◆  ◆  ◆



 突然の怪異現象。
 誰より大きく声を上げたのは、怖いものが苦手な花那だった。

 咄嗟にガルルモンにしがみつく。柚子も驚いて、椅子から転げ落ちるように離れた。コロナモンとユキアグモンが構え、ガルルモンが威嚇し唸る。
 柚子は腰が抜けたのか座り込んでしまい、テレビから離れることが出来なかった。みちるとワトソンは動かず、興味深そうにテレビを見つめていた。

 砂嵐の音に混じり、テレビ画面を埋めていくのは──見覚えのある緑の光。

 リアライズゲートだ。
 こんな閉鎖的な場所でデジモンが出てきたら────

「お、おいおいおい! 俺ぁどうすれば……!」
「……っ声出さないで隠れてろ!」

 コロナモンが押入れの戸を急いで閉めた。──すぐに体勢を戻す。未だ動けない様子の柚子の背を窓際へ押した。
 身構える。相手が敵でないことを祈りながら、デジモン達はゲートを睨みつける。

『ザ──────ザザッ、ザ────ザッ──────ザッ「ピリリリリリリリ!」

「!?」

 柚子の携帯電話が鳴り出した。
 全員が一斉に柚子を見る。慌てて取り出すと、画面には“非通知設定”と表示されていた。

「……なにこれ……」

 こんな時に、誰が。

「柚子! コロナモンにそれを渡し────」

 震える指でボタンを押し、恐る恐る耳に当てた。

「……もしもし?」
『ザ────────ッ、ガガガ、ザッ、ザザザーッ、──ロロロロロロ?』
「……え?」

 光が消えていく。それに合わせて、テレビの砂嵐もフェードアウトするように消えていく。

「な、何……!?」

『ロロロロ────────ハロー?
 ハロー? 聞こえマスか? 喋れテいますカ? ワタクシは分かりマスか?』

 聞こえてたのは女性の声だった。機械音が混ざったような、ひどく訛りのある日本語で。
 それは周りにも聞こえていた。コロナモンがハッとして、柚子から電話を奪い取る。

「……君は誰? デジモンだよね?」
『ヤー、ウィ、■■より、人間界リアルワールドへ。デジモンとそのパートナー達へ。
 ────。オーケー。接続は正常に行われまシタ』
「……接続……?」

 電話が切れる。するとテレビの砂嵐が消え──強い光を放ち始めた。

『コチラをご覧くだサイ。ええ、皆様。ハジメマシテ。ワタクシは、────ウィッチモンと申しマス』

 鮮明になるテレビ画面。
 映っていたのは、真紅の服と大きな帽子。女性のような姿のデジモンだった。



◆  ◆  ◆



『ワタクシは、あなた方の敵ではありまセン』

 画面の中の女性──ウィッチモンは言う。
 その姿は一見、本当に人間の女性のようだった。しかしよく見ると顔の造形は人間離れしており──その点、ダルクモンの方が人間には近かっただろう──肘から先が指先までが長く肥大していた。

「おいおい……ウィッチモンってこたぁお前、ウィッチェルニーのデジモンじゃねえか!」

 押入れの中から濁声が漏れる。コロナモンとガルルモンは知らないといった顔で画面を向くと、ウィッチモンは笑顔で頷いた。

『ええ。我々ウィッチモンはウィッチェルニー……別次元にあるデジタルワールドからやって来まシタ』

 画面の向こうで、ウィッチモンは恭しく一礼した。

『ソレはあなた方のデジタルワールドとは違う場所。亜空間を何層も挟んだ世界。近くて遠い世界』
「……そのウィッチェルニーでは、僕らのデジタルワールドと同じことが?」
『いいえ。此方にはまだ。けれど、いずれは。──其方で何が起きテいるのかは把握シテいマス。ワタクシは調査に来たのデス』
「調査?」
『毒がどれだけ広がッテいるのか。デジタルワールドの状況はどうなッテいるのか。……我々ウィッチェルニーの魔術師には、天使型のように正規のゲートを作り出せる力が無い。今まではデジタルワールドの神聖デジモン……協力者を経由し往来しテいたのデスが。その者達が先日、毒で狂化したデジモンに殺されまシタ。
 調査を続行しようにも、力不足のワタクシでは亜空間に出るのが精一杯。これではデジタルワールドの情報が集められまセン』
「毒は次元を越えらんねぇのに、なんでわざわざウィッチェルニーから出ようとすんだよ。引きこもってりゃいい話じゃねぇか」
『あの毒は我々デジモンにとって総じて毒なのデス。次元が多少異なるとは言え、デジタルワールドである事に変わりはない。……我々の小さな世界が浸食汚染さレルのも時間の問題デス。
 だからワタクシは此処に出て、この半電脳空間を浮遊シ、リアルワールドの情報を集めていまシタ。──そして、ヤマブキユズコ。貴女を見つけタ』
「……私……!?」
「じゃあ君は、偶然リアライズしたんじゃなくて……柚子がいる僕らの場所を選んだのか?」
『現状、デジモンの存在を認知しながら、けれどフリーの状態にある人間は限られテいまシタので』

