◆ ◆ ◆
「──じゃあ、持ち物確認。蒼太から」
それはまるで、遠足の前夜のような光景だった。
子供たちは不安に胸を膨らませたような表情で、床に広がる荷物を眺めている。
同じ部屋ではなく、電話越しに。こっそりと支度をしていた。
「……あまり、というか、少ない方が良いよな。荷物」
「そうだね、多分……」
「……向こう、寒いかな」
「一応、上着持ってく? 水筒はあったほうがいいかなって」
「そうだね。お菓子も少し持ってこうか。向こうの食べ物、何あるかわかんないからなー……」
「……そういえば、コロナモンもガルルモンも……ブギーモンも、何でも食べられそうだったよね」
「じゃあ、意外と何でもあるのかもしれないね」
「うん。……」
「…………なあ、花那」
「何?」
「向こうに行くの、楽しみに思う?」
「……。……ううん」
「怖いと、思う?」
「……そんなの、……当たり前だよ」
「俺も、怖いんだ。正直」
「……。ごめんね。さっき、あんなこと言っちゃって」
「花那は……凄かったよ。よく言ったなって思う。……行くのは怖いけど……でもやっぱり俺らだけ、見てるわけにはいかないよ。責任とかヒーローだとか、そういうのじゃなくてさ……何て、言えばいいのかわかんないけど……」
「……蒼太はいつも優しいなぁ」
「え、何で?」
「何でもない。ありがとう」
「……お礼、言われるようなことしてないよ」
「ねえ、今夜の宿題。私たちも何が出来るか考えておこうよ。ひょっとしたらお城の中で……私たちにしかできない事、あるかもしれないよ」
「……俺たちにしかできないこと……ユキアグモンが言ってたみたいな?」
「パートナーのこと?」
「うん。強くなれるってやつ。……俺たちにもできるかな。あいつら、めちゃくちゃ強くしてあげられるかな」
「それができたらきっと、上手くいくよね。……もし皆を助けられて、毒とかもなくなったらさ。私たちと強くなった皆で、少しでいいから旅とかしてみたいな……」
「……ああ、本当に。そうなりたいなあ」
『花那ー、花那ちゃーん、ごはん出来たよー』
「…………じゃあ、切るね。また後で」
「うん。また後で」
電話を切る。程なくして蒼太も、両親から夕飯に呼ばれる。
そして二人は、普段と変わらない夜を過ごした。
夜が更ける。
家族におやすみを言って、部屋に戻る。
明日は日曜日。親が起きるといけないので、目覚まし時計は設定オフ。
代わりに、コロナモンが起こしに来てくれるらしい。だから窓には鍵をかけないでおく。
不安と緊張で眠れないのではないかと思ったが、身体は疲れ切っていたようで、ベッドに入ると途端に眠気が襲ってきた。
夢は見なかった。
────朝が来る。
鳥のさえずりと共に、親ではない誰かに身体を揺さぶられる。目を開けると、コロナモンが蒼太の顔を覗き込んでいた。
窓の外では、箒に乗ったウィッチモンが浮いている。家の下では既に、花那を乗せたガルルモンが待っていた。
蒼太は慌てて起き上がり、こっそり着替えて支度する。ウィッチモンの手を借りて窓の外へ出た。
おはよう、と。いつものように挨拶を交わして、ガルルモンに乗る。
ガルルモンは駆け出した。子供達は振り向いて、未だ眠る家族に「いってきます」を告げながら。
◆ ◆ ◆
「おはよう諸君!! えっと、大家さんの部屋使ってるのバレたらアウトなんて、やっぱりアタシらのお部屋にします!」
みちるは元気な声でそう言うと、子供達を自室へと案内する。
家具は少なく、最低限のものしか置かれていない。殺風景で生活感に欠けていた。小さな扇風機が懸命に仕事をしている。
「あ、朝ごはんまだよね? おにぎり買ってあるから食べてってー。あとトイレも済ませておきな! ちゃんと付いてるからここ! ほら、向こうにあるかわかんないし」
部屋の隅には、何処かから拾ってきたような古びた机が置かれている。その上には真新しいノートパソコンとタブレットが置かれていて、床には充電器やコードが散らばっていた。
いずれも柚子の私物だ。この場所に留まる彼女だけは、蒼太や花那とは逆に色々な物をを持って来るよう指示されていた。
「……二人とも寝れた? 私、なんか緊張しちゃって……」
「……私は、寝れました」
「俺も一応……」
「……なら、よかった。……頑張ってね。無理だけはしないで」
