いちまえば、後は俺たちの領地の中か……外れても近くに出るようになってるらしい。
 そこから帰れるかは運だ。俺らの城は今んとこ、結界があるから守られてるが……運悪く領外に出て──まあ野生からは逃げられたにしても、毒にやられちまったらその時だな」
「……ねえ、さっきから言ってる『毒』って何?」

 柚子が疑問を零す。コロナモンとガルルモンの表情が揺らいだ。
 僅かに狼狽える様子に、蒼太と花那は気が付いたが──開き直ったブギーモンは喋るのを止めない。

「何って名前の通りさ。そうなっちまった時は運を恨んでくれ。俺たちゃ悪くねえ」
「……ふざけないでよ」
「ま、流石に三日以上かかるような場所には飛ばされねぇと思うけどな。……ご主人様はもう出発してる筈だから、今日行ったとしても向こうじゃ二週間くらい経ってるだろ? 最低でも残り一週間あるし、明日ならギリギリ大丈夫だろうさ。トラブルさえなけりゃな。あるだろうけどよ。一番やべぇのはやっぱ毒だよな。で、毒っていうのは──」
「──待て。……それは、僕らが話す」
「はぁ?」
「僕とコロナモンが、この子たちに伝える」

 毒の件は、二人が何よりも隠しておきたい事であった。巻き込みたくない事だった。……しかしこれも、もう隠してはおけないだろう。
 ガルルモンはコロナモンの顔を見る。コロナモンは、小さく頷いた。

「……なあ、コロナモン。……どこから話せばいいのかな」
「……」
「おい、俺言わなくていいならさっきの飲み物くれよ」
「ねー、ブギーモンっていうのは無駄口が減らない生き物なの?」

 蒼太と花那は何も言わず、ガルルモンとコロナモンを交互に見る。

「……先に、謝らなくちゃいけない。僕らは嘘をついてたんだ。色々、君たちに嘘を……」
「それは、知ってたよ」

 花那がガルルモンの鼻を、優しく撫でる。

「私も蒼太も、知ってたよ」
「でも二人が……意地悪で嘘、ついてたんじゃないことくらい……俺たち、わかるよ」
「……」

 ──ああ、そうだろう。君たちはそういう子だ。

「……──僕たちがここに来たのは、強いデジモンから逃げるためじゃないんだ」

 それも、知ってたよ。蒼太と花那は頷いた。

「僕らの世界は、デジタルワールドは……今、毒が広がってるんだ。触るだけでも死ぬ位、怖い毒だ。
 ブギーモンみたいなウイルス種は、死なない代わりに理性が無くなる。昨日、君たちが連れて来たデジモンもそうだった。……だから向こうに戻ったブギーモンが、途中で毒を浴びたら危ないっていうのは……そういう事なんだ」
「世界中に毒って……そのデジタルワールド、危ない工場でもあるの?」

 柚子はどうやら、学校で習った四大公害をイメージしているようだった

「いや。毒は、いつどこに現れるかわからない。いろんな場所に突然降ってくるんだ。……黒い水って呼んでるけど、正式な名前は僕たちも知らない。
 ……それが、僕らの里でも降って……、……それで……」

 ──その後の言葉が、出てこない。

「……。……」
「それで俺たち、逃げて来たんだ。……こっちの世界には毒が来ないから、逃げて来たんだ。逃がされたんだ。だから……理解、出来なかったんだよ。皆生き延びたくてリアルワールドに来た筈なのに……ブギーモン、お前たちはあの世界に戻って行った」
「仕方ねぇだろ。仕事だったんだ」
「それでもだ。命の危険がある仕事を遂げようとする忠誠心があるくせに、お前は今、こうして俺たちと話してる」
「今回の仕事にはある程度、命の保障があった。ゲートにしてもそうだし、余程のことが無けりゃ死ぬことはなかった。──ああ、今こうしてるのだって、想定外にも程がある」

「……──ねえ、黒い水って……昨日のも?」

 花那は、昨日公園で見つけたデジモンを思い出していた。
 コロナモンは頷いた。……二人の顔色が、段々と変わっていく。

「で、でも、二人とも……浴びてたよね……?」
「……うん」
「だ、大丈夫なんだよね? 死んだりしないよね……!? そんな……そんなに危ない事ならどうしてもっと早く……言ってくれなかったの……!?」
「……花那、僕たちは」
「死んじゃうかもしれないじゃない……!」
「……」
「でもでも花那ちゃん! 二人がそれでも生きてるってことはさ、もしかして二人だけ特別だったりして! 本当なら死んじゃうんだもんね?」
「違う。……違う、特別なんかじゃない。そんなわけがない。……僕たちは、ただ……」