 だから、柚子を選んだ。まだパートナーを得ていない、人間の子供を。

『……何度かアクションを起こしテみたものの、なかなか気付いてもらえず……傍で身を潜めテいたのデスが。思いもよらない収穫、情報を得られまシタ。
 皆様、デジタルワールドに戻るなら協力シテいただけまセンか? あなた方が見聞きした情報を、ワタクシに与えてくれるだけで良いのデス』

 そう、真剣な顔で──ウィッチモンはコロナモンとガルルモンに視線を向ける。この場での決定権は彼らにあると判断したのだ。

「……俺たちの情報を、あげるだけでいいの?」
『勿論、ワタクシもそれなりのお礼はいたしマスわ』
「……。……ウィッチモン、僕らは君という種族に初めて会った。だからまずは君の情報から教えてくれ」
『魔人型のデータ種。世代は成熟期。……デスが、戦力とシテはあまり期待をされまセンよう。残念な事にウィッチェルニー以外では全力で戦えないので』
「わかった、ありがとう。……僕らが君に協力するのは構わない。でも事態が事態だ。こちらにもメリットが欲しい」
『承知していマス。しかし前提とシテ──皆様に協力する為に、このリアルワールドでの生存を獲得する為に、ワタクシはパートナーを得なければなりまセン』

 そう言って、ウィッチモンは柚子へ視線を戻す。

『その前提に加え、ブギーモンの協力を得られるのなら。此方からデジタルワールドへのコネクト、及び現地でのナビゲートが可能でショウ。──皆様がオーケーを出してくださるものと思い、提案をしていマス。外部からの援助に留まるとシテも、今の皆様は必要な筈』

 けれど、もし柚子がパートナーとしての接続を拒否する場合は仕方ない。互いの同意が必要条件である以上、無理強いをしても意味が無い。

『──その場合は、残念デスがお別れデス。ワタクシはリアルワールドの電子空間を浮遊し続け、いずれ耐え切れず死ぬでショウ。けれど、ええ。それはそれで仕方無い。運命だッタと諦めマスから』

 目の前のデジモンを、生かすか殺すかは柚子次第。
 あまりに卑怯な言い方だが、ウィッチモンにとってはそれが現実だった。

「……死ぬかもしれないってわかってたのに、私の所に来たの?」
『ええ。きっと叶うと願い、ワタクシは賭けた。……損はさせまセンよ、レディ。少なくともそこのブギーモンに比べれば』
「んだとてめぇ! この俺に文句あんのか!?」
『其方の二人の子供は、デジタルワールドに行くと決めまシタ。貴女はここで待ちマスか?
 それも一つの選択でショウ。全てが終わるのを待ち、彼らの帰還を祝う事も大切な役割デス。しかし──その目で見届けたいのであれば』

 現地よりも少しだけ安全な場所で、戦う彼らを支援する事が出来る。
 画面の向こう、この怪しげなウィッチモンと、パートナー契約を結ぶのなら。

「わあ……柚子ちゃんがどうしてここにいるのか知ってて言ってるんだー。いいキャラしてるね! キミも気に入った!」
『アリガトウございマス』
「…………」
「お、おい、なら俺とパートナーになれよ! 城の中だったら俺のが詳しいんだ!」
「あんたとだけは絶対に嫌!」
「……ウィッチモン。現地で俺たちをナビゲートするって……具体的にはどうやって?」
『現地ではワタクシの使い魔を同行させマス。ワタクシ自身が強化されれば、それが可能となりマスので。使い魔の視覚、聴覚情報、熱源探知機能から、周囲の状況を解析致しマショウ』

 ──デジタライズに成功して、すぐに城に到着するわけではない。野外での不用意な戦闘は極力回避するべきだろう。ウィッチモンはそれを理解しているからこそ、自身の利用価値を必死に売り込んでいく。

『ワタクシが提供できるのは以上デス。……どうされマスか?』
「お、おい! 魔女の言葉なんかに騙されんな! おいガキ!」
「ゆーてアンタ悪魔だけどね!」
「ていうか似てるよね赤いあたり。ぶっちゃけどっちもどっちなんじゃないの?」

 柚子は赤い二人を交互に見つめ、それから蒼太と花那に目をやった。

「あなたたちは行くんでしょ」
「……はい。私たちは行きます。でも、柚子さんは」
「……手鞠ちゃんがいなくなったの、私のせいだから」
「それは柚子さんのせいじゃない……! 家に帰ってても、攫われてたかもしれないのに……」
「……」