押入れの中にはブギーモンがいた。ユキアグモンに見張られながら今まで過ごしていた。
相変わらず四肢を鎖で縛られていたが、もう抵抗する様子はなく、呑気に朝の挨拶などをしてきた。
「────さて」
しばらく部屋で過ごし、全員の準備が整うとウィッチモンが立ち上がった。
そろそろ時間だと、子供達を見つめる。
「皆サンが帰った後、デジモン同士で話し合いをしまシタ」
その言葉にコロナモンも立ち上がり、床の隅に置かれた腕輪を手に取った。
「俺たちが庭に出たら、ウィッチモンがこの部屋を亜空間化する。そうしたらこの腕輪でゲートを開く」
「先日伝えた通り、ワタクシの使い魔を同行させマス。それがワタクシたちとの通信媒体になるでショウ。常に連れテ下サイね」
ウィッチモンは何かの呪文のような言葉を唱える。──ウィッチモンの帽子から、下半身の無い黒猫のような生き物が現れた。
にゃあ。そう鳴いて黒猫は、花那の腕に巻きつくようにしておさまった。
「わ、私!?」
「主な移動手段がガルルモンであると考えれば、パートナーの貴女に付けるのが良いかと」
「向こうに着いたら、俺たちはウィッチモンのナビゲートでブギーモンの城に向かう。その後は……もしかしたら、二人だけで、先に城に入ってもらうかもしれない。
俺たちが野良デジモンのふりをして、ブギーモンの城に助けを求めに行くっていう設定だ。ブギーモンの話が本当なら捕まっても二人は殺されないし、ちゃんと腕輪を隠しておけば、いざという時すぐに帰れる」
「……そうなったら、お前らは?」
「それは……、また後に」
「日中の移動で辿り着けない程、遠距離にデジタライズした場合は野営が必要となりマス。……が、場所が場所なので細心の警戒を。食事は匂いの少ない乾燥非常食に留めて下サイ。
この場で伝えるべき注意点は以上。追加があれば移動中にお伝えしマス。ガルルモン、準備の程は?」
「────僕はいつでも」
窓の外から声がした。コロナモンは、蒼太と花那をしっかりと見つめ、確認するように尋ねる。
「……もう一度聞くよ。二人とも、本当に来るんだね?」
「「……」」
蒼太と花那は、しっかりと頷いた。
「──よし! 頑張っておいで! アタシらもこっちで出来ること探すからさ! いってらっしゃい!!」
「気を付けてね皆。応援してるよ」
みちるが二人の背中を叩く。押しながら玄関へと促した。
僅かな荷物を持って、外に出る。
庭へ下り、ガルルモンと合流する。
上方で窓を開ける音がした。柚子がベランダからこちらを見下ろしていた。
「ねえ、私は……! ……私は、これで良かったんだよね……!?」
自分だけ、そちらの世界に行かずに済んだ事。
手鞠に関しては自分に責任があるのに、結局行くのは自分でなく蒼太と花那だった。
「──この作戦が実現したのは、君とウィッチモンがいたからだ。だから、ありがとう」
ガルルモンが答える。背に乗った子供達と目が合う。
“いってきます”
そう、言ったようだった。
「──ウィッチモン! 僕らの準備は出来た。ゲートを開いてくれ!」
「了解。……ユズコ、その窓を閉めテ下サイ。窓、扉、換気扇は一度全テ閉じるように。
これよりこの部屋を亜空間の一部と結合しマス。ワタクシが解除をするまで外部との接触は不可。転送途中に窓等を開ける事が決してありまセンよう。尚、亜空間内の時間軸はデジタルワールドのそれと同化──リアルワールド・タイムの約六倍に設定されマス。
亜空間構築開始。現段階でのエラー報告なし。転送スタンバイ・オーケー。接続を開始しマス」
ウィッチモンの言葉と共に、部屋の壁が、床が、窓が、扉の向こうが光る。
柚子が心配そうに、何も見えない窓の外を眺めた。
セミの声が響く。
蒸し暑い。すっかり昇った太陽に照らされたアスファルトが熱を帯びている。
入道雲が高く上る青空。とても静かな、真夏の朝。
そんな日常の風景を壊すように、とあるアパートの一室が明るく光った。
「────」
それは、合図だった。
「……よし。俺たちも行こう!」
子供達はしっかりとガルルモンの背に掴まり、息を呑んだ。
先頭のコロナモンが腕輪を掲げる。そして──
「デジタルゲート・オープン!」
────その掛け声と共に、見覚えのある光が彼らを包み込んだ。
第九話 終
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