 ────ただ、『彼女』に

「……」

 命を、救われただけだから。

「……なあ。さっき二人の里で、毒が出たって言ったけど……」

 蒼太は目を合わせない。俯いたまま、微かに声を震わせる。

「……その……。……お前らの、家族、とかは」
「……俺たちだけが生きて、ここに逃れた」
「……。……そっか。……ごめん」

 蒼太と花那の胸に、罪悪感が満ちていく。どんな言葉を選ぶべきか、わからなかった。

「二人とも、そんな顔しないでよ。俺たちの過去は、その……気にすることじゃないんだ。……それでも今まで、言えなかったのは……毒の件に二人を、巻き込みたくなかったから……」
「毒を受けて無事ってこたぁお前ら、やっぱりある意味特別じゃねえか。“洗礼”でも受けたか?」

 空気を読まないブギーモンを誰も、止めることができなかった。みちるは大げさに肩をすくめる。

「──ああ、受けたさ。僕らが無事なのは、生きていられるのは、そのお陰だ」
「なるほどな。そこの白いチビはどうだ。お前だよお前」
「ぎぃー!」
「まともに喋れねぇのかよ使えねーな。まあいいさ。……それだったらお前ら、向こう戻っても希望あるかもな。それだけピンピンしてるって事は、カス程度にゃ耐性があるってことだろ? 毒にやられた奴と戦えるってだけでステータスじゃねぇか。羨ましい限りだなぁ。こちとら一滴でも触ったらオシマイなのによ」
「……その毒、人間にはどうなの? 向こうには手鞠ちゃんたちがいるんでしょ? もし触っちゃってたら……」
「……毒には昨日、俺らも触ってます。でも今こうして何ともないから、多分……大丈夫だって思いたいけど……」
「……そっか。……よかった」

 柚子は立ち上がると、鞄の中からノートと筆箱を取り出した。ブギーモンの方へと向かう。コロナモンが止めるが、ギリギリまで近付いた。
 ノートとペンを目の前に落とした。

「紙とペン貸すから、あんたの城の中と周辺の地図。ここに詳しく描いて」
「はぁ!?」
「向こうに行った時に困るでしょ。描いてよ。毛布、外してあげるから」
「柚子! それは……!」

 危ないと、コロナモンが制止するのも柚子は聞かない。

「私……村崎さんや矢車くんと違って、あなたたちには今日会ったばかりだから。だからそんな思い入れもないし、気遣えないし、それに」
「──このままネガティブしてても進まないしね! いいね、キミのこと気に入った!」

 みちるはそう言うと、いきなり柚子の肩を抱いた。柚子は驚いて声を上げる。

「わっ! な、なんですか!?」
「スキンシップ! まー、ちょっとくらい自由にしても大丈夫でしょ? キミたちが全力で守ってくれるならね! 何かあったらワトソンくんがバットで頭かち割るよ!」
「それは自分でやってくれない?」
「お、おいやめろよ……! ここまで話したんだから……! めちゃくちゃ物騒じゃねえかこいつら! さっきから何なんだよ!?」
「じゃ、行くよー」

 ロールケーキのように巻かれた毛布をはがしていく。
 ──嫌なにおいが立ち込める。ワトソンが思わずやって来て、消臭剤の液体をブギーモンにかけた。

「!? くっせえ!!」
「そのうちいい匂いになるよ。あ、嘘。原液めちゃくちゃ臭いやこれ。
 ほら、柚子ちゃん離れてて。コロナモンくん、鎖外すの手伝ってくれるかな」
「……ちょ、ちょっと……君たち勇気あるね」
「皆は僕と庭へ。すぐ乗れるように側にいて。何かあったら避難させるから」

 ガルルモンは目に緊張感を取り戻し、身構える。子供達の顔は曇っていた。

「……ガルルモン、俺たち……」
「……僕は、だめだな。結局自分じゃ言えなかった。
 でも、ありがとう。打ち明けられて、少しだけ楽になった」

 こんな事を話してごめん。そう小さく付け加える。

「────」

 子供達は返事の代わりに、しっかりとガルルモンにしがみついた。



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