◆  ◆  ◆



「あの、ありがとう」

 鎖を外しながら、コロナモンはワトソンにそう言った。ワトソンはきょとんとした顔で「何で?」
「……俺たちを、前に進ませてくれたから」
「それをしたのは柚子ちゃんだよ。ボクじゃない」

 外した鎖を、今度はブギーモンの脚に巻く。脱走しないようにという、せめてもの対策だ。
 やや解放されたブギーモンは、律儀に絵を描き始めた。目と手が自由になったことを素直に喜んでいた。

「おーい、中入っておいでよー。大丈夫そうだよー?」
「……俺たちはいいです。ブギーモンをもう一度、ちゃんと縛ったら……中に戻ります」
「げ、マジかよ」
「当り前でしょ危ないんだから。それより早く描いてよね」
「ぎ! ぎ!」
「……チッ。……ところでお前ら、名前は? ダークエリアじゃ見ない種族だ」

 突然馴れ馴れしくなったブギーモンに、コロナモンは思わず眉をひそめた。

「……コロナモンだ。そこにいるのはガルルモン。それと──」
「あ、あの白チビは分かるからいい。ユキアグモンだろ? なんでユキアグモンのくせにホーリーリングつけてんだよ。……氷雪系デジモンもこっちに来てるってこたぁ、氷山エリアもうダメなのか? どこまで毒にやられてんだろうな。……あーあ。もしかしたら、こりゃあずっとここいた方がいいかもしれねぇなぁ」
「……ぎー」

 ユキアグモンがホーリーリングを見つめる。どこか、寂しそうだった。

「俺らの腕輪のベースも、そのホーリーリングって噂だ。本当かは知らねぇけど。……おら、描けたぞ」

 ブギーモンはペンを投げると、腕輪も外して放り投げる。

「……腕輪、いいのか?」
「てめーにやるよ赤チビ。俺ぁ決めた。向こうが落ち着くまで帰らねぇ」
「それじゃあもう完璧こっちサイドってことじゃん! 調子いいね! てゆーか絵が下手くそすぎてわかんないんですけど」
「うっせぇなこの野郎!」
「あ、無駄口たたいてもちゃんと手は出さない! ねえ皆コイツ使えそう!」
「言っておくけどな、口頭での協力はするが行動じゃ協力しねぇからな」
「……いいよ、別に。あんたのことなんて縛っておけばいいんだから」

 柚子はブギーモンを睨みつけながら、転がったペンを拾い上げた。

「それより口では協力するって言ったんだから、質問にはちゃんと答えてよね。……じゃあ早速だけど、これからのこと……」
「お、おいおい……そんな怖い顔すんなって! 冗談だ俺も仲間に入れてくれよ! ……そうだ!」

 ブギーモンは、柚子に手を差し伸べた。

「な、何!?」
「待て待て! 別に今更ケガさせたりしねえから! 怖がんなって……な?」

 そう言ってまた、にちゃりと笑う。

「仲直りだ! ほら、握手!」

 晴れ晴れとした笑顔。清々しい笑顔。わざとらしい様でブギーモンは、自身に敵意が無い事をアピールする。

「俺ぁ、つい口が悪い方に滑っちまうんだ。これまでの事、悪かったって。ちゃんと行動でも協力するからよ!」
「……本当に?」
「ああ、マジだって! だから握手だ。指切りでもいい! ちゃんと約束しようぜ! その方が安心だろ!?」
「…………」
 柚子は訝しむ。しかし実際、この状況でブギーモンが自分を攻撃するとも考え難い。だから──恐る恐る、そして渋々手を伸ばした。
 ブギーモンは笑顔でその手を──

「──リトルブリザード!!!」

 ……触れる前に、氷の塊がブギーモンの手を薙ぎ払った。

「! っでえ!」
「グルルル……!!」

 ユキアグモンはもう一度氷塊を、今度はブギーモンの顔にぶつけた。事態が把握できず、柚子はぽかんと口を開けている。
 しかし、ユキアグモンの行動で何かを察したコロナモンとガルルモンは──咄嗟に警戒体勢へと入っていた。

「あ、あの、あの……」
「柚子ちゃん、こっちおいで」
「わ、ワトソンさん、私、殺されるところだったんですか……!?」
「そんな事しねぇっつってんだろ! 何なんだよ! おい!」
「ぎぃーっ! だめ! お前今……その子ど『繋がる』づもりだっだ!」

 ユキアグモンは唸る。ブギーモンは冷や汗を滲ませ、心底悔しそうに舌打ちをした。

「……ッ! てめぇ……知ってやがったか……!」
「ユキアグモン、どういうことだ!?」

 コロナモンはユキアグモンに目を向ける。ブギーモンの腕に爪が食い込み、血を滲ませた。

「お前……っ! この子に何しようとしたんだ!」
「……」
「言え! 言わないなら腕を焼く!!」
「! ちょっ……待ってくれ! そこまでされるような事は……」
「ごの子にはぎっど、ぢゃんどしだパードナーがいる! でもお前じゃない! それは絶対お前じゃない! ぎー!」
「……! 早く言え! 隠してる事がまだあるだろ! 焼かれたくないなら……!」
「わかった! わかったから……!」

 コロナモンとワトソンの手によって、ブギーモンは再び腕を拘束される。

「……“パートナー”?」

 ガルルモンの足に抱き着きながら、肌に感じる刺激をもう気にすることもなく──花那は、小さく呟いた。



◆  ◆  ◆



 悪魔に触れる寸前だった手を、柚子は見つめる。
 殺されるところだったのかと──実際は違うのだが──勘違いし、怯えながらワトソンの背に隠れていた。

「ユキアグモン……君は、今のが何か知ってるんだね」

 コロナモンの問いに、ユキアグモンは鳴いて答える。

「ぎぎ。ゴロナモンは、どっぢ?」
「? 何が?」
「そーだと、がな。最初に触っだの、どっぢ?」
「…………」

 思い出す。
 あの廃墟で、最初に感じた温もり。

 倒れている自分の手を、取ってくれた時のこと。
 倒れている自分を、ずっと看病をしてくれていた時のこと。

「……俺は、蒼太だった」
「僕は花那だ。……多分」
「ビリビリしだ?」
「……? それって……」

 最初に手を握られた時に感じた、電気の走るようなあの感覚。

「今もしでる? 少しだげになっでるど思うげど、ぎぎっ」
「し、してるよ。私は、今も……」

「──そいつは、パートナーになった証拠だ」

 ブギーモンが面倒臭そうに口を開いた。柚子がびくりと体を震わせる。

「……デジモンと人間が接触すると……人間の中の電気信号っていうのか? それが触った所からデジモンに流れるんだと。仕組みなんざ知らねえが、そうすりゃデジモンと人間とが同調するんだとよ。
 ただ──互いに触れることを望まねぇと成立しない。大体は心を許してから互いに触るだろ? だから『パートナー』なんだ」
「でも一人だげ。パードナーは決まっだらもうその人だげ。特別な存在だから!」

 ……コロナモンは蒼太を、ガルルモンは花那を見る。
 お互い、どこか戸惑いを隠せなかった。

「じゃあ……私とそのパートナーになろうとしたわけ!? 冗談やめてよ!」
「おいおい傷つくこと言うなよ」
「他意でもなきゃ私なんか選ばないでしょ!? 私があんたを嫌がるのなんて、わかることじゃない……!」
「……それは、」
「生ぎ残れる」

 ユキアグモンはブギーモンを睨みつけた。

「同調は、強ぐなれる。デジモンの弱い部分、補ってぐれる。体力も戻る。だがらリアライズして、すぐにパードナーを見つげないと……おでたちは生ぎられない」

 負荷に耐えきれずに死んでいく。──蒼太とコロナモンの中で、テリアモンの最後の表情が浮かんだ。

「でもお前、違う。リアライズしでも、ずっど一人でも大丈夫だっだ。だがら本当はいなぐでも大丈夫なのに!」
「ああ、なるほど。死ななくても力が戻らなきゃ、逃げるのも帰るのもできないもんね」

 ワトソンは柚子の背中を押し、椅子に座らせた。

「よかったね。運命の相手があいつじゃなくて」
「……あ、あの……」
「じゃあ、続き頼むよ」
「……」
「お前せこい! ていうかキモい!」
「こ、こっちだって必死なんだぞ!? 今は無事でも、この先が大丈夫かわからねえんだ! 危害加えないって約束するからよぉ誰か……! お前らのどっちかでもいい! 頼む!」
「お断りでーす。臭いし!」
「うっ……うるせぇな誰のせいだと……!」
「……じゃあ、誠司は……ユキアグモン、お前のパートナーなんだな」
「…………ぎー」
「それで、俺のパートナーはコロナモンで……」
「私はガルルモン……」