 自身を売り込むウィッチモンの事を、柚子は不快に思わなかった。彼女なりに生き残ろうとしているのだと、けれど相手を蔑ろにしているわけでもないと、感じていたからだ。
 それに、自分も────ただ待つだけは、嫌だから。

「……──ウィッチモン」

 テレビの前に、近付いて行く。

「力を貸してウィッチモン。私はどうすればいい?」 『どうぞ、手を』

 硝子の向こう側のような画面の中。掲げられた大きな掌に────柚子はそっと、手を重ねる。
 薄緑色の光が、放たれた。


『──────アリガトウ。契約は成立です。ワタクシのパートナー』


 気付けば、目の前にはさっきまで画面の向こうにいたデジモンが。
 柚子の手をしっかりと握り、もう一方の大きな手で抱擁していた。



◆  ◆  ◆



 その身に感じる電気的な刺激感。ウィッチモンは安堵したように、噛み締めるように目を閉じる。
 ようやく柚子を離すと、柚子は力なく座り込んだ。

「……な、何、今の……」
「──さて、ここのリーダーはガルルモン?」

 若干の笑みを残したまま振り向く。ガルルモンは首を振った。

「そんなものはないよ。作る必要もない」
「わかりマシタ。では皆サン、出発はいつになさいマス? 今すぐ、というわけにはいかないでショウ。かと言ッテ新しく仲間を探す時間も無いデスし」
「……急いだ方がいいけど、少なくとも今日はまだ時間があるらしい」
「うん、その筈だ。そうでしょブギーモン」

 コロナモンが押入れを開ける。ブギーモンはとても悔しそうに、こちらを睨みつけていた。

「……僕らはいつでも行けるし、ここを不在にしたって問題はない。問題はこの子たちだ。……助けられるまで、どれだけ向こうで過ごす事になるか……」
「……そ、そっか。俺たち、しばらく家に帰らないんだもんな。デジタルワールドって、こっちの六倍早いんだっけ?」
「ああ。もしデジタルワールドで三日かかったら、この世界では最低でも半日はいない事になる」
「向こうで俺たちがどう動くかでも変わってくるけど……それより長く帰れない可能性だってゼロじゃない。……君たちの家族だって、きっと心配する」

 その言葉に、蒼太と花那は目を伏せる。

「……ママやパパに、何て言って出てくればいいんだろう」
「……うん」
「なら、キミ達も誘拐された事にしたら?」

 ワトソンの一言に、全員が驚いて顔を上げた。

「そ、それはいくらなんでも……!」
「だって蒼太くん、これが一番都合が良いよ。無断外泊しても怒られない」
「それに今から帰ってママとパパの顔見たらさ、行きたくなくなっちゃうかもしれないじゃん? てか、最後に親の顔見て行くのはフラグだって! 危ないって!」
「一理あるね。それに『もう今日は出かけるな』なんて見張られたら終わりだ」
「この部屋ごと亜空間に結合し拠点としまショウ。ユズコもしばらく滞在する事になりマスから、それなりに身支度をした方ガいいかもしれまセン」
「ま、待って、待って皆」

 コロナモンが手を挙げる。蒼太と花那が、うまく事態を整理できなくなっていた。

「順番に決めてこう。じゃないと混乱する。……まず、みちるとワトソンはどうするつもりなの?」
「ボクらは……どうする?」
「柚子ちゃんとセットでサポートします!」
「え!?」
「だって人間が柚子ちゃん一人じゃ可哀想じゃない? あと食べ物の買い出しとか、パシられ要員いるじゃん?」
「よし、決まりだ」
「あ、あの……」
「わかった。じゃあこの部屋で、柚子とウィッチモン、みちるとワトソンが俺たちの援助に回る……ってことでいいね」
「ユキアグモンは僕らと一緒だ。現地で戦力になってくれ」
「ぎー!」
「それと……今日は皆、やっぱり一度家に帰った方が良い。夜ゆっくり休んで……朝に僕らが迎えに行くから。ちゃんと準備をしておいで」
「わ、わかった。でも俺の母さん早起きだから……六時より前には来た方がいいかも」
「では念の為、夜明けに合流開始、この場所で集合し、出発としまショウ。ユズコはワタクシが抱いて飛びマスので、ガルルモンは二人をお願いしマス」

 ガルルモンは頷くと、改めて子供達の顔を見る。戸惑ってはいるようだが、全員異論はないようだった。

「……じゃあ、皆また明日、ここで。ガルルモン、皆を送ってあげて。今度は俺がブギーモンを見るよ」

 コロナモンとユキアグモン、みちるとワトソンを残して、子供達は外に出る。
 ガルルモンは子供達を背に乗せると、垣根を蹴り上げ屋根を越えて行った。



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