 少し嬉しそうな二人だったが──その一方で、コロナモンとガルルモンは嫌な予感を覚えていた。

「……もしかして、お前たちが子供たちを攫ったのは……」

 コロナモンの言葉に、ブギーモンはわざとらしく肩をすくめてみせる。

「こんな状況だからな。ご主人様がパートナー見つけようとしてんなら話は分かるし、臣下の分も考えて攫ったならそれも分かる。でも、わざわざ儀式なんてものをする理由は分からねぇ。選ばれたガキがどうなるかもだ。……ああでも、もし俺ら全員にパートナー作って強化するためなら、ガキ共は死なないかもな。良かったなぁお前ら」
「……それでも、手鞠ちゃんたちが危ないのに変わりはないでしょ。そのデジタルワールドって場所、どうやって行ったらいいのよ」 「同じさ。もう一度こいつを使えばいい。ただ使用限度がある。不備を考えて三回って聞いてるから……お前らが行くので一回、帰るので一回だ」

 つまりチャンスは一回きり。やり直しは、許されない。

「まあ、向こうで仲間たちが持ってるだろうから、最悪奪えばいいんじゃね? ……それにしてもお前ら、行くのはともかくどうやって連れて帰る気だよ。いくらご主人様と精鋭隊がいないからって相当人数はいるし、ガキ共だって下手すりゃ三桁いるんだぜ? こっそり連れてくなんて無謀すぎんだろ」
「……三桁……!? 待ってよ、手鞠と誠司くんと……他に何人連れてったの!?」
「具体的にゃ知らねえけど、言ったろ? 一体につきノルマ二人。俺たちゃ六十人でこっち来たんだから」

 ──六十体。
 単純に考えれば、攫われた子供達は百二十人。そんな集団、連れて帰るだけでも簡単ではない。

 その上、相手の数が多すぎる。コロナモンとガルルモン、二人がかりでようやく一体を倒せたというのに──。

「怯むなコロナモン。こっちも一人増えた」
「……それでも気休めにしかならない。……俺とユキアグモンは成長期だ。まともな戦力は、ガルルモン……お前だけなんだから……!」
「……。……お前たちの城の奴ら……強さはどのくらいだ? ご主人様って言うのは……」

 すると、ブギーモンはニヤニヤと笑う。自慢げに、誇らしげに、もう自分は戻らない場所のことを語る。

「成長期なんて雑魚いねえよ。部下は全員成熟期だ。おめぇらが強い成熟期三体だったらまだしも……さすがにこのメンツじゃなぁ。
 そんでもって俺らのご主人様は完全体だ。ちゃんと作戦練ってから行かねぇと無駄死にするぜ? 行かないっていうのも懸命な手だと思うけどな、俺は」



◆  ◆  ◆



「単純に考えて、ゴリ押しは無理だね」

 ワトソンはブギーモンの描いた絵を、別の紙に綺麗に描き直していた。

「キミたちより強いんでしょ?」
「ちょっと、元気だしなよー。なんとかなるってー」

 ──元気など出せる筈がない。
 圧倒的な戦力差に、コロナモンとガルルモンは言葉を失っていた。

「……コロナモンたちはあいつらと違う。俺たちがいるよ……!」
「そ、そうだよ……! 私たち、いっぱい二人と一緒にいたんだよ。それで強くなってるなら、もしかしたら……!」
「……ユキアグモンとブギーモンの話通りなら、僕らがパートナーになったのはあの日からだ。……ずっと繋がってたのに、二人がかりにならないとブギーモンを倒せなかった」
「気休めかもしんねぇけど、向こうに戻れば力も戻るかもしんねえぞ?」
「それはお前たちだって同じだろう」
「確かになぁ」
「で、でも、でも……それなら……向こうの世界でも私たちがいれば、もっと強くなれるんじゃ……」
「連れて行く!? そんなことしない……! そんな危ない事、するわけない!」

 コロナモンが声を荒げた。子供達は、びくりと体を震わせる。

「……この世界でさえ、ゲートから来るデジモンのせいで安全じゃなくなってる。けどデジタルワールドはもっと酷いんだ。そこに連れて行けると思う? ……昨日みたいな奴がたくさんいるよ。毒だけじゃない、そもそも生存競争だって激しいんだ」
「…………で、でも……皆はそこで生きてるんでしょう?」
「君たちは人間だ。僕たちとは違う。爪も炎も無い。戦えるようには出来てない……!」
「……」
「ねーねー。アタシはそれ、賛成なんだけど?」

 遠慮なしにみちるは手を挙げ、返事を待たずに理由を述べた。

「ぶっちゃけ生存競争うんぬんって、その辺の野山での話じゃないの? ブギーモンさん家の敷地に入れば問題ないんじゃないんです? あと……」

 少し困ったように、首を傾げながら

「子連れならともかくキミ達だけじゃ、行った瞬間に殺されると思うんだけど!」
「「……」」

 ──コロナモンとガルルモンは、言い返せなかった。

「キッズと一緒にいれば、うまくすれば中に入れてもらえるかもよ?」
「そんな……もし失敗したらどうするのさ! そうなったら俺たちだけじゃ済まない。蒼太と花那が帰れなくなるんだよ……!」
「リスクはあるけど、ボクも賛成。危なくなったらその腕輪で逃げようよ。友達だけなら連れ帰れるかもしれない」
「だめだ。それでも危険すぎる。……それに誘拐の目的がパートナー探しなら……僕らと繋がっているこの子たちは……」

 パートナーとなり得る人間の確保が目的だと仮定して──既に繋がりを持った蒼太と花那、そして誠司は、ブギーモン達にとって価値のない存在。生かしておく必要のない対象となる。

「……じゃあ、パートナーが決まってない人のがいいってこと? 私たちじゃなくって……」

 デジモンと未接続の子供──という事ならば。蒼太はワトソンとみちるに目を向けた。

「え、ボクやだよ」
「アタシも行くのやだー」
「……あなたたち、矢車くんや村崎さんには行った方がいいとか言っておいて、自分は行かないつもりだったんですか?」
「だって、アタシらじゃコロちゃんガルちゃん強くできないし?」
「それってずるいじゃないですか……! ……それなら、私が……!」
「でも、もし柚子さんが捕まって、無理矢理パートナーにさせられたら……ブギーモンが強くなる。そうしたらもっとヤバいですよ」

 蒼太の懸念に、柚子は「そうだけど……」と唇を噛んだ。
 それから、沈黙が続く。──やがて花那が俯いていた顔を上げ、意を決したようにブギーモンを見下ろした。ブギーモンは、ニヤニヤと笑っていた。

「……ガルルモンもコロナモンも……ここまでしてくれるの、『友達だから』って言ってくれたよね。二人は私たちの為に、死んじゃうかもしれないのに。……でもね、私たちにとっては二人だって友達なんだよ。だから……」

 言いながら、手は震えていた。

「だから、……私……」
「俺も一緒に行くよ」

 その手を、蒼太が強く握った。

「俺と花那で、二人と一緒にデジタルワールドに行く。コロナモンとガルルモンを強くして、誠司や宮古を、皆を助けるんだ」

 コロナモンは愕然とした。ブギーモンはやはり、ニヤニヤと笑っていた。

「……俺たちは……。……俺は、強くないんだ。これまでだって、守りたいものを守れなかった……! ……向こうで二人を守り切れるか……正直、不安なんだ。巻き込みたくない。もう死なせたくないんだよ……!」
「俺たちがついて行くせいで、お前たちの負担が増えるのも……足手まといになるのだって、わかってるんだ。でもこんな所でさ……確かに時間の流れは、ここで待てばあっという間なのかもしれないけど……待つだけなのは嫌だよ。
 花那だけ行かせることだって絶対にしない。こいつは昔からの……俺の、一番最初の友達なんだ」

 一番最初の友達。

「……」

 ──ふと、思い出す。
 果てしなく続く黄昏の荒野。最初に目を覚ました、あの時。自分の側にいてくれた────

「俺たちにだって一つくらい出来ること……あると思うんだ。だから頼むよ……!」

 二人の目はしっかりと、それぞれのパートナーを見つめていた。
 その姿が何故か、自分達と重なったような気がして、

「……守り切るしかないんだ。コロナモン」
「ッ……。……でも……ガルルモン。きっと、これまで通りにはいかないよ。もし連れて行くなら、この子たちを──いざという時、すぐに帰せる手段でもなきゃ連れて行けない」
「その為にブギーモンの腕輪がある。もしもの時は、この子たちだけでも」

 生きて帰そう。それで自分達が犠牲になったとしても。
 ダルクモンが繋いだ命。大切なものを守る為なら──彼女もきっと、わかってくれるだろうから。
 そう思うのは、残された者のエゴだと分かっていても。

 コロナモンは観念したように肩を落とした。不安で胸が引きちぎれそうになった。
 それでもガルルモンの眼差しから感じる強い意志に──頷くしかない。自分も、覚悟を決めなくては。

「……。……──わかった。……わかったよ……。……ああ、皆で友達を助けよう。
 けど約束だ。絶対に死なないって、生き残るんだって、約束してくれ。絶対にそれを遂げてくれ」
「……それじゃあ、デジタルワールドでの作戦を練ろう。皆が、生きてここに帰れるように」
「「────はい!」」

 許してもらえた事を、少しだけ喜ぶように──蒼太と花那は大きく返事をした。


 その時



『──────────ザザッ、ザ────ザッ──────』



 ついていない筈のテレビに、突然砂嵐が映り出した。




◆  ◆  ◆



 → Next